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ふと思ったので質問させていただきます。
不登校はダメなのか? 
なぜなのだろう、そうふと思い先に思いついたのが
学校に行かなきゃいけないから
学校で勉強しないと
とね。
そんでその次に出てきたのが...「なぜ、登校する しかないのか」と
なんで登校しなきゃいけないのか...それと なぜ皆は学校は必ず行かなきゃいけないの一点張り
なのか 自分はそれが謎で謎で仕方なかったなぁ..とか思い出してたら
こう思ったんです、なんで登校の一点しか手段が無いのか、と
それはなぜ? 義務教育だから との返事が高確率できそうですね...
ですが義務教育とは...まず根本的な問題から見てみると 義務教育と調べたところ
学校 登校 とのキーワードがあったので見てみたら 「学校、または自宅を基盤に知恵?を学ぶこと」(うろ覚え)と記述されてました これが事実なら家で勉強などを学んでもよいのでは と
でも世間は 「学校に行かなきゃいけない」やら「学校じゃなきゃいけない」やら...
結局のところなんで不登校がダメなのでしょうか? 質問 という形式じゃなく ただの文章と
なってしまいましたねw すみません。

質問者からの補足コメント

  • あんまこのサイトを理解してないですが 補足を 返事 として使います
    ダメ というのは 最初に 「なぜ不登校はいけないのか」という題名にしようとしたら
    なぜ不登校はいけないのか というところで 行けない と ダメ という意味でのいけない 
    がどっちなのかわかんなくなっちゃうかな ということでダメという言葉になったんです(´・ω・`)
    実際のところ言いたいのは 世間一般的になぜ不登校が否定されるのかってことですね 
    いろいろ文章が変でごめんなさい

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/10/15 00:30

A 回答 (16件中1~10件)

死ぬまで 頭が脳足りんで人生終わっていいなら 行かなくていいでしょう

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友達関係、上下関係など人との関係や社会的なルールなどを学ぶためではないでしょうか。



勉強というのは、学問だけではないと思います!

偉そうですいません…
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中学までは子供には就学の義務があります


それ以外の年齢には好きにしたらいい事です
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これだけ回答がついていて「ダメではない」と書いている人が一人しかいないのには驚きました。

不登校、ちっともダメではないですよ。

現に欧米を初めとする多くの国々では「ホームスクーリング」などといって、はなから学校に行かないことを選ぶ家庭や子供が少なくありません。そのためのシステムも確立されていて、集団行動を学習できる場もたくさん用意されています。

日本はそれが遅れていますが、学校に行かない道を選ぶことも可能で、実際に選んでいる人もいます。また、学校に行かなかった人もきちんと職についています。

問題は、不登校児童生徒の多くが「学校に行きたいのに行けない」という点です。自ら不登校になることを選んだのではないのです。肉体的もしくは精神的もしくは家庭的な事情で行けないのです。また、在籍している学校に行けなくなった時に、充実したホームスクーリングのシステムが不足している点も問題です。その本人のつらい思いをどうにかしてやりたい、ということを、ちゃんとした人たちは言っているのです。

確かに、不登校の生徒数などが発表されると、その多さが即、嘆かわしいことであるようにニュースなどでは言いますよね。もってのほかです。数字だけを見て、その全員が不幸だとかダメだとか考えるのは正しくありません。

なお、義務教育は、(保護者が)6~14歳の子を「教育」する義務を負うことであって、「通学」するのが義務なわけではありません。通学は単なる(子供の)権利です。
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学校に行かないと学べないからです



学生の内は学校に行って勉強するのが仕事です

成人して恥ずかしくない大人になる為に勉強を学びます

みっともない人から後ろ指刺される大人になりたければ勉強はいらないよ・・・

ダメ人間でいたければ勉強止めちまえ (笑)

クズとして生きて行く覚悟を今からしっかりしとけよ

こうして人からバカにされる人生を送る送らないは自分で決めろよ (笑)

学校で学ばない=クズ人間 (笑)
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まあ、日本は集団意識がとても高いですから。


学生のうちに感じるその意識は大切だと思います。
逸脱した人間として生きたいのであれば、忘れないでください。
安定思考な日本人という小さな小さな枠でしか物事を捉えることしかできない人間には、ならないように…祈ります。
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質問の要旨は、「日本では学校に行かないと、社会人として生きていけないの?認められないの?」ということ、でしょうか?



そういう意味でならば、大多数の一般人は、そうでしょうね。

義務教育すら受けていない人は、「平均的学力、平均的問題解決能力、平均的コミュニケーション能力、がない」と判断されてしまうでしょう。
そのため、信用されず、仕事をするにも、人間関係を築くにも不利になります。

「本人が本当にそういう人である」、ということではないです。
「社会からそういう人だと判断されてしまう」ということです。

「社会から、そう判断されても構いません。全く困りません。」というのならかまわないでしょう。
ダメかダメでないか、という問題ではないです。
あくまで、不登校で生きてきた本人の損得の問題です。

義務教育を受けさせることは、「保護者や学校担当者の義務」なので、拒否するとなんらかの法的問題があるかもしれませんが、「身体虚弱で通学に耐ええない」などの診断書を提出すれば、「就学免除」とかになるのではないかと思います。
私もよく知りませんが、何らかの方法はあると思います。

学校教育がなぜ存在するのか?ということを考えてみればわかります。

国は、その国の国民に一定レベルの能力を身につけさせる必要があります。
国民の能力レベルが低いと、国全体の生産レベルが低くて、国民全体が貧しい生活に陥ります。
国として弱体化して、いろいろと問題が起きてくる。
だから、国民に一定レベルの教育を施す必要があるわけです。

同一年代の国民を集めて集団教育を行う学校というシステムは、とても効率のよい教育システムです。だから、多くの国で採用されているのです。

だから、たとえばあなたが、「自分は学校教育を受けなくても人生において、生きていく上で全く困らない」というのならば、不登校でもダメじゃないです。

世界には資産3000億、といった大富豪がいます。
その家の息子が音楽に天才的才能があって、でも、人と一緒に過ごすことが苦手であったら、大富豪は家庭教師を雇い家で教育するでしょう。
そして、音楽才能を十分に伸ばして、歴史に残る大作曲家として成功させるでしょう。
それで、全然問題はないです。

ただ、普通の社会人として、社会に受け入れられて生きるためには、「この人は社会的平均的能力がある」ということを社会から認めてもらわなければいけない。
その時に、「学校教育を受けました」ということが誰にでも分かり易い「認定証」になるのです。

「金持持ちの息子じゃないけど、不登校で、将来ホームレスで路上生活でもいい」とあなたがいうと、世の中の人は、「それはダメだ」と言います。
だって、国民全部が路上生活者になったら、国が成り立たないから困るのです。
路上生活者がゴミ箱から、食べ残しが残っているコンビニ弁当をみつけられるのは、「働いて金を出してコンビニ弁当を買った人」がいるからです。

みんなが路上生活者になると、路上生活さえできなくなる。
だから、世の中の大人は、「不登校はダメだ」と言わなければならないのです。

あなた1人がひそかに不登校になり、誰にも知られず路上生活者になるのなら、それは、まあ、あなたの自由でしょう。
資本主義の国では、誰がどんな職業についても自由です。
路上生活者もひとつの生き方として、自分で選択するのは自由です。

しかし、その場合、人に「ダメですか?ダメじゃないですか?」と聞いて、「人の承認を求めている」時点で、矛盾しています。考えがたりません。

自分で考え、選択し、全責任を負って、つまりメリットもデメリットもすべて引き受ける覚悟をしているべきです。
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勉強だけではなく…。



・団体行動を学ぶ
・人間関係を築く訓練
・しんどいことがあっても我慢する訓練

ここら辺が必要だからです。
そこらへんがさっぱりだと将来ニートや引きこもりにもなるでしょう。
だから学校行かないなら他の方法で補う必要があります。

アメリカだと親がきちんと勉強教えるなら学校は行かなくてもよいそうですが、あちらでそこんとこどうしてるのかは不明。
いちいちメディアで扱わないだけで、学ぶ機会はきちんと用意してるのでは。

まあ、イジメなどで自殺しかねないくらいに追い込まれてるなら休んだり逃げたりする見極めも学ぶ必要があるのですがね。
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不登校はダメなのか? 


  ↑
何のために学校教育があるのか、という
ことを考えましょう。

まず、生徒の利益があげられます。

1,学校で、専門家から体系だった知識や
 考え方を学べる。
 そうでないと、社会に出て生活していけない。

2,学校で、集団生活を送ることにより社会にでるための
 練習をする。
 人間関係の練習です。
 人間は生まれて母親と人間関係をつくり、
 続いて父親、家族、そして学校などで友人との
 人間関係をつくり、そうやって赤の他人である
 社会における人間関係に進むのです。
 そういう練習をしないで、いきなり社会に出た
 のでは上手くやって行くのが難しいのです。


次に、社会、国家の利益があげられます。

人間にとって、社会や国家は必須です。
一人では生きていけないのが人間です。
その社会、国家にとっては教育のある人間が
有益なわけです。
無学文盲の国民ばかりでは、国家の力が弱く
なります。
だから、教育に税金を使うことが許されるのです。
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働き蜂ってしってます。


エサ集めから幼虫・女王蜂の世話、巣の掃除や巣作りなどの
仕事をする蜂です。
これって、蜂の社会で働き蜂であればこの仕事を
やらなければいけなんです。

義務教育もこれに近くて、義務教育期間は、学校にいって
教育を受ける事を、日本社会でやらねければならないです。

だからやらなければいけない事を、やらない人は奇異に
社会からみられるから、「不登校はダメ」というのです。

ただ、蜂社会と人間社会で決定的に違うのは
やらなければならない事、すなわち登校しない人も
受け入れる社会だという事です。

不登校って人生の中では、遠回り、一休みしただけだと思います。
ただ、遠回りすれば人より、長く歩く事にはなりますが
それで人生が苦なるか、遠回りした事で人生が楽しくなるかは
その人次第だと思います
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