アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

ローマ帝国が拡大した五賢帝の時代から数百年たちローマ帝国の統治が行われなくなると町にはどのような変化が生じたのでしょうか?凄まじい技術力が闘技場、風呂、水道橋などから見て取れると思いますが6世紀ごろにはすたれてしまった。
ローマ時代が盛んな時期に使われていたものが使われなくなった理由はなぜなんでしょう?
また、土器などの技術をみても全盛期の時のローマ人が作る土器は完成度の高いものでしたが徐々に雑な仕上がりになってしまっている。
全盛期が終わると時代とは逆行して技術力、生活力が下がってしまった理由はなぜなのでしょうか?

まだローマのについて調べ始めたばかりなのでローマの知識がありません。。。優しく教えていただけると幸いです。

A 回答 (3件)

どんな技術であれ、伝えられた人達が使いこなせなければ定着しないからです。



 身近なところでは、中国や朝鮮半島には太平洋戦争に至る植民地時代に、西欧や日本から当時のハイテク技術はいろいろ伝えられていました。例えば鉄を使い船などの巨大建造物を作るなどです。明治初期の報告書でも、あまりハイテクを持っていっても使いこなせていない、といった内容がみられます。(だから、普及品しか持ってこない国は差別をしているといった、僻みのような意見もありましたが。)
 近年でも、鄧小平らによる改革以前に送られた日本のビデオプロジェクターが、修理できないので、事実上使い捨て状態で、動かなくなった機器を山積みにしていたという記事を見たことがあります。このあとの廃棄に関しても一考だにされていないようです。

 日本でも、鉄砲が一気に普及したのは、戦国大名たちの需要があったところへ、その技術を導入できる下敷きになった技術があったからです。(あの鉄砲の銃身は、最初は日本刀で使われる”巻き込む”技術でやってみましたが、どうしても燃焼時のガスが抜けてパワーがでないので、最終的には西欧と同じ、金属の棒に穴をあける技術を開発することで、本格的な普及へとつながりました。)

 ですので、ローマにせよどんな技術も、その本質的な原理から学ぶ能力がなければ自分たちのものにするのは不可能です。水道一つにしても、自分たちが飲んでいる水がどこから来て、どうして手元に流れてくるのか、そもそも水源が必要であることをわかろうとしなければ、新しい技術も生まれないし、継承もできません。

 そのために重要なのは”自分たちの言葉を持つ”ことです。自分たちの言葉を持つことで、外部から新しいものの見方や、そこから発した技術を翻訳することで、心の中に定着し、結果として技術もまた社会に定着することになります。
 例えば”シンギュラリティ”といった、よく分からない言葉をただ振り回しているだけでは定着はしないし、やがて忘れられていくことになります。
 朝鮮半島でもハングル自体ができてからあまり期間が経っていませんし、中国語が一つにまとまり始めているのも最近のことです。

(私見ですが、こういった本質的な技術を開発し、創り出せる文明というのは、農業を中心とした文明から生まれたように思えます。では農業を土台としない文明とはどんなのかと考えるに、おそらくは商業を中心とした文明であるように思えます。
 こういった市場(イチバ)が大きくなった商業文明として考えられるカルタゴやペルシャ文明など、外部からの侵入でいきなり滅びている。おそらく戦乱で嫌気がさした商人たちがいなくなったからではないかと想像しています。)
    • good
    • 0

ローマ帝国は、カリギュラとネロのように、快楽と恐怖による統治して元老院を、排除しました。

衰退には所説あります。皇帝と国民の解離、食の取り過ぎによる怠惰、アルコールを呑む時鉛のコップを使い鉛中毒、イギリスとドイツ(フン族)への無茶な二方面戦争
又後期にローマ帝国の東西分裂。余り多すぎて正確な滅亡は、特定できません。
    • good
    • 0

>全盛期が終わると時代とは逆行して技術力、生活力が下がってしまった理由はなぜなのでしょうか?



理由はふたつ
・ローマ帝国最終期には元のローマ人(イタリア系)の勢力がなくなり、ケルト系やゲルマン系それに中東系など異人種の勢力が強くなった事。
・ローマは当時の先進国だったため、既得権をもつローマ人は子供を産まなくなったから
です。

ローマも五賢帝ぐらいの時代になると、少子化に苦しむようになります。実際に少子化したのは元の貴族階級で、そのため独身女性には独身税、独身男性は相続権をはく奪する、などの法律を作りましたが、それでもローマ帝国を築いた由緒あるローマ人たちはどんどん減っていきました。
 代わりに、ローマ領土の各地から人々がやってきて、彼らがすでにキリスト教だったために、2世紀から3世紀ぐらいまでの間に、キリスト教が広がったのです。つまり元々のローマ人は多神教でキリスト教を毛嫌いしていたのに、彼らが少子化で減り、その代りローマを動かす中心にキリスト教徒が増えたため、結果としてキリスト教の皇帝が出現し、キリスト教が国教化していくのです。

この流れの中で、由緒あるローマ人が減ると同時に、ローマ人たちが伝えてきた数々の技術も失われていきます。
なぜなら古代は「学習にお金がかかる」のが普通で、庶民は文字が読めない人も多く、もっぱら貴族階級が技術や法律などを学んで、継承してきたからです。そのローマ人の貴族が一番少子化したわけですから、どんどん技術継承が滞るようになり、キリストの国教化の時代には取り返しがつかないぐらい、技術的に衰退していったのです。
そして、不幸なことに流入してくる異民族はローマ人ほどは「学問の重要性」を知りませんでしたから、新しい継承者はすべての技術を伝えられるほどにはおらず、ひとつひとつ技術レベルが下がっていったのだと思います。

しばらくは、たぶん4世紀ぐらいまではローマの技術的な恩恵は受けられたのだと思いますが、新しく作るだけの技術はすでに失い、そのうち修復技術も廃れたのでしょう。それが最終的にローマの国力をうばい、都市としてのローマの求心力を失う結果になって、東西への分裂、そして崩壊へと結びついていったといえます。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!