アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

コーヒーブレークです。

1. クルアーンの文章ではあいまいなところがあるようですが この一つの
問題を問います。アブラハム(イブラヒーム)の物語の中で 間接的に触れら
れているのだとか。

2. 神について偶像をつくってはならない。偶像を拝んではならない。――
こういうイマシメがあるとき ところがこのイマシメとしての(あるいはオキ
テとしての・もしくはオシへとしての)意味内容は じつは人間のことばで表
現されているからには 神の心を仮りに示すもの=すなわち偶像であると考え
られ得ます。彫像ではなくとも観念も 偶像たり得ます。

3. つまり 偶像を崇拝するなというオシへを守るなら オシへとしての偶
像に従うことになってしまうことになる。という矛盾が起きるのではないかと
いう問題です。




4. クルアーンにおける詳しい文章などについても含めて おしえてくださ
い。 

5. またイスラームに限らず 《観念となった神やオシへ》は 明らかに偶
像です。――たとえば 《神は死んだ》という観念が 偶像の神となって現代
人のあいだで崇拝されているのではないかと疑われます。――なので そのよ
うな広く大きな問題にもなるのではないでしょうか。


☆ ご見解を惜しみなく述べてしまってください。休憩気分でお気軽にどうぞ。

A 回答 (1件)

休憩中なので、解答致します。



お疲れ様です。

偶像の側面は、色々あると思いましたが、
彼らの時代の偶像と捉えていた意味が現代と異なるなら、

絵画や 石像などの形ある抽象
な存在の部分を指していた。
のではないか、と思っます

頭の中で想像する姿も、
確かに偶像、しかし姿は偶像的と禁止しても、
思想で偶像が編み込まれると言う見方はなかったのでは?

アイドルは偶像。
熱狂し易くも、
容易く言葉よりも、リアルにその存在を守ろうとも尊ぶ。
依処

なぜ偶像崇拝は、禁止されたのか、
本来 同系統のキリスト教は、
天使の性別を決めなかった り
ルネサンス期以降は自由に描かれるようになる
故に彼ら、神の手でもある存在を、
あたかも分離した存在と捉え、
別個 故に、髪を見せ誤る
可能性を持った。
ともわたしは考えますね

容易く民衆は、より美しいもの、格好の良いものに魅せられ、そちらの方が真実と、考え出し、
また、それに崇拝する為、守りを置き、
時に原初付近の正しい聖書の教えすらも歪め始める。

偶像面は、言ってしまえば
視覚面!(資格面?)

光にて見える目の近く(知覚) こそ人は、
容易く膝を折る、祈りに使用するのかもしれない。

故に、マリア様は、聖母として、像を作ったせいもあり、
現在高く多くの多角的な
信仰のまとと存在する

かと思われます。

さてと、しかし、慢心が生まれる。なぜニーチェが、超人になり、いや、目指し、目を覚まし、髪を捨てるべきと説いた、のか?

人類に蔓延しだした
その慢心に気がつき始めたからではないかと思います。

彼は超絶シビア論、しかし神が道徳なら、信ずることでも本来争いなく、人は気高く
生きていける可能性はあった。

どこに慢心があったのか?

私は、「黄禍論」これを問います。

最も、大英帝国含む、
西欧欧米世界が、植民地侵略していた時代に、
我々、日本人は奢っている!と運動したのが黄禍論、この辺りお暇があれば、
ウィキペディアで調べてみてください。

彼らは奢っていたのではないのか?

私思うんですけどね、
白人と黄色人種って、
白人の方が黄色くありませんか?
黄色って、彼らの方で、我々は橙、オレンジなのでは?

白人とは、黒人に対して、
黒よりに対する白 より
として名付けた名前であり、
我々よりは、黄 白 色な人種
かと思いますが。

何故 彼らは、
世界のあらゆる
人種を平等に扱うべしと言う、世界会議での我々、日本人の言葉を棄却したのに、
自分達は奢っていないと思ったのか?

奢りにそれ程、罪はないと思ったのか?それもあるかもしれないが

そもそも奢りとは、自分で容易く見えるものではない。

ここに着眼して、論考を重ね生きてきました。

奢りは恐るべき病。
傲慢はルシファーの大罪。

それを探さないのは怠惰。
そこに甘えれば、強欲。
それを許せば、高慢。
そして虚飾。

下のものに言われれば、憤怒。
そして、色欲なら、傲慢は正当なプライド。

なのかも?知れませんが、

兎に角、ご注意でした。


慢心を論じ、傲慢を倒せるのは、
見返る ココロ
即ち、大天使ミカエル。

人は己の過ちを見返るべき。
過去も時には思い出そう!

とキャンペーン中です!(笑)


ではご意見あれば返事ください。

また暇があればよります。

おさらばです。


エル ミル システィーア☆ミ
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 絵画や 石像などの形ある抽象
な存在の部分を指していた。
☆ 《抽象》ですか? つまり むかしはふつう 具象の絵や像を 偶像
と言っていたと思いますが。

★ 頭の中で想像する姿も、確かに偶像、
☆ ええ。つまり 《仮りのすがた》です。

★ しかし姿は偶像的と禁止しても、
思想で偶像が編み込まれると言う見方はなかったのでは?
☆ つまり なかったかも知れませんが いまそういう考え方を提出して
います。《仮りのすがた あるいはやはり シルシ》のことです。

★ アイドルは偶像。
☆ そのたぐいです。



★ 故に彼ら、神の手でもある存在を、
あたかも分離した存在と捉え、
別個 故に、髪(神)を見せ誤る
可能性を持った。
ともわたしは考えますね
☆ つまり 《仮り》であり 《代理》であると弁えていれば 問題ない
のだとわたしは考えます。



★ 故に、マリア様は、聖母として、像を作ったせいもあり、
現在高く多くの多角的な
信仰のまとと存在する
☆ 《代理 あるいは 派生的な・仮りのすがた》だとわきまえていれば
問題ないです。



★ さてと、しかし、慢心が生まれる。
☆ そういう事情もありましょうが 問題は単純ではないか? つまり
quid pro quo です。取り違えです。ただ それだけです。


★ 私は、「黄禍論」これを問います。
☆ ええっ? そこまで行くんですか?

★ 白人と黄色人種って、
白人の方が黄色くありませんか?
☆ 赤白い感じに映ります。


★ 何故 彼らは、
世界のあらゆる
人種を平等に扱うべしと言う、世界会議での我々、日本人の言葉を棄却したのに、
自分達は奢っていないと思ったのか?
☆ 人類とは われわれヨーロッパ人であると ローマ教会を先頭にし
て 思い込んでいたのでは? ほかの土地のヒトのかたちをした生物は 
同じ人類であるかと自問自答していた。

★ 奢りは恐るべき病。
傲慢はルシファーの大罪。
☆ 罪は もう神が覚えない・忘れると言いました(ヘブル書8章=エ
レミヤ書31:31~ )。




★ ~~~~
人は己の過ちを見返るべき。
過去も時には思い出そう!

とキャンペーン中です!(笑)
~~~~~
☆ それは 《律法主義》ではないですか?

お礼日時:2018/07/07 13:52

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!