プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

初投稿です。自分の人生に行き詰ってしまって自分だけではどうにもならなくなりこのサイトを利用させていただきました。

私はこの春から大学生になるのですが人間関係に関してかなり不安を抱いております。それはこれからの生活で私はどういった意識や行動をすればよいのかということです。

少し話が遡りますが、私は常に一つの理論を胸に高校時代を過ごして参りました。それは、学生時代に友達を作ったとしても大人になれば会えなくなって、その結果全員に忘れられてしまう。そうなれば、卒業後は永遠の悲しみが襲う。私はかなりのお人好しで人に捨てられることを何よりも恐れて生きてきました。好意をもった相手に忘れられるのが怖い。ならば、好意を持たなければ悲しむことはないという自論を抱いておりました。愛情さえ抱かなければ捨てられる悲しみを味わわずに済むと思っていたため、わざと性格の悪い人間を演じてクラスメイトに嫌われるよう仕向け(クラスメイトを睨みつけ冷たい態度をとり続けなおかつ常に敬語で話し、行事は全部休んでました。)、そうすることで私が愛情を抱く余地を無くすようにしていた時期もありました。(高校2年の4月にこれを実行しましたが、私の醜悪な態度にも関わらずやさしく接してくるクラスメイトの優しさに耐えきれなくなり11月には普通の学生らしい態度に戻しました。クラスメイトはそんな私を受け入れてくれました。)まとめると人に忘れられ孤独になることを恐れるあまり人間関係を避けて生きてきました。

また私は、小学校と中学校の時に経験したある出来事でトラウマとなっていることがあります。それは、自分が友達だと思っていた人は自分が勝手に友達だと思っていただけで、相手は友達だとは思っていなかったと悟った経験です。小学校の時の私は「友達がいないことがは恥だ。」と思っていました。毎日どんな嫌がらせを受けてもその相手のことを友達だと思い続けていました。中学校のころは量よりも質にこだわり小学校時代には数十人ほどの人間を友達だと思っていたのを、中学では2~3人に減らしました。嫌がらせに耐えてまで友達にはなりたくはないと考えるようになったからです。ですがその友達の一人が私に「お前は俺のこと友達だと思っているかもしれなけど、俺はお前のこと友達だと思ったことはない。」と言われました。その意見に私は何の異論もありませんでした。それ以来私は「相手が自分を友達だと思っている確実な証拠が手に入らない限り相手を友達だと思うのはやめよう。」と考えるようになり、その考えが歪んでいき私は次第に誰も信用できなくなってしまいました。まとめると人を信用するのが怖くなってしまいました。

ですがついこの間、ある事件が起こりました。それは親友と思っていた人の信用を失ってしまいましたことです。その親友は部活で知り合った一つ下の後輩の女の子で引退の一か月前の合宿で仲良くなった子です。最初のころは向こうも敬語でしたが、いつしかタメ口で話会うほどの仲となり、その2か月後にはお互いに人生相談をするくらいの親友になっていました。私は常日頃その子に上に書いたようなことを話していました。だから私はいつかその子が私を捨てるだろうと本人に言い続けてきました。ですが、その子はその度に「そんなことは決してない。何十年先でも私達は友達だ」と言ってくれていました。今までにそのようなことを言ってくれた人はおらず私も「この子ならもしかしたら・・・。」と考えるようになっていました。ですが捨てられるという思いと不信感も完全に拭いきることは出来ず、その子の言葉と自分の考えに板挟みになりながら生きてきました。そしてこの間その子に「郵送でプレゼントを贈りたいから住所を教えて」とラインで言われた私はつい不信感から「何か企んでるの?」という愚かな質問をしてしまいました。その結果その子から「それ本気で言ってるの?」と言われたきり謝罪の言葉を言っても未読無視をされたままになってしまいました。今までは人に裏切られることを恐れていた私が人を裏切ってしまったのです。しかも、人に裏切られることよりも人を裏切ることのほうが何倍も辛いと感じたのです。

人を信じることも怖いですが、私に信用を寄せていた人を裏切ってしまうのも怖い。私はどうしたらいいのかわからなくなってしまいました。本題に戻りますが私はその子と同じような犠牲者を作らないためにも大学では友達を作らないべきか。けれど一人で生きていくには私はあまりに弱い。だから大学では多くの友人を作るべきか迷っております。またどういった心持や行動で大学生活を生きていくべきかを教えてほしいです。なにとぞ回答よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

友達は作るべきです。

少なくてもいいです。一人か2人いるだけで十分です。
自分の悩み相談を笑ったりせずに、聞いてくれて、真剣に考え、正直な意見を言ってくれる友達は作るべきです。
心の拠り所がないと人は人として生きていくことが困難です。

人は迷惑を掛けあってこそひとです。

ひとりやふたり、友達と言って巻き込んで、迷惑かけてもいいと思います。

他の人には、同情も、非情にもならず、ただ「いいひと」を頑張ればいいと思います。無理はしなくていいです。他人行儀で、敬語であろうと構わないと思います。


いうだけ簡単ですが、行動に移すのは難しいと思います。でも、少しずつ、心のリハビリ(?)をして、無理しない程度に頑張れば、きっと大丈夫です。
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大変だねえ。

もっと気楽に考えられないかな。
せっかくの学生時代は友達をつくって楽しく過ごすほうがいいじゃない?
卒業後に忘れ去られたからって何なの?
その時楽しく過ごして一生の思い出を残せたら、それだけで一生の友達だと私は思うよ。
たとえ相手が忘れちゃったとしてもね、自分の中にキラキラとした思い出として残ったらそれでいいじゃない。
それに卒業後に疎遠になったとしても、そういう思い出ってのは相手も忘れないものです。
何十年か後の同窓会で「あの時は楽しかったね」って言えるだけで十分に意味があるものですよ。

あなたは一度友達になったら一生仲良しでいないと気がすまないのかな。
そんながんじがらめの考え方は極端だし窮屈でしょう。
私は、来る者拒まず去る者追わず、という姿勢が良いと思ってます。
また「袖振り合うも他生の縁」という言葉があります。
あなたが一生のうちに出会う人の数ってたかが知れてるでしょう。
世界の人口と比べたら何億分の1かにもならないかも。
希薄であろうが親密であろうが、できるだけたくさんの人とご縁を繋がないともったいないと思います。

毎朝同じ電車に乗り合わせるだけの口をきく事もない人から、心の支えになってくれるような親密な友人まで、人間関係の度合いに色をつけるとしたら白から黒までの無限のグラデーションで表せます。
親密度のグラデーションがいくらあっても良いと思いませんか?
忘れられたっていいしあなたも忘れてもいい。
でも忘れようとしても忘れられない人もいる。お互いにね。

保身もほどほどにしないと人からも信用されないという事をあなたは学んだのだから、新生活にはそれを活かさないとね。
とにかくそんなに深刻に悩むことじゃないから、もっと気楽に適当に行きましょう。

ちなみに私は30年来の高校時代の友人と今も付き合いがあります。
子育て時代には10年以上も疎遠だったり、住む地域もバラバラです。
言ってみればつかず離れずの関係でした。
それでも今また一緒に旅行したり集まってます。
学生時代の友人は格別ですよ。この年になると本当に貴重です。
人間不信なんて本当~にもったいない!
多少なにかあったって、若い時の傷なんて舐めとけば治るんです。
一度しかない人生、楽しみましょう。
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何年合わなくても、話してなくても、大切にして来た人はあなたの宝物。

無くなったりしませんよ。
新生活では規則正しい生活と、誰にでも挨拶することを、心がけてはどうですか?
人を信じて騙される方が、信じない方が、私にとっては恥なんです。騙されたって構わないくらいに考えれば喜楽ですよ。
昨日、6年振りに恩人に会って来ました。年賀状のやり取りはしていたけど声を聞くのは6年振り。それでも、いろんなアドバイスをしてくれました。私も逆転の立場になれるようにならなきゃいけないと思って帰って来ました。人間関係は、希薄なものではありません。
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おじさんです。



小学校から、いろんな経験を経てきたのですね。
「人を信じることも怖いですが、私に信用を寄せていた人を裏切ってしまうのも怖い。私はどうしたらいいのかわからなくなってしまいました」
⇒そこまで人との信頼関係を極端に考えないほうがいいと思いますよ。

確かに、人を裏切ったり、人から裏切られるのは辛いことですね。
でも、あまり、デリケートになるのはよくありません。
友人同士の付き合いは、もっと大らかに考えましょう。

今のまま大学や社会人になると、自分のデリケートさに押しつぶされてしまいますよ。
そして、人間不信のうつ病になってしまいます。

何事も、もっと穏やかに考えましょう。
つまり、何があっても、”まあ、いいか~”と考えるのですよ。
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めんどくさい人間。

嫌われそう
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