一回も披露したことのない豆知識

  
 このサイトは、いつも的確なアドバイスを頂けて大変ありがたく思っています。

 過去の質問を検索すれば、人生哲学に関する質問は数多く散見されます。
 でも、私にとって参考になるスレが見当りませんでしたので質問させていただきます。

 つまらない質問で誠に恐縮ですが、私には分かりませんので、どうか教えてください。
 人が生きて行くための「生きる力」とは、いったい何なのでしょうか?

 今回の質問の趣旨をあまり詮索せずに忌憚の無いストレートな意見を
 お聞かせ願えれば大変ありがたく思います。

 よろしくお願いいたします。

 (補足質問はご遠慮ください。)
 (必ずお礼はさせていただきますが、多忙のため遅くなる場合がございます。)
  

A 回答 (24件中11~20件)

それは日常のあらゆる場面に仕掛けられていて・・、



例えば、まだ幼い子供たちの寝顔を見ているときに、
 500円玉貯金箱を手に持って「だいぶ貯まったなぁ」と感じたときに
 友だちを病院に見舞って「また来るから」と手を振ったときに

 敗れ去ったアスリートをTVで見て、次の大会も応援するからと誓ったときに
 仕事で企画プレゼンをして、評価が低くコンチクショーと思ったときに
 お気に入りの作者の本を読み終えて、テーブルに置いた瞬間に

 このサイトで質問に答えて、予想外のお礼をいただいたときに
 初めて出会った人に何かしらときめいてまた会いたいな、と思ったときに

「生きる力虫」の端くれたちがもぞもぞと動きだす。

私はそう思います。自らが気づく気づかないは別にして。
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古来から馴染んだ最も本質的な言い方をするなら、生きる力とは神です。



古代インド自然観の主軸を成すウパニシャッド哲学では、宇宙最高原理のブラフマン(梵)と、小宇宙としての個我の統一原理であるアートマン(我)という思想があり、この二つはイコールで結ぶ事が出来るのだと考えます。

これを(梵=神)=(我=人または動植物)にしてみれば、すべて等しい存在となりますので、
生命が生きる力とは神の力の一形態にすぎず、宇宙最高原理に中に包括されるものであることが分ります。
全ての生物は他の生物を食らいながら存続しているものである以上、この原理の枠内から逃れられる生命はありえません。
従って神こそが絶対的普遍性を持つ根本的な生きる力、
即ち神=生命力です。
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「生きる力」。

「生きる原動力」と言い換えてもさしつかえないと思うのですが、この原動力の正体を哲学的に考えると・・・・
人それぞれ違うものなのでいろいろな答えがあると思います。星の数ほどたくさん。

私は天国も地獄も転生も三途の川も、死後に関する一切の情報を信じていないのですが、それでも死にたいとは思いません。本能的に死ぬことを拒否しているということもあると思うのですが、生きる原動力を持っているからでしょう。これが無くなったら死ぬ、つまり自殺するのだと思います。

この世が楽しくなかったら、さっさと死んで未知なる世界に旅立ちたいもんですね。って・・・こういうことばっかり言ってるから過激な人と思われがちで困っちゃってるんですよ。でも、ほんとにみなさん「死」に対して考え方がネガティブすぎると思うんですが、いかがでしょうか?
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身近に考えてみると、



●恋人との未来を考えるとわいてくる力。
●何か熱中していることがあって、目標に向かって頑張っている時に沸いてくる力。
●子供がいる方にとっては、子供の未来の為に沸いてくる力。

●とっても空腹の時に食べるご飯がとてもおいしく感じた時、ついついがっついてしまう。それも生きる力になるのではないでしょうか?

ニュースでは年々自殺者が増えていると聞きます。
まだ、周りにはそういう方が居られません。
自殺とは決して良い物ではありません。昔、まだ小さい頃「自殺したら、地獄に行くぞ」と、聞いたことがあります。地獄があるかどうかなんて解りませんが、本当だと思います。自殺者は生きる力をなくした人なのかもしれませんが、私は生きる力はどこにでもある物だと思います。ただ気づかないだけなのではないでしょうか?
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自分流に言わせてもらうと・・・



地球及び、その他の天体の未だ見ぬ生物も含め

  「生きる力」など無い・・・

“力”を持っているのは、この広大な宇宙のエネルギーで

生物はただ「生かされている」に過ぎないのだと思う。
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春に咲き乱れる桜の花を見て、その景色に呑み込まれ、我を失ったことがあります。


ふと耳に入った曲を聴いて、全身に電流が流れるほど感動したことがあります。
いずれも「生きててよかった」と思った経験です。
そういった経験が私の生きる力です。
ただ生きているというだけでも、心を澄まして広く開いていれば、そういう経験をすることは難しいことではないと思います。逆に悲しみが増えることもありますが。
でも、「心を澄まして広く開く」のが難しいですね。
氾濫するコマーシャルや情報の渦、多様な価値観と他者の視線・・・
心が何かに捉われないようにするのは、現代社会ではなかなか難しいですね。
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こんにちは。



自分にとって生きる力は、

変化をもとめて、その変化を受け入れて
その環境から、また新しい変化を欲して
どんどん、自分の理想の環境や、状況を
手に入れていくたのしさです。

平たく言えば、
自分のなりたいような自分に努力してなって、
それで周りが変化するから、
そこでまた軌道修正して、どんどん日々
自分のおもうような、なるべく自分にストレスの
ない、たのしくてしょうがない日々を
手に入れ続ける欲だとおもいます。
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 人間だけの問題じゃないですよね。


言葉を知らない生物も生きている。だから理屈ではないでしょう。
 「楽しいからだ」って説を聞いたことが有ります。
生物は楽しくなくなると自殺するらしいですよ。
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あまり深く考えたことはありませんが、一文字でしめすなら 「 望 」 と思います。


しかしながら「生きる力」と文字・言葉で聞かれると「挑戦」と思います。
前者は生存本能・後者は進化本能 どちらも生きる力に変わりないように考えます。
ただいつも後者でありたいと望みます。
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生物はみな、長い年月をかけて生存域を拡大していこうとします。


姿かたちをゆっくり進化させ、
(時にウイルスの力を借りて一気に変化させ)
やがては地球外を目指すでしょう。

「生物」というのも地球の、つまり宇宙的な化学変化による「物質の形態」ですから、
宇宙が現在は拡大しているのと同期して、
生物も存在域を拡大していくのだと思います。

宇宙物質(熱エネルギー)の拡散、
つまりは「熱エントロピーの拡大」こそが、
この数十億年の神なる法則性です。

で、「生きる力」というのもこれに則していかざるを得ないのですから、
人生においては子孫を増やし(→数の安定的生息)、
回りの人間が安全に生活できるよう手助けし(→知りえた知識の拡散等の影響的行動)、
自分が出来ること(やりたいこと、やるべきこと)を一生という限られた時間内にやろうとする力です。

これを「愛」と表現すると理解は楽です。

このことは余命を宣告された人たちが、
他への影響的行動をとろうとすることで一般的に知られています。


残念なことに哲学はつい、形而上学の内だけで完結し、
その結果、わかりやすく宗教という形で伝搬し、
政治という具現策を探ろうとしますね。

自然科学の加速度的発達で、
理論物理学と哲学はすでに紙一重ですし、
釈迦の得た「悟り」というのも、
今では小学生でも知っている「食物連鎖」の法則です。

「生きる力」というのは人によってそれぞれ違いますし、
哲学遊びやお遍路さんごっこからも出てきません。

人それぞれの日々のくらしの中に密やかに、
でもしっかりと隠れているものだと思います。
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