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入試にしても、就職にしても、司法試験などのような難関な資格にしても、
どうして日本は、それに向かって頑張らせ、死ぬ程の努力させ、沢山の才能ある人を落とす(何故なら、暗記ものがほとんどだから。)のでしょうか。
 
 もし、その先もそのような地獄の様な努力を続けてゆくのなら、ある意味スーパーかも知れません))
 けれど、実際は、その難関を突破し、それで気が緩んでしまうのか、「あとは、どう転んでも安泰」みたいな風土が日本を駄目にしていると思います。何故なら、世界では、実力主義です。どんなに難関の試験に受かったって、10年後、20年後に、更に実力が発揮できるのか、どんどん出てくる才能ある人達にも負けない実力があるのか、それがないのなら、相手にゆずるべきーーーーーそういう風潮だと思います。

 けれども、日本では、高倍率を通り抜け、入ってしまえば、安泰という風潮です。
司法試験に関しても、世界一といって良いほど、難関になってしまっています。その理由は、
”今、働いている弁護士が沢山いて、その補足程度に合格させる”という説が有力です。
 けれど、そんな方法で、今の弁護士を守っても、質の向上にはつながりません。逆に、質は落ちてゆくのではないですか?違うでしょうか? 厳しい意見なのかもしれませんが、どんどん新しい弁護士も増やし、能力がない人間は、どんどんと能力のある人間にゆずるべきだと思います。
 
 企業なのもそうなのではないですか?長年働いてきたから、昇格するのではなく、
実力があるから、上にいけるべきだと思います。日本は、コネや気に入られたからといって昇格
する人があまりにも多すぎると思います。(勿論、かなり上の方に行く人は、それなりに実力がないと、会社が倒産してしまうので、そこまで馬鹿ではないと思いますが。)
 勿論、世界中どこにでも、コネはあると思います。でも、実力なしで人を動かす事がないくらい、誰でも理解しています。 
 日本の場合、実力もないのに偉そうにふんぞりかえって、部下に命令している人達が多すぎるのではないですか?それだと、部下に優秀な人達がいたとしても、そのそれぞれの才能を発揮することも出来ないし、部下達にかかるストレスは絶大だと思います。
 その場合、会社にだってプラスにならないですよね?どうして、そんな不合理的な発想で、ここまで日本はやってこれているのでしょうか? 日本人が、機械みたいに言われたとおりに、正しくその通り出来るから、よかったものの、もしそうでなければ、とっくに破滅していると思います。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    少し難解すぎた様で、簡潔にまとめてほしいと意見がありましたので、要点をまとめました。
    けれども、出来れば上の文章で意見していただければ、と思います。

     要点

    コネというのは、あまり良いものではないと思うのが、私の考えです。
     けれど、ある程度のコネなのは、どこの国にでもあると思います。ただ、
    大部分は、実力があってこそのコネです。
     日本の社会は、本当の意味での「実力」という部分が著しく欠けているように見えます。
    肩書きと実力が伴っていないといいますか。その肩書きも、ただ一回の暗記ものが大部分の
    試験が大きな役割を占めすぎています。
     そういう風潮だと、みんな*ここに入れた*事である程度満足してしまうケースが多いのではないでしょうか。
    海外の場合、本当の戦いは、その先です。
     こういった風潮は、一体いつから、どこから来ているのでしょうか。

      補足日時:2017/08/11 21:26

A 回答 (5件)

島国だったから。


 開国するまで自分が日本人だとさえ思っていなかったので、他と比較しての良し悪しといった合理的な判断ができない。そのうえ戦後冷戦下で情報が少なく細い回路からしか入ってこなかったので、比較したくてもやり方がわからない。(だから、これまでは”アメリカでは”のデワの守、物知りくん、あるいは訳知り顔の評論家が幅を利かせた。)

 最近シャーロックホームズものドラマなどを見ますが、よく「彼は向こうへ行っている」という向こうがインドだったり、南米だったりする。だから比較できる対象がたくさんあり、なおかつ一番手は名を上げられるわけですから、競争も激しい。

 法律関連では、通常判例法といわれる英米法というのがあります。これがわれわれの法体系と大きく違うのは、英米法では『その時点でベストの論理』をつくったものが勝つという考え方をしているからです。つまるところ競争です。

 つまり競争を中心に考えれば、いかにもコネ頼みはおかしい。しかし国を含めて組織に波風を立てさせないように考えれば、知り合いばかり(昔の部族と同じ)で固めた方が、静かに時を過ごすことができる。(ただ、効力の発現という視点からだけみたら、一概にダメとは言えない部分もある。)

 海から何かがこない限り。
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難関校に行く人は、企業に少しでも目立つ為や自分の選ぶ枠を増やす為という考えもあると思います。



また、コネも実力のうちです。
例えば、いくら仕事が出来ても、遅刻が多い人は、上司に好かれるとこも少ないでしょう。

仕事が出来なくても、毎日早めに出勤し、上司と話したりご飯に行く機会を増やす努力をし、頑張ってます!とアピールしていれば、上司も仕事を教えたいと思うだろうし、気にして見ててくれると思います。
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この回答へのお礼

そのアピールも、問題です。
実力が足りなくても、努力し、仕事にも熱心なのでしたら、勿論、結果的に遅刻もしないでしょう。
けれども、実力がなく、努力の方向が、「上司に気に入られアピール」だったら、どうなんでしょうか・・・。
そういう人は多いと思います。

お礼日時:2017/08/11 22:08

№1で回答した者ですが捕捉していただいたので再回答します。



まず、補足を要求したのはあなたが使っている言葉が難しいのではなく、あなたが自分の考えを整理する能力が欠如していて文章が雑然とし過ぎていたのが原因です。回答者が全員暇だと思わないでください。
捕捉の文章も相変わらず無駄が多くてとても整理整頓ができた状態とは言えませんが、それ以上求めても無駄でしょうから良しとしましょう。

>こういった風潮は、一体いつから、どこから来ているのでしょうか。

「論語」からです。
戦国時代が終わり江戸時代に入るころ、徳川家康が天下を安定させるために日本人の意識を改革すべく積極的に利用したのが「論語」です。日本中の武将・武士を「論語」で理想とされる秩序だった世界観に基づく主従関係によって支配することが長く安定した治世を実現するために必要だと考えました。
戦国時代までは七度は主君を変えなければ理想の主君には巡り合えないと言われ、一人の主君にのみ従うのではなく、一人の主君に数年仕えたら暇を貰って別の主君に再仕官するのが当たり前でした。あなたが言う「実力主義」の社会だったわけです。
が、江戸時代になってからはそうした行為は「不忠」の最たるものとして全否定されるようになります。幕府は武士の転職を禁止し、各大名の家臣を固定化することで力関係が崩れる事を防ごうとしたわけです。その弊害として、人の移動が極端に減ったので大名は一度採用してしまった家臣は使えないダメ人間でもそれなりに面倒を見なければならなくなり、新たに家臣を採用するにはダメ人間を間違って採用してしまわないようにするため、コネクションを重視せざるを得なくなっていきました。新規に仕官した人も大抵は誰かの口利きで採用されているので、その口利きをしてくれた人の顔に泥を塗らないように努めることが強要されるようになります。
結果的にこうした施策は家康の図に当たり、江戸幕府は世界にもまれな長寿の政治体制となりました。
コネクション文化はその名残です。

コネクション偏重文化は韓国や中国なんかは儒教文化が日本よりも濃いので、日本よりもっと酷いですよ。

蛇足ですが、コネクション人事は儒教とは無関係な西洋であっても存在します。
貴族は家事使用人(メイドとか執事とか)を採用する際は必ず誰かの紹介状がなければ採用しませんでした。現代でも貴族社会の続いている英国なんかだと、そうした名残は今でも残っています。
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太古から、全世界がそうでしょう。



特権階級の子息は、生まれながらに特権を享受していましたよね。

現代日本は、かなり平等だと思いますが、出自からくる差別感や学閥みたいな意識はいまだにありますね。
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で、御託はいいですから訊きたい事を簡潔にまとめてください。


あなたの訴えたいことは回答者にとってノイズでしかありません。
あなたが訊きたい事だけをまとめて捕捉で再投稿してください。
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この回答へのお礼

あまり、難しい言い回しは、使っていないつもりでしたが、もし難解過ぎたのなら、申し訳ございませんでした。
簡単にまとめてみましたが、どうでしょうか?

              要点

 コネというのは、あまり良いものではないと思うのが、私の考えです。
 けれど、ある程度のコネなのは、どこの国にでもあると思います。ただ、
大部分は、実力があってこそのコネです。
 日本の社会は、本当の意味での「実力」という部分が著しく欠けているように見えます。
肩書きと実力が伴っていないといいますか。その肩書きも、ただ一回の暗記ものが大部分の
試験が大きな役割を占めすぎています。
 そういう風潮だと、みんな*ここに入れた*事である程度満足してしまうケースが多いのではないでしょうか。
海外の場合、本当の戦いは、その先です。
 こういった風潮は、一体いつから、どこから来ているのでしょうか。

お礼日時:2017/08/11 21:23

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