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戦後、日本の林業政策は、住宅建材としてスギを植林するというものでした。では、植林する前の杉林はどんな植生だったのでしょうか?荒地だったのでしょうか?

A 回答 (3件)

山が山の値打ちしか無くなってしまったので、それじゃあすぐに製品になる杉かな、って事で、杉を植えた。


同時に山村の人たちに仕事を与えるため、営林署の下請けのような仕事を作って、それらがバラバラでは駄目なので、杉に一極集中した。
その前は、多少の斜面でも種をばらまいて収穫できるものを植えた。
或いは、山の木を太いのは炭、細いのは野菜の支柱などに使った。
山は燃料の元なので、それぞれに村の掟があり、それに従って生活していた、私らの所は、山の枯れ枝や枯れ葉は取った者勝ちで、それを燃料にしていた、勿論太い木もいるので、それは自分の山から切ってくる、このとき、松、杉などのヤニを多く出す木は煙、煤が多く出るので、落葉樹を主に切っていた。
それから、石油コンロが出て、山から燃料を調達する必要が無いので、山は60年位荒れ放題。
畑も鉄パイプやプラスチック製の支柱などが出てきたので、山が荒れた。
10~20年ほど前から、炭焼きを趣味でやる人が出てきて、少しずつ切っているようだが、成長に追いつかない、山の雑木が大きくなりすぎて、根こそぎひっくり返りそうになっている、ひっくり返ってしまうと、根が土がらみ持ち上げるので、山の盤が出てしまって、禿げ山になると、年寄りは判っているが切り倒す力が無いので、もう終わりでしょう。

この頃、自分の山にケヤキを植える人が出てきた。
杉でも80年、ケヤキでも80年で丸材が出来る、なら、誰か判らない世代でなくて、孫の代に切れるように植えている。
神社の本殿、拝殿は四角の柱だけど、外回りは丸太が良い、それが80年で出来ると言うことで。

でも、それらでがんばっていた人たちも、老齢化で山に行けない、山に行くと熊やイノシシ、猿に襲われるので、杉が植わっているところはそのまま終わっちゃうかな。
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戦後だけでなく、箱根や日光の杉並木が総じて樹齢350年前後のように、五街道沿いは江戸時代初期から杉の大量植林が行われています。

江戸幕府八百八町の開拓整地のほうが住宅建材需要、薪需要が大きかったから。
明治初期の鉄道網の敷設も用地買収とともに建材の輸送手段が同時に増えたので、大量に伐採、植林されています。それで伐採のしすぎで保水力がなくなり、大正時代あたりは治水事業としてダムが作られ、また伐採と植林を繰り返す。

里山に杉林のない時代は、平安時代くらいまで遡らないと出てきません。
鎌倉・室町時代は武家の台頭で鍛造鉄器が大量に普及し薪材が必要とされたので、もののけ姫の話そのままに、白神山地のようなブナ・マツ・モミの巨木原生林が広がっていました。
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雑木林

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