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縄文時代一万年前ころ、弓矢の製作使用が始まったと書物に記載されていますが、この弓矢の製作使用は我が国独自で発明されたものなのでしょうか?
それとも大陸などから伝播してきたものなのでしょうか?
もし、独自ならば、狩猟道具、武器などとして、どこの民族、種族も発明する「歴史の必然」があったのでしょうか? なんとなく素朴な疑問として・・・・どなたかご教示ください。

A 回答 (3件)

確かに、弓矢は縄文以前から使われていたと言われています。


しかし、鏃しか残っていないのでその起源や性能はNo.2の方が言われるように
今後とも謎で有り続けるでしょう。

縄文時代では弓矢は森の小動物を狩る狩猟の為の道具であり、No.1の回答に
有るように戦争の道具では無かった事は大きなヒントかも知れません。
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/tyouki_kika …

日本列島に移ってきた古代人が、大きな動物は少なく、小動物が多いこの島の
森で狩をするには弓矢は有用な道具だったと思います。
これは、縄文時代の石鏃が弥生時代の石鏃よりも小さく、同じ弓矢に違う鏃を
取付けた再現実験では、命中精度が弥生時代の弓矢より高かった、と言うことからも
縄文時代に弓矢は小動物を狩る狩猟用具として完成されていたと推測されます。
これに対して、集落間で争いの有った弥生時代の鏃は、命中精度は劣るものの
殺傷能力(的の板を貫通または割る力)は高かったという、使用目的の違いを示す
結果が出ています。

縄文人が、日本列島に彼らの文化を持ち先に住み着いて居た。
弥生人は、彼らの文化を携え先住民の居る島に移住してきた。
これから想像を逞しくすると、縄文人は弓矢を彼らの小動物の狩猟用という
完成形まで発展させた。
これに対し、弥生人は狩猟用を経て対人兵器に発展させたと言えます。
弓矢のルーツが同一かは判りませんが、完成形は違っているのは明らかです。

ただ、縄文や弥生人とは時間も空間も離れたニューギニア等では今でも
原始的な弓矢を使う孤立した部族が居ます。鏃も無いような、竹の矢もまだ
使われています。
つまり、遅い早いの差は有れ、動物を狩るという共通の目的からどの種族部族でも、
どこに住んで居ようが石に代わる飛び道具として考案されたのではないかと
推測されます。

ただその先の弓の発展は民族や地域によって様々です。
興味が有るのは、例えば日本の弓の上が長い非対称な形状です。
戦後まもなく「騎馬民族征服論」が話題に成りました。皇室の祖先は北方系の
騎馬民族で日本列島に移り短期間に征服したという説です。
騎馬民族では行われている馬の去勢が日本では行われていない、
騎乗で射るに有利な短弓が定着しなかった、等からほぼ否定されています。
西洋では上下対称な短弓は、より強力なクロスボウに進化しています。
日本では上下非対称で長く扱いにくい今の形で定着しています。

二週間程TVのナショナルジオグラフィックのTV番組を見ていたら、日本の弓
に付いての謎が解けました。日本の弓は同じ時代の西洋の弓よりも鎧に対する
貫通力が高いのです。弓が長いために矢が長く、引きを大きくできることが
その理由のようです。良質な竹が有ったことも今の形状に成った理由の一つでしよう。
つまり、弓の起源は不明でも、発展形態はその土地や周囲の環境、気候風土や敵対
部族の有無、により異なる訳です。

さて起源は?石鏃だけでなく、矢も出土して、年代測定が世界中の鏃で行われ、
同時代性が見られれば独立的発生。系統的なら、何処かで発明され伝播でしょうか。
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何とも言えません。


弓本体が残っている事例は少なく、石器としての「矢じり」が見つかっても「弓の存在が推定される」ということでしかないため、弓としてどう成立したかをさぐるかはむずかしいです。
大陸から伝播した可能性もありますし、構造的に複雑なものではないので自然発生的に発明されたとも言えます。
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専門家ではなく考古学好きです。



最初にことわっておきたいことは、日本だけの話ですが
縄文時代には戦争すなわち人の集団同志の戦いは
殆どなかったということです。
約三千年前の三内丸山遺跡からは、戦争の痕跡は
見付かっていません。   他の縄文遺跡も同様。

人口が少なく衝突するほど近くには、他の集団がなかった、
食糧が割合潤沢で飢饉が少なかったためでしょう。

武器でなく狩猟道具としての弓矢しかなかったのです。
狩猟道具としては先ず、棒投げから先端に石器や骨器を
付けた槍へ自然発生的に進化したでしょう。
弓矢のようなものも自然発生即ち、歴史の必然でしょうが
これは日本全体として見た場合で、地域差は当然あり
他の集団から教わることはあったでしょう。

ただ素朴だった槍や弓、矢の改良については、当時の
先進国であった中国など大陸から伝わったと思います。
五、六千年前既に大陸と行き来があったというので。

大陸ではもう戦争が始まっており、武器の進歩は急速に
進んだ筈です。

金属器への進歩も戦争のお蔭でしょう。
すぐれた武器と金属機器で敵を威圧しました。
悲しいけれどもその後の時代も戦争で技術が進みました。
今は遊びで技術が進み、武器はその技術のお蔭を蒙って
います。   これが続くとよいですね。
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