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後韓王朝が成立すると、倭の中の一国の王が使者を送り光武帝から印綬を授けられた


この王は倭国王師升という人物で生口160人を献じた

この下の文の誤り部分はどこですか?

質問者からの補足コメント

  • 修正

    "後漢"です。

      補足日時:2018/02/04 15:23

A 回答 (1件)

後漢書 東夷伝にある記述は2つ。



建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫
倭國之極南界也 光武賜以印綬

(建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。
 使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。
 光武賜うに印綬を以てす)



安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見

(安帝、永初元年 倭国王帥升等、生口160人を献じ、
 請見を願う)



前文の建武中元二年は57年、後文の永初元年は107年です。
光武帝から印綬を賜った王と倭国王帥升は時代が違います。
光武帝は57年に死去したとされていて、
後文にある安帝は後漢の第6代皇帝になります。
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