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1.山の神が春になって田に降りてくるという信仰がありますが、これはいつごろから始まったものでしょうか。
2.又それ以前にお米の神、田の神と呼ばれる神様はいましたか?
3.注連縄の縄の部分は雲、紙垂は雷、稲穂は雨を現すという説がありますが、これはいつごろからいわれるようになったものでしょうか?
(注連縄の起源は、天岩戸伝説の尻久米縄らしいです)

日本人は古代より、お米の生産に心を砕いてきたのに、祭礼の場である神社などで祭ってある神はお米と関係のないものが多いのも不思議です。
天照大神、スサノオ、大国主命は豊穣の神に当てはまりますか?
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

1.これについてはよくわかりません。

どなたかご存知の方、教えて下さいませ~。

2.田の神とは田圃の中にたっている案山子のことで、古事記に登場しています。
古事記が成立したのは712年ですからこのときすでに田の神は存在していたということになります。

大国主神が出雲の美保碕)にいたとき、海の彼方からガガイモを二つ割にした船にのり、峨(が)の皮を着た極めて小さな神がやってきましたが、誰も神の名前を知りませんでした。
このとき谷蟆(たにぐぐ/ヒキガエル)が「崩彦(くえびこ)が知っているでしょう」と言ったので、崩彦に聞いてみると「神産巣日神(かみむすひのかみ)の御子、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)でいらっしゃいます」と答えました。
この崩彦が案山子(かかし)のことで、一本足で歩くことはできませんが、天下(あめのした)は全て知っている神だと古事記には記されています。
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/column/koshitsu/ …

山の神とは木材やきのこなどの山の幸を司る神のことであると思いがちですが
鉱山の神でもあると考えるべきでしょう。

というのは案山子は一本足ですが古代のタタラ製鉄では片足でふいごを踏み続けるために
片足を傷めることが多かったとされているからです。

鉱山の神としては、カナヤマヒコ・カナヤマヒメがあり、こちらも日本書紀や古事記に登場しているので
やはり712年には存在していたと考えられます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%A5%9E

ただ古事記や日本書紀以前の史書は帝記や旧辞などがあったことはわかっていますが、現存していないので
それ以前に田の神や山の神が存在していたかどうかはわかりません。

3.わかりません(汗)。

>祭礼の場である神社などで祭ってある神はお米と関係のないものが多いのも不思議です。

穀物神としては
宇迦之御魂神(うかのみたま)
豊宇気毘売命(とようけびめ)
保食神(うけもち)
大宣都比売神(おおげつひめ)
若宇迦売神(わかうかめ)
御饌津神(みけつ)
などがあり、総称して稲荷神と呼ばれているようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7% …

また年神も穀物神であるとされています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E7%A5%9E

>天照大神、スサノオ、大国主命は豊穣の神に当てはまりますか?

一般には天照大神は太陽神、スサノオは疫病よけの神、大国主命は縁結びの神とされているようですが
興味深い記事を見つけました。

http://www.dai3gen.net/izumo3.htm

上記によれば、アイヌでは、疱瘡(天然痘)を pa と言い、「頭」「煙、湯気」「口)「年、季節」なども同様にpaというとあります。
で、スサノオは現在では疫病よけの神とされていますが、もともとは疫神で疱瘡をもたらす神であると考えられていました。
疱瘡をもたらす神であるゆえに、「疱瘡にかからないようにしてください」とお祈りするうちに神格が180度変わって「疫病よけの神」となってしまったようです。
さらに「大年神」はスサノオの子とされており、
神の世界においては神の分霊(化身)を「子」と記しているとする説があり、
だとすれば、スサノオと年神は同一神となり、スサノオもまた穀物神であるということになります。
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ご質問の「2」については、銅鐸の絵がヒントになると思います。


弥生時代に多数製作された銅鐸には、ヒト、シカ、トリ、カエルなどの絵が描かれていますが、これらは、田植えから収穫までの農作業に関わるものではないかとする見方が有力です。

大阪府吹田市「歴史講演会 銅鐸の謎」の中頃、佐原 真著『銅鐸の絵を読み解く』。
http://inoues.net/study/suitakouen.html

私は、トリに注目しています。
学生社『日本文化の源流』に「穂落神ホオトシノカミ」についての記述があります。

「日本神話に、鶴がくちばしに稲穂をくわえて飛んできて、村の上にさしかかったとき、その穂をポトンと落とした。それを村人が拾ってたんぼに蒔いたところ、米ができた。
大歳神社はこの神をまつる。」

我が家は都市郊外ですが、大歳神社なら近くに何社もあります。
どの社もそんなに大きくはないですが、近隣住民に大切に祀られています。
「大歳神社 五穀豊穣」で検索すると、全国にあることが分かります。

「穂落神」の伝承は、「大鳥大明神(大鳥大社)」の由来につながっています。
大鳥大社の祭神は、理由は知りませんが、日本武尊とともに天照大神です。
「大鳥大明神」は「神話同盟」のHPの説明が簡単明瞭です。
http://dug.main.jp/sinma/o.htm

「穂落神」の伝承は、東南アジアに比較的よく伝えられていると大林太良氏の研究にあります。
例えば、ドンソン文化の銅鼓や雲南石塞山出土の銅鼓にもトリの絵があるそうです。
おそらく水稲栽培の技術とともにトリの信仰も日本に来たのではないかと推察されています。
そうだとすれば、「田の神」「お米の神」としては、「穂落神」が最も古いと思います。

ご質問の1、3項については、「いつごろから」ということはまったく分かりません。
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