アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

倭人伝に出てくる日本人は竪穴式住居に住んでいたのですか?

A 回答 (4件)

住居について正確な描写があるわけではありません。


しかし、当時の考古学的な調査によると、支配者層は別として一般家庭は竪穴式住居に居住していたと考えられています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2018/06/10 08:15

一般庶民の住居は平安時代までは”竪穴式住居”だったそうです。


そのころから徐々に減っていったそうですが、
江戸時代の島原でも使われていたことが確認されています。
https://hobbytimes.jp/article/20160604c.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうだったのですね。
情報有難うございました。

お礼日時:2018/06/10 08:14

“竪穴式住居”のイメージがどんなものか、そこも問題でしょう。



魏志倭人伝には、次のように書いてあるそうです。

皆徒跣 有屋室 父母兄弟卧息異處 
皆、徒跣。屋室有り。父母、兄弟は異所に臥息す。
みな裸足である。屋根、部屋がある。父母と兄弟(男子)は別の場所で寝たり休んだりする。

弥生時代の住居は、“竪穴式住居”の場合、地面から下に深さ1.5m~1.8m近く掘って、その穴を掘った土面を壁にして、屋根を作っている、半地下の住宅だったようです。そして、上から見た場合の平面図でも、丸いのと四角いのと2種類があったようです。 どちらに形であるにしろ、内部は、部屋を分けていたようです。

家の中の使い分けいま、一部屋だけの家に住んでいると、あるときは食事をし、あるときは客を迎え、あるときは蒲団を敷くというように、一室万能の使い方をする。いくつかの部屋があれば、玄関・台所・応接間・食堂・居間等々に家の中を使い分ける。
弥生時代の家は竪穴式住居で、上から見ると丸い家と四角い家とがある。出入口は一つで窓はなく、屋根は地面についている。つまり屋根だけの建物で、屋内には柱が普通四.六本立っている。ときには、いまの家と同じように壁(板壁・草壁)をつくり、床を高くした建物(高床住居)もあるが、数は少い。
弥生時代の住居はワンルームで、仕切りも何もない、と思っている人が多いが、じっはそうではない。
主柱(直接屋根を支える柱)で囲まれた部分の中央に炉をつくって土間とし、主柱と壁の間を物置や寝所とする。竪穴式住居の中で実際に生活していた面をみつける作業をしていると、床面の硬い区域と軟かい区域に気づくことが多い。硬床区域がよく踏みしめられた土間であり、軟床区域が土間以外の区域である。硬床区域は主柱間に多く、軟床区域は主柱と壁間に多い。硬床区域が幅一瞬余りで壁の方に延びている部分は、出入口であろう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

貴重な情報をありがとう御座いました。

お礼日時:2018/06/10 08:13

魏志倭人伝は、倭国の弥生時代を紹介しています。


弥生時代の遺跡を見てみます。一例で
吉野ヶ里遺跡などの環濠集落
http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=16
北内郭や南内郭と違い、この区域を囲むような壕などの特別な施設がないこと、竪穴住居3~4棟に対し共同の高床倉庫1棟が付くという、

環濠の内部
南内郭 ~王や支配者層が住んでいた場所~ でも
http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=28
こんな感じです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しく教えて頂き有難う御座いました。

お礼日時:2018/06/10 08:12

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!