![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?e8efa67)
1. 弱者は 勇気も度胸もなく 浮気もできないというだけではないか。
2. そのやからがつくった倫理をやぶったからと言って 何をさわぐのか?
3. 高貴な強者は ビッグバンの初めから そのチカラへの意志で生きて
いる。きわめてうつくしい振る舞いだ。文句あっか?
4. 倫理道徳は 高貴な人種のつよさ・うつくしさに対するやっかみから
弱者が勝手につくった。
5. 天皇家も この《倫理》に合わせて 側室を排除した。あぁ 世も末
ぢゃわい。
☆ 教えて! ぐー。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
No.7です、
bragelloneさん、素直なコメントですね。
「つまり 《倫理・道徳》というものは 《つぶやき氏(=ニーチェ)》によれば 弱者が勝手にその弱さに合わせて都合よいようにつくったに過ぎない・・・と言ってるんです」
⇒そうなのですか。
ニーチェが心から、そのように言ってるとすれば、それはニーチェがおかしいですね。
何故ならば、倫理・道徳がなければ、社会は混乱の極みだからです。
倫理・道徳がある中で、密かに浮気がある、ということであれば何も問題はないでしょう。
つまり、浮気は”弱者は勇気も度胸もなく”とは無関係でしょうね。
ご回答をありがとうございます。
★ ニーチェが心から、そのように言ってるとすれば、それはニーチェ
がおかしいですね。
☆ そうなんです。いま 次のふたつで この同じニーチェをあつかっ
ています。それを 話し言葉で分かりやすくなると思って この質問を
も立ててみたものです。:
【Q:《君主道徳(貴族道徳)と奴隷道徳》って?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9942918.html
【Q:《猛禽と仔羊》:ニーチェの道徳観】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9935080.html
★ 倫理・道徳がある中で、密かに浮気がある、ということであれば何
も問題はないでしょう。
★ つまり、浮気は”弱者は勇気も度胸もなく”とは無関係でしょうね。
☆ という常識が通じないようなのです。このことをしつこく問い求め
ています。
No.16
- 回答日時:
#9です。
#9お礼欄 ===>>>
★ 「猛禽と子羊」のように、交換可能性が元々考えられない例えでは
なく、一般論として「同じ人間」として、交換可能性が極めて高い状況
を想定することで、倫理問題が生まれます。
☆ つまり 《負け組なる弱者》が その非力を自覚しむしろそのこと
を誇るようにして 《度を越さない》という原則を方針とし さらには
倫理規範として決めた。・・・というような起こりではなく
そうではなく
むしろ社会における人間関係・あるいはそこにおける互いの地位や職務
の互いによる代替可能性といった自生的な情況の中で ナラハシとして
・そして道徳として持たれるに到るのだ。
――でしょうか。
<<<===
倫理問題は、片方が、或いは全員が、独り善がりの人間であれば、生じ得ません。
例えば、ミャンマーでのロヒンギャ迫害は、倫理問題以前の話です。
倫理問題は、倫理問題であると認識されなければ、単なるハラスメントや、一方的な暴力になるだけです。
「相手の立場に立った時、私とは異なる考え、価値観を持つだろう」と言ったことを含めて、自身と相手を「立場、立ち位置が交換可能な、同じ人間」だと相互に認識することで、複数の選択肢を選ぶ時に悩むというのが倫理問題です。
===>>>
ところが このいま問題に取り上げているニーチェ氏は:
★ 「王子と乞食」
☆ とは 人間として・あたかも人種として初めから違うのだと言い張
っています。
道徳は おのづからそれら二つの種族に固有のものが持たれるに到るの
だと。
だって ニーチェ氏は 日本人のあいだでかなりの人気があるようです
よ。
<<<===
本質問には、補足コメントが追加されるまで、お礼欄以外には、ニーチェのニ文字も記述されていません。
別のニーチェに関する質問から、問題を一般化されたのであれば、擬人化したとしても、異なる動物同士ではなく、「同じ人間同士」というレベルでなければ、倫理問題を扱うことはできないでしょう、ということです。
が、
結局、ニーチェに固執されるところを見ると、よっぽどニーチェが好きなんですね。
ご回答をありがとうございます。
★ 倫理問題は、片方が、或いは全員が、独り善がりの人間であれば、生じ得
ません。
☆ 何の話かいな?
★ 例えば、ミャンマーでのロヒンギャ迫害は、倫理問題以前の話です。
▲ (ヰキぺ:ロヒンギャ) ~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%92 …
§3 難民問題
§ 3.5 日本におけるロヒンギャ
日本には約230人のロヒンギャが生活している。そのうち約200人が、群馬県
館林市に集中している。
~~~~
☆ これが 倫理の問題でないと どう考えたら成るのですか。社会性がその
まま 人間関係であり 倫理の問題です。
館林のロヒンギャ人が 武装したら どうするか? 市を乗っ取ってロヒンギ
ャ・イスラム国を建てるという挙に出たとしたら?
これを 止む無く武力制圧したら 国連や人権団体は 民族浄化だ 国籍を与
えて共生せよと命令しているという構図です。
行き過ぎは どちらの側にも起こり得ます。
▲ (前掲ヰキぺ) ~~~~
§ 3.6 課題
マレーシアがロヒンギャの流出にある程度同情的なのに対し、タイ、バングラ
デシュ、インドネシアなどは、国連やNGOの批判に取り合わず、ロヒンギャの
正規受け入れを拒否し続けている。
一方、人権団体アムネスティ・インターナショナルは、「まずは、ミャンマー
国内におけるロヒンギャの人権が確保されるべき」と主張している。
~~~~~~~~~~~
★★ 「王子と乞食」
☆☆ とは 人間として・あたかも人種として初めから違うのだと〔ニーチェ
は〕言い張っています。
★ 異なる動物同士ではなく、「同じ人間同士」というレベルでなければ、倫
理問題を扱うことはできないでしょう、ということです。
☆ 何のこっちゃ? 白人がホモサピエンスとしてのヒトであり 日本人は猿
の一種だという規定をする人間がいた。どう考えるか? という問題です。
★ 結局、ニーチェに固執されるところを見ると、よっぽどニーチェが好きな
んですね。
☆ 好きでも嫌いでも 愛します。われも生きる なれ・かれも生きるという
共生においてその存在をとうとび 意志の自由な表現を望みます。
No.15
- 回答日時:
再度お邪魔します。
>1. 弱者は 勇気も度胸もなく 浮気もできないというだけではないか。
:確実にちがいます。弱者も強者も、自分と配偶者の幸せを願って結婚や交際を始めますので、弱者も強者も不倫や浮気はしないのが当たり前です。しかし、弱者であろうと強者であろうと、間違えることは普通にあります。間違えた場合、弱者であろうと強者であろうと、同じように罪を償わなくてはなりません。さらに、弱者であろうと強者であろうと、勇気や度胸を持ってゐる人とそうでない人がいます。
>2. そのやからがつくった倫理をやぶったからと言って 何をさわぐのか?
:また「ズレてる」と云われさうですが、人として豊かに生きるための秩序を作ったのは弱者も強者も含めて【みんな】です。【そのやからが云々】と他人事のやうに仰せの人は、弱者なのか強者なのか分かりませんが、社会の外から社会を眺め、たとへばカエルのやうに井戸の中から、あるひはカラスのやうに空の上から、あるひはモグラのやうに地中から、あくまで己が傷つくことがないやうに声を出しているのだと思ひます。
>3. 高貴な強者は ビッグバンの初めから そのチカラへの意志で生きている。きわめてうつくしい振る舞いだ。文句あっか?
:かういう人は、他にもうつくしい営みがいくらでもあることを知らないのですか。知ってゐるけど無関心なのですか?知ってゐるけどわざわざ避けてゐるのですか。
>4. 倫理道徳は 高貴な人種のつよさ・うつくしさに対するやっかみから弱者が勝手につくった。
:確実にちがいます。そもそも【やっかみ】からは何も生産されません。【あこがれ】から何かが生まれることはありますが、【あこがれ】の対象は【高貴な人種】【強者】だけではありません。わたしとしましては、何にせよ一生懸命やっている人で、しかも自分がそれに一生懸命になる理由と目的がしっかりしている人には無条件であこがれます。「友達と遊ぶことに一生懸命毎日全力投球」という人にも普通にあこがれます。元気だなあ健康だなあもっと頑張って遊びなさいと思ひます。
>5. 天皇家も この《倫理》に合わせて 側室を排除した。あぁ 世も末ぢゃわい。
:側室を排除したのが善いことなのか悪いことなのかは、わたしには分かりません。そんなことは本人が決めることであって、他人がその人を裁いて【悪い】と決めるのも、その人の行動を【禁止】するのも、確実にちがいます。
世間体のためだけに人を封鎖するのは確実にちがいます。
でも云々…と続きをしゃべりたいのですが、力尽きましたので落ちます。
ご回答をありがとうございます。
★ 1. 弱者も強者も、自分と配偶者の幸せを願って結婚や交際を始め
ますので、弱者も強者も不倫や浮気はしないのが当たり前です。・・・
☆ 見解を同じくします。
ちょとした異見ですが ここにつぶやかれた文章は 決して理論的である
わけではなく また 質問者の見解を述べたものでもありません。
分かっていただいていると思いますが 一点。つまり《強者・弱者》とい
う区分 これも まったくつぶやき氏独自の説です。そして 意味がない
と言いますか 根拠が明らかになっていない議論だということです。
★ 弱者も強者も
☆ という表現は これからは廃止したいと思っています。
★ 2. あくまで己が傷つくことがないやうに声を出しているのだと思
ひます。
☆ なるほど。おそらくその身にやましいところがあって そのぶん自己
の防衛に汲々としている。といったところでしょうか。
★ 3. かういう人は、他にもうつくしい営みがいくらでもあることを
知らないのですか。
☆ これはですね。気兼ねすることなく ずばずば言いますが おそらく
先ほどの自己防衛が出来て さらにその自己を正当化したい。という場合
いちおうその地位が安泰になったときには 美辞麗句をおのれの行動に振
りまくのでしょうね。
★ 4. そもそも【やっかみ】からは何も生産されません。【あこがれ】
から何かが生まれることはありますが、【あこがれ】の対象は【高貴な人
種】【強者】だけではありません。わたしとしましては、何にせよ一生懸
命やっている人で、しかも自分がそれに一生懸命になる理由と目的がしっ
かりしている人には無条件であこがれます。・・・
☆ 《高貴・強者》という規定を批判し否定する議論も お願いします。
★ 5. 世間体のためだけに人を封鎖するのは確実にちがいます。
☆ なるほど。つぶやき氏(=ニーチェさん)は――この模擬発言が合っ
ているとすれば―― 自己以外の人や何かによって判断することはないと
言っているのですが この側室廃止については その決断が 世間体つま
り他者の思わくを気にしてなされたと忖度していることになります。
要するに 他者依存なる《強者》でした。
No.14
- 回答日時:
そうですか、ズレてましたか、残念です。
そもそも「ルサンチンマン」という言葉は、
人の感情を蔑み、人の感情を排除するためだけに
都合よく作られたものです、
とだけ言っておきます。
いや 最後のところで――わたしの感覚で独断したわけですが――
大きく同じ視点ではないかと思いました。
☆☆(№13お礼欄) あぁ。《制裁》というよりは 自責の念
良心の呵責ですかね。
☆ というところです。制裁を持ち出すのは なお法律や倫理規範
を優先させる見方になると思うのですが 《良心の呵責》の問題だ
と見るなら 信頼関係の問題だという見方になるのではないか。
――このようにわたしは捉えました。
あっ。ご回答をありがとうございます。
★ そもそも「ルサンチンマン」という言葉は、
人の感情を蔑み、人の感情を排除するためだけに
都合よく作られたものです、
☆ そんなにむつかしい言葉なんですか?
最初の反応としての《反感》というのがあるはずです。
その反感を表現するのが ままならなくなる。表現しても 応えが
返って来ない。
といった事態がつづくと 根雪が溶けなくなり 恨みつらみとして
積み重なる。・・・
分かりませんが 大げさに捉えるとかえってその説の主唱者の思う
ままになる。かも知れない。とは思うんですがねぇ。
(あんまし しっかりと考えていませんでした。ので 勘違いかも
分かりません)。
No.13
- 回答日時:
こんにちは、ぶらじゅろ~ぬさん。
法律の話なの?不倫の話なの?
とりあへず感想書きます。
【法律】というのは、市民や県民や国民や地球の住人が、人として生きられるようにと、【みんなで】声を出し合って、納得し合って決められたものです。
決められた法律を破りたい人や、決められた法律に文句のある人は、自分自身が「法律を作る人」になればいいだけのことです。ただし、「法律を作る人」を決めるのは、高貴な人も下賤の人も強者も弱者もひっくるめて【みんな】なので、その人が「法律を作る人」になれるかどうかは不明です。
【不倫】について。
幼稚園の砂場で友達が使っているスコップを奪ってはいけないし、友達が作った砂の城を壊してはいけません、あなたには友達の人間的な生活および友達の人権を侵害する権利は無いからです、というのと同じような話かな。5歳児ぐらいなら間違えても仕方がないけれど、5歳児でもそれなりの制裁は受けるはずです。
論点ズレてます?
ご回答をありがとうございます。
★ 論点ズレてます?
☆ よ。
★ 【法律】というのは、市民や県民や国民や地球の住人が、人と
して生きられるようにと、【みんなで】声を出し合って、納得し合
って決められたものです。
☆ ええ。
★ 決められた法律を破りたい人や、決められた法律に文句のある
人は、自分自身が「法律を作る人」になればいいだけのことです。
☆ 不倫は 法律で規定されていませんよね。
ただし 離婚の条件になったりするのかな。
★ ただし、「法律を作る人」を決めるのは、高貴な人も下賤の人
も強者も弱者もひっくるめて【みんな】なので、その人が「法律を
作る人」になれるかどうかは不明です。
☆ そうですが いまそのことを持ち出しても・・・。
★ 【不倫】について。
幼稚園の砂場で友達が使っているスコップを奪ってはいけないし、
友達が作った砂の城を壊してはいけません、あなたには友達の人間
的な生活および友達の人権を侵害する権利は無いからです、という
のと同じような話かな。
☆ そうかなぁ。つまり 《権利》で詰めて行く問題ですかね。あ
るいは 法律によって。
★ 5歳児ぐらいなら間違えても仕方がないけれど、5歳児でもそれ
なりの制裁は受けるはずです。
☆ あぁ。《制裁》というよりは 自責の念 良心の呵責ですかね。
そういう問題だとすると 法律は 一応の交通規則としてあり そ
の役割りにむしろ閉じ込めたほうがよいかも知れないし 《権利》
によって行動が取れる取れないというような考え方からは自由な発
想において 不倫を捉える。
――というところに着地するんぢゃないですかね?
互いの――人間性に信頼する――信頼関係において捉える。
手に負えない場合は お手上げなのですが。そして ひとまづそう
見るしかないというような。話をしに来ても 突き放してやるしか
ないというような。
![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/common/profile/M/noimageicon_setting_13.png?e8efa67)
No.12
- 回答日時:
不倫に対する反感は弱者に限らないと思います。
やっかみによる反感は単に都合よく”倫理”を利用することでその正当性を主張しますね。倫理は強者が、ではなく弱者が、でもなく知者が作ったものでしょう。倫理に知性は必須だからです。
動物性と人間性。
不倫は動物性の現れ、と云えます。
古典的倫理は失われつつあるのかもしれません。
今は”社会”が倫理を作るように思います。
ご回答をありがとうございます。
★ 不倫に対する反感は弱者に限らないと思います。
☆ そうですが ここでは《弱者》という固定的な規定じたいが間違い
だと言わねばなりません。
そもそも人間を《高貴な強者 と 奴隷で畜群とニーチェが呼ぶ弱者》
とに は じ め に 二分しているのです。人間は どちらかに生ま
れつき決まっていると言うのです。
★ やっかみによる反感は単に都合よく”倫理”を利用することでその正
当性を主張しますね。
☆ これは そのとおりに 現象としてあります。考えが深まらず 安
易に世間で出回っている批判や非難の文句を使ってしまいます。
★ 倫理は強者が、ではなく弱者が、でもなく知者が作ったものでしょ
う。倫理に知性は必須だからです。
☆ ですから そのような普遍性のある命題を示して 倫理を常識にす
るのがよいと考えられます。
《相手の――そしてじつは自分の――意志や心を踏みにじることのない
ようにすること》という基礎の倫理です。
★ 動物性と人間性。 / 不倫は動物性の現れ、と云えます。
☆ いやいや。あたらしい哲学は エロスなる動物性をも 人間性の中
に人間性に基礎づけられたエロースとして位置づけるという仕事が期待
されます。
意志と心のとうとびに基礎づけられた対(つい)関係です。
すなわちおっしゃるように:
★ 古典的倫理は失われつつあるのかもしれません。 / 今は”社会”が倫
理を作るように思います。
☆ 古典的というこの言葉は 普遍的という言葉と通い合うところがあ
るので ここは《ふるい・従来の》と言いかえたほうがよいかも知れま
せんが。
いつも ずばり言わせてもらっています。
![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/common/profile/M/noimageicon_setting_07.png?e8efa67)
No.11
- 回答日時:
与太話を。
思いつくままに、空想の翼を広げます。ペンテウスは、ディオニュソスの秘儀に触れようとして、これを盗み見ようとして、罰せられた。それ以前にペンテウスが働いた神・ディオニュソスへの不敬な行為が理由でバッコスの信女に殺害されたわけではないと思いますよ。
コスモス、規律の神で、自身ならびに母であるレトなどへのいかなる侮辱も許さず、処罰しないと気がおさまらないアポロン――「私には、女神レトさまよりも子供がたくさんいる。だから、私のほうがレト様よりも・・・」と、ニオベが自慢しただけで、アポロンは双子の妹(あるいは姉)のアルテミスとともに、その子供を一人残らず次々と射殺す!!――とは違って、ディオニュソスは混沌の神、お酒の神さまですから自身への少々の乱暴狼藉を根に持ったりはしないと思いますよ。
ですが、ディオニュソスの秘儀は、死と生、再生などが関わるもの、神のみの領分で、けっしてヒトは触れてはいけないもの。盗み見ようと、心の中で思ってもいけない。きっと、思っただけでも万死に値するのでしょう。
神話ですから、ここはひとまず、寓喩的に読み取り、「死と生、再生・復活」(の秘密を追い求めること)は神ならぬヒトの身では叶わぬ、無駄な行為ということにしておきます。
〜〜〜〜
いつ・どのように:
▼ 幸福を作りだした
☆ でしょう?
〜〜〜〜
日本にかつて存在した閉鎖的な村を想像するとよいのではないでしょうか。
村を構成するヒトたちは、村人すべてが己の欲するままに行動したら村、その村での生活はすぐに破綻するので、自身の欲望を抑え、制限し、村の平和・安定――これ、〈人並み〉であることが「幸福」――を実現します。この平和・安定を守るために、村八分などの物理的強制力をもったオキテ、禁則を作り出しますよね。
そして、このオキテを破った者には、ネット村さながらに、村八分などの非人道的な行為が是認され、これを行うことが正義とされる。これに参加しないと村八分の憂き目に合う危険性がある。学校内でのイジメと同じ構図がそこにはある。
学校のイジメには、不文律のオキテ、空気のようなオキテ――たとえば、変わっていてはいけない、変わったことをしてはいけない。目立ってはいけないなどなど――はありますが、そこに(普遍的な)倫理はありません。
また、人々は、イジメにあわないために、クラス内にさらに小さな村、グループを作り、そこに所属します。そして、そこには、その村だけで通用する「LINEなどの返信はすぐに」などの不文律の、道徳以前のオキテが存在します。このオキテを破ると、村八分にあい、あることないことを「他の村」の人に言われ、村という庇護を失った者はイジメの格好の標的にされます。
イジメは、それが如何に非人道的であろうと、刑法に抵触する犯罪的なものであろうと、その村、クラス内においては正義です。この村内では普遍的道徳、倫理は無力で、なんの説得力を持ちません。この事実を忘れてはいけないのでしょう。
このように閉鎖的な村社会にも、かつては、アウトロー、与太者は存在し得た。アウトロー、与太者は、仕返しに何をするか予測困難なうえに、スサノヲのごとく狼藉を働いて村を窮地に落とし得ることもあるので、触らぬ神に祟りなしということで、村のオキテから自由であり得た。しかし、現在、このようなことをすると、すぐに御用となるので、ヤクザなどを残してほとんど絶滅してしまった。わずかに、歌舞伎などにその姿を残すのみです。
昔話や童話は、既に、現代の民主主義(?)、人権、平等思想に適応できるように去勢されていますからね〜。
桃太郎は、鬼に打擲を加えるなどして鬼を成敗してはいけない。鬼といえども人権はありますから、殺人はもちろん、傷害行為は許されないのです。ですから、鬼の非道を説き、鬼を説き伏せ、改心させないといけない(^^) これこそ、末人の求めるヒーローのあるべき姿です。
https://goo.gl/TSPeLX
19後半〜20世紀の日本の文学作品でも、「差別的な表現」が少しでも含まれていると、「原文を尊重して」などの但し書きをつけないと、世間が許さない時代ですから。
ニーチェは、学界追放というイジメにあいましたけれど、まだまだ甘いです。19世紀的なロマンティシズム、ヒロイズムの甘さが、腐臭がプンプン漂っているように思います。19世紀版〈厨ニ病〉と言ってもいいのかもしれないです(^^ゞ
強者ですら強者であり続けるためには〈弱者〉の仮面をつけ、内心はどうであれ、〈弱者〉に媚びへつらい、〈弱者〉のご機嫌を取らないと、〈末人〉の世、〈末世〉は生きていけないということを見逃していますよ。
こんばんは。ご回答をありがとうございます。
◇ ディオニュソス〔と〕アポロン
☆ アポロンは 敵だと思った相手を容赦なく殺す。それが よいというの
ではなく ただしディオニュソスの場合は 同じ殺しをしたとき かれと信
女たちが オウム真理教の麻原と信徒たちに当たるという意味です。
心身喪失の狂気なる状態をも作り出すということ。
しかも たとえば隠れて祭儀を見ていたペンテウスを 獣と見なして 殺す。
敵だから殺すのではないわけです。
特殊例外的な心理状態に成るようにさせて ルサンチマンを相手の抹殺とい
う行為にまで みちびく。
忘我境の演出が 人間性を放棄したかのごとく きたない。うつくしくない。
そんな高貴なたましいなんて ありゃしません。
◇ 日本にかつて存在した閉鎖的な村を想像する・・・村の平和・安定
☆ ですから そういう知恵を活用した場合もあったのでしょう。
第三項排除の理論というヤツです。それによって 秩序を保つ。
ただし 日本人のムラムラでひねり出された知恵は 《ゆづりあひ》の助け
合いです。
ヤマタノヲロチを退治すると腹を決めて実行する。あるいはそうでなく そ
のヲロチの支配のもとに それなりの平和を築きそこに甘んじるか。
クニユヅリをした場合には 同じようにあらたなヲロチをお二階に戴くこと
になります。ですが これは フェイビアン主義と言いますかハンニバル作
戦と言いますか 雲の上に祀り上げておいて 本人が人間性を取り戻し《大
政奉還》をみづから言い出すのを俟っています。かれこれ千五百年です。
いちいちまづは一たんニヒリズムに落ち入ってよいのだ そこから永劫回帰
の宿題がよみがえる そこできみたちは 超人になるんだよとか――さすが
ディオニュソスの秘儀を伝え 時を俟てとは言わなかったんでしょうが――
とは スサノヲは 言わない。必要ない。
このスサノヲの道が 人の道であり 普遍的な倫理です。無力ですが 人間
性に立って有効です。
◇ 強者ですら強者であり続けるためには〈弱者〉の仮面をつけ、内心はど
うであれ、〈弱者〉に媚びへつらい、〈弱者〉のご機嫌を取らないと、〈末
人〉の世、〈末世〉は生きていけないということを見逃していますよ。
☆ なるほど。その手が出て来れば おそらくディオニュソス主義の復活で
しょう。と思いますよ。
![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/common/profile/M/noimageicon_setting_07.png?e8efa67)
No.10
- 回答日時:
こんにちは。
世間が大騒ぎするのは、大衆の「妬(ねた)み」や「嫉(そね)み」が直接の原因・動機だと思いますよ。
しかし、このことを人前で口にするのはなんとも恥ずかしい、自分がさもしい人間で惨めたらしく思えてしょうがない。そこで、尤もらしい理由、たとえば、人の道・人倫に反する、つまり、不倫と後付けし、声高に非難し、攻撃(口撃)する。徹底的に制裁を加え、自分よりも惨めな境遇に貶めないと満足できない。
しかし、そもそも〈奴隷〉だから、自ら貶めた――と言っても、所詮、弱者・奴隷だから一人(の力)ではできないので、数の力で、(後付けされた)正義の名のもとに、寄って集って徹底的に叩く――ヒトが自分と比較し弱者に転落し、自身がその者に対して相対的に強者になったとしても、世間一般の道徳を超越している〈強者〉・〈貴族〉になることはできない。そして、不満のはけ口となる、さらなる獲物・生贄を見付けだし、同じことを繰り返し、満足をすることしかできない。都合のよいことに、新たな獲物・生贄、攻撃(口撃)対象は、ワイドショーや週刊誌などのマスメディア、さらに、ネットが連日のように提供してくれる。〈奴隷〉である大衆は、これにすぐに飛びつき、大騒ぎをする。
すこし超然とした視点から世間を見渡すと、踊り、踊らされるメディアと大衆ともども正義面(づら)をする愚者ばかりであることがよくわかる(^^ゞ
一億総白痴化どころではなく、一億総奴隷化、まさしく、一億総〈末人〉時代の到来!!
https://goo.gl/UYtbTV
弱者による〈リバースイデオロギー〉を望むのならば、せめて、これくらいの自覚と覚悟は欲しいところです。
ねこさんが 登場ですか。ご回答をありがとうございます。
まづ 次の件は あしからず どうぞ。:
◇ 完全超悪アマノジャク
☆ は 歌詞が聞き取れず しっかりしたコメントを出し得ません。
▼ (リンク先:末人) ~~~~
「われわれは幸福を作りだした」
・・・ こう末人たちは言い、目をまばたかせる。
~~~~~~~
☆ ということですが 例のディオニュソス賛歌をうたう――昔ので
しょうが――その時には ルサンチマンを持つこと自体はよいらしく
さらにはその恨みつらみ ないし:
◇ ねたみ・そねみ
☆ に身と心とをゆだねて――『バッコスの信女』によると―― 仇
であるペンテウスを八つ裂きにして殺すという復讐を果たした。その
とき この行為の正当性を 神ディオニュソスが与えたと言います。
いつ・どのように:
▼ 幸福を作りだした
☆ でしょう?
◇ 世間の大騒ぎ
☆ についての分析は 現象としてそのとおりでしょう。
問題は――ねたんで騒ぎを起こし 相手を負け組へと引きずり降ろす
ということだとしても 問題は―― 倫理にあります。
哲学の問題です。すなわち その倫理は 理論として 《相手の意志
や心を踏みにじる あるいはつまり ひとを裏切る》ということ こ
のことが好ましくない。ということです。
人間性に関する限り 神代の昔から常世の未来まで変わらざる真理の
基礎です。
正義面を何をしようが そのほかのことはすべて おまけです。
すなわち ニーチェの倫理観は 理論もへちまもなく 成っていない
ということです。
No.9
- 回答日時:
ニーチェの話に限定すればいいのでしょうが、羽目外して場外乱闘に持ち込むと、規定も解除されてしまうでしょう。
「猛禽と子羊」のように、交換可能性が元々考えられない例えではなく、一般論として「同じ人間」として、交換可能性が極めて高い状況を想定することで、倫理問題が生まれます。
bragelloneさんのお気に入りのお二階さんであっても、一階と二階との交換可能性が前提となる話です。たとえ身分の異なるものであっても「王子と乞食」よろしく交換可能な状況を想定しうるなら、倫理問題は強弱に無関係に想定されうるでしょう。
ご回答をありがとうございます。
★ 「猛禽と子羊」のように、交換可能性が元々考えられない例えでは
なく、一般論として「同じ人間」として、交換可能性が極めて高い状況
を想定することで、倫理問題が生まれます。
☆ つまり 《負け組なる弱者》が その非力を自覚しむしろそのこと
を誇るようにして 《度を越さない》という原則を方針とし さらには
倫理規範として決めた。・・・というような起こりではなく
そうではなく
むしろ社会における人間関係・あるいはそこにおける互いの地位や職務
の互いによる代替可能性といった自生的な情況の中で ナラハシとして
・そして道徳として持たれるに到るのだ。
――でしょうか。
ところが このいま問題に取り上げているニーチェ氏は:
★ 「王子と乞食」
☆ とは 人間として・あたかも人種として初めから違うのだと言い張
っています。
道徳は おのづからそれら二つの種族に固有のものが持たれるに到るの
だと。
だって ニーチェ氏は 日本人のあいだでかなりの人気があるようです
よ。
No.7
- 回答日時:
No.4です、
「☆ つまり 公言しないもんだと言うだけであって 趣旨説明のつぶやきは 事実であり妥当だということですか?」
⇒事実、妥当ということではなく、どんなに社会倫理があっても、人間ですからそのようなことはあるでしょう。
だからといって、ご質問に書かれたような言い方を公言する必要はないでしょうね。
ご回答をありがとうございます。
★ ⇒事実、妥当ということではなく、どんなに社会倫理があって
も、人間ですからそのようなことはあるでしょう。
☆ この質問は 込み入っているんです。
そのくせ かんたんに趣旨説明していますが。
つまり 《倫理・道徳》というものは 《つぶやき氏(=ニーチェ
)》によれば 弱者が勝手にその弱さに合わせて都合よいようにつ
くったに過ぎない・・・と言ってるんです。
つまり
★ どんなに社会倫理があっても
☆ ではなくて そんなものは ただのでっち上げで 妄想なんだ
という立ち場のようです。
ここんところを きっちり・しっかりとみなさんに掘り下げて欲し
い。・・・という問いになっています。
もちろん 自由に回答してもらって問題ないんですが。
★ ご質問に書かれたような言い方を公言する必要
☆ かなり極端な言い回しになっていますが かと言って よく考
えても このような内容をニーチェ氏は言っているんだと思います
よ。
そういう微妙な問い方をしてはいます。
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宗教と道徳との関係
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▼ 末人
☆ という考え方を持ち出すのも ニーチェないしディオニュソスなる
人間が けっきょくルサンチマンは千年 いや 万年 いやいや永遠な
のだと腹の底で思っている。
――と見られても 反論・反証できないでしょう。
もしお望みなら わたしたちは 永遠の現在なるそのつどの今 《超人》
なのです。即身成仏。即得往生。
永劫回帰は シシュフォスの神話でしょ?
ニーチェ氏は どこから見ても おかしい。
ロヒンギャ問題。
▲ バングラデシュ、インドネシアは 正規受け入れを拒否し続けている。
☆ ということですが どちらも 同じムスリムの国なんですよ。
▲ 人権団体アムネスティ・インターナショナルは、「まずは、ミャンマ
ー国内におけるロヒンギャの人権が確保されるべき」と主張している。
☆ 当面の生存をどう確保するかという待ったなしの問題はあるにはあり
ますが いかにも極楽とんぼな話です。
《人権》専門になると あたまが 何かと《理念》に固定化し ものごと
について考えるに 片寄った見方をしてしまうみたいですね。
gouzig さんのすなおな一面が見られました。