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統計的に日本人はこういう感性の持つ、という場合に日本人だがそういう感性は持たないという人がいた場合、その人はどういう人と表現しますか?

また、「統計データ」と「人による」はどう関係しますか?

A 回答 (7件)

「統計的に日本人はこういう感性の持つ」と言う文章が、間違っています。


  ↑
「統計的には、日本人はこういう感性を持つ傾向がある。」と言うべき。

即ち、それは傾向であって、当然、そうでない人も居る、と言う意味。

大体、統計と言いながら、そのデータ数が少なければ、本質と差異が生じることも
多い。

朝日新聞、毎日新聞のお決まりの印象操作も、このマジックに依っている。
この手の事は、眉唾で、信用する方が、単細胞だと思う。

故に、統計に合致しない人がいても、当然である。
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「陰性」ですか?

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京都人のゲーム実況者のように堂々と怪盗を名乗って、平気で盗んで、なんともおもわない奴がいるけれど、そういうのが、日本の伝統京都の感性で、


それ以外は非国民なのでしょう。
江戸しぐさは、偽りですからね。
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説明の前に、いきなり回答を書きます。



「その人は、日本人の平均的感性から大きく揺らいでいる人」

と表現します。以下に、なぜそう表現するのか、またそれと統計データとの関係を説明しましょう。

>統計的に日本人はこういう感性の持つ、

というのを数学的にもっと正確にいうと、

   「日本人の感性の平均値はこういう感性である」

となります。統計とは、ある集団の性質を論じるときに使われる数学的手法です。集団を構成する各構成員の性質には、その構成員の偶然や過去の経緯によって、色々なバラツキがある。集団全体の平均値の周りにばらついているのです。そのバラツキのことを、

「人による」

と言っているのです。

そのバラツキの大きさが小さいときには、その集団を構成している構成員の性質を、その集団全体の平均値と置き換えても、あまりあたりがずれがない。その反対に、そのバラツキが大きいと、各構成員の性質を集団全体の平均値で置き換えても、その構成員が平均値とは全く違った性質を持っている可能性が高くなるので、平均値の値で各構成員の性質を論じても、あまり意味がなくなってしまいます。

各構成員のあり方に対して制御不能な様々な偶然が役割を演じているような集団では、集団の大きさが大きくなると、各々の性質のあり方、すなわち、分布の仕方が、その平均値のところにピークを持つベル型の形になることが知られています。この分布のことを、正規分布とかガウス分布と呼びます。そして、その集団の各構成員が、平均値からどのくらいズレているかは、そのベル型の形の幅として理解することができます。ピークの高さの割に幅が狭く鋭く立ち上がったベル型の場合、バラツキが小さい。その反対に、ダラっと広がったベル型だと、バラツキが大きい。どこで幅を計算するかには色々ありますが、多くの場合、ピークの高さが半分になったところの幅が良く使われます。これを半値幅と呼びます。

また、この幅のことを「ゆらぎの大きさ」とも言います。各構成員の性質は集団全体の平均的な性質の周りに揺らいでいて、各構成員の性質そのもの平均値ではなく、「平均値からのズレの平均値」のことを、その集団全体のゆらぎの大きさと呼びます。そして、それが半値幅によって計られているのです。

私は長年アメリカに住んでいますが、アメリカ人の感性に比べて、日本人の感性の分布は平均値の周りに鋭く分布する、すなわち、ゆらぎの幅の小さいベル型の分布をしているとの印象を強く持っています。だから、日本人の感性を特徴付けるのに、その平均的な感性を述べれば、だいたい当たっている。一方、アメリカ人の分布はゆらぎの大きいダラットしたベル型の分布をしている。だから、アメリカ人の感性を知りたかったら、単に平均的に論じるのではなくて、各個人に直接当たって各々の感性がどうなのか調べないと、その人の感性がわからない場合が、日本人に比べて多々あるとの印象を持っています。
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いい質問ですね。



「日本人だがそういう感性は持たないという人がいた場合、その人はどういう人と表現しますか?」
⇒普通だと思います。

例えば、ラテン系の感性をもつ人が象徴的でしょうね。
ラテン系の国々では普通なのですが、日本では異端児扱いとなります。

「また、「統計データ」と「人による」はどう関係しますか?」
⇒統計データ」とは多数という意味でしょうね。
一方、「人による」はそれぞれの個性ということでしょう。

日本では前者の傾向が強いということでしょう。
悪くいえば、日本の風潮は”島国根性”です。
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統計とは異なった感性を持つ人でいいと思います。


統計データで偏りを知ることができますが、
全員同じではないと言うことです。
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二つです。



ヒトツは、キョトツ?さんがいった通り、平均から、感覚が揺らいでいる人をいい。

揺らごうとしているのかもしれませんね、現代の日本人の学術と道徳観は。
そこに気付くとは、流石です!失礼、ニヒルな物の見方かもしれません。



もうヒトツは、いつも忘れがちな人の知識の傲慢。

統計学が、完成していると言う錯覚からくる。
本当は、その人が正しい場合です。

統計学は、残念ながら、もののみかたとしては完成していません。まだ、【全体割合 (学)】を真に見れる人が必要



例えば、データや質問で、
回答の統計をとった場合、むしろ重要なのは、
その問題にたいして、
その質問や、その結果なデータが適切に、本質と関連しているか、ということでしょう。か

もし、問題より、無駄に大きな規模である場合や、
質問が他にも、必要な要素(地域や、国柄など) を調べる必要性があった場合に、
ずれている答えしか出てきません。

もう少し、ここと向き合い、
ぜんたいか、ひつようなようそをあらいだせる、ひろきめをもつひとがひつよう、と0



あっ、時間切れでした。


申し訳ない。
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