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(1)
Viele der Bewerber brächten sehr gute Schulabschlüsse für ein Studium mit.....
(2)
Viele Geflüchtete haben gar keine Zeugnisse mehr

Ihre Studienreife können allerdings nicht alle Flüchtlinge einwandfrei nachweisen. Schulabschlüsse und andere Zeugnisse, die als Hochschulzugangsberechtigung dienen könnten, haben viele nicht. Entweder haben sie die nötigen Dokumente nicht mitgenommen oder auf der langen Flucht nach Europa verloren.
の部分を理解できず、苦しんでいます。
(1)のBewerber と (2)のGefluechtete は同じ人々を指しているように
思えます。ーーーーこれはまちがいでしょうか?----(質問A)

同じ人々だとすると、(1)で braechten sehr gute Schulabschluesse と言い、(2)で haben gar keine Zeugnisse となっていて、逆のことを言っていると思えます。---これはまちがいでしょうか?---(質問B)

(1)のSchulabschluess と (2) のZeugnisse は同じもの、と思えます。---これはまちがいでしょうか?---(質問C)
お助けください。

A 回答 (2件)

BewerberとGeflüchteteは同じ人々を指しています。

もちろん、各語の元の意味は「志願者」と「難民」ですが、この文中では同じ人々です。
brächtenは過去形ではなく、接続法第II式です。Viele der Bewerber würden sehr gute Schulabschlüsse für ein Studium mitbringen.と同じ意味になります。彼らは母国で学校を卒業しており、本来なら修了証明書を持ってこられるはずですが、現実には必ずしもそうではなく、持ってこられる可能性はあるというだけで不確実なので、接続法第II式になっています。単純に「持ってくる」「持ってきた」という事実を表してはいません。その理由があとの文で具体的に書かれているわけで、彼らの多くは、出国時に必要書類を持ち出せずに置いてきてしまったり、ヨーロッパへ脱出するまでの長い間に紛失したりしたため、実際には提出できない人が多いということです。
Schulabschlussは学校の「卒業」、「修了」です。Zeugnisは各科目の成績を証明する「成績表」です。Zeugnisは、もともと広くいろいろなことを「証明する書類」の意味なので、「修了証明書」はSchulabschlusszeugnisということになりますが、語が長いので、それと同じ意味でAbschlussという語を使っています。シリア等、難民の母国の学制のことはわからないので、具体的にどのような形態の証明になるかはわかりませんが、とにかく、卒業証書とか卒業試験の合格証明書とか、そのようなものです。ドイツなどの大学で学ぶ場合は、両方の提出が必要です。
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この回答へのお礼

ご親切なご回答、まことに、ありがとうございました。。私は、braechten(接続法2)と 次の文の hapere(接続法1) は前段落のhochschulen wie die Albert-Ludwigs-Universität Freiburg SAGEN に接続すると、思ったのです。間接話法だと。
braechten ... mit = sollen(sollten) ... mitbringen となると、Bewerber ではなく VIELE Bewerber となっているのはどうしてでしょうか? Viele は、ないほうがいいのではないでしょうか?

お礼日時:2016/10/20 06:55

間接話法だと思ったということですが、その前の文には「sagen」という動詞はありません。

Hochschulen wie die Albert-Ludwigs-Universität Freiburgにつながる動詞は「anbieten」です。そして、そのあとさらにいろいろ書いたのち、一行空けて段落が区切ってあります。もし間接話法なら、話者をはっきり示して段落は区切らないのが基本的な形です(文学作品などの場合はこの限りではありません)。「Er sagt, er habe…」のような形です。hapereが接続法第I式なのが、「間接話法では?」という誤解のもとになっているかもしれませんが、接続法第I式は間接話法にだけ用いられるわけではありません。第II式brächtenは、後続の文の内容からわかるように現実から遠いことを、第I式hapereは、まずほとんどの難民はドイツ語ができないはずなので、現実に近いことを表現するために接続法になっています。この段落は三つの文から成っていて、最後の文は単純な現在形「sind」になっています。すべて同じ構成の短い文で、現実と遠いことから単純な現実へと三段階で畳み掛けていく文章のリズムがあります。
brächtenは、現実から遠いことを表すので、sollen(~すべき)という意味ではなく、「持ってこられるかもしれない」、ということです。そして、Viele Bewerber(多くの志願者)ではなく、Viele der Bewerber(志願者の多く)です。つまり、「志願者全員ではない」が、「そのうちの多く」は母国で優秀な成績で学業を修めているので、そういう人たちは、ドイツでの学習の前提となる修了証明書をもってこられるかもしれない、ということです。「修了証明書を持ってくるべき」という意味ならVieleは必要ありませんが、そういう意味ではなく、上に書いた内容が本来の意味です。
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この回答へのお礼

いろいろ教えていただき、ありがとうございました。
「・・・(1)志願者の多くが、非常に良い成績証明書を持ってこられるはずだ。(2)不足しているのは、ドイツ語能力だけ、ということであるはずだ。(しかし、実際はそうではない)。(3)かてて加えて、上級者向けの語学コースは、しばしば無料ではない。/(4)多くの難民は、そもそも成績証明書を持っていないのである。・・・」
という感じだろうか、と思っています。(2)から(3)へのつながりが、もやもやしていますが・・・。
逆のことを言っているはずがない、と思ったのですが、なぜ、逆ではない、と言えるかが少しわかりました。braechten・・・mit -> hapere -> sind となっていることを教えていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2016/10/20 20:15

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