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ひと昔前、女子小学生は体育のときにブルマを義務付けられていました。
今の常識で考えれば、あのような格好を強制することはおかしいと分かりますが、当時は当たり前でした。
それと同じで、今は当たり前に感じているだけで、先入観なく見れば企業や学校の制服としてスカートを義務付けているのはセクハラ(人権問題)になると思うのですが、いかがでしょうか。
(指定のスクール水着もそうだと思いますが、私の頃は既に公立学校で水着が指定ということはなかった+身体のラインの露出は機能上やむを得ないので今回はスカートだけの話)

スカートは脚の露出(タイツ等が着用可であったとしても、少なくとも脚の形は露出)を強要するものです。非常災害時の逃げ遅れなど生命にも関わりますし(これは靴の方が顕著ですがとりあえずそれは置いておいて)、冷えで健康を損ないます。
好きで履いている場合は良いですが、脚の露出を強要するというのはおかしいと思います。
しかし、現在は文科省も労基署も何の禁止もしていません。

原因はやはり「それで当たり前」という思い込みから何も考えていない(制服について見直していない)ことと、下劣なスケベおやじが組織に多いことじゃないかと思います。
ブルマを廃止したときも、反対する人は単に自分が見たいから、神経質だ、そのぐらいいいじゃないかみたいな意見だった気がします。
最近、透けないナース服を開発した会社にも、「楽しみがなくなる」などの信じられないようなクレームが多々来たそうです。

スカートの強要は人権侵害だと感じます。
しかし、それを拒めば進学や就職の選択肢は大幅に減り、圧倒的に不利です。
それって、端的に言えば「女性は誰にでも脚を見せないと(スカートを制服にしているところには)進学・就職できない」ということであり、完全に性差別による不利=人権侵害ですよね?
買い替えにお金がかかるなら「来年の新入生から」などやりようはあるのに、それすらやっているのを聞いたことがありません。
学校、企業の個々の単位ではなく、法律で規制するレベルのことだと思うのですが、何故こんなに明確なことをさっと直すことができないのでしょう?

質問者からの補足コメント

  • たくさんの回答がつき驚いています。
    一点勘違いされていることが多いかなと思うのでは、「好きで履いている場合は良いですが」と書いた通り私はスカートそのものを悪いと思っているわけではありません。
    ファッションとして選択する自由はあると思いますし、極端な話をすれば男性でもスカートを履いて良いと思います。
    あくまでも、「機能性で劣り・健康を害し・性的な目で見られる可能性の高い服を」「強制」すること、そしてそれが一般化していることで「露出したくないと思う人たちが選択肢を大幅に奪われていること」が問題だと思っています。

    また、そもそもこんなこと考えたこともなかった、という方が女性でもほとんどだとも思っています。
    今回は「当たり前だと思い込んでたけど、よく考えたらおかしいよね?」という、改めて善悪(というとちょっとニュアンスが違いますが、他に的確な言葉が見つからず…)を見つめてみたら、という話です。

      補足日時:2018/01/22 14:48

A 回答 (12件中1~10件)

#12です。

お礼ありがとうございます。

質問者様はとても勉強家で聡明でおられるようなので、少しだけ「男性の立場」の視点も含めて書きたいと思います。

>私が男性を目の敵にしている…とのことでしたが(自分でも平均よりはそうだと思ってます)、
回答者さんも女性を目の敵にされてるようですね;

確かに「女性に厳しい」回答を書くことになってしまうのですが、実は私はフェミニスト「真の男女平等主義者」です。
だから、日本の状況を見ると女性に少々厳しいことを書かざるをえなくなるのです。

その説明の前に「セクハラ」について述べておきます。
セクシャルハラスメントはダメです。男女が共同参画する社会において、セクシャルハラスメントは絶対にあってはなりません。ただこれが「セクハラ」となってしまうとなぜか「男性が女性を不愉快にさせることがセクハラ」になってしまうのは問題です。

実際のというか、欧米で定義された(女性解放運動の発展形としての)セクシャルハラスメントは女性から男性へのハラスメントも含むし、そもそも「不快にさせればなんでもセクハラ」ということではありません。

ここの意識のズレが男女では大きいのですが、男性が表立って不満や反対意見を述べる機会はとても少ないので、議論になりにくい、といえます。

だから質問者様の設問である「スカート強要はセクハラではないか」について私は「セクハラではない」と回答することになるわけで、その理由を説明しているわけです。

もう一度書きますが「セクシャルハラスメントは社会にあってはなりません」し、#MeTooで出るように女性たちが圧迫を受けて苦しむ事例がまだまだあることは承知しています。でも、質問者様の設問は「セクハラではない」のです。

理由は何度も書きますが「スカートそのもの、制服そのものを望んでいるのは多くの女性たち」だからです。
 学生の制服に関しては女子学生の支持が多いこと「カワイイ」制服の学校の志願者数はとても多いことからも「望んでいるのは女性」と言うことが言えるでしょう。
 
事務服に関してはこういう問答もあります。
http://nakagawa-consul.com/blog/2016/10/post-186 …
実に真面目に男性達がなやんでいるわけですが、そもそも「女性たちが廃止してほしい理由・廃止してほしくない理由」って「仕事にとって重要なこと」ですか?

私も経営者の端くれなので、こういう問題に出会ったことがあります。事務服を廃止するにしても存続させるにしても「女性たちの主体的な好み」の問題であって「会社として仕事として必要かどうかの議論」ではないわけです。

そもそもこれって「社会人としてどうなの?」という疑問すら男性側はもってしまうわけです。

そして、制服を廃止するとこういう問題も起きてしまいます。
http://www.e-uniform.jp/contents/column/post46.h …

私服にすると「どこまでが許容されて、どこまでが許容されないか」の線引きが難しくなり、それによってセクハラが起きる懸念まで指摘されています。

これはどういうことかというと「仕事をするにあたって、女性たちは、仕事にふさわしいという視点から考えることなく自分の好みや都合(今日はデートだからカワイイ服にしたいとか)で私服を選ぶ」ということです。
「制服に着替えることで仕事モードに入れる」なんていうのは「どこまで甘えているのか、服を変えないとスイッチがはいらないような人は会社に要らないだろう」とすら思ってしまいます。

これってやはり男性から見れば、「社会人としてどうなの?」という疑問を持たざるをえません。

そもそも「制服がセクハラ」と言われて私服にしたら「私服の華美を指摘するのはセクハラ」となったのでは、どうしようもありません。これってとても不毛だとおもいませんか?

「女性が不快だと思えばセクハラ」と言う定義であるかぎりは、どんな選択をしても「セクハラ」と言う指摘から逃れることができないのです。どんなものでも「社会」と言ういろいろな意見が集約される場所では、それなりの基準があり「大多数の支持を得ている」というのは基準になりえるもの、であるといえます。

ですから「制服はセクハラ、というのは質問者様の感覚に過ぎない」としか言いようがありません。
質問者様だけがそう思っているといってもいいでしょう。もちろん他にもそう思っている人たちはいるかもしれませんが「圧倒的な多数の女性が制服を支持している」というのが事実なのです。もし、そうではない「制服をセクハラだと考える女性たちはこんなにいるんだ」という事例があるならぜひ示してください。

質問者様が『今のところいただいた意見では「なるほど、セクハラではないんだな」と思えるには至っておりません。』と考えるのは個人の自由なので一向にかまいません。

しかし「社会制度のなかの制服」と言う視点から言えば、どこかで折り合いを付ける必要があり、そして現実は「制服の圧倒的な支持」になっているわけです。しかも最近の学生服はスラックスを選べるようになっているわけで、それは質問者様のような視点があるからでしょう。そこまで対策がされているのに「制服のスカートは圧倒的な支持」を得ているわけです。

社会的な表層に表れる様々な事実に照らし合わせて「制服はセクハラではない」ということです。

それともうひとつ
>スラックスが選べてもスカートが圧倒的支持、というのは、カワイイを優先させるというだけの話ではなく、日本人に強い同調圧力が大いに関係していると思います。
>まだスラックスは始まったばかりなので…いわゆるスクールカースト上位の人たちが、「冬は寒いから」などスラックスを履き始めたらまた変わると思います。

これはものすごく「無責任」なものいいです。なぜなら「自分の行動をすべて他人または社会的な事象の責任にしている」からです。

「誰かがスラックスにし始めたら、みんな同調する」ですか?じゃあ、スクールカースト上位者に「自殺」が流行ればみんな自殺をするんですか?
 いじめではよく「○○君が死ねって言ったら、君は死ぬのか?」という問いかけを教師がしますが、ようするに「自分で決められない人が独立とか意見とか言うな」ってことなんですよ。

こういう無自覚で無責任な言動が日本人女性にはとても多いです。欧米の女性はもっと主体的ですし、男性に伍して意見首長と行動を自己責任で行いますよ。(一応書いておきますが、私は帰国子女なので欧米女性の行動様式は日本と比較できる程度には知っています)

ですから「真の男女平等」と言う点について、女性に辛口にならざるをえません。もちろん日本男性が合格点だとも思いませんけどね。
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この回答へのお礼

リンク先も含めて全て拝読しましたが、非常に不愉快です。
中立を口にしながら現状の女性の圧倒的被差別を受容し、一部のワガママだけを取り上げて「ほら、女性もワガママで良くないよ(だから男性の性犯罪だってお互いさま)」「(ジャイアンとのび太状態の弱い人に対して、ジャイアンに注意もしないスネ夫が)怒ったって仕方ないじゃない、仲良くしよう?」のようにいう人を思い出しました。
あなたは男性の性犯罪については言及していませんのでこのように言うのは失礼かとは思いましたが、同じことに思えます。
ひとつひとつあげていくとキリがなく、またあげていったところで改心していただけるとは思いませんので終わりにしますが、あなたのような人に上に立ってほしくない(都合が良いからと信じる男性がいますし、多くの方が影響されて同じように女性はワガママだからwと言い出しかねません)です。
特に学生の下り、「社会のせいにするな」と言えば聞こえは良いですがその考え方はいじめられている子や声を上げられない子を殺す考え方です。考え方の方向で言えば、「抵抗するだけの腕力を備えていないなら大人しくレイプされろ」というのと同じです。心を病む人の多くは、「自分ではどうにもできないのだから、どうにかできる力がない自分が悪いのか」と自分を責めて病みますが、社会を変えるだけの力が世の中全員にあるとどうして言えるのでしょう。
そもそも、「私こそ真の○○」を自称する人など、信用が薄いですよ。真実なんて立場によっても変わるし、人が「確かにそれは真の○○だ」と言うかも分からない。ご自身がそう思い込んでいるだけなのに、自分に自信がありすぎて、新興宗教の教祖みたいです。
本当に危険で、かつ悪影響の大きい「中立」なので、本当にやめてください。
自分が客観的にものが見られるんだ、なんて口調で、弱者をより追い詰めるようなことはしないでください。
害悪です。

お礼日時:2018/01/25 23:46

#10です。

お礼ありがとうございます。

・短いスカートの起こりについて
(中略)
しかし、問題は「短いスカートを着ること」ではなく、「それを強制されること」です。
望んで着る分には全く問題ないと考えています。

はい、強制されるなら問題です。その通りです。全く同感です。

・制服について
「女性がそれを望んだ」と言うと、まるでそのとき声を上げた一部の女性が全女性の意見のように見えてしまいますが、「それを望む女性もいる」というだけかと思います。

#10にも書きましたが、多くの女性たちが望んだから全国規模で制服の変更が起きたのです。これは1990年代から2000年代にかけてブームとして起きていますので、調べればすぐに分かることです。
つまり「圧倒的な女性たちがそれを望んだ」ということです。

>この制服を着たい!と進学するのは悪いことではありませんが、「この学校に進学したい」と思っていたのに、脚の露出を強要される屈辱と学媚態気持ちを天秤にかけざるを得ない…となる方もいるわけです(無意識下の「今までもこうだったから当たり前」がない場合)。

この点については、足の露出だけに限らない問題でしょう。男子だって「首が詰まる詰襟は嫌だ」と言う意見はずっとあります。制服の強制性を問題にするなら「足の露出」ではなく「制服を強制されることそのもの」を論点にすべきです。

また全国的に女子はスラックスも選べるようになってきています。そしてスラックスの需要はとても低いのです。それは#10に書いた通りです。逆を言えば「スカートは圧倒的に支持されている」ということです。

それを「足をどうの」というのであれば「(どんな制服であっても)制服を強制すること」を問題視すべきです。

・性的な売買について
売っている側が判断のつかない未成年である以上、それを止めるのは大人の義務であり、大人が売っている大麻やコピー商品とは違うと思います(成人した方が下着を売るなら別)。

いや違いますね。未成年であっても大麻などを買えば「犯罪者」として扱われます。もし「未成年」ということであれば「売った大人だけ」処罰すべきですがそうはなっていないのです。

性売買の問題はこの点の議論が不十分で「未成年女性を保護すること」端的にいえば「女性を保護すること」にあまりにも重点がおかれすぎているのです。

質問者様の論点は「セクハラではないか」ということですが、私は「セクハラではない」と回答しているわけです。

なぜなら「圧倒的な女性のニーズによって、制服などは支持されている」からです。男性が関与しているとすればむしろ「女性たちの強いニーズを実現するために努力していること」であって、それをセクハラだというのは実に無責任である、と私は考えます。

最後に分かりやすく書きますが

制服のスカートを支持しているのは女性たち。それも圧倒的な支持、であることを上記のように説明しました。
だから「セクハラ」ではないし「強要」もしていません。
むしろスラックスなどを選べるようにしても、少数しか選択しない、のが現実です。
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この回答へのお礼

重ねての回答、ありがとうございます。
詰襟の件は初耳でした。勉強になりました。
確かに、スカートにせよ制服そのものにせよ程度問題ではありますし、極端に言えば制服の強制も権利を阻害するものになりますね。
私は制服そのものは問題ないと思いますが、それを苦痛に感じて学習を阻害される方がいる可能性は忘れないでいたいと思います。
トランスジェンダーの方のためにどちらの制服も着られるように…なんて問題も、そもそも私服通学にすれば解決&浮かないで済みますもんね。

スラックスが選べてもスカートが圧倒的支持、というのは、カワイイを優先させるというだけの話ではなく、日本人に強い同調圧力が大いに関係していると思います。
まだスラックスは始まったばかりなので…いわゆるスクールカースト上位の人たちが、「冬は寒いから」などスラックスを履き始めたらまた変わると思います。
今はきっと過渡期なんじゃないでしょうか。

しかし、私が男性を目の敵にしている…とのことでしたが(自分でも平均よりはそうだと思ってます)、
回答者さんも女性を目の敵にされてるようですね;
「セクハラではない」とのこと、むしろ男性は努力させられているような捉え方のようですが、私はやはり、今のところいただいた意見では「なるほど、セクハラではないんだな」と思えるには至っておりません。

お礼日時:2018/01/22 17:56

>実際に下劣な目で見られることがあまりにも多かったからこそ廃止になったのだと認識しています



そもそも下劣な目があるからセクハラという考え方自体が問題です。

ブルマーに関しては#4が回答しているように元々は「女性解放のシンボル」でした。また日本の体操服にブルマーが取り入れられた経緯も、メキシコオリンピックで「東洋の魔女」の活躍があったからです。
ですので、むしろ当時は「女子の憧れ」としてブルマーが採用された、と言う事実があります。

また「スカートの足の露出」も同じ「女性解放のシンボル」です。今の女性の制服のスタイル、特に足の露出に関しては「シャネルスーツ」がそのお手本になっています。

シャネルスーツは1916年に発表されましたが、この服は当時の「女性の服」と言う概念を打ち破る画期的なモノでした。このスーツが画期的だったのは
・コルセットを使用せずに女性らしいラインを作ったこと
・それでいて仕事をしやすいデザインだったこと
・それまで女性が足を見せることはタブーだったのに、仕事のしやすさを優先して短い丈にしたこと
です。

このスーツ、当時の男性達は「足を見せるなんて、なんて恥ずかしい服なんだ」と言ったのですよ。

ちなみに、この「足を出すのが女性解放のシンボル」という意識は、1970年代のウーマンリブ運動の最盛期までつながり、70年代ファッションの特徴であるミニスカートで足を出せる限界に行きついています。

つまり「足を露出する」というのはむしろ「女性解放のシンボル」であり、男性たちは露出することに反対していたのです。
それを時代が変わったから「実際に下劣な目で見られることがあまりにも多かったからこそ廃止になったのだ」というのは、実にご都合主義だと思います。

そして「制服」についても以下の事実があります。

まず仕事の制服についていえば「バブル期の男女効用機会均等法時代、女性の制服を廃止しようとする動きがあり、それに強力に反対したのは女性たち」ということです。

言わずもがなですが、男性の服装は作業着を支給されていない会社の場合、自前です。女性の社会進出に合わせて総合職を増やし、総合職と事務職の格差をなくすために制服を廃止しようとしたのですが、多くの事務職の女性たちは制服廃止に反対しました。

曰く「毎日着ていく服を考えるのは大変だしコストがかかる」「私服で仕事をして汚れるのがいやだ」ということです。

ですから質問者様のいう「スカートを強要することはセクハラではないのか」と言う点についていえば「そもそも制服をやめて、私服で仕事をすればスカートを履きたい人ははけるし、嫌な人は避けられる」という点が抜けているといえます。現在は制服のコストに耐えきれなくなってやめる会社も増えてきています。

何度も書きますが「制服を要求していたのは女性の側」なのです。(男女ともに、本当に汚れる作業をする作業員は制服が支給されるのは別の内容ですし、そういうものはズボンですね)

スカートじゃなくてズボンを要求するというのなら、そもそも私服にすればいいのです。世界の事務職で制服をきているのなんて日本ぐらい、銀行などだって私服で仕事をしても何も問題ありません。

次に学校の制服についてです。

学校の制服には大きな転換点があります。それはバブル期のSI(スクールアイデンティティ)が流行った時期です。
この時、品川にある女子高と渋谷にある女子高が大胆な制服変更を行いました。今の学生服につながる「ブレザー・チェックスカート」です。

これによりこの二つの学校は、爆発的に出願者を増やし、この成功をみた各地の学校(特に女子高)は制服を今の形に改めていきました。

つまり今のような制服を望んでいるのは「女子」であり、逆をいえば学校はそのニーズを組んでスカートにしているだけ、とも言えます。事実スラックスを選べる学校もありますが(都立なら3割程度)、そのような学校でスラックスを選ぶ女子は少なく、圧倒的にスカートが人気です。
参考:http://news.livedoor.com/article/detail/6496759/

女性たちが好んで選択しているものを「下劣な目で見るからセクハラ」というのはいただけません。

ブルマーに関しては、たしかに「下劣な目」であるブルセラショップなどが出現し、問題視されるようになったから廃止になった、と言う経緯があります。そのような社会的な変化に対しては「女性解放のシンボル」といえども対応せざるを得ないのは分かります。

ただ、これも「男性が求めたから」というより「売春までいかなくてもその程度で小遣いを稼げることを知った女子たちが積極的に売った」と言う事実も考慮する必要があるでしょう。

野田聖子議員は「売買春に関して買う方が悪い」という論評をしましたが、これには納得いきません。なぜなら大麻やコピー商品などは「買う方も悪いが売る方がもっと悪い」というのが常識だからです。女子がやることだけ「買う男性が悪い」というのはむしろ男女平等に悪影響を及ぼす概念でしょう。

つまり質問者様の「下劣な目があるから」というのも、男性だけを目の敵にしている点で問題であるといえます。
上記に書いたように、女性の制服は「そもそも女性たちが望んで選択し、のちに問題点が出現したとしてもその責任は女性たち自身にある」のです。

ですから、制服のスカートはセクハラではありません。
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この回答へのお礼

具体的なお話、ありがとうございます。

・短いスカートの起こりについて
勉強になりました。確かに、「隠せ」という強制により不自由を得ていた人たちが、「私たちには(ある程度)露出しても侵害されない権利がある」と胸を張ったことは素晴らしいことだと思います。当時の風潮からすると歓迎されるのは当然で、私もその時代に生きていたら賛同すると思います。
しかし、問題は「短いスカートを着ること」ではなく、「それを強制されること」です。
望んで着る分には全く問題ないと考えています。

・制服について
「女性がそれを望んだ」と言うと、まるでそのとき声を上げた一部の女性が全女性の意見のように見えてしまいますが、「それを望む女性もいる」というだけかと思います。
この制服を着たい!と進学するのは悪いことではありませんが、「この学校に進学したい」と思っていたのに、脚の露出を強要される屈辱と学媚態気持ちを天秤にかけざるを得ない…となる方もいるわけです(無意識下の「今までもこうだったから当たり前」がない場合)。
「世界の事務職で制服をきているのなんて日本ぐらい、銀行などだって私服で仕事をしても何も問題ありません」とおっしゃる通りだと思います。
繰り返しますが強制することが悪いのであって、スカートそのものを悪いと思っているわけではありません。

・性的な売買について
売っている側が判断のつかない未成年である以上、それを止めるのは大人の義務であり、大人が売っている大麻やコピー商品とは違うと思います(成人した方が下着を売るなら別)。

お礼日時:2018/01/22 14:15

スカートにしてもズボンにしても日本の文化ではなく海外からの頂き物であります、ブルマにしろタイツにしろ同じ事ですね。


海外では昔からその姿でありセクハラだ何って言ったら笑われてしまいますよ、セクハラが後から来た文化であり異常なほどです。
パワハラ、モラハラ、マタハラなど幾らでも作れます、男が女の子に声をかけただけでもセクハラですからカップルが出来るのは関係ないと声をかけるエロ親父の天下です。
結婚もそのうち見合いが前提になるでしょうね、今でさえ出会い系サイトが大流行ですから。

因みに制服などは何パターンの中から選べるように、自由というものが有れば良いだけです。
しかし学校と言うところは規則で縛りたがります、特に私立などは制服に煩いですね。
公立だと私服でいい学校が東京ではかなりありますけど、学生っぽくないですね。
繁華街に直ぐ出て行ってしまいがちです、それを制服で縛っているって事ですか。
見回りも自分の学校の制服はすぐに分かりますからね。
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この回答へのお礼

ごめんなさい、こちらの文章の意図が分かりませんでした。
「男が女の子に声をかけただけでもセクハラですからカップルが出来るのは関係ないと声をかけるエロ親父の天下です。」
そのようなエロ親父を罰するためにできたのがセクハラ(確かに私もなんでも○○ハラというのは嫌いですが、「良識から大きく逸脱しているが犯罪にはギリギリでならないゾーン」を示す言葉を他に存じませんでした)であって、エロ親父の天下とどう繋がるのか分かりませんでした;

選択の自由があれば問題ないですよね。

お礼日時:2018/01/22 14:19

質問者さんがいみじくも書かれているように、今は当たり前に感じている、そしてそれは多くの人が先入観なく感じているので、質問へのお答えはセクハラには該当しないでしょう。



時代とともに考え方、常識は変わります。
今はスカートは女性の普通の装い、恰好であって、それをおかしいとか不必要に露出させる服装だとは多くの人は思っていないということです。
そういう意味では質問自体が矛盾した書き方をしています。
進学や就職の選択肢は減るとお書きになっていますが、完全にその自由を奪っているわけではありません。裁判所の判決のように書けば、選択の自由が奪われたとまでは言えないし、スカートを征服とすることが受忍限度を超えているとは言えない、ということですし、多くの人はそう思っているわけです。
ある会社に入りたい、でも給料が安い、それは健全な生活権を侵害するものだ、だからそこには就職できないと言っているのと同じです。
それぞれの会社にルールがあり、そのルールは社会的に認知を得ているということです。
ですから、必要を超えた露出、以前どこかの航空会社でミニスカートを制服にして話題というか物議を醸したことがありましたが、ああいう状態はセクハラと感じる人は少なくないでしょう。
女子高生の制服はスカートが少し短いものが多いようには思いますが、あれは当の自身たちがかわいいと言っているようで、むしろ受験者集めには寄与しているようで、つまり見方を変えると受け入れられているといえるわけです。
同様の視点では、ナース服が透けているのを防止したら反対されたというのは機能や必要性からみると反対する理由は全くなく、それこそ性的な興味以外の何物でもないでしょう。
この問題と制服にスカートはおかしいという議論は同列ではないと思います。
警察官にしても自衛官にしても、あるいはズボンを選択できる会社でも正装はスカートというところは多いと思いますよ。
全世界レベルで見てもスカートがおかしいとは思われていないわけで、冒頭に書きましたように、多くの人が今は当たり前に感じていて、先入観もなくそれを受け入れているわけです。
スカートは男も昔ははいていたわけで、今でもスコットランドのバグパイプ演奏者ははきますが、一般の男は、おかしいと思うからはかないわけです。

ですから何年先になるかわかりませんが、スカートがおかしいと多くの人が感じるようになったらそれを強要するような会社はおかしいと言われるのでしょう。
最後に、なんでもセクハラといいますが、ハラスメントという英語を使うから何でもそういいたくなるように思います。もともとセクハラは性的嫌がらせ、つまりハラスメントは嫌がらせです。
スカート着用を制服とするのが果たして嫌がらせでしょうか。

異常回答しましたが、私はだからスカート一択で良いとは思いません。セクハラには該当しないと思いますが社員が気持ちよく働く、機能性の点でも選択制を採用することが企業の姿勢だとは思います。
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この回答へのお礼

なるほど、選択肢が完全にゼロにならない限り選択の自由が奪われたとまでは言えないのですね。
幸い、就職に関しては体感で半数程度がオフィスカジュアルまたは上着だけの制服になっているようなので確かにそうかもしれません。ですが学校は…ゼロではないけど、ほとんど…

あとはおおむね、乱暴に言えば「多数決でこうなっているのだから我慢しろ」ということですかね。民主主義とはそうゆうものなので、ある意味心理だと思います。
私はスカートを強制するのは性的嫌がらせ(及びその発生源)だと思いますが、確かにそれは現代において少数派なので、オフィスカジュアルの会社から仕事を選べば良い、もしやりたい仕事がスカート制服なら屈辱に耐えるか希望の仕事を諦めるかしかないのが現状です。実際スカート制服を避けて就活すると選択肢ががくんと半減します。
高校生のときは、まだこうした知識がなく、無頓着なままで良かったです。高校生の時に嫌がらせを受けたことはありましたが、もし「誰もが不当に侵害されない権利がある」という知識があったら、どんなに屈辱だったか…

お礼日時:2018/01/22 14:28

体操という授業そのものに意味ないのでやめるべきです。


そもそも運動なんて、強制すべきことじゃないですし、やりたい人が自由になるべきです。

日本は憲法で武力は持たないと決めてるのに、文武両道を教えるのは矛盾していますから。
スポーツなんてやめるべきでしょう。

通学そのものが男女差別や制服の強要などというクレームに発展するので、在宅でタブレットやスマホで自由に授業を受けれるシステムにすべきですね。

他人と関わることがセクハラにつながりますから。
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この回答へのお礼

程度問題だと思いますが、極論ではおっしゃる通りだと思います。
一部北欧では、実際にタブレット学習を行い、学習に関係ないのに髪の色や服装などどうして強制するの?というところもあるそうです。
晒しもの状態なのは別として、スポーツは身体造りのやり方を教えるものとして、将来使うかどうかわからない科目も教えるのと同じように必要だとは思いますが…

お礼日時:2018/01/22 14:32

まあ、好奇の目やそれを魅力的だと思い「下世話な」言い方で言うと性的な目で見られる


事をすべて「下劣」であるとして廃止するべきだと思われるのならいいのではないでしょうか。

服飾における「性的魅力」を排除していくと行きつくところは「全身を覆い隠す」ところ辺りに
いきつきそうですが(どこかの国にありますね…だが、それがいい!というニッチな趣味の方もおられますがw)
職業に関わる制服やユニフォームなどは「社則」と同じように「嫌ならそこで働かなければいい」だけのような
気もしますけどね。
この辺を画一的にしていくなら行きつくところは社会全員が人民服や国民服という味気ない社会になってしまう
気がします。

結局はその時の多くの人が「これはいい」と思うか「これはないわ」と思うかだけの話だと思います。
そもそも露出が多くて性的にみられると撤廃すべきで、それを制服などとして強要するのは人権侵害なのですか?

箱根駅伝で走っている学生たちはタンクトップに短パンでブルマ並みに露出度高なわけですが、腐女子が性的に群がれば…
あの格好も性的に下劣な強制によるセクハラになっちゃうんですかねぇ…。

まさかセクハラで罰せられるのは男性だけで女性には適応されないなんていう「性差別」はないですよね?
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この回答へのお礼

逆です。全員を覆い隠すも、法の範囲内で露出するも、どちらも強制されるべきことではないと思います。

駅伝の例ですが(腐女子に限定しているのはよくわかりませんが…腐女子の意味ご存知ですか?この文面だと、女性が、でいいはずなのでその意味で書きます)、
あの服装って強制なのですか?知識がなくすみません。
本人が選択していることなら問題はないと思います。
希望してもしなくても機能上やむを得ないのなら、それに下劣な視線を送る(少なくともそれを、一定割合の男性のように堂々と口にしたり、露骨な表情を浮かべたりするなど本人から見て分かるようなことをする)ことは恥であり、そういった方なら女性であっても批難されるべきだと思います。

お礼日時:2018/01/22 14:39

協調性ないように思えますよ。

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この回答へのお礼

正しいかどうかの判断もなく、人を押さえつけたいがための同調圧力は害悪でしかありません。あなたのような方が大勢のさばっている社会では澱んでいく一方です。

お礼日時:2018/01/22 14:41

えっと、国際的にも法的にも「人権」にセクハラ項目はとりあえず無いですw


男子生徒にズボン強要もセクハラで人権侵害だと思われますか?

あとブルマ自体が女性権利向上運動を先導していたアメリア・ジェンクス・ブルーマー女史が
女性解放運動家エリザベス・スミス・ミラー女史がそれまでの拘束的な服装から女性を解放するべく
考案したものを紹介し、それまで女性が運動を行うための服装が無かったために採用されたという経緯が
あるわけですが、下劣なスケベおやじの劣情の対象で女性に対する人権侵害といわれたら、両女史は浮かばれない
でしょうね…
まあ、女性特有のファッションを「性差別」といって蔑んでいけば、いずれ女性の服飾は「男性と同じもの」しか
認められないようになっていくのでしょうね。
それは女性独自の文化を滅ぼす「逆差別」のような気もしますが。
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この回答へのお礼

いえ、強要する(必要のない部分まで露出しないと進学や就職ができない)ことを批難しているだけで、ファッションとして本人が望んでしているのなら批難する謂れはないと思います。ファッションについては今回言及していません。

ズボンは機能上それより優れている形状がなく、また不必要な露出などがないため現時点では人権侵害には当たらないと思います。
もし、今後ズボンより機能性の優れた形状の服が普及した場合、それにもかかわらず男性にズボンを強要するなら、その時はじめて人権侵害になると考えます。
機能面については、ではスーツ強要はダメか、ジャージ可にすべきかといった極論を出す方もいるでしょうが、程度問題ですし話が入れ替わってしまうのでもしそう思うのならそれはそれで議論してほしいと思います。
ブルマに関しても同様です。拘束から解放した時点では良かったのかもしれませんが(採用された当初もズボンがあったなら、男性と同じようにズボンを着用すればよかった話ですが、まだそこまで意識が及んでなかったのでショウからやむを得ないと思います)、ブルマが廃止になった頃には既にズボンがあり、実際に下劣な目で見られることがあまりにも多かったからこそ廃止になったのだと認識しています。
同じように、スカートの強要も廃止されるべき段階にきていると思います。

お礼日時:2018/01/21 00:38

そうですね。

女性警官のように制服はツータイプ選べるべきですね。
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この回答へのお礼

警察は機動性の観点から対応が早かったんですかね。お仕事内容を考えればスカートだったときがあることの方がびっくりですが、女性はそもそも裏方仕事しかしない(犯人を追いかけたりしない)前提だったんでしょうね。

お礼日時:2018/01/21 00:29

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