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廃仏毀釈の影響で現在の神社のみの形になった、八幡宮の中には護国寺があった
ここまではなんとか分かったのですがいくら調べても石清水八幡宮のもとの形が分かりません
つまり神仏習合時代の石清水八幡宮寺の信仰の形や施設の形が分からないんです。
今、八幡宮と呼ばれてる神社のと共に敷地内に寺を併設して八幡宮寺だったのか神社を寺院としても使えたのか意外と全く別の場所にあったのか
また信仰の形としてはお寺にお参りした後、八幡台菩薩にもお参りしたのかそれとも神社と寺を合わせて八幡大菩薩への信仰だったのか
そういうことが知りたいんです
詳しい方がいらっしゃいましたら教えてください

A 回答 (2件)

平安時代始めから八幡様(神社)


「歴史と信仰」項
http://www.iwashimizu.or.jp/about/history.html
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この回答へのお礼

ありがとう

公式サイトですよね
一通り確認したんですけどどうも知りたいことが分かりませんでした・・・・・

お礼日時:2018/07/25 10:23

もう少し簡単な話で、昔は「あれはキリスト教の神様」とか「それは仏教の神様(仏様)」とか「これはヒンドゥー教の神様」とかって分かれていたわけでは、ありません。


神様は神様であって全部がこの世の神様なんです。だから神道の神様が仏教の仏様の化身で、それらの神様を祀るところが、今でいう神社でありお寺であったわけです。
石清水八幡宮は、国家事業並みの規模で宇佐八幡宮を勧請してつくった八幡宮なので、どちらかというと神社の色が濃いいところであったでしょうが、祀られている神様は〇〇仏の化身でもあったわけです。
(じつは八幡宮の神様自体も、神道の神様っぽくない、由来は別の宗教なのではないか、などと言われたりしますが・・)

江戸中期ころから、国学など日本の元の姿をさぐろうという動きが出てきて、後の明治期の神仏分離政策で、神社か寺かとはっきり分けられたのですね。
だから私は、寺か神社かなどという分け方は、本来必要のないものだと思っています。


石清水八幡宮については詳しくないですが、参考の1つにでもなれば♪
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この回答へのお礼

Thank you

ありがとうございます
明治以前の神社と寺の関係が複雑なのは理解しているのですが信仰する側ならともかく
宗教施設を運営する側からすれば前者は神をまつる場所で後者は僧侶の修行の場ですから
やはりある程度分けて考えられていたのかなと思います。

神仏習合にもいろいろな形があるのでややこしいですが八幡神が仏の化身という形なら
寺と神社で合わせて八幡神を祭っていたんですかね
でも八幡神ってかなり前から仏教と関係があるので時代と共に解釈も変わってるんですよ
大仏建立のころは仏法守護の神で各地の寺に守り神として勧請されていたのですが時代が下るにつれて阿弥陀如来の化身ということになったり
だから八幡信仰を調べてても石清水八幡宮の信仰が具体的にどういうもので八幡宮がどういう宗教施設なのか分からないんです
まあそういうことを詳しく考えようとすること自体八百万の神を持つ日本では野暮なことなのかもしれませんが
ちなみに僕が調べているのは神仏分離の直前、つまり江戸時代とかの信仰の形です

お礼日時:2018/07/25 11:52

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