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無限については甚だしく勘違いをしている輩が少なからず見受けられます。
無限とは1つのプロセスなのである。
即ち無限とは如何なる有限を持ってきても更にその有限の次が存在するという1つのプロセスのことなのである。
このことは数学においては明確になっている。
少なくとも解析学においては無限はεδ法によって定義されているのである。
つまり数学では無限は1つのプロセスとして明確に定義されているのである。
従って無限は有るか無いか分からないなどと考える者がいたなら愚かである。
ここで明確にしなければなりませぬ。
無限は1つのプロセスである。
そしてそれは連続性の上に成り立っているプロセスである。
そのよーな連続性の上に成り立つプロセスが思考できれば、その時点で無限は実在するのである。
このよーに考えると、時間も空間も全て実在する無限として認識できるのである。

A 回答 (6件)

そう言う考え方もできるだろう。


観測の限界を超える度に、世界の限界も広がって行く。
太古、海の広がりは限りない様に思われたただろう。大昔には、地球が世界の中心であると思われていた。時代が下ると、今度は太陽系が、そして銀河系が宇宙であると考えられる様になり、今では銀河団だとか超銀河団が観測され、限りないとされてきた世界の限界は広がり続けている。
これをプロセスというならそうだろう。
しかし、このプロセスが永遠に続くのかどうか、それは分からないのである。久遠の時間をかければ地球も太陽も消滅してしまう様に、無限の宇宙もいつかは寿命が来るかも知れない。そして呼吸する様に、新たな息吹が生まれるかも知れない。そうすれば無限と言うのはある種のサイクルとも言える。
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光の速さを 3.0 ・10^8 [m/s]


太陽の光が地球表面に届くまで、およそ 500 [s]

と仮定します。これより、地球と太陽の距離(r)を、15・10^10 [m] とします。

π = 3.141 592 653 59 として、地球が太陽の周りを周る距離(2πr)は 94.247 779 607 7・10^10 [m] と計算されます。

一年を 365.242 19 [d/y] 、一日を 86400 [s] と仮定して、一年は 31.556 925 216・10^6 [s] と計算されます。

地球の公転するスピードは 2.986 595 777 71・10^4 [m/s]

と計算されます。これは正しいですか?


これが正しいなら、光の速さの 1/10000 です。

公転面上の恒星の光の色を研究して、最大 1/10000 程度のドップラー効果が見込まれると思うのですが、分光器の上でこのドップラーシフトはどのようにして認めるようにできるのですか?

目測で違いが分かるのですか?
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ネイピアさんが、対数表を作成するのに、どれくらい労力を費やしたか考えたこともないのですか?

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この回答へのお礼

そのネイピアさん作った対数表を天才少年ガウスが手に入れたとき、大変喜んだという話は有名だよね。
まあ電卓もない時代のことだからその労力は高く評価すべきでしょう。

お礼日時:2017/11/20 22:47

カントールの本も手に入るぜ。

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この回答へのお礼

カントールの素朴集合論のことはいいとして、そろそろ一般連続体仮説あたりを手がけてみてはどーか。

お礼日時:2017/11/20 21:57

0 のひとつの考え方は、1/n を考えて、この n をどんどん大きくしていくことですが、



パチンコ屋さんのドル箱はだいたい 5000 玉でしょうか。

パチンコ玉はかなり精密に磨かれているので、もしかしたら、一個一個かぞえるのと同時に、重さを測ってパチンコ玉の数を推定できそうな気がします。

けれど、人間の目測で、9999 と 10000 と 10001 個のパチンコ玉を瞬時に見分けることが可能なのか疑わしく、自信が持てません。
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この回答へのお礼

えーと、まあ5000 玉程度では無限とは言えんでしょ。

お礼日時:2017/11/20 21:55

1を足して行けば いくらでも限りなく その数がつづくというのは


可能無限です。つまり 大きく有限数です。

なぜなら 数えられるということは そこまでのこととして 数量が
一定するということです。一定数ということは 限りがあることにな
ります。



言いかえると 限りなくつづくという側面と その一定の数量におい
て 限りがあるとはっきり分かるという側面があります。同時にあり
ます。

どこまで行っても 限りがなく次の数量があり得るということは そ
の次次なる数量として 経験的に決定されるということです。人知が
およぶということです。

限りなく人知がおよびます。

真無限は 人知を超えています。
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