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5歳になる息子が自閉症です。もう診断を受けてから2年以上経ちますが、いまだに完全には受け入れられておりません。息子の将来を想像すると不安で仕方なく、どうしても前向きな気持ちになれなく毎日がとてもしんどいです。同じようなお子様をお持ちの方は皆様最初は当然落ち込んだりすると思いますが、2年以上もずっと落ち込む方はあまりいないと思いますが、どうやって立ち直れましたか?少しでも立ち直るきっかけになればと思い質問させていただきました。

A 回答 (5件)

次のような説明をされている専門家の方もいらっしゃいます。


『子どもを本当に愛し受けとめる「受容」の時期が自分は遅いのではないかと心配する方もいますが、それには早くても2年ぐらいはかかるものなのです。特に自分と異質のタイ プを受け入れにくい性格の人や障害の問題にいやな思い出を持つ人はもっと遅れて当然ですが、時間をかければ誰でも受容に行き着くものです。』
また次のように振り返っている方もいらっしゃいます。
『この九年間を振り返りますと、心ない言葉を投げ付けられて、傷つけられ落ち込み、怒りがこみ上げたこともありました。でもその反対に、あたたかい励ましの言葉をかけてくださる人や、そっと手を差し伸べて下さった人もいました。』
次のような方もいらっしゃるようです。
『息子が二人とも自閉症です。次男の障害が分かってから落ち込みがひどく、かれこれ1年半落ち込みから立ち直れずにいます。療育は頑張っていますが、ただただ悲しくて。何もせずに休んでみたり、忘れようと夢中になることをさがして取り組んでみたり、イロイロとためしてみましたが、落ち込みから抜け出せないままです。』
『6歳の発達障害の息子を育てていると、ごく当たり前のように「この子が生きづらくないように」と考えている自分がいます。「生きづらさ」という言葉は、発達障害児を育てていると頻繁に見聞きするものではないでしょうか。大人になっても「生きづらさ」を感じている人は沢山います。発達障害でなくても「生きづらさ」を感じている人は沢山います。でもやはり、発達障害の息子を見ていると、私はいつも「この子は生きづらいだろう」と感じてしまうのです。そして、「どうやったらこの子の生きづらさが取り除けるだろう」とそればかり考えています。』
子が中学2年くらいになって、ようやく少し何か明るい気持ちを持てそうなことを経験できた(それまでは、これはどういうことなの?いつになったら成果とか見通しが持てるようになれるかしら?親としては暗澹たる気と不安としんどさ、悲しみ、哀れな気分ばかりだった)ということもあるようです。

ところで、親が不安や落ち込んでいると、子が自閉症的状態になることもあるのだそうです。また、子が我が強いというか、自分勝手で、気まぐれで、かんしゃく持ちだったりするとき、親が、「我が子は発達障害?自閉症?」という目で見たり、なんとか我が子の振る舞いを矯正しようと強く干渉すると、そっちの気が強い子になってしまうこともあるそうです。

大切な我が子のことですから、健常者であって欲しいし、良い子に育って欲しいし、直せることは親としてなんとかするべく細かく気を使ってしまうのでしょう。 それでも、直らない、自閉の二次障害の様相も出て来そうとなれば、親の落ち込みは積み重なり、繰り返されていって、そうそう短期間で落ち込みをなくせるものではないのでしょう。
親御さんご自身が『健常であること、正常であること、みんなと違ってないないこと・良い子であり良い大人になり良い家庭を持つ親になることを、強く希求するような性格タイプ』であって、我が子が自閉症だったり、脳性麻痺やダウン症だったり、生まれつきの大きな障害者だったりすると、2年どころでなくきっともっともっと長い期間落ち込んだり、もっとひどい状態になるのではないでしょうか。

ということは、自分の性格とか、価値観、人生観などをもっと緩やかな寛容なものにするのが良いのだと思います。
突然別の話をしますが、私は、学校を出て就職したときに驚いたことがあります。言葉、方言のようなことです。東京で育ちたまたま大学でも身近な友人は東京育ちだったので、方言はあまり知らなかったのです。ところが、北関東の言葉は微妙におかしいのです(私にとっては)関西人の言葉は違うのを知っていたので、それほど奇異には感じませんでした。東北出身や九州出身者は、基本的に東京弁を使ってくるので奇妙には感じないのです。ほとんど同じハズの北関東の人は自分の言葉で話してくるので、え?と感じることが多かったのです。転勤であちこちに行った人たちは、だいたい数ヶ月~半年で、片言でその地域の言葉を話すようになります。片言で話をする人が周りに大勢いると、言葉に対する寛容さが急速に増します。 わかりにくかったかもしれません。 ほとんど同じ言語の人ばかりの中に、ちょっと違う人がいると、かなり奇妙に感じるのに、だいぶ言語が違っていて片言で話す人が大勢いる環境になってしまうと、もう言語に関する許容度が段違いに大きくなってしまうみたいです。一人だけがちょっと違うと、その違いに強い違和感をもってしまうけれども、たくさんの人がずいぶんとおかしいと、もうおかしさに対する感性が緩やかに変わってしまって、そのようなことに心的な違和感を感じなくなるようです。
話を元に戻すと、自分が実際に知っているのが自分の基準で健常者・正常発達する人ばかりで、我が子一人が限定的な行動・興味・反復行動をし、コミュニケーションがとれないという状態だと、それはつらくてしょうがないことになります。 しかし、仮に10歳未満の子どもというのは半数が限定的な行動・興味・反復行動をし、コミュニケーションがとれないものだという経験を持っていたりすれば、我が子がそういう状態でも親は辛さを感じないものです。つまり、親の実体験の状態次第で、我が子に関する感覚も変わるってことです。 自分の実体験、経験が変わると、自分の性格とか、価値観、人生観、感性、精神的な楽観悲観などの仕方が変わるってことでもあるのです。

療育親の会、自閉症親の会などでも、その会の目的そのものを期待する以外で、実際にいろいろの子どももいるものだということがわかるし、親でも考え方や生き方が結構違うのを直接に見聞きできる場になっているのではないでしょうか。
たくさんの異なるタイプを実際に知ることで、自分の感受性が変わり、事実を事実に即して見ることが可能になり、個々の事実を強く感じて先行き不安に陥るということが減って、現実的な対応が可能になっていく、愛情とサポートを素直にできる状態が回復できるようになるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

たくさんの長文いただきありがとうございます。大変参考になり、これからは自分の価値観を少し変えてみて生きていきたいと思います。

お礼日時:2018/07/02 20:17

支援学校教員です。



ずっと落ち込む方は、余り居ないことはありません。波はありますが、何かにつけて、落ち込んでしまわれる保護者は居ます。

「障害の受容」と言っても、多くの方は、すんなりは受け入れません。当然です。
みなさん、「ショック」「否認」「怒り」「努力」などを経て「受容」になりますが、また「否認」に戻ったりと、らせん階段のように変化されます。受容と言わず「諦め」と言われる保護者も居ます。

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/ld/z …

ここの研究にもあるように「慢性的悲哀」「長期の悲嘆」と成る方も居ます。昔はそれを良しとしない方が多かったようですが、親としては当たり前のことかと。ですので、決して無理をして変わる必要はないかと思います。あなたはあなたとして、お子さんに深い愛情として、不安や嘆きを持たれるのだから、それを良しとしてください。

無理して頑張れば、それは子どもに返ります。頑張らないのも、子どもにとっては「自分は自分のままで、親にとっては良しなんだ」と思える環境に成ります。

私見です。
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うちの息子は自閉スペクトラム症と知的障害です。

4歳の時に診断されました。今は6歳になりました。
初めは受け入れるのが辛かったですが、年中から児童発達支援センターに通ってバス停が同じママさん達が明るくて、今できることをする等色々相談、お互いに情報交換したり、同じ障害児の親なので気持ちもわかってくれて前向きになりました。
今年小学1年で養護学校に通ってます。同じ児童発達支援センターにいた子が多いので心強いです。息子も土日も行きたがる程楽しく通ってます。
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不安は


ありますよね。

受け容れるべき
向き合うべき

とは思っても

受け容れるのは
容易ではないかもしれません

ですが、
何もしていない訳ではありませんよね

ご飯を食べさせ
ここまで育ててこられた

夜、寝かせるのですら
大変だったはずです

毎日、お疲れ様です

落ち込んでいても
悲しくても
お腹は減る

食べる

息子さんにも
食べさせてきた訳ですよね

何かしなければ

前向きにならなければ

と、思わなくても大丈夫です

息子さんが当たり前にできることに、目を向けて見てください

ご飯は一人で
食べられますか?

美味しい時は
嬉しそうにしませんか?

トイレでおしっこはできますか?

例えば、どんなことに
お困りでしょうか。

一つずつできるようになってきたことは、全くゼロですか?

そうではないですよね?

例えば目がなかなか合わない
とか、
多動があるとか、
お話があまり上手じゃないとか、
そういうことはあるかもしれません。

ですが、
周りのお子さんと発達の仕方は、違ってはいても、
全く発達していない、
という訳ではないはずです。

私の娘も、
自閉症スペクトラムの
診断を受けています。

立ち直る、

という感じではないですが、

周りと比べるのを
なるべくやめて、
一歳の頃の娘、
二歳の娘、
三歳の娘、
と、以前の本人の姿を
考えると、以前の本人より
格段に成長しているなぁ、
と、思えます。

本人なりの拘りが強く

苦労することは、
多いかと思います。

ですが、
一般的なアプローチではなく、
本人に届く方法で
根気よくアプローチを
続けると、
変わってきますよ。

本人の困り感に
大人が気付き

適切な方法を一つひとつ
身につけさせていくことは、

社会生活を送らせる
自立させていく上で

必須ではないか、
と、思います。

悲しんでもいいんです。
落ち込んでいてもいいです。

前向きじゃなくても構いません。

本人が
本人らしく

社会の中でも
生きていけるように

どうか
一番の味方であるお母様が

「普通」にはなれなくても
「オリジナルな彼自身」
を、生まれてきてくれて
ありがとう、と、
抱きしめて、
一緒に苦楽を共にしてあげてほしい、と、
切に願います。

貴女様は
頑張ってこられた

誰にもその頑張りを認めてもらえず、
辛かったのではないでしょうか?

大丈夫です。

お腹が減れば食べる

発達や能力に凸凹があっても

生きてるから
生きていく上で必要なスキルを、手間がかかっても
伝えていく、ということ

それは
定型発達だろうと
なかろうと
変わらないのではないでしょうか。

完全な人間などいない

完璧な母親じゃなくていい

だからちょっと子どもが個性的であってもかまわない

少しでもそう思ってもらえれば嬉しいな、
と思います
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自閉症の当事者の作家の方で、中学生の時に自閉症の当事者が



”なぜ跳びはねてしまうのか?”

”なぜ大きな声を出してしまうのか?”などの行動について

自分の言葉で理由を語り、自閉症のお子様をお持ちの親御さんから
”自閉症のわが子の気持ちがやっと理解できた”とベストセラーになった本です。

これから、自閉症のお子様を育てる上で困難に思えることも多いかもしれませんが、
自閉症当事者の東田直樹さんの言葉は示唆に富むものだと思います。

自分もこの本を読むまでは、唯、大声を出したり跳びはねて回っているだけの人という認識でしかなかったのですが、
しっかりと論理的に物事を考えているが、感受性が豊か過ぎたり、出来事を線でとらえるのが苦手で
点として認識してしまっているということを聞き納得しました。

東田さんは周りの人の力を借りながら作家として作品を発表しネット雑誌や雑誌にコラムを持ち仕事をされています。
全員が全員、東田さんのように活動できるわけではないかもしれませんが、
自閉症だからといって、可能性がすべて無くなって何もできない存在になるというわけではなさそうです。

しっかりと自我を持ち才能ある存在です。
お子様が自分の才能を伸ばし周りの人の協力を得ながら成長されると良いですね。

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NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/258682 …

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心
ペーパーバック – 2007/2/28
東田 直樹 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4900851388/

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫) 文庫
– 2016/6/18
東田 直樹 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4044001502

跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること
単行本(ソフトカバー)
– 2014/9/5
東田直樹 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4781612458

内容紹介
大好評につき、14万部突破!

僕は、二十二歳の自閉症者です。人と会話することができません。
僕の口から出る言葉は、奇声や雄叫び、意味のないひとりごとです。
普段しているこだわり行動や跳びはねる姿からは、僕がこんな文章を書くとは、
誰にも想像できないでしょう。――(本文より)

著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』の翻訳書『The Reason I Jump』が、
英米でベストセラー入り! いま、世界が最も注目する日本人作家の最新刊。
人生とは、運命とは、幸せとは。
「生きる」ことの本質を、鋭く、清冽な言葉で考えつくした、驚異のエッセイ。

電子メディア媒体「cakes」の大人気連載がついに書籍化!
小学生の頃から絵本やエッセイなど、多くの作品を執筆してきた彼が、
「ひとりの22歳の人間」として書いたエッセイ37本と、素顔が垣間見えるインタビュー4本を掲載。
何度でも読み返したくなる、珠玉の一冊です。

解説・佐々木俊尚

内容(「BOOK」データベースより)
重度自閉症の著者が「生きる」ことの本質を鋭く、清冽な言葉でとらえた珠玉の一冊。

著者について
東田直樹(ひがしだ・なおき)
1992年8月生まれ、千葉県在住。
会話のできない重度の自閉症者でありながら、文字盤を指差しながら言葉を発していく
「文字盤ポインティング」やパソコンを利用して、援助なしでのコミュニケーションが可能。
第4回、第5回「グリム童話賞」中学生以下の部大賞受賞をはじめ、受賞歴多数。
2011年3月にアットマーク国際高等学校(通信制)卒業。

13歳のときに執筆した書籍『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール)において、
理解されにくかった自閉症者の内面を平易な言葉で伝え、注目を浴びる。
2013年、同著が『The Reason I Jump』として翻訳され、現在20カ国以上で出版。
米・カナダのamazonベストセラーランキングでそれぞれ1位、
米NYタイムス紙のベストセラーリストで3位を獲得するなど、
海外で異例のベストセラーとなっている。

現在は、北海道から沖縄まで、全国各地で講演会を開催。
東京大学をはじめ、各大学や団体が主催するフォーラムや研修会においても多数登壇するなど、
積極的に活動を続けている。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
東田/直樹
1992年8月生まれ。会話のできない重度の自閉症者でありながら、
文字盤を指差しながら言葉を発していく「文字盤ポインティング」やパソコンを利用して、
援助なしでのコミュニケーションが可能。

第4回、第5回「グリム童話賞」中学生以下の部大賞受賞をはじめ、
受賞歴多数。2011年3月にアットマーク国際高等学校(通信制)卒業。
13歳のときに執筆した書籍『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール)において、
理解されにくかった自閉症者の内面を平易な言葉で伝え、
注目を浴びる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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