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新石器人は縄文人につながっている、とお考えですか?

A 回答 (2件)

新石器人


https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT …
中国南部から東南アジア地域の人類集団は、更新世後期のスンダランドに由来したとみなされているオーストラロ・メラネシア系集団が、完新世初頭まで東南アジア一帯に広く居住し、現代東南アジア人の多くは新石器時代以降に稲作農耕にともなって中国から南下した北方アジア系集団との混血ないし置換により成立した、とするいわゆる「新石器時代北方アジア系集団移住説」が提唱されている。移住混血説の妥当性を人類学の立場から検証するには、この地域の新石器時代を中心として、その前後の時代をとおしたヒト集団の形質的・遺伝的変遷と生業環境の変化を明らかにすることが肝要である。本研究では、この地域において、研究の要となる新たな先史時代の古人骨資料や考古資料を発掘調査により収集し、形態、遺伝、考古の分野から、上記の「移住説」の総合的な検証をおこなった。本年度は、平成15年度のベトナム北部のホアビン文化期のHang Cho洞穴の発掘調査、ならびに平成16年度のニンビン省の新石器時代Man Bac遺跡の発掘調査によって出土した人骨と動物骨、士器などの文化遺物の整理と分析研究をおこなった。前者の遺跡から出土した人骨のAMS年代測定結果は10,450年前を示した。後者は3500年前ほどの青銅器時代への移行直前の遺跡であり31体の人骨が出土している。両遺跡の集団には形態的に大きな断絶がみられ、Han Cho遺跡の人骨にはオーストラロメラネシア系集団と類似し、Man Bac遺跡の集団は計測値からも頭骨形態小変異からも揚子江流域の前漢集団や日本の弥生人との類似性も示された。また後者の人骨から得たミトコンドリアDNAからは、現代ベトナム人との結びつきが示唆された。これらの種々分析結果は、「移住説」を強く支持するものであった。

縄文人
https://toyokeizai.net/articles/-/741996?page=5
縄文人ですが、ミトコンドリアDNAの系統では、明瞭な東西の地域差が認められています。旧石器時代の日本列島には、進入ルートが異なるさまざまな集団が入ってきたと考えられます。
さまざまな地域から入ってきた集団
縄文人のミトコンドリアDNAの代表的なハプログループは、M7aとN9bです。西日本から琉球列島に多くなるM7aは、おそらく中国大陸の南部沿岸地域から西日本に進入したとされています。
一方、東日本から北海道の地域で多数を占めるN9bは、九州にも特殊なN9b系統が存在。そのため、N9b系統の祖先は朝鮮半島から沿海州の広い地域に散在し、それぞれ北海道経由のルートと、朝鮮半島経由のルートで日本列島に到達したと考えられます。
現代日本人に占めるそれぞれの割合は、M7aが約7.7%でN9bが約2.1%。この割合は、その後の弥生人との混合の状況に関連があると考えられます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<ミトコンドリアDNAの系統では、明瞭な東西の地域差が認められています。>ですね。
南はM7a、北はN9bですね。これが意味することは、縄文人は、新石器人に由来すると考えるより、進入ルートが異なる、新たなさまざまな集団が入ってきたことによる、と考えられるのですね。

お礼日時:2024/04/29 14:25

> これが意味することは、縄文人は、新石器人に由来すると考えるより、進入ルートが異なる、新たなさまざまな集団が入ってきたことによる、と考えられるのですね。



「これが意味すること」は、「ミトコンドリアDNAの系統では、明瞭な東西の地域差が認められ、南はM7a、北はN9bです」を示すのであれば、「縄文人の列島への進入ルートが異なる、日本列島には新たなさまざまな集団が入ってきたことにより、縄文人のミトコンドリアDNAも多様である」となるでしょう。列島に新石器集団がいて、「地理的隔絶で縄文人のミトコンドリアDNAに東西の大きな差が生じた」というよりは可能性が高いでしょう。

新石器人と弥生人との関係も考慮が必要でしょう。
国立歴史民俗博物館研究報告2023年9月の中で、次のように書かれています。
https://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&rct …
渡来系弥生人に類似する核ゲノムをもつ人びとは,
弥生早期以降に出現すると考えるのがA説,
縄文時代にもいたと考えるのがB説である。
現在までに縄文人の核ゲノム分析は150体ほど行われているが,渡来系弥生人に類似する核ゲノムをもつ人は見つかっていないので基本は A説である。
ただ,以前より福岡県芦屋町山鹿遺跡で見つかっている長頭の人びとのような,渡来系弥生人に類似する形質をもつ人びとの存在は縄文時代にも想定されてきたし,ヤポネシアゲノムプロジェクトでも倉敷市中津貝塚から見つかった縄文後期末~晩期初頭の人骨には,渡来系弥生人の特徴の一つであるシャベル状切歯がみられたので,現段階では渡来系弥生人に類似する核ゲノムをもつ人が縄文時代に存在した可能性を完全に否定することはできない。
韓半島南部には縄文前期に併行する時期から,渡来系弥生人に類似する核ゲノムを持つ韓半島系新石器時代人(獐項)が存在しているのであるから,こうした人びとが将来にわたって九州西北部で見つかる可能性が 0 とはいえないだろうが,大量に見つかることも考えにくい。
B説は理論的な可能性に過ぎない
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
現実的な推論は、下図でしょう。
「新石器人は縄文人につながっている、とお考」の回答画像2
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。ます。
ミトコンドリは、南はM7a、北はN9bですね。分かり易いのは、南から、北から、別な縄文人が列島へ侵入してきた、ですね。
そして、朝鮮半島にも、日本列島にも、前10世紀ころ(水田稲作が伝来してきたころ)、朝鮮系・日本系縄文人も・朝鮮系・日本系弥生人もいた(混在していた)のですね。時代や地域によってすっぱり(単純に)割り切ることができなかったようですね。

お礼日時:2024/04/30 18:25

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