このtoshimasa katagiriさんは意識が完全に脳に依存すると証明できるとゆうのですが本当にできますか?
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1317296 …
A 回答 (19件中11~19件)
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No.9
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
少なくとも、今の科学では、心・精神・魂に関しては、機能的な分析しかできません。
物理的な存在としては、それは存在しないかもしれませんが、形而上のものとして、それが存在しない事の証明は科学では不可能です。
科学は、以下の質問に対して、解答を与える機能がありません。
1.仮に精神転送が可能だとして、それが転送元と本当に一緒なのか?(単なる情報移動だけでは無いかと言う疑問は消せません)
2.機械が精神のような機能を持ったとして、それは人間の精神と同等のものなのか?(単なる自動応答機械では無いと言う事が証明できません)
3.人間の脳の機能と、身体の神経系の全ての対応関係が全て解明されたとして、それで精神や魂の証明になるのか?
4.死後の世界はあるのか?(死後の世界については、この世界に存在しなければ観測はどのようにしても不可能である。 また、この世界に死後の世界があるかどうかも観測不可能である。 したがって、科学は死後の世界に関して、何も言えない。)
上記に解答を与えられる可能性のある科学が生まれるには、極端なパラダイムシフトが必要です。
ただし、それが、人間の認識の範囲外を扱うとしたら、はたして、それを科学と呼べるかどうかはわからないです。
少なくとも、私が生きている間は、このような事の証明がなされる事は無いでしょう。
科学的な証明がなされるかどうかを心配されているのならば、現在の科学では不可能ですよ。
本当にしつこくて申し訳ありません
このようなものを見つけたのですが
http://tocana.jp/i/2017/03/post_12512_entry.html
意識の発生源を見つけたとするならば心は完全に脳とゆう物理的なものの動きとゆうことになりませんか?
No.8
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
クオリアをどう定義するかですが、それが感覚の誤差と考えるか、精神活動としての価値観と捉えるかで、現象としての評価は分かれるでしょう。
仮に、脳細胞と神経全ての相互作用を個々に観察できたとして、そこに何故、精神と見なせる活動が生まれるのかは、解明できないと思います。
何故ならば、観察の結果は、かなりのブレが生じると考えられるからです。
そのブレこそが、精神の個別性でしょう。
問題なのは、脳の記憶自体が、個々に違うため、それらの相関関係で生まれる、情報の組み合わせは、人間の脳レベルでも、かなり膨大になると言う事です。
実際問題としては、これらは、問題構造としては、ソフトプロブレムです。(解析が出来る可能性はあります)
ただし、その結果として生じる精神自体は、観測できる実体がありません。
それは、言語化されて、発声された情報から解析するしか方法が無いと言う事です。
これは、一種のたとえですが、プログラムもOSも無いコンピューターがあって、その回路構造、CPUの構造の解析ができたとして、そこにプログラムなり、OSが無い限り、それらが、どう動くかはわからないと言う事です。
そこに、AIプログラムをロードした瞬間、コンピューターは動作をはじめます。
今、われわれが、わかるのは、このプログラムがロードされたコンピューターそのものだけで、プログラム本体は見えない状態です。
入出力の反応だけで、そのプログラムを推定できるかと言う事です。
全ての反応に対する応答の一覧表があったとして、そのプログラムを推定できるでしょうか?
仮に、そのプログラムがわかったとして、それは誰がロードしたのでしょうか?
それらは、本当にわかるのでしょうか?
このような疑問は、いくらでも残ります。
それが、有る以上、だれかがロードしたんだと考えて、その先に進むのが科学です。
魂・精神(ゴースト、ガイスト)が錯覚や、幻想だとして、何故、それが生じる必要があるのか?
これらは、科学で解明可能だと思いますか?
人間の倫理は、そのような存在が無ければ、成り立たないものでしょうか?
すでに、死後の世界などの概念は、ほとんどの人で無い状態では無いですか?
また、宗教だけに基づいた倫理と言うのも、ほとんど無いと思います。
それは、与えられた環境や社会集団として要求されている事なのでは無いでしょうか?
倫理とは何かを考えれば良いだけで、それを宗教・信仰・死後の世界に還元する必要はそれほど無いと思います。
個人的には、死後の世界があろうが、無かろうが、精神・魂が実在しなくても、生きていく事に変わりはありません。
生きている、自分と言う存在は、精神・魂が幻想であっても、あると言う事です。
倫理が消えるかどうかは、精神・魂、死後の世界とは無関係だと思いますよ。
人に魂のような非物質的なものはないとか 心は物理的なプロセスによって動いているとか 死後は無になると完全に証明されることは 将来的にもないと考えていいのでしょうか? 重複したような質問になってすいません しかし私はその可能性が消えないだけで個人的にはいい人生が遅れそうなのです
重い話ですいません
No.7
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
まさに、今まで回答で説明してきた事が、ハードプロブレムです。(意識の観測出来ない部分です)
我々が、科学的に観察できるのは、脳電位や、脳内の温度分布、直接的な身体動作や思考中の脳内電位や温度変化です。
これらの観察により、脳及び、身体の神経の動き自体は、ある程度の解明が可能です。
ただし、直接的な思考などの精神作用に関しては、それが脳内でどう処理され、どう生み出されるのかはわからないわけですよ。
これが、観測不能なハードプロブレムです。
このような精神作用を形而上のものと考えれば、不可知論者であれば、解明不能と判断して、研究自体を行わないでしょう。
そういう意味では、科学的な証明を求めるのであれば、ハードプロブレムは証明不能なわけです。
関係があるというか、それこそが、形而上のものと判断される事ですよ。
私たちのさまざまな主観的経験が、脳内における情報処理プロセスの一つとして明らかにされた場合はどうなるのか。たとえばの話ですけど。クオリアも脳の物理現象にしかすぎない。その相関関係が解明される。ニューロンの発火による意識生成のメカニズムも解明され、しかも自己という意識や確信もじつは錯覚だったことが判明するなんてことがいつの日か科学ニュースで報じられたとき、人は死んでも魂は存続するという宗教の教えは終焉を迎えるのでしょうか。意識をめぐるパラダイムシフトが私たちのすべてを変えていく。そのとき、長年にわたって私たちを支えてきた、倫理や道徳的価値観が消え失せるのか。信仰や崇高な精神や愛も幻だったのか。そして人生そのものも幻だったのか。すべては脳が生み出した幻だったのか?
これは私が見つけたサイトの文なのですが これが私が今一番恐れていることなのですが これは起こり得ることなのでしょうか?
No.6
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
わからないと言う意味では、どちらも同じと言う事だと言う事です。
確率的に考えるより、どちらとも証明できないと言う事なので、自分にとって、どちらに転んでも困らない考えでいるのが、良いのでは無いでしょうか?
死後の世界がある必要があるのなら、無い場合は困りますが、どちらでも良いという考えで生きれば、結果は気にしなくてすみますよね?
本当にしつこくすいません とゆうことは心身問題に特定の答えはないのでしょうか? またそれと意識のハードプロブレムとは関係ないのでしょうか。
No.5
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
デカルトの実体2元論を科学者は支持していませんが、それは科学の構造上やむを得ない事です。
したがって、実体2元論自体が否定されている状況では無いですよ。
要は、精神や心、魂と言うものが、機能的に存在する原因は、科学では解明できないんです。
単純に、身体機能が、物理的な生理作用により、脳から指令されていると言う事が観測事実だとして、精神や心、魂が物理的実体として認識されないからと言って、それが形而上に存在しない事の証明にはなりません。
ですから、科学的に実体2元論が否定されていると言った意見に対しては、精神や心、魂が物理的実体で無いと言っているだけにすぎません。
物理的観測に表れないものが、物理作用に影響を与えるかどうかは、議論の余地はありますが、そのような人間の観測にあらわれない形而上の存在の実在は、我々にとっては、証明不能なのは、自明な事です。
それが、証明だと言うのであれば、形而上の存在は、全て存在しないと言えてしまいます。
何が、何によって証明されているかをきちんと認識しないと、その証明自体の意味を間違えてしまいます。
科学は、基本的に形而上の概念に関しては、不可知=わからないと言う立場ですから、あくまで観測事実から推定する事しか説明できないんですよ。
例えば、精神疾患があるから、精神などは、脳の機能としてあるものだと言う意見もありますが、精神疾患から回復した脳科学者は、精神疾患の間も外的表出はおかしかったかもしれないが、一貫した精神は存在していたと証言しています。
ただし、その感覚は、精神疾患になる前とは違っていたとしていますね。
でも、回復後は、疾患以前の自分との違いは認識出来ないと考えています。
これは、当然科学的には、記憶が、脳の機能として、精神を生み出すと考えれば、精神疾患は神経作用により、記憶と精神の関連に異常が生じていただけで、記憶自体の欠損が無ければ、神経作用が正常化すれば、以前の状態に戻るのは当たり前だと言う事は可能でしょう。
でも、それとは別に、形而上の精神実体が存在すると言う意見を排除できるほどの主張ではありません。
そういう意味では、実体2元論が否定されていると言うのは、科学者だけの話ではありませんか?
全てにおいて、否定されているのならば、哲学も宗教も同じ考えのはずです。
そういう事では無いですか?
つまり死後や魂の 来世とゆうものは考えようによっては五分五分と考えていいしそれはこの先もおそらくかわらいとゆうことでいいのでしょうか?
頭が足らなくすいません
No.3
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
唯識論とか、唯物論、心身2元論などは、それが証明されたものと捉えるより、そのような主義と考えるべきです。
つまり、唯識論などは、認識だけを元に考えると言う事であり、唯物論などは、感覚で得られる物をそのまま認識と考えると言う事です。
心身2元論は、心と言う機能と身体を別に認識すると言う考えです。
心や意識などは、個々では、思考していると言う事実だけからしか、認識できません。(他からは、表出している事しかわかりません)
したがって、それ自体は、形而上のものと言う事になります。
どのような考えが正しいかは、形而上のものを含む以上、完全な証明は不可能です。
どちらにしろ、それは、現象と考えて、その実在は問わないのが、科学の立場です。
ですから、それらが、証明される事は、少なくとも、科学では無いと考えるべきでしょう。
つまり 人に魂のようなものがあるのかもしれないとゆうを否定したり 人の心が完全に物理的なプロセスによって動いていると証明することは将来的にもできないとゆうことでしょうか?
No.2
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
人工知能の場合は、それが、人間の意識と同一とは証明不可能でしょう。
意識転送は、それ自体が不可能でしょう。(実験としては、人間から人間に意識転送しなければいけません)
人道的に、生きている人間で実験は出来ないと思います。(そのような方法が可能かどうかもわかりません)
人間の意識を機械に移せるとして、はたして、それが本当に人間の意識の転送かどうかはわからないでしょう。
つまり、本質的に意識そのものが、外的な表出以外でしか判断できず、その実態を観測できない以上、その実態は形而上の概念としか言いようが無いわけです。
つまり、それが証明できると言う事は、同時に他の形而上の概念も証明可能と言う事になります。
それは、不可能ですし、今まで証明できた人もいません。
科学が、出来る事は、観測できる事実から、法則を推定、解釈する事だけです。
観測不能な事は、科学では証明できません。
中には、生まれ変わりなどの調査や、臨死体験から、人体以外に魂と言う形而上の存在がある事が認識されると言う人もいますが、あくまで個人的な体験であり、それが観測事実とは言いがたい事で有る事から、科学的に扱うのは難しいと思います。
臨死体験をした、脳科学者などは、脳の活動が停止していた期間の記憶が存在する事から、魂の存在を疑えないとしていますが、脳自体が損傷していない以上、以前の記憶が存在しているので、脳が活動を再開した時に、時間感覚を維持する為に、記憶の補完を行った可能性などは、排除できません。
生まれ変わりにしても、本当に生まれ変わる前の情報が、与えられていない事の調査が不十分である事が指摘されています。
完全に証明するというのは、不可能です。
死ぬまでわからないと解釈するのが、一番妥当だと思いますよ。
丁寧な回答ありがとうございます
もう一つ重複してしまうかもしれませんが、
心身問題に対して 一元論や二元論 性質二元論 色々ありますが そのうち どの説が正しいのかと証明される時は来るのでしょうか?
No.1
- 回答日時:
その人の証明を見ていませんから、何も言えないですが、一般的には、証明不能だと思いますよ。
何故ならば、意識自体の実在を意識では認識不可能だと思うからです。
それこそ、デカルトのように、意識しているから、存在していると言う事は言えます。
意識が、外部に表出する為に脳と言うか、人間という存在が必要なのは確かです。
人間が死ぬなりすれば、その意識は外部に表出出来ません。
したがって、その段階で意識がどこにいったかは不明なわけです。
観察事実としては、意識は肉体と同時に消えたわけですが、本当にそうかはわからないです。
表出しないだけで、どこかにあると言う事は否定しきれません。
かといって、どこかにあると言う事も言えません。
そのような、形而上の存在として、意識を考えた場合は、人間がいくら考えても、結論は出ないでしょう。
したがって、そのような事は証明不可能と考えるのが妥当だと思いますよ。
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