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江戸幕府になり、大名も移動となる場合もありました
連れていかれなかった、残る選択をした家臣は郷士になった人もいて農業をしたと記録もあります
例えば江戸になり天領となった土地で、自宅の土地、農地をその郷士たちは幕府、農民から、いい場所(土地)を買ったのですか?
戦国時代の家臣の土地は借りてるだけと聞いたことありますし
いろいろ昔のことを読んでますが、そこの部分が書いてないんですよね

A 回答 (1件)

えっと逆ですね。



なぜ郷士身分の人たちが、大名の国替えについていかないというか、置き去りにされたかというと「郷士はその場所に土地を持っていたから」です。

日本の統治方法が他国と違う最大の特徴は「幕府も大名も統治権として持っているのは収税権だけ」ということです。もちろん警察権などは別にありますが、土地に関しては収税権しかなかったのです。ですから、すべての土地は先祖代々耕してきた農民の私有地なのです。

で、私有地を有する人々の中にも大きな地域をもっていたり、近隣の世話役などをしている人々がいました。これらの人々は戦争が起きた時に自分の土地と近隣の安全確保のために、その時の領主の求めに応じて下級武士として出兵したのです。

ですから郷士というのは元々土着の人々であって、だから大名が国を変わっても一緒に移動することはなかったのです。

もちろん郷士の中にも元々からその土地に住んでいたわけではなく、戦国時代に領主が戦争に負けて浪人になり、帰農した人々などもいました。そういう人はたしかに土地を買ったり、なにもない場所を開墾して土地所有したりして農民に帰ったわけです。

逆に大名に取り立てられている士分の人々は俸禄によって生活しており、原則として土地を持つことは有りませんでした。だから、大名が国替えで移動したらそれについて新しい土地で生活できたわけです。

国替えで大名が住むのは城か陣屋、これはどの大名が建てても国替えがあれば指定した場所に住みます。城の城下町には必ず武士(役人)用の官舎や老中たちの屋敷があり、これも国替えするとそのまま利用しています(土地はそのまま、家は建て替える場合もあった)、ただ所帯が大きな大名がやってくると家来も多いので、それでは足りなくなり、その場合は住宅地になる土地を金銭で買って屋敷や官舎を作っていたようです。

郷士についてはたとえば土佐藩は山内家と一緒にやってきた家臣を上士、在郷の半士半農の人を郷士として身分を分けました。上士は馬に乗れましたが、郷士は上士に対して礼をする必要があり、その差は大きかったといわれています。
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この回答へのお礼

詳しく説明下さり、ありがとうございます

お礼日時:2018/05/25 19:49

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