激凹みから立ち直る方法

という表題で、現代社会についてレポートを書きたいと思っています。
どこかにヒントがありませんか?
おすすめサイト、みなさまのご意見等々、教えてください。

A 回答 (4件)

レース社会とゲーム社会というキーワードで現代社会の何を語るのかその主軸(経済、生活など)が存在していないように感じます。


現代社会のレース(競争)社会と呼ばれる側面、ゲーム社会と呼ばれる側面を浮き彫りにしていくことは可能かと思いますが、何らかの主軸で限定していかないと範囲が広すぎるため、調べるのもまとめるのも苦労すると思います。
レース(競争)もゲーム(遊び)もホイジンガ及びカイヨウによるものが古典的研究とされており、それらに関わる文献を読んで、あてはめながら考えるのが手っ取り早いでしょう。下ででているルールの関係性も既にいくつかの類型に分類されています。
とりあえず社会学的な入り口として「社会学がわかる事典」日本実業出版社の解説がもっとも簡易で読みやすいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ご推薦の書籍を注文しました。
主軸は経済です。経済というか金融というか、そのあたりです。

お礼日時:2004/10/15 18:42

>主軸は経済です。

経済というか金融というか、そのあたりです。

私だと投げ出しそうです。調べるべき文献が多すぎますし、経済でもどこに主眼を置くかでまったく異なった結果がでるでしょう。多分キーワードてしては、
・国際間競争におけるグローバリゼーション
・情報・物の交換価値から入る側面
・雇用と人間同士の交流関係
・自動虐待における世帯収入と社会的階層

など扱うべきテーマが雑多にでてくると思います。
例えばデジタルディバイドも貧困が裏にあるんです
どういうことかというと、極端にいうとこれは少し古いテキストになりすが、「メディアリテラシー」として図書館に結構な本があるはずです。(しかし内容は稚拙なものも多いです)
そして私がずっといらべているんですが、欧米にはラダイドというPCを必要最小限でしか使わないことをポリシーとする人たちもいたりします。(多分日本にこの語が上陸したのはYouGotMailが始めてと思います)
が、これは情報を入手にできる人間とできない人間の社会的構造を生み出す原因となっています。
電車鳩を使って下株で大儲けしたというイギリスの事例が有名ですが、もはやどの学問も情報とすでに切ってきれない関係になあります。特に今後は制約、医療なとが恐らく激変する可能性もあります。
これがもう一歩進むとハイデガーのいうように「事実とは総体である」という結論に達するかとに思います。恐らく統べてが情報が軸になっているで(経済なら株価ですか)

例えば経済におけるレース社会=自由資本主義経済にいたってはM・ヴェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義利倫理」を絶対に読まなくてはいけません。 しかしこれもあまり平易に読める文章ではないのでつきなり読み出すのは辛いかも知れません。(後書きにまとめがありますでそちらから読んで下さい)
ヴェーバーは会社としてのシステムとして合理的にすりるためにいずれ官僚制についてシフトするとも言及していますが、90年代の利エンジニアリング運動によって官僚制からフラットな会社組織を作る方向に進んできているが多いケースです。得に大阪の礦業生産地区はかなり活溌なようです。
そしてレース社会での目的の達成が困難であるという状況から人間がどうふるまうかについては、デュルケームの「自殺論」に身を通しておくべきです。
しかし先進国(アメリカなど)にとっては自殺に走るようりも、睡眠障害、ストレス、鬱病などが釈迦的な問題になっています。経済をおうならばミクロもマクロも負わなくてはいけません。
内容的には面白いですが、不明的があれば別だてで個別に質問される方がよいかと思います。
ここでもそういうニッチなところだと私を容易に出し抜く回答が決行で出てきます。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。注文した本が、2週間ほどかかりました(@あまぞん)

まだ、ざっと目を通しただけですが、確かに扱う範囲が広いですね。
「デジタルディバイドと貧困」は、少しふれてみたいと思っていました。「ラダイド」という人々も面白そうですね。

「プロテスタンティズムと資本主義利倫理」ですね?
機会があれば読んでみたいと思いますが、重そうですね。

「レース社会での目的の達成が困難であるという状況から人間がどうふるまうか」 ビンゴ!です。
それが書きたかったことです。デュルケームの「自殺論」読ませていただきます。

大変多くの示唆を与えていただきまして、ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/04 01:08

「レース社会とゲーム社会」と読んで私がすぐに思いついたのは、


レースとは、各自がそれぞれ独力で実力を発揮し、明確に測定できる結果で競争(競走)して1位から100位まで順位がつく。
ゲームとは、実力勝負のところもあるのだけれど、例えば2位と3位が結託して1位を引きずり下ろす、ような「戦略」が要求される。
といったものでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど、レースは結果と順位がはっきりしていますね。
2位と3位が協力するレースって無いでしょうね。
トランプゲームとか、ネットゲームとか、協力関係ってありますね。

お礼日時:2004/10/12 19:03

レース社会とは「予め競争を宣言して、競争の結果を次の地位や報酬に反映させると確約されてる社会」で、ゲーム社会とは「ゲームの結果に関わらず、ゲームの主催者の意図に沿わない結果がでた場合はチャラに(ゲーム自体をしなこっとに)する無責任にな世界でしょうか。


レースはルールと結果が全てですが、ゲームはルール自体がプレイの中で変化するものと感じてしまいます。
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この回答へのお礼

なるほど。いいですね。
「確約されている社会」というのがいいですね。確約されなくなってますからね。

ゲームの主催者がいない場合とか、意図がない場合はどうでしょうか。場所だけ用意されていて、参加者がすべての意志であるとか。

レースはむしろ、ルール無用という気もしています。勝てば勝者というだけ。

「ゲームはルールがプレイの中で変化する」というのは、新鮮です。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/11 01:35

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