限定しりとり

当方、哲学や神学の専門ではなく、信仰も特にありません。
別におふざけでなく、好奇心から質問します。

質問ですが、
1)神様は、自身の創造物から敬って欲しいと思っているのか、
 あるいは存在を認知して欲しいと思っているのか、
 議論した論者にはどのような人がいるでしょうか。
2)神様自身が、そのような意図を語っている神話や説話、
 伝承には、どのようなものがあるでしょうか。
3)人間が信仰する際、神様の存在を認知する上で、
 「好く・敬う」か「放置・無視する」か「嫌う・反発する」
 のように分類できると思いますが、
 これを生物学的または心理学的または統計学的に、
 分類や研究する分野や調査例はあるでしょうか。
4)人間が神様はいない、と主張する場合、
 その立場を分類した論者や文献はあるでしょうか。

ご回答は専門的に学ばれた方でなくてもよいですが、
できれば具体的な神様や神話の名称、研究分野の論者や文献を、
示して頂けますと幸いです。

よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 1)の「認知して欲しい」とは、「嫌いでもいいから」という意味も含みます。

      補足日時:2017/05/28 05:36
  • 度々すみません。

    4)ですが、ニーチェはその論拠の場合、
    私にとっては「否定的」立場ではなく、
    「盲目的」立場に思えてきました。

    ご紹介頂き、ありがとうございました。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/05/29 22:06

A 回答 (7件)

(あ) 人と人との関係は ふつうどんぐりの背比べとしてヨコ並びです。



(い) せいぜいが 二階建ての国の家をこしらえて 階上と階下とのタ
テの幅をもった・一般的にはヨコの関係です。

(い) 神と人間とのカカハリが このヨコの関係だと思われますか?

(う) おそらく結論から言って 神は――絶対で無限であるなら――相
対で有限なる経験世界におけるヨコの関係に《も》 成れると思われます。

(え) だがそれは 絶対・対・相対という《絶対の隔たり》を前提とし
た上でのことでしょう。

(お) 有限なる存在の人間から 讃えられようが貶され罵られようが神
にとっては 痛くも痒くもありません。絶対とは そういうものです。

(か) 言いかえると もし神が人間とのカカハリとして ヨコの関係を
もって友だちのように成ったとした場合 それは 明らかに神からの一方
的なハタラキカケによる。はずです。さもなければ 人間が 絶対存在と
なって 神と肩を並べることになります。




(き) ★ 1) 神様は、自身の創造物から敬って欲しいと思っている
のか、あるいは存在を認知して欲しいと思っているのか、
☆ 《創造主 と 被造物》という表現は 《絶対》を擬人化して《絶対
者》と捉え さらにこの絶対者が 相対なる経験世界をつくったというタ
トへのもとにあります。つまり 表現の問題です。そういう物語でしょう。

(く) 《敬って欲しいと思っている》かどうか。
――これは 前項の物語を〔仮りに〕前提として 人間が想像をゆたかに
していだく議論であり夢物語です。⇒(お)

(け) ★ 1) 議論した論者にはどのような人がいるでしょうか。
☆ (あ)から(か)までの仮説としての理論は それをそのように論じ
た特定の人は いません。護教論とさえ見なされているアウグスティヌス
に接してわたしが 考えたものです。著作集が出ています。とりわけ『三
位一体論』にまなびました。

(こ) ★ 2)神様自身が、そのような意図を語っている神話や説話、
伝承には、どのようなものがあるでしょうか。
☆ パスしたいのですが(知らないからですが) たとえばおもしろそう
な文句を持ち出すなら:

▲ (マタイによる福音 12:7 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html
【イエスが語ったと言われる文句として】
『わたし( = 神)が好むのは、あわれみであって、いけにえではない』
(ホセア書 6:6 )とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪
のない者をとがめなかったであろう。

▲ (ヨハネによる福音 15:15 ) ~~~~~~~~~~~~~~~
http://bible.salterrae.net/kougo/html/john.html
【イエス語る】
わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを
知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から
聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(さ) ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3)人間が信仰する際、神様の存在を認知する上で、
「好く・敬う」か「放置・無視する」か「嫌う・反発する」
のように分類できると思いますが、
これを生物学的または心理学的または統計学的に、
分類や研究する分野や調査例はあるでしょうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 無知ですのでパスします。ただし 人間が《神様の存在を認知する》
というのは 人間の戯言です。⇒(か)

(し) ★ 4)人間が神様はいない、と主張する場合、 / その立場を分
類した論者や文献はあるでしょうか。
☆ パスします。ただし 絶対としての神は けっきょく――絶対が二つ
も三つもあってはおかしいのですから―― ただひとつの普遍神であるし
かない。これが 哲学の立ち場です。

(す) 普遍神は 人間にとってその《われ》とのカカハリは――絶対な
るタテの関係であるなら―― 人間から見て無条件にまた無根拠において
成り立っている。

(せ) 無条件に無根拠において成り立った・神とわれとのタテの関係は
人間どうしの経験的な《有る無しや因果の過程から成るヨコの関係》を超
えています。超えているからには その神が存在すると仮りに言ったとし
ても 相対的な《有るか無いか》の物指しで測る《存在のあり方》ではな
い。

(そ) つまり 普遍神は 《有るか無いかが人間には分からない》。
ちなみに《分かるか分からないかも 分からない》。それが 絶対ゆえ。

(た) つまり 人間から見てどうしてもわれわれに分かるように人間の
言葉で言い表わすなら 普遍神は 《有る》と言ってもよいし《無い》と
言ってもよいとなる。はずだ。ふたつの選択は互いに同等である。

(ち) つまり 普遍神とわれとのタテの関係――いわゆる信仰――は
《有る神》派と《無い神》派とに 互いに同等なあり方として 分かれる。

☆ このあたりまでとします。参考として次を挙げます。:
【Q:一般および個別絶対性理論】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9765679.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

(い) 神と人間とのカカハリが このヨコの関係だと思われますか?
→ 私見ですが、人間側視点からはタテでもヨコでもどちらでも生きやすい方で構わないと思っています。
  造物主側視点からは、タテのつもりで造った神格とヨコのつもりで造った神格のどちらも居るかもしれませんが、
  各々どのような根拠、意図で造ったのか、分類学的に興味があります。
  あと、カカハリという学術用語があるのでしょうか。それともご自身の用語でしょうか。

(う) おそらく結論から言って 神は――絶対で無限であるなら――相
対で有限なる経験世界におけるヨコの関係に《も》 成れると思われます。
→ 造物主がそういう意図を持っていた場合、形而下に射影を作って私たちと暮らしていたとしても、見分けられないかもですね。

(く) 《敬って欲しいと思っている》かどうか。
――これは 前項の物語を〔仮りに〕前提として 人間が想像をゆたかに
していだく議論であり夢物語です。⇒(お)
→ その前提の場合、同意します。

(け) ★ 1) 議論した論者にはどのような人がいるでしょうか。
☆ (あ)から(か)までの仮説としての理論は それをそのように論じ
た特定の人は いません。護教論とさえ見なされているアウグスティヌス
に接してわたしが 考えたものです。著作集が出ています。とりわけ『三
位一体論』にまなびました。
→ 博識な意見、ありがとうございます。

(こ) ★ 2)神様自身が、そのような意図を語っている神話や説話、
☆ パスしたいのですが(知らないからですが) たとえばおもしろそう
な文句を持ち出すなら:
→ ご提示ありがとうございます。

(さ) ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3)人間が信仰する際、神様の存在を認知する上で、
☆ 無知ですのでパスします。ただし 人間が《神様の存在を認知する》
というのは 人間の戯言です。⇒(か)
→ ご提示の前提の場合、同意します。

(す)から(ち)
→ 引用でしょうか。それとも、(あ)から(か)と同様に、ご自身の意見でしょうか。

【Q:一般および個別絶対性理論】
→ ご提示ありがとうございます。

お礼日時:2017/05/29 18:39

比較宗教学ってかんじ。



1)ユングがそれっぽい。ヨブへの答え。
http://www.msz.co.jp/book/detail/01218.html
2)ヨブ記。40:7~41:34で神様がよくしゃべる。敬ってくれよと言っているかんじがする。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%9 …

神に様を付けて、神様って言いたくなっちゃうかんじについて、閲覧者や回答者への配慮を抜きにして考察してみると、質問者自身を研究対象にできておもしろいかも。
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この回答へのお礼

ご回答およびご配慮ありがとうございます。

今回、おっしゃる通り、
比較宗教学的な見地からのリストアップ的な回答を期待しており、
回答者さんの私見や宗教観は不要でした。
(しかし、よほどの読書家でないと、文献や思想家を、
 複数列挙するのは難しいらしい、ということが分かりました。
 それだけ文献のレベルが高いということですかね)

該当文献を具体的にご紹介頂き、感謝いたします。

私自身は今のところ、神様は大嫌いで、
シニカルな善人面した皮を被っているだけです笑

お礼日時:2017/05/29 21:56

★(№2お礼欄)(い) カカハリという学術用語があるのでしょうか。


それともご自身の用語でしょうか。
☆ 読みづらかったかも知れません。独自の用語です。


★ ~~~~~~~~
(す)から(ち)
→ 引用でしょうか。それとも、(あ)から(か)と同様に、ご自身の
意見でしょうか。
~~~~~~~~~
☆ わたし自身のものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/05/29 21:09

コメントありがとうございます。


私もあなたと同じタイプ。十人十色ですよね。
どこの宗教にも入ってないけど、神様がいるならば どの神様も友達のはず。宗教によって見え方が違うだけなのかも。神様は、いて欲しいけど、いないとしても人は正しく生きるべきだし、助けを求める生き物。
だから私は「神様、仏様、お陰様、お互い様」って、お祈りやお経の代わりに考えてます。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

私はどちらかというと、
生まれて来たくなかったタイプの人種なので、
神様がいるなら彼岸に渡った後で、
復讐したいという反発心を拠り所にして生きてます。

死んだ後に一矢でも報いられるように、
死ぬまでに何とか精進しようと思います。
(私見ですが、こう身構えておくと、
 おそらく臨終の恐怖心が薄れると考えています)

ありがとうございました。

お礼日時:2017/05/29 21:05

人間の根っこは神様につながるので、あなたが人からされて感じる感じ方と大きく異なることはありませんよ。

認知されてるだけではなく、情的な交流に喜びを感じますよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そのような「情的な交流」の経験がお持ちということでしょうか。

お礼日時:2017/05/29 11:34

これらの質問は、その宗教が「神」をどう考えているか?によって大きく変わるでしょうね。


私は、幸福の科学で学んでいます。
幸福の科学は、神様についは、八百万の神がいるとする「多神教」です。
ただし、神の世界にも階級があり、さらに民族神とか、地域・国家の神、文化、芸術、科学などの分野別に小さな神がいて、その神々のトップに位置するのがエルカンターレ(大川隆法総裁)という思想になっています。
(神がいない国もあるといいます)

1)基本は、存在を認知し、敬って欲しいと考えています。
なぜなら、存在を否定し、敬わないなら、現代の日本人の大多数のように、神の言葉に耳をかさなくなり、神の望まぬことをしでかし、最後には国が滅びるから。

2)既存の世界宗教の始まりは、千年前以上のものが多く、仏教・キリスト教を始めとして、教えが曲がって伝わっていますからね。
幸福の科学の信者としては、「うちの書物を読んでください」となります。

3)質問内容が意味不明、分からないので回答不能。

4)「神は死んだ」のニーチェと、その文献が有名ですね。
なお、無神論の立場とされる有名人の中には「自分は神の存在を信じる。しかし、それを証明できないし、その領域を議論しはじめると際限がなくなる。だから、神については語らなかった」という立場の方もいるようです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
幸福の科学に属する方の意見は初めて伺いました。

3)については失礼しました。私の中で「信仰」の定義が一般的なものではありませんでした。

私見ですが、人間が神的な存在を認知する際の在り方として、
 ① 清く正しい人生観を示してくれる存在を信じ尊ぶ、好意的な信仰
 ② この複雑で神秘的な世界を創造した存在はいる気がするが、
  自分にはちょっかいを出してこないみたいなので無視する、中立的な信仰
 ③ 自分を不幸な境遇に置いたまま放置している神様を恨みながら人生を送る、敵対的な信仰
の3分類を考えていますが、辞書を何種類か参照したところ、「信仰」の意味は「存在を信じ尊ぶ」ことを含意するようで、②と③は「信仰」ではありませんでした。

ただ、神的存在が前提の上での接し方として、この3分類で今のところ妥当と考えています。

一方、神的存在を認知しない人間の在り方は信仰でなく、
 ④ 会って話したこともない神様がいるかいないかなんて、どうでもいいので一切考えない、盲目的な在り方
 ⑤ 神様がいるならこんな悪いまたは意味不明な物事を放置しないだろう、故に神様なんていない、とする否定的な在り方
の2分類を考えています。

ニーチェなどの哲学者は論理ベースで神的存在を否定的に認知しないようですが、盲目的に認知しない立場、「認知する必要は全くない」と論じた思想家は居るのでしょうか。
まあ、論じた時点で神様を無視できていませんが笑(自問なのでご回答不要です)

3)の研究アプローチとして、
生物学的には脳波や身体機能の計測、心理学的にはアンケート統計などを用いれば、
①好意的、②中立的、③敵対的、④盲目的、⑤否定的
の5群に分類可能なのではないかと思いましたが、専門外なので質問させていただきました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/05/29 12:12

私はネットとブックオフの本で少し調べました。

5大宗教だけですが、神様自信が書いた教本はありません。皆、弟子や周りの人が、ムハンマド、キリスト、シャカ、アブラハム、バラモンの行いを記録して聖典としています。
その中で「私を信じなさい」とか書いてあるかもしれませんが、あくまで伝聞です。認知して欲しいとおっしゃった神様はいないと思います。
神の啓示を受けたもの、目覚めたものを通して神の存在と理解し、取り巻きが教典にしているので、解釈の仕方が違って来て宗派が分かれています。
私の興味は満足できたので、3 4は調べてませんし、知りません。
「法論は、どちらが勝っても釈迦の恥」という言葉があります。私にとっては、どの神様がいるいない、宗派なんてどうでもいい。でも、人は弱いからすがりたくなりますよね。それ故いて欲しい、いて下さいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私見ですが、何かを拠り所にして生きる人間は、2群に別れると思います。
① 神的存在を信じ敬う人間: 神的存在が穢れを持たず、主張していることも倫理的に間違っていないので、生涯の拠り所にする価値があり、なので信仰する
② 神様でなく偉人などを尊敬する人間: 神的存在は会った記憶も見た記憶もなく具体的でないので、よりイメージしやすい凄い人間をリスペクトする
(対象が自分の場合はナルシシズムと思います)

人間の精神構造は十人十色と思いますので、
生きやすいのであれば、どちらの生き方でも構わないと考えています。

お礼日時:2017/05/29 12:26

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