初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

人の心は脳の自然現象でしょうか? 死後は無なのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

人間は物質的な肉体以外に、霊体という体が重複的に存在していて、その霊体の方に心が存在しているそうです。



↓スピリチュアリズム入門
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sp-introducti …

ここの第2部のところを読んで下されば、人間の魂がどこにあるのか書かれてあります。
    • good
    • 0

>死後は無なのでしょうか?



このことに関しては、哲学よりも、死者との対話方法を習えるスピリチュアリズムや密教で
修業して経験しようとしてみるほうが早いでしょう、きっと。

5年くらい年数かけて、自分で経験できるかを修業・実験してみると、大きなヒントが見つかるかも、、、。自分なりの結論は、それから下せばいいのでは。
    • good
    • 0

「人の心とは何か」という問いは哲学の問いですから、答えはありません。



質問ではなく、思索する事です。
    • good
    • 0

未解決問題です。

    • good
    • 0

頭で考えてもでてこないので、ヒントなら経験をつむことで得られるかもしれません。


例えば、日本中の霊媒師をたずねて、状況はどうなっているか、つぶさに観察してみるのです。
    • good
    • 0

密林に住んでいる裸族の男が初めて外の世界を見たとしよう。

ある
日、彼は、自動車のタイヤを槍で貫けば、自動車はもう走れなくな
ることを発見する。そして、自動車の走る力の源はタイヤなのだと
思い込む。

さて、もしも心の実体は肉体にはなく、脳が心と肉体のほかの部分
をつなぐ精巧な装置であったとしたらどうだろうか? 脳を壊して
みると、肉体の機能が損なわれる。しかし、それは心の実体が脳に
あるという主張の証明にはならない。
    • good
    • 0

「人の心は脳の自然現象でしょうか? 」


⇒脳を含めた身体全体でしょうね。

「死後は無なのでしょうか?」
⇒ないでしょうね。
    • good
    • 0

脳の働きについて ある程度しか分かっておりません


ユング(スイスの精神医学者)オーストリアの精神分析学のフロイトが
よく知られておりますが

人間の脳に限らず 
理解不能 説明できない ありえない 実験結果が出ております
物理学 医学 精神分析学からの解明は 限界にきています

たとえば 背中に人の視線を感ずる事ありますね
これ どの実験での 背中に人の視線を感ずる と言う結果が出るのです
誰も説明などできません 論理的に成り立ちません
更に 遠隔感応 余地能力 等など 科学者の未知の領域です  

哲学 宗教からの解明の方が はるかに進んでいます
 
参考
九識論  http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage8.html



死の問題は 科学の理論からは 無にはならず 変化するのです

これも 生命科学や物理からの解明より 哲学 文学 宗教からの
解明が 進んでいます

天文学 物理 ミクロ マクロ 
空間が分かれば すべて分かる  と言われています
今現在 謎だらけ 理解不能の ありえへん未知の領域なのです
 詳細はカット

仏教では 万物 人間も含めて 成住壊空(じょうじゅうえくう)
を繰り返す と説きます
くしくも 天文学と同じで 空が分かれば すべつが分かり 悟りであり 仏なのです

死は 天文学でも 宗教でも 空になり 空間から 再び再生する が 
共通の考え方です
だから 科学と宗教は 別々ではなく  おそらく一体なのです おそらくです

科学も仏教も 奇跡とか偶然はないんです (基本的にはです 例外があるから困る)
ボーワとアインシュタインの 論争は面白い   詳細はカット
キリスト教では 奇跡を乱発してますが

死は誰でも 必ず体験します そのとき分かるかも 

因果応報 仏教だけど 実に科学的な考えです
 信じましょう 悪事は 自分に帰ってくるからね

一応 各宗教では 死ぬとどうなるか
キリスト教・・・神の裁きで 天国か地獄
イスラム教・・・  同じ
仏教   ・・・ 何度でも生まれ変わる(経典により違う)
ヒンズー教・・・ この世は影 死後 本当の世界
儒教 道教・・・ 天意にまかせる

貴方は どれがいい

神道では死んだら 神になるらし 神だらけ

わたし 神の法則信じます  何故かは超長くなるから この次に


法則 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
    • good
    • 0

「脳の自然現象」という時、その『脳』は、認識された


環境(宇宙)の中の部分である肉体的要素を指す。
しかしその実、量子論的世界像において、そうした環境
=有限的存在性は、(認識性を除外した絶対的確定に
おいて無限不確定に発散するものを)認識する事により
派生している事が明らかとなっている。
不完全な認識において、階層現象を表面的に、かつ経験
的に(=いい加減に)捉える事で、その時間軸(経験=
時間の流れ=過去=超光速)と空間軸(予測=空間の広がり
=未来=光速下)は、対発生しているのだ。

不確定性原理における無限不確定(=無)の潜在的な
認識可能性の時系列化(プランク定数hの収束=物体収縮
=宇宙膨張)により、その「経験」に基づいて「いい加減
な認識」が可能になっている場合、その仮想的な時空の
広がりに対する無の射影がc(光量子=光速)であり、
相対性理論の4次元ミンコフスキー空間=虚数関係に
ある時空軸の等距離点に生じる0の面(界面原点)なのだ。
ひるがえって我々が真に捉えているのは、対象ではなく
網膜上での光子(=光速)に他ならず、その量子相互作用
パターンに対して“遠くの存在”を予測しているに過ぎない。
逆に言えば、そうした仮想的な時空的な広がりに対する
無の射影(=無に還元する)のが量子=存在なのだ。
「死後は無になる」どころか、今だって無に過ぎないのだ。
夢で見た物を「存在している」と言えるか?
「夢で見たのだから覚めても存在するはずだ」と言えるか?
「人の心は脳の自然現象でしょうか? 死後は」の回答画像5
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ごめんなさい あなたのゆうことがよくわかりません
量子力学をよく説明されていますが それがよくわかりません

お礼日時:2017/05/14 14:22

死とは何でしょうか。

死んだ後私は何かを感じるのでしょうか。
その為には、私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す