忙しい現代人の腰&肩のお悩み対策!

概して、人間の感覚器官は、自らの生命を維持するために必要なものを「よい」と判断するようになっています。だから、食べ物を見て美味しそうと感じたり、マッサージを受けて気持ちいいと感じたりすることは、「人間が自分の生命を維持するために必要だから」という理由で納得できます。
さて、ふと目に入った花をみて「なんて綺麗なのだろう」と思ったことは誰しも経験することですが、その理由がわかりません。
何にでも意味や理由を求める態度は野暮だとは思いますが、敢えて聞いてみます。みなさんはどう思いますか、教えて下さい。

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野暮」に関するQ&A: 苦手な人の参加の有無を尋ねるのは野暮でしょうか

A 回答 (79件中1~10件)

枯れてしまうのがわかっているからではないですかね。

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美しいに理由などいらない

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1.科学的には答えは一つです。


「すべての生命をリードしてきた植物が、中生代に、植物と昆虫と鳥の惑星である地球で、植物が昆虫を引きつけ受粉してもらう共生関係において、昆虫から観てなるべく目立つように生殖器官になるべく目立つ花を創ったが、当時恐竜の卵どろぼうの五本指手足のねずみみたいないきものだった哺乳類は、新生代にねずみみたいな生き物から原猿類に成り真猿類に成る過程で、動物には毒であるアルカロイドの成るべく少ない赤い若葉や赤などの花を食べさせてもらうために、に原色の世界であった刺客に、赤という三原色目を加える事によって、植物と昆虫と鳥の恩恵を借り受け、地球に規制させていただくことになったから。なほ、たまに植物が動物から身を守るアルカロイドは、ヒトにとって薬となり、ハレをかいま見えるドラッグともなる。」

2.地球は、植物と昆虫と鳥(恐竜)の惑星であり続けたこと。
ヒトは地球の寄生獣であること。
人は人のために現在の地球環境を守って行かないとヒト「が」絶滅すること。

3.これらを肝に銘じてヒトは生きていくしかありません。

以上でございます。。
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きれいな花が造花であったと知ったならば


その瞬間に思いが変わってしまいます。
たとえどのように精巧に造られていても、造花は造花です。
生花に勝るものではないでしょう。
花の美しさは、生きている美しさなのだと思います。
綺麗な言葉で言えば、生命の輝き、でしょうか。
花に宿る命の輝き・・・
(ちょっとキザっぽい言い方になってしまいましたね)
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まだ見てますか?



私の考えですが、花は必ずしも美しくはありません。ただ色が鮮やかなだけで、それを美しいと感じるのは文化に属するのではないでしょうか。
現代社会では原色を見る事はさして珍しい事でもありませんが、昔は違います。
鮮やかな色をしたものなど、花や宝石、蝶や鳥以外にほぼないでしょう。
もし、あの色がなれれば花は葉っぱと変わらない印象しか与えないと思います。
つまり、あの色が特別に鮮やかであったことが重要だと思うのです。

「特別に鮮やか」→「飾りとして使える」→「いいもの」→「美しい」

となったのではないでしょうか。

私は蘭の花なんかはけっこうグロテスクだなと感じます。それから、知り合いの女性は蝶がひらひらと飛んでいるのが怖いと言って青ざめていることがありました。
生まれたばかりの頃の印象によって、花は美しくも醜くもなるのではないか、というのが私の考えです。
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自分の心の中に綺麗な部分を持っているから、花も綺麗に見えるんです。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅れてしまってすいません。
kai93408さんが仰るように、人は自分の中に綺麗な部分を持っていると思います。その綺麗な部分がどのように花と結びついているのか、なぜ多くの人はゴキブリよりも花の方を綺麗だと思うのか、という疑問はまだ残っているように思います。

お礼日時:2008/11/29 22:21

こんばんは。

ずっと以前にも投稿したものです。
この質問、面白いですね。一度目の回答から少し私の考えもちょっと変わりました。

では今の私の回答です。
花はナゼうつくしいか。
花が美しいのではなく、花を美しいと思うように人間が進化した、という考えです。

美しさ。それは人間が少しでも快適に生き、少しでも寿命を延ばし、少しでも生き延びる可能性を高め、より良い遺伝子を残すためにある価値基準なのでは、ということです。
美しい空。美しい空気。美しい水。
美しい女性。美しい音楽、美しい絵画、美しい町。
快適であるもの、快適であるものを生み出すもの。
混じりけがなく純度が高い、傷がなく完全である、バランスと調和が取れている、力強い生命力をもっている。
人が美しさを感じるものには、ある一定の性質がありますよね。

そんなことを思ったのは、晴れた空をみてああ、いい気持だな~~と思った後に、前日のテレビの映像を思い出したのです。
それは泥川の穴の中で過ごす魚の映像です。
彼らは透明で明るく広い場所を忌み嫌っているのです。薄暗くて細長い場所、濁った水を彼らはきっと、「なんてステキで落ちつく場所なんだ」とある種の美しさ、というべきものを感じているのです。晴れた空や澄んだ水を見ても、彼らは決して美しいとは思わないのです。

それと同じようににフンころがしはきっと、フンの匂いを「おいしそうな匂いだなあ」と感じているわけです。
ウンコがクサイのではありません。
そう思うように人間が進化してきたのです。排泄物は生きる中でずっと付きまとう問題ですが、放置するとそりゃあもう沢山の弊害がでてきます。だからあの匂いをかぐとクサイ!遠ざけたい!どうにかしたい!!という本能がムラムラとたちあがるんです。汗がくさいのではなく、あの匂いをクサイ、と思うことで人は清潔への欲求を獲得したのです。

遠ざけたほうがいいもの、選ばないほうがいいもの、そういう状態を回避したいと思うものに対し嫌悪感をかんじ、いっぽうで選んだほうがよいもの、そういう状態を保持したい、獲得したい、と思ったほうが良いものに良い感情を持つ。
人間は植物がなければ生きていくことが出来ません。空気を作り、水を循環させ、食物を与えてくれる存在。その植物が繁栄している確かな証拠。沢山あればあるだけすばらしい。
一面に咲く花を見たとき。
人間の本能がこの場所は快適である、人間の生存に適していると判断するのではないでしょうか。そしてこの状態を守りたい、と強く思うのです。
明るい光に集まる虫たちがいますよね。あれもやっぱり明るい光を求める、強い強い逆らいがたい本能があるわけです。太陽のある場所。そこに彼らの生きる糧があるのです。
昆虫が明るい物を見ると近づかずにはいられないのと同じように、人間は晴れた空と透明な水と生い繁る植物をみると、なんだかもう良くわからないけど、いい気分だな、と思わずにはいられないのです。

というわけで。
美しさとは 人が生き延びるために獲得した逆らいがたい行動基準なのでは、と思います。
自分の生命をより良く維持し、より良い遺伝子を残すために必要であるもの、またその特性を多く、強く持つものを獲得したい、維持したい、同化したいと強く思わせる装置、といってもいいと思います。
古来、ほとんどの文化で楽園、天上世界につきものといえば「咲き乱れる花々」ですよね。人はそこを目指すよう、強く強くプログラミングされているのです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。ほぼ一年ぶりの御回答なので気づくのが遅れてしまいました、すいません。

>それは泥川の穴の中で過ごす魚の映像です。

人とかけ離れた生息域といえば、海底火山の周辺を思い出します。そこにはムーミンに出てくるニョロニョロみたいな生き物や、足の長い大きなカニなどが棲んでいて、地熱や地中から吹き出すもので生命をまかなっているそうです。つまり、地上の生き物と違い、太陽からのエネルギーとほぼ無縁な生活を送っている。そんな所に生き物が棲めるなんてもう、感嘆です。

>一面に咲く花を見たとき。
>人間の本能がこの場所は快適である、人間の生存に適していると判断するのではないでしょうか。

確かに、不毛な土地と比べれば、花のある方が人間の生存に適していますね。ただ「適している」という点では、同等とは言わないまでも、草や木の太い幹にも、もっと美しさを感じるのではないでしょうか。多くの人に花が傑出して美しく見える理由は他にもありそうです。私もいろいろ考えてきたのですが、おそらく理由は一つではないです。いま思いつくのは、人間が言葉を使う動物であること(象徴を解する能力があること)が関係しています。例えば、私は道端の小さな花に幼児性を感じます。花はパッと見ただけで「花だ」とわかるような、わかりやすい視覚性を持ち、しかも鮮やかな色でこちらに訴えかけてくる。そして人よりも弱い。こういった点が、人間の子供を連想させるのだと思います(こちらは動きや聴覚に訴えてきますが)。もう一つ思いつくのは、あの形です。中央に丸があり、同様な花びらがそれを取り囲む。すべての花というわけではないですが、頭の中でパターン化される典型的なものです。こういうパターン化しやすいイメージがシンボルとなり、様々な意味を担うのだと思います。私は曼荼羅に見るような母性を感じます。

長い間この質問を気にかけて下さったことに感激しました。嬉しいです。ありがとうございます。

お礼日時:2007/09/19 21:03

黄金比が鍵なのかもしれません。

自然界のあらゆるものは黄金比
によって組み立てられています。あと、詳しい事は忘れたんですが、
自然界の全ての事柄に内在する”心地よいリズム”というものも
発見されているようです。
宇宙のなかのあらゆる事柄は<法則>によって支配されている。
その法則を善いものと感じるのは、当然ではないですか。

自身で創作活動を行い、感覚を研ぎ澄ますと分かることですが、
実際、花だけでなく目に映る全てのものは、美しく感じるものです。

<美しい>を感じる理由を問う事は、人間がこの世界に存在する意味を
問うてるのと、ほとんど同じような気がします。
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この回答へのお礼

人は花の在りように何らかの法則を見出していると、私も思います。

>宇宙のなかのあらゆる事柄は<法則>によって支配されている。
その法則を善いものと感じるのは、当然ではないですか。

確かに、あらゆる事柄は<法則>によって支配されています。しかし、その中で、花がより強く目を引き付けるのはなぜなのか疑問が残ります。
挙げたれた黄金比や心地よいリズム(F分の1揺らぎ?)も関係しているかもしれないですね。

>自身で創作活動を行い、感覚を研ぎ澄ますと分かることですが、
実際、花だけでなく目に映る全てのものは、美しく感じるものです。

全てかどうかはわかりませんが、普段は目を背けるようなものにも美を見出すことはありますね。精密な機能という点で見れば、あらゆる生物は神妙な美しさがあると思います。

><美しい>を感じる理由を問う事は、人間がこの世界に存在する意味を
問うてるのと、ほとんど同じような気がします。

もし、「人間がこの世界に存在する意味は何?」と聞かれたら、私は「存在するため」と答えます。「存在している」というだけの事実が、美しく思える一瞬がある。雪のように散る桜の花びらや、寒風に舞い落ちる枯葉、湖面を伝って消えていく波紋などを見ているときは特に。花も移ろいを強く感じさせるものの一つですね。花は自身の存在を強く主張すると同時に、その儚さも露呈してしまう、両義的なものを持っている。そのことが美しさと関わりがあるのではないかと思います。

参考になりました。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/08/29 01:43

お久しぶりです。

#71です。

花を見て「なんて綺麗だろう」と思うのは、誰でも同じ感覚なのでしょうか?感覚の比較という観点から考察すると、どうやら「クオリア」なるものが媒介しているらしいのです。綺麗だと知覚する理由をお探しのようなので、この「クオリア」という面からも哲学してみてはどうでしょうか?
参考までに

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA% …
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
「クオリア」という言葉は私も知っていたのですが、その概念自体が哲学的領域からも科学的領域からも逸脱しているので、どのように考察すればいいのかもわからない状態です。どのような条件が揃えば「クオリア」が生じる説明になるのか、どういう領域で扱えばいいのか、難しいところだと思います。科学者の中には個々の「クオリア」の質的な違いを、物理的な個体差に還元して納得している人もいそうな気がします。しかし、着眼点としては面白いと思いますし、まだ不勉強なので新しい発見があるかもしれないので、追々調べてみます。

お礼日時:2005/12/12 13:47

>概して、人間の感覚器官は



人間のみならずあらゆる生物は、自らの生命を維持するために必要なものを「よい」と判断するようになっています。これを本能といいます。
人間は他の生物とは違い、高等な生き物ですので「感性」という感覚が備わっています。花を見て綺麗だと思うのは本能ではなく感性でそう思うのです。
生命を維持するのには感性は全く無駄です。本能で十分事足ります。それなのに人間には感性という無駄があるのはなぜでしょうね。
>花はなぜ綺麗なのか
これは、花が綺麗なのではなく、あなた(の感性)がそう知覚しているのでしょう。
この質問は、「人間にはなぜ感性が備わっているのか」という質問に一般化できますね。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
私もtuort_sigさんと同様に、美しさは人の感性が見ているものに感応してもたらされると思います。つまり、花だけでなく人間の側にも美しさをもたらす起因があると思います。
一つ疑問に思うのは、本能と感性は明確な境界があるのかということです。私は厳密な意味での「本能」が何を指すのか知りませんが、機能という点で見た場合、「生命維持に役に立つかどうか」ではっきり分けられないような気もするのです。
たとえば、美しい女人を見てその人を抱きたいと思うとき、「美しい」と感応したのは感性なのか本能なのか私にはわかりません。また、「役に立つかどうか」というのは事後的な解釈の仕方によって見解が異なる気もします。
どちらにせよ、やはりもっと知りたいのは人がどのような経緯で「美しい」という思いに至るのかということですね。

お礼日時:2005/11/25 01:27

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Q 人は、なぜ、,花を美しいと感じるのでしょうか?

人は花を美しく感じます。(もちろん、花に無関心な人もおり、美しいとは思わない花もありますが)昔、ネアンデルタール人が仲間の遺体に花を添えて埋葬したそうです。(ただし、異論もあるそうですが) なぜ、昔から人は花を美しいと感じるのでしょうか?

 たとえば、食物である米は、人の生存に直接不可欠です。したがって、人が米をめでるのは納得できます。一方、ほとんどの花は、(美しさを除けば)衣食住に直接役には立ちません。しかし、人は花をめで、綺麗だといいます。この理由を教えて下さい。

 なお、哲学的な・美学的な回答は、別なカテゴリーへ表して下さい。ここでは、あくまで生物学の分野での回答を期待しております。

Aベストアンサー

サルといえば

哺乳類は、中生代に夜行性動物が主力となったために、視覚が弱くなった。
犬やネコが白黒でモノを観ているといあれです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%BA%E4%B9%B3%E9%A1%9E

ここの部分哺乳類の進化、第三パラグラフ。
霊長目のみが、哺乳類では異常に色覚が発達しています。
理由は、樹上を食物獲得のニッチとして発達し、色が付いている「花」も食べたからです。
犬猫が過去において、色づいた花を食物にすることはなかったが、人類の先祖は、樹上で他の哺乳類が見向きもしない(昆虫くらいしか食わない)花まで食っていたわけです。

花と他の動物との共進化でいえば、昆虫との付き合いが長いので、霊長目の効果は薄いと思います

Q花が美しいのはなぜ? 天の恵み?

花が美しいのはなぜでしょう? 色々考えたのですが、うまい説明が見つかりません。

初めは、進化論的なメリットがあるのかなぁと考えてみました。でも、花にとって、ハチを惹きつけるのは意味がありますが、人を惹き付けてもしょうがないと思いました。また、人にとっては、花が美しいと、確かに気分はいいですが、それが、種として生き残るための必須条件とも思えません。

それなら、教育の効果かなぁと考えてみました。親が子に花は美しいと教えたためでしょうか? でも、現実には、親の好きな歌を子供も好きだということは、むしろまれです。いくら教育しても、人の嗜好は強制できないと思いました。

ということで、「花はなぜ美しいのか?」 うまく説明できません。天の恵みでしょうか?

うまい説明があったら、教えてください。

Aベストアンサー

これはモシ社会も含む黒人アフリカ全般にいえることだが、造形表現で、自然を模写したものがまったくないといってよいくらい欠如している。また、花を植えたり、切り花をして鑑賞したり、自然の景色を愛でたりというならわしがない。サバンナの落日でも、雨期のはじめのパルキア樹の花盛りでも、タチアオイに似た西アフリカ原産の植物であるオクラの花が家の裏一面に、朝露に濡れた花を開いているときでも、私は美しさに思わず足をとめて眺めてしまう。そんなとき、傍らにいるモシの村人に何度も「きれいだね」と同意を求めるように言ってみたことがあるが、反応はなかった。見馴れているから特別の感慨はない、ということでもなさそうだ。
これは私一人の個人的な体験ではなく、一般的な形でモシ社会の知識人の何人かに尋ねてみた結果でも確かめられた。アフリカとインドを主な専攻地域とするイギリスの人類学者ジャック・グディの花の比較文化史の浩翰な著述でも、サハラ以南のアフリカ社会に、花を観賞するならわしがないことがいくつかの留保つきでだが、指摘されている。
(『コトバ・言葉・ことば』川田順造)
長い間、学習は本能と対置されて考えられてきた。この立場では、本能は遺伝によって決定されている行動で、学習は遺伝子から解放された行動ということになる。しかし、この二分法が正しくないことは、二〇世紀の中頃には確立した。ニコ・ティンバーゲンの教科書にはつぎのようなことが書いてある。行動の発達と発現を制御する遺伝的なシステムのことを、本能あるいは生得的行動機構という。経験の結果、この生得的行動機構にある程度持続的な変化がおきたとき、これを学習という。そのとき、中枢神経の過程になんらかの変化が起こっているはずである。(『人間性はどこから来たのか』西田利貞)

飛行機が落ちた原因を、人はあれこれと調査しますが、
だれかが、「それは重力だ」と叫べば、笑われてしまいます。飛行機が落ちた原因は飛んだからです。

色々有りますが、頑張ってください、これを言いたかっただけ(代読、笑。

これはモシ社会も含む黒人アフリカ全般にいえることだが、造形表現で、自然を模写したものがまったくないといってよいくらい欠如している。また、花を植えたり、切り花をして鑑賞したり、自然の景色を愛でたりというならわしがない。サバンナの落日でも、雨期のはじめのパルキア樹の花盛りでも、タチアオイに似た西アフリカ原産の植物であるオクラの花が家の裏一面に、朝露に濡れた花を開いているときでも、私は美しさに思わず足をとめて眺めてしまう。そんなとき、傍らにいるモシの村人に何度も「きれいだね」と...続きを読む

Q花が美しいのは?

花が美しいのは、花が美しいから?
それとも人間がただ美しいと感じているだけ?

花は、人間に見てもらうために咲いているのではないと思いますが、なぜ色とりどりに綺麗に咲くのでしょうか?虫に受粉させるため、みたいな話は聞いたことがあるのですが・・・綺麗に咲く理由にはなってませんよね。見てもらう対象がいるから咲いているように思えて仕方ないのです。それは、花の意思なんでしょうか?
くだらない質問かもしれませんが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

花が美しいのは、花の意思ではなく、心の原理だと思います。心の原理が、心のスクリーンに花を美しく映し出しているのだと思います。

この世界のあらゆる現象の「具体的なありよう」は、全て「心」によって決めれています。例えば、赤い花が赤いのは、花が赤いのではなく、「心」の働きが花に「赤さ」を与えているのです。花は、ただ、特定の波長の光を反射しているに過ぎません。その特定の波長が「赤く」見えるか、「青く」見えるか、あるいは、「灰色」に見えるかは、花の側の問題ではなく、それを見る「心」の側が決めていることです。同様に、花の良い香りも、花自身が良い香りを発散しているのではなく、花から発散される特定の分子を「心」が「良い香り」として受け止めているのです。

ここで、最も不思議なことは、ある波長の光が、「赤く」見えるか、「青く」見えるかを決定しているのは、物質的原理ではないということです。言い換えると、科学的因果関係で決まっているのではないということです。何の理由もなく「偶然」そのように決まっているということです。それを「心の原理」と言っても良いと思います。

同様に、花や景色を美しいと感じるのは、花や景色が美しいのではなく、花や景色が心のスクリーンに美しく映るように、心の原理が働いているからです。では、何故、花や景色は心のスクリーンに美しく映るように、心の原理が働くのでしょうか?これに対しては、2通りの答えがあるように思います。

一つは、もし、花や景色が心のスクリーンに美しく映るように心の原理ができていなかったとしたら、例えば、花を見るとムカつき、花の臭いを嗅ぐと、吐き気を催すように心の原理ができていたとすると、そのような心の原理を持った人類種は、人生を悲観して、生存意欲をなくし、早々に滅亡してしまったと考えられます。従って、結果的に、花や景色を美しいと感じる心の原理を持った人類種のみが今日生き残ったという考えです。

もう一つの考えは、人類が生まれてきた段階で、初めから、花や景色を美しく感じるような心の原理を持っていたという考えです。

私は、後者の考えを取ります。理由は、自然は最もエレガントな解を最初から選んでいるように私には思えるからです。

花が美しいのは、花の意思ではなく、心の原理だと思います。心の原理が、心のスクリーンに花を美しく映し出しているのだと思います。

この世界のあらゆる現象の「具体的なありよう」は、全て「心」によって決めれています。例えば、赤い花が赤いのは、花が赤いのではなく、「心」の働きが花に「赤さ」を与えているのです。花は、ただ、特定の波長の光を反射しているに過ぎません。その特定の波長が「赤く」見えるか、「青く」見えるか、あるいは、「灰色」に見えるかは、花の側の問題ではなく、それを見る「心...続きを読む

Qなぜ花はきれいとされるのか?

女の人のハンカチのプリントがお花だと素敵に見えますが
ゴリラの絵だと少し不快に感じます。

それはなぜですか?
「花はきれい」という固定観念があるからですか?

よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

こんにちは。
我々が花を美しいと感じるのは、これは生物学的な反応であり、固定観念ではないです。
植物が花や実を付けるようになったのは今から二億年ほど前のことです。これは、動物の目を惹き付けるためです。
それまでの裸子植物は棘を出したり毒を持ったりしてひたすら動物に食べられないように身を守っていました。これに対しまして、被子植物といいますのは動物に食べられることによって受粉をしたり種子を運んでもらうなどの恩恵を受けています。このためには目立たなければなりません。この進化が成功し、被子植物は現在でも繁栄しています。
またこれに伴い、その直後に動物の方にも「色覚の発達」という新たな変化が起きました。これは、美味しい蜜や果実を素早く見付け出さなければならないからです。
我々動物の脳には「利益と不利益」、この二種類の反応しかありません。従いまして、注意が促され、何らかの感覚入力がありましたならは、脳は必ずや「利益・不利益」、このどちらかの判定を下さなければならないわけです。
どのような特徴が注意を惹くのかは無数に試され、生存競争に勝ち残ったものが現在の花です。植物は元々、動物の目を惹き付けるように進化しました。我々が花を美しいと感じるのはこのためと考えられています。

この反応は全人類に共通であり、
味覚や触覚などの「近感覚にはワンダフル!」ですが、
視覚や聴覚などの「遠感覚にはビューティフル!」と、
外国でも同じような表現を使います。
このように、花が美しいのは我々人間が動物である証であり、それは固定観念ではなく「既成概念」です。
では同様に、人類にとっては女性が美しいのもまた生物学的反応の結果に他なりません。
「女性は花柄のハンカチを持つべきだ」
残念ながら、これは固定観念ということになると思います。このようなものは文化的な性差別であると主張するひとはずいぶんと増えました。ですが、女性の美しさと花の美しさに共通の生物学的価値があるとしますならば、人類にとってこのような文化は必然であったと言わざるを得ない部分は多分にあると思います。このため、結果的には多くの女性が花柄のハンカチを好みます。
だからといいましても、ゴリラのハンカチは個人の自由ですから、女性が使ってはいけないというのは偏見です。ですが、そこにゴリラのジャケットやゴリラのパンツだったとしますならば、これはちょっと近付かない方が良いかも知れません。

こんにちは。
我々が花を美しいと感じるのは、これは生物学的な反応であり、固定観念ではないです。
植物が花や実を付けるようになったのは今から二億年ほど前のことです。これは、動物の目を惹き付けるためです。
それまでの裸子植物は棘を出したり毒を持ったりしてひたすら動物に食べられないように身を守っていました。これに対しまして、被子植物といいますのは動物に食べられることによって受粉をしたり種子を運んでもらうなどの恩恵を受けています。このためには目立たなければなりません。この進化が成...続きを読む

Q拘らず・関わらず??

すみません。以前から気になっていたので正しい答えを教えていただけないでしょうか。

「かかわらず」という言葉の漢字変換なのですが,
例えば

 雨が降ったにも「かかわらず」,彼は傘を差さずにやってきた。

というような文の場合,正しいのは「関わらず」「拘らず」どちらでしょうか。

国語辞典で調べてみたのですが,よく分からなくて(+_+)
すみませんがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。それも「かかわる」でなく「かかる」です。「人命に係(かか)る問題」「係(かか)り結び」など。前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合(常用漢字の基準では)「係わる」でなく「かかわる」です。

結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。

漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的(「関わらない」「係わらない」)にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。

ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。念のため。

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい...続きを読む

Q講師と教師の違いは何ですか

小学校の担任の先生が講師なのですが、教師との違いは何ですか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

先生には2種類ありまして、教諭と講師に分かれます。(講師は更に2つに分かれますが、詳しい人に解説してもらいましょう)
さて、教諭と講師の違いですが、公立学校の場合、採用試験に合格して正式に採用になっているか、臨時雇いになっているかの違いです。講師は臨時雇いなので例えば1年毎に更新する必要があったり、産休代用のように3ヶ月だけとかの場合があります。同じ学校に長くは居られません。
子供の数は変動しますが、先生は一度採用すると終身雇用なので(公務員なので)不用意に大量採用できないのです。
講師をしながら、採用試験の勉強をするので大変ですが、教育に対する情熱を持っている方はたくさんおられます。(こいつを採用しないなんて教育委員会は見る目が無いと言いきれるような人もいました)
ただし、採用試験を突破する能力が無い訳ですから、能力に若干不安はあります。
ただ、教諭でも講師でも子供にとって永く思い出に残る先生だといいですね。

Q宗教って何のためにあるんですか?人はなぜ宗教を信じるんですか?

宗教が原因で世界中で戦争や人殺しやテロが勃発してます。でも、今生きている人の中で神様を実際いることを証明した人は誰もいません。なぜ、実態があるかもどうかもわからないものを人は信じるのでしょうか?宗教を信じる事に何か利益があるのですか?しかも個人的に信じるならまだしもそれが原因で人殺しが起きたり、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入しています。
また、宗教をねたに詐欺や金儲けをしている人が大勢います。宗教って一体 何のためにあるんですか?信じている人はどうして信じるのでしょうか?
何か信じて利益になるんですか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私も前の方と同様に思います。

神さまも仏様もキリスト様も結局は人の心の中に存在するのだと思います。

イエスキリストやゴータマシッタルダ(仏陀)も実在の人であったようですが、その後進達によって、実在の姿からかけ離れた姿で言い伝えられています。

教祖は人間でも死去すれば、弟子達によって神格化されてしまうのは、洋の東西によらないでしょう。

結局、宗教で信じているのは、教祖(始祖)ではなくて、神格化された教祖の姿なわけです。

その言葉なり戒めを信じて疑わずにやっていけば、迷う部分が大幅に減り、ストレスなども相当減らせます。
そういう意味で宗教は有益だと思います。

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私はそういうのは宗教だと思ってません。
人の悩みや弱みに付け込んだ詐欺だと思ってます。

Q「あくまで」「あくまでも」の意味

「あくまで(飽くまで)」「あくまでも」という副詞の意味ですが、辞書をひくと「物事を最後までやりとおすさま・徹底的に」とあります。例文も「あくまでもがんばる、あくまでも主張を貫く」などとあります。

しかし、よく話の中で「あくまでも個人的な考えですが・・・」「あくまでも噂です」「あくまで一例です」「あくまでの話しです」などという風に使われます。このような文章中では「徹底的に」という意味ではないと思うのですが、どうなのでしょうか。

Aベストアンサー

あくまでも、という意味の「徹底的に」という所から転じて、「完全に」とか「中途半端ではなく(どこまでも)」という様な意味合いも持っています。


「あくまでも個人的な」
完全に個人的な

「あくまでも噂です」
=「あくまでも噂[に過ぎません]」
完全に噂に過ぎません

「あくまで一例です」
=あくまで一例[に過ぎません]」
完全に一例にすぎません

「あくまでの話です」
・・・すみません、この用法は聞いた事がありません。

Q「輩(やから)」ってどういう意味ですか?

テレビやラジオで関西の芸人さんが「ヤカラや」って言ってるのを聞いたことがあるのですが

意味が分かる方、教えてください。

関西方面の言葉(大阪弁)なのでしょうか?

Aベストアンサー

大阪出身のものです.
疑問に思われたということは,一般に使われている「・・・する人たち」というような意味ではなく,いきなり一つの名詞のようにして「やから」が出てきたのではないですか?
もしそうなら,それは「やくざや不良など,理不尽な言い分を押し付ける人」という意味に使われているものです.特にやくざ限定というわけではなく,街のおっさんでも,変な因縁をつけてきたら,やからです.
また,「やかられる」(=因縁をつけられる,からまれる)などという言葉もあります.

Q形質転換効率?の求め方

プラスミドの導入による細菌の形質転換のレポート作成中です。
形質転換効率(cfu/μg)求める式、どなたか教えていただけませんでしょうか??
また、プラスミドによる薬剤耐性化が問題となっている細菌感染症の例には、どのようなものがありますか??レポの提出日、明日なので、誰か助けてください><よろしくおねがいしますmm

Aベストアンサー

形質転換効率の意味を理解していれば、単純な割り算、掛け算です。特に公式のようなものはありません。
パラメータは
A. コロニーの数(プレーティングするを振っていたなら、数十から数百コロニーまいたプレートを採用します。少なすぎるとサンプリングによる振れが大きくなりますし、数えるのが不正確になります。同じ量をまいたプレートが複数ある場合は平均します)。

B. Aを与えたプレーティング細胞の体積
C. プレーティング細胞全体の体積(回復培養のため加えたSOC培地の体積でよろしい)
D. 使用したプラスミドベクターの重量(ライゲーション産物の場合はベクターの重量のみで、インサートは勘定にいれない)

計算例)
A=150 cfu, B=100 uL, C=1000 uL, D=1 ngとしましょう。

まいた100 uL中に含まれるプラスミド量は
1 ng x 100 uL/1000 uL=0.1 ng

そのプラスミド量で150個のコロニーが出たので、1 ugあたりに換算すると

150 cfu x 1 ug/0.1 ng= 150 cfu x 1 ug/0.0001 ug=1.5x10^6 cfu/ug

となります。単位につくmicro (uであらわしています), nano (n), pico (p)が順に1/1000ずつ小さいことをあらわすのは説明不用ですね。

薬剤耐性化の設問は、日常生活とのかかわりを問うているもので、専門知識よりむしろ新聞の社会欄に出てるような話題を求めているのではないですか。たとえば、院内感染で騒がれているのはどのような感染症でしょう。

形質転換効率の意味を理解していれば、単純な割り算、掛け算です。特に公式のようなものはありません。
パラメータは
A. コロニーの数(プレーティングするを振っていたなら、数十から数百コロニーまいたプレートを採用します。少なすぎるとサンプリングによる振れが大きくなりますし、数えるのが不正確になります。同じ量をまいたプレートが複数ある場合は平均します)。

B. Aを与えたプレーティング細胞の体積
C. プレーティング細胞全体の体積(回復培養のため加えたSOC培地の体積でよろしい)
D. 使用...続きを読む


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