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科学的には観測できないものは存在しないとするのでしょうか? つまり 存在そのものが無いと証明することはできないのでしょうか?
例えば 霊魂や 霊界といったものは科学的に観測できないものだと言われた場合 存在しないと証明できないのでしょうか?
それとも 科学的に数学的に存在することができないと証明することはできるのでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

証明は不可能です。


これを「悪魔の証明」と言います。
「悪魔の証明」を是非ウィキペディアで検索してみてください(スマホなんでURL貼れなくてごめんなさい)。
「科学的には観測できないものは存在しないと」の回答画像1
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この回答へのお礼

例えば不存在は証明できなくても細かく定義すれば例えばこのような霊界は存在しないと証明できないのでしょうか?

お礼日時:2017/11/13 19:19

観測できなくても理論的に成り立てば


存在の予測にはなる、観測されて初めて存在が認められる。
霊魂や 霊界はどちらもないからね。
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それは簡単で、観測結果が説明出来なくなったら、原因を探すだけ。

ダークエネルギーの存在は否定出来ないが、一体何なのかは分からないかも。
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霊魂や霊魂自体が観測できなくてもそれを含む理論が満たすべき最低必要条件が算出可能なことがあります。

観測によって現実世界がそれを満たさないことが分かると、霊魂や霊魂を含むすべての理論は壊れてしまい、それらの理論だけが存在すると言っているものにも疑問符が付きます。
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この回答へのお礼

現実世界とは物質世界のことですよね 霊魂や霊界が別世界の非物質的なものなら 霊魂や霊界を含む理論が満たすべき最低必要条件を算出することは不可能ではないでしょうか?

お礼日時:2017/11/14 08:51

霊魂や 霊界 占い お札 


エセ宗教のまいたエサですね

なんの科学的根拠も 論理的裏付けも 妥当性もなく
盲信を強要する 無知 無学の人たちのための 宗教です

存在とは 認識しなければ ありません

存在という概念は
ギリシャ哲学などでの 重要な課題のひとつ
アリストテレスの存在論 ヘーゲルの存在論
神学などでも語られます
ある とか 無いとかでは 結論できないのです
人間の存在は
西洋哲学 キリスト教 仏教 量子論 生命物理学
等から 解明を試みています

超長くなるので

科学的な観測
 科学は 解明不可能な領域がある事を解明しています

しかし宗教を 
盲目的に 盲信的に 信じている人と
科学的に 論理的に 信じている人と違います

科学を知らない人は 簡単に宗教を否定します 

人間の知恵はいかに浅いか
生命 宇宙 ミクロ マクロ 
どんなに研究を続けても 解明できる確立は
限りなくゼロに近いのです

長い説明になるのでカットしますが

神が万物を創った
  科学の進歩より その方が信じられるのです

科学者は宗教を否定しないのです
科学の発展で 人類は滅亡するとは言います
そこに宗教が必要である事は 科学者の一致した意見です

宗教と科学は共存しないと
人類は滅びます

ホーキンスは
神と宇宙について
物理学理論を前提にすれば
宇宙の創造者を考える事は余分であるが
宇宙を生み出した 物理法則に
カク教授の言う「神の御心」や
シャーフ教授の「極小端子に居住するエイリアン」
と同じものを見ている

アインシュタインは
宗教無き科学を否定します


生命科学者の多くは 科学の法則が当てはまらないため
ありのままを受け入れるしかない(説明不能)
何らかの手が加わった(生命物理学)
等 言います


量子論 超弦理論 等では 「分かった」と言ったら
詐欺師である とまで言われるほど 分かる可能性は無いのです 

物理学の最大の問題
空間が分かれば すべてが分かる
仏教でも
空が分かれば 仏です

ミクロの科学者は 極小物質に神がいる とまで言います

物理学者は もし この世を神が作ったならが
と言う前提の元  神の数式を 追い求めています

現在の 量子論 呟理論 宗教と 交差します

長くなるので そろそろおわりますが

神の存在は 科学が進めば 理解し易くなるのです
すなわち この世に神がいなければ 「おかしいではないか」というふうに
人間の存在があり得ないのです 宇宙の存在があり得ない事が
今 科学で やっとわかり始めています

分かりやすく言うと 
宇宙も我々も 認識しないと存在しない これ最先端の科学です

又 ・・
カク教授・・調べてみて
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人間の五感に認識できないものでも、存在している場合が有ります。

存在とはその周りに何らかの影響を与えていることが必要です。周囲に何の影響を与えないもの、それは果たして存在しているといえるでしょうか?存在していない場合とどんな違いが有るというのでしょうか?そのものが実際に観測されることは必ずしも存在の必要条件では有りません。観測機器の発明により、新たに存在が確認されるものだって有るでしょう。宇宙空間に存在すると言われているダークマターやダークエネルギーだってそうです。実際に存在が確認できる観測方法は今のところありません。が理論的に存在が推論されているだけなのです。

存在を証明することは科学の発達、新たな観測機器の出現、理論推論の構築などによって今後更にその精度は高まるでしょう。しかしながらもともと不存在を証明することは不可能なのではないでしょうか?「ない」とは「ある」状態に対比したものである以上、「ある」状態が認識されないまま「ない」と断定することは難しいと思います。
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>科学的には観測できないものは存在しないとするのでしょうか?


そんなことは全くないです。
今のところ観測できないものを「ない」と決めつけるのは、科学的なアプローチでは全くありません。

>霊魂や 霊界といったものは科学的に観測できないものだと言われた場合 存在しないと証明できないのでしょうか?
将来、科学的に存在しないと証明できる可能性はあります。
(存在すると仮定すると観測結果と矛盾することを示せば、存在しないことの証明になります)

逆に、将来、霊魂や霊界は存在すると証明される可能性も当然ありえます。
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補足すると、


霊魂・霊界とかいう用語は、そもそも「この言葉が使われる時点で科学的に説明できないものの総称」という意味(これが言葉の定義)で使われているという面がありますね。
だとすると、そもそも「科学で説明できないこと」のことを霊魂と呼ぶわけで、将来どんなに科学が発展しても、霊魂の不存在を証明することはできないと言えます。
(なぜなら、それが霊魂という言葉の定義そのものだから。)

たとえば、携帯電話なんかは、300年前の人から見れば、テレパシーそのものでしょう。
でも、「テレパシー」というのは、そもそも言葉の定義自体が「科学的に説明できない情報伝達法の総称」なわけで、今でもテレパシーの存在は証明できてないことになります。

実は、同じことは、最近話題の人工知能(AI)なんかでも、よく言われていて、
「AI」という用語は、何らかの特定の技術や原理を指すのではなくて、「なぜそのような動作をするのか動作原理がよくわからない情報技術の総称」として使われている面があります。
だんだん研究が進んで、動作原理が判明してくると、AIとは呼ばれなくなる(動作原理の名前で呼ばれる)なんてことがあります。
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この回答へのお礼

仮に意識が脳からどう生まれるのか解明されれば霊魂が存在しても意識は存在しないということになるのでしょうか?

お礼日時:2017/11/15 10:12

科学では、原理的に観測できないものは、その存在を議論しないのが一般的です。

「存在しないとする」訳ではなく、その実態を議論しないのです(世の中には議論してる人もいますが)。
月は見えない時に存在しないのか?そんな事はないかもしれないし、あるかもしれません。が、議論しないのです。箱の中の猫が毒ガスで死んでるのか、生きてるのか?それとも死んでいる猫の可能性と生きている猫の可能性が重ね合った状態で存在しているのか?観測できないものは議論しても仕方がないのです。
量子力学的な対象物は原理的に観測できない(例えば、位置と速度を同時に観測できない)が存在していないとは言っていません。存在しているとも言っていません。「シュレーディンガー方程式で存在確率が計算できます」としか言っていません(コペンハーゲン以外にも色々な解釈はありますが)。そもそも観測とはなんでしょうか?遠く離れた銀河の中の惑星1つ1つは到底観測できませんが、おそらく存在しているでしょう。地球の内部の状態ですら地震波等を使って間接的な推測しかできず直接見ることはできません。かと言って地球内部に何も存在せずに空洞だとは思えません(多分)。というように、観測自体の問題もあります。

科学的方法とは、物事を調査し、結果を整理し、新たな知見を導き出し、知見の正しさを立証するまでの手続きであり、かつそれがある一定の基準を満たしているもののことです。
つまり、客観性と再現性があれば、霊魂でも霊界でも科学の研究対象になりえます。

たとえば、霊魂を確実に出現させる方法が発見されたとして、誰がやってもその手順で呼び出せば必ず霊魂を呼び出せたとします(再現性と客観性)。すると、霊魂を分析、研究することができるので、科学の対象になります。きっと中学や高校の理科の教科書に、霊魂の出現率計算の方程式が載ることでしょう。そして、霊魂が科学技術や製品に応用される可能性されて、霊魂と通信できる電話とか、高濃度の霊魂搭載のカーナビや洗濯機が出るかもしれません。
逆に、客観性や再現性がなくて、霊魂があるんだか無いんだかわからない様な状態、人によって見えたり見えなかったりする状態では、存在を議論しても時間の無駄です。まずは客観性と再現性を確保してから議論するのが妥当です。

しかし、
一方で科学とは別の話として、

もしも何かの目的の為に便宜上「霊魂や霊界の存在」を定義しているのであれば、それは科学とは別の次元の話です。例えば、宗教では神の存在を定義して理論を構成しています。つまり、神が存在するという事にして、人々の心の支えにしたり、社会生活の秩序を与えているのです。こういった場合、「神が本当に存在するのか?」などを議論したり証明しようとするのは無意味です。仏教において、霊魂や霊界はそのような存在だと考えられます。死後の世界で地獄で苦しまないように良い行いをしましょう、人に親切にしましょう、の様に、霊魂や霊界の存在を便宜上使うことで、人々の社会生活を向上させようとしているのでしょう。この場合、人々の生活を良くすることが目的なので、もしも科学者が霊魂や霊界が存在しないことを証明したとしても本末転倒となります。
たとえば、簡単な例で言うと、
親の言うことを聞かない子供に「悪いことをするとナマハゲがくるぞ」と脅かしたとします。それに対して、大学の教授が出てきて、ナマハゲが存在しない事を数学的に証明しても意味がないです。「ナマハゲがいる」というのは、子供に言うことを聞かせるための単なる手法なので、実際に存在するかどうかは別問題だからです。それどころか、存在しないと証明されたら本末転倒で、大きなお世話になります。
「神や霊魂を信じて、善い行いをしましょう。信じるものは救われる」と説いている宗教に対して、神や霊魂は存在しないと数学的に証明したとしても、誰にもメリットはなく、それを証明した無能な科学者の単なる自己満足にしかなりません。つまり、その科学者は専門能力は極めて高いが、物事の本質や社会的な意味が理解できなかったということになります。

更に言えば、存在とは人間による認識の結果です。
自転車はモノとして存在しますか?はい、と答えるでしょう。しかし、自転車を持ってきて車輪やチェーンなどの部品に分解すると、目の前から自転車は無くなります。つまり、自転車とは、ある特定の結合状態に対して人間が認識しただけの存在なのです。自転車だけではありません。世の中のあらゆるモノは同じで、ある特定の結合状態に対して人間が認識しただけの存在です。その証拠に、何でも良いので何かモノを持ってきて、それを分解すると、その存在が無くなります。それは水とか鉄とかの原材料についても同じです。水を分解して水素と酸素に分解すると水がなくなります。鉄をもってきて、鉄原子を電子と陽子と中性子に分解すると鉄はなくなります。逆に言えば、人が認識すればそれは存在することになります。霊魂や霊界を認識する人がいるとすれば、その人にとっては、それが存在するのです。
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この回答へのお礼

少し変わるのですが 仮に霊魂が存在したとしたとしても 意識 自我が脳の機能によるものだと証明されたとした場合 霊魂に意識や自我が存在することはないということになるのでしょうか?

お礼日時:2017/11/15 21:12

>> 少し変わるのですが 仮に霊魂が存在したとしたとしても


>> 意識 自我が脳の機能によるものだと証明されたとした場合
>> 霊魂に意識や自我が存在することはないということになるのでしょうか?


少なくとも、
人間の思考の働きは、五感で感じる感覚や感情や好みも含めて全て脳の機能が深く関係している事が、脳科学でわかっています。
逆に、人間の体や脳が無かったら思考や意識は成立しないと言えるでしょう。
誰かを好きだと思う気持ちも、将来何かになりたいという夢も、何かを成し遂げたいという欲望も、お腹が空いたり、悲しかったり、それらは全て生命を(人としての体を)維持し、種を存続していくための機能なので、これらの思考や意識が体や脳とは別に存在すると意味が無くなります。

また、別の話として、
人間の脳は分割可能な事が知られています。
右側の脳を取り去っても生活ができるし、左側の脳を取り去っても生活できることが知られています。それどころか、左右の脳を繋いでいる脳梁を切断しても生きることができます。このとき、左側の脳は左目と左耳で聞いた情報で判断して右側の体を動かし、逆に、右側の脳は右目と右耳で聞いた情報で判断して左側の体を動かします。つまり、1人の人間の中で、2つに分割された脳が、それぞれ左側の体と右側の体を二人三脚のように動かすのですが、なぜか、普通の生活ができる事がわかっています。ただし、左右の脳は情報交換ができないので、たとえば左目で見たものを右側の脳に聞いても「わからない」と言われます。
意識や魂があるとしたら、その様に脳を分割された人間の中には魂が2つあるのか?でも、脳を分割する前は多分1つだったはずなので、だとすれば、脳を分割する前は魂が1つで、脳を分割したら魂が2つに増えるのか?分割した脳をふたたび結合手術できたら、魂も1つに戻るのか?もしくは脳を分割された場合も1つの魂が左右の別々の脳を動かせるのか?1つの魂が別々の脳を動かせるとしたら、1つの魂で複数の人の脳を動かせるのか?など、疑問が膨らみます。更に、脳の機能だけで、感情や意思や思考が決まるとしたら、意識や霊魂など不要ではないか?つまり、人間の体は脳も含めて機械のように物理法則だけで動いているならば、霊魂や意識などは不要だと言える。だから、そんなものは存在しないと言いたい。

が、
しかし、しかし、
一方で、

デカルトが「I think, therefore I am」と述べたように、たしかに、「この私」は、今ここに意識を持って存在しているのを私は感じる。多分君にも意識があるだろうが、君に意識があるのか無いのかは私にはわからないし、今のところ確かめようもない。おそらく、君も同じ状況で、自分に意識があるのはわかるけど、他の人にも同じように意識があるかどうかは確かめようがない。他の人も、自分と同じような姿であるし、同じような行動をするし、話すと共感もできるので、おそらく自分と同じように意識を持っているんだとは思うが、確かめようがない。確実に言えることは、ただ1つだけ。今、ここで考えてる自分が、意識をもって、ここに存在しているということだけである。ちなみに、昨日の自分も明日の自分も、今と同じ意識なのかはわからない。確かに、昨日の記憶も、一年前の記憶もあって、楽しかったことや、苦しかったことも、リアルに思い出す事ができるけど、それは脳という物質に蓄えられた記憶が、脳の機能で再現されただけであり、昨日の記憶と思われる情報を思い出せたとしても、自分が昨日も同じ意識や魂であったかはわからない。だから、たしかに言えるのは「I think, therefore I am」だけである。もっと言えば「I am thinking, therefore I am being.」であり、今ここで考えている私が存在しているということだけである。
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この回答へのお礼

例えば仮に現在の意識を作り出すことに脳が重要なのはわかりますがそれ以外に霊魂が関与していないと証明はできますか? また霊魂が意識を作り出すのではなく もしかしたら別の世界に霊魂のような意識が存在しそれがこの世の情報を受け取っていて死後にその別世界の意識に切り替わるということも否定はできないのではないでしょうか? ここまでくるとオカルトですが

お礼日時:2017/11/17 19:39

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