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永仁の徳政令について
なぜ 所領を質入れにしたり売却することが御家人の貧窮のもと とがどういうことでしょうか?

なぜなんのために売るんですか、?

日本史

A 回答 (3件)

なぜなんのために売るんですか、?


 ↑
お金を得るためです。

元寇のため軍費を費やしましたが
相手は外国です。
勝っても得るモノがありません。
だから、損した訳です。
それで、経済が苦しくなり、所領を
売ることになったのです。



永仁の徳政令について
なぜ 所領を質入れにしたり売却することが
御家人の貧窮のもと とがどういうことでしょうか?
   ↑
借り入れして、お金を得てもそれは
一時的です。
窮乏した原因を除去できなければ、問題解決には
なりません。
得たお金を使い果たせば、それまでです。

そして、御家人の多くは原因を解決出来なかった
のです。
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この回答へのお礼

丁寧にありがとうございます!

お礼日時:2018/11/24 00:28

徳政令は簡単にいうと、借金をなかったことにする(返済しなくてよい)政令です。



「所領を質入れにしたり売却する」は、今に例えれば借金返済のために、領地(土地)を担保にして借金するという意味です。
実際には借金が返せなかったので、代わりに領地を返済にあてたということです。
領地がなくなれば、収入源の一つである年貢を受け取れなくなるので、貧窮(貧乏)します。

領地があっても、年貢が安定して入らなければ、貧窮していきます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!!

お礼日時:2018/11/24 00:28

金が必要だから質入れして金借りる


借りても金を返せる当てなど無いから質流れ

鎌倉時代も現代も同じ
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2018/11/24 00:29

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Q薩長同盟について

大河ドラマ「西郷どん」をみていましたが、薩長同盟は倒幕を目指す西郷が坂本龍馬に頼んで長州の桂に面談を取り持ってもらっているストーリーでした。

一方何年か前の大河ドラマ「龍馬伝」では薩長同盟は坂本龍馬が倒幕の構想を考えその結果、薩摩と長州で手を結ばせる様に出ていました。

史実としては実際にはどうなんでしょうか?

最初の下関での面談を西郷がすっぽかしている事から見ても西郷(薩摩)や長州ははじめから乗る期では無く、坂本が半ば強引に薩長同盟を結ばせたように感じるのですが。

そうで無ければ、その後坂本が「寺田屋」で暗殺されかかるはずも無いと思いますし、詳しい方、教えていただけませんでしょうか。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

その辺は闇の中です。
というより、そういう核心を簡単に世間に漏らしてしまう人物に政治はできません。
なので真相に迫る客観的資料は皆無です。

前後の状況から、薩摩藩は第二次長州征伐で幕府に愛想を尽かし、薩英戦争で攘夷を捨てたと思われます。
しかし黒船以来の外国の脅威は変わらず存在し続けています。
ならば厳しい国際情勢の中で日本の独立を守るためには、思想や主義の隔たりは捨てて討幕勢力を大同団結し、革命を起こして新たな日本を作るしかない、
という結論には達していたようです。
ただしその後どちらが主導権を握って長州と仲直りし同盟を結ぶところまでこぎつけたか、それは資料がないため学問上の結論は得られていません。

学者はこういう場合「根拠が不十分なので推定不可能」というしかありません。
しかし作家には想像が許されています。
資料が語ってくれない闇の部分を自分のイマジネーションを生かして補う。
歴史小説はそうして作られます。

なお竜馬自体は勝の指示で動いていた節があり、そうであれば討幕派からすれば当然面白くありません。
当時流行した「天誅」の対象になるのは当然です。
しかしこれも確証がないため想像の範囲を超えません。

その辺は闇の中です。
というより、そういう核心を簡単に世間に漏らしてしまう人物に政治はできません。
なので真相に迫る客観的資料は皆無です。

前後の状況から、薩摩藩は第二次長州征伐で幕府に愛想を尽かし、薩英戦争で攘夷を捨てたと思われます。
しかし黒船以来の外国の脅威は変わらず存在し続けています。
ならば厳しい国際情勢の中で日本の独立を守るためには、思想や主義の隔たりは捨てて討幕勢力を大同団結し、革命を起こして新たな日本を作るしかない、
という結論には達していたようです。
ただしそ...続きを読む

Q平成初期、末期で携帯電話、ゲーム、車、PC等、さまざまな技術の進化がありました。 ですが江戸時代は鎖

平成初期、末期で携帯電話、ゲーム、車、PC等、さまざまな技術の進化がありました。

ですが江戸時代は鎖国の影響もあり、初期と末期ではあまり違いが見られません。農作業道具等、少しは進化していたのだとは思いますが、実際どの程度進化していたのか気になります。現代に例えると、2008年と2018年の10年間の進化くらいらでしょうか?

だとすると、仮に1850年に住んでる人が1650年に行ってもすぐ生活に馴染めるんですかね。

Aベストアンサー

江戸時代初期の、一人当たりGDPは5百ドルぐらいです。

それが末期だと740ドルぐらいになっています。

だから、1,5倍程度の技術進歩があった
のでしょう。




2008年と2018年の10年間の進化くらいらでしょうか?
  ↑
これだと10%にも満たないです。

一人当たりGDPで1,5倍を計算すれば
2018年と1987年程度の違いになります。

Qヒトラーはユダヤ人を迫害したのは一体何故でしょうか。

ヒトラーはユダヤ人を迫害したのは一体何故でしょうか。

Aベストアンサー

ヒトラー自身がユダヤ人を迫害する理由は諸説ありまして、例えば、幼い頃に取り立てに来たユダヤ人の金貸しが意地悪でそいつを憎んでいたからとかいろいろあります。


ただ、もともとヨーロッパ社会はユダヤ人を迫害する歴史を歩んでいます。これは元々は、イエスを殺したのがユダヤ人だからという理由になります。

十字軍の時代でも、特に理由はないが景気付けにユダヤ人を虐殺したり、血の中傷といって、「ユダヤ教徒がキリスト教徒の子どもを拉致誘拐し、その生き血を祝祭の儀式のために用いている」という噂が広まってそれを信じた住民が暴走してユダヤ人を虐殺する事件なども起きました。もともと、ヨーロッパ世界ではユダヤ人を迫害する土壌があり、その理由はイエスを殺したからです。


彼らからすると、ユダヤ人は親の仇なのでしょう。
秀吉は、カトリックを「日本人を奴隷として売ったり、他の宗教を攻撃したから」と言う理由で、カトリックを迫害しましたが、ヨーロッパ世界のユダヤ人の迫害は、「イエスを殺したから」というものです。
日本人には理解できないとは思います。

前者の場合は、カトリック自身が奴隷売買や他の宗教への攻撃を止めれば、カトリックの弾圧も停止すると言う政策も可能ですが、後者の場合はその様な解決は成り立ちません。




その様に、当時のヨーロッパ社会は非常に深刻なユダヤ人への迫害の土壌が存在しました。

ドイツも当然その様な土壌が存在し、ヒトラーはそれを利用して求心力を高めたのかもしれませんが、実際のところは、ヒトラーのみぞ知る事です。

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Q「野郎」という言葉の女性版をご存知の方教えて下さい。 「野郎」という言葉は女性でいうと「アバズレ」に

「野郎」という言葉の女性版をご存知の方教えて下さい。




「野郎」という言葉は女性でいうと「アバズレ」になるから、男性は自分もしくは男性陣をさすときに使わない方が良いという論を展開されたことがありましたが、本当にそうでしょうか。

Aベストアンサー

野郎って喧嘩等の特殊な場面でのみサバイヴしてる語彙ですね。男性女性関係ない気もします。

「コノヤロー」が男性に向かって使うのに対して、女性には、「コノババアー」とか言いますよね。

しかし、もう平成の世も終わる時代ですし、「コノヤロー」は男女問わず使えている気もします。

悪口は男女関係なく使える語彙が多い気がしますが、最近、関西の若い芸人の多くが、「ブス」という言葉を男女問わず使うのには抵抗感があります。「ブス」って「ブサイクなスケ」の略称なので、女性にしか使わないと思っているからです。

QNHK大河ドラマ『西郷どん』は本当?

西南戦争の最中に、西郷隆盛と奥さんが戦場で対面したという話は本当ですか。信じられない。

Aベストアンサー

島流しから戻った後、1度再会したと記憶していますが、西南戦争のときではなかったのでは。
ドラマだから現代の人のウケが良いように脚色してあるのは当然のことです。
もし真実をそのままドラマ化すれば、西郷さんに対するイメージが悪くなってしまうかもしれませんからね。
まあ、今と時代が違うんだから、何が善で何が悪かなどなど、価値観も違うのだから
もしタイムテレビのようなものがあってそれで西郷さんとその周辺を見たら、ショックを受けるかもね。

Q戦国時代のドラマを見てると軍議の席で武将達がやたら声を張り上げて意見交換してる場面があります。 実際

戦国時代のドラマを見てると軍議の席で武将達がやたら声を張り上げて意見交換してる場面があります。
実際の軍議もあんな大きめの声を出してたと思いますか?
当時の武将達も声が小さめの人や、言葉を噛む人とかいたと思うのですが…
普通の声のトーンで話さなかったのですかね?

Aベストアンサー

実際の軍議もあんな大きめの声を出してたと思いますか?
 ↑
そういう人が多かったと思います。
1,軍議は自己アピールの場でもあります。
 声が大きい方が目立つし、意見も通りやすいのは
 今も同じです。
2,戦国時代の武将の声はとてつもなく大きかった
 と言われています。
 広い戦場で自分の名前をCMするのですから
 大きいことが要求されたのです。



当時の武将達も声が小さめの人や、言葉を噛む人とかいたと思うのですが…
  ↑
そりゃいたでしょうね。



普通の声のトーンで話さなかったのですかね?
  ↑
徳川家康は、部下の自由なディスカッションに任せ
それろじっと聞いていて、最後は自分で決める、
そういう軍議をしていたという話があります。
声がでかくないと、主君の耳に入りません。

Q日本史の話なんですが、明治時代らへんでイギリスがいち早く日本を近代国家と認めたのですが何で他の国は日

日本史の話なんですが、明治時代らへんでイギリスがいち早く日本を近代国家と認めたのですが何で他の国は日本を近代国家と認めない中イギリスは日本をいち早く近代国家と認めたのでしょうか?

Aベストアンサー

当時、イギリスとロシアが、アフガニスタンを中心に、
アジアの各地で激しい利権争いを繰り広げていたのです。

その上ロシアはシベリア鉄道を敷設するなど、東アジアへの
進出を強めてきました。

イギリスは、それを食い止めるため、日本に注目します。

近代国家として国力を増していた日本を味方につけた方が
良いと考えたのです。

こうして条約改正への最大の反対勢力だったイギリスが、
日本に対し歩み寄りを見せ始めました。



● 以下余談

大隈重信の後を引き継いだ青木周蔵は、これを機に
イギリスが条約改正に同意すれば他の国も一気に
改正に応じるのではないかと考え、
イギリスとの交渉に入ります。

そして1890年7月、イギリス政府は、領事裁判権の撤廃を
盛り込んだ日本の改正案に同意を示しました。

ついに条約改正の道が開けるかと思われたその矢先、またもや事件が起こります。
1891年5月、日本に滞在中のロシア皇太子が、
警護中の巡査に襲われ怪我を負います。
事件の責任を取って青木は辞任し、交渉はまたもや延期になってしまいました。

こうした中、青木の後を継いだ陸奥宗光(むつむねみつ)は、
イギリスと粘り強く交渉を続けました。

そして1894年7月16日、ロンドンで新たな条約、
日英通商航海条約が調印されました。
この条約により、日本は外国人の犯罪を自らの手で
裁くことができるようになりました。

イギリスが条約改正に応じると、他の国もそれに続きました。
岩倉使節団が交渉を始めてから22年、日本はようやく
領事裁判権を撤廃することに成功したのです。

しかし実は、日本が欧米列強と完全に対等な立場になったのは、
それから さらに17年後でした。
1911年2月に、日米新条約が調印され、関税自主権を回復します。
ここに至るまで、40年近くもの年月を費やしたことになります。

当時、イギリスとロシアが、アフガニスタンを中心に、
アジアの各地で激しい利権争いを繰り広げていたのです。

その上ロシアはシベリア鉄道を敷設するなど、東アジアへの
進出を強めてきました。

イギリスは、それを食い止めるため、日本に注目します。

近代国家として国力を増していた日本を味方につけた方が
良いと考えたのです。

こうして条約改正への最大の反対勢力だったイギリスが、
日本に対し歩み寄りを見せ始めました。



● 以下余談

大隈重信の後を引き継いだ青木周蔵は、これを機に
イギリスが...続きを読む

Qアジアでは西洋から最も離れた日本で最初に近代化が始まったのはなぜでしょうか?

アジアにおける最初の近代化は、言うまでもなく日本の明治維新です。
でも、西洋から最も離れた位置にある日本において、最初に近代化が始まったのはなぜでしょうか。
普通に考えたら、西洋から比較的近い場所にあるトルコやイランで最初に近代化が始まってもおかしくないと思うのですが。

それとも、日本では江戸時代までに近代化に入れる下地が出来ていて、そのために西洋の文明を迅速に吸収できたということでしょうか。

Aベストアンサー

>それとも、日本では江戸時代までに近代化に入れる下地が出来ていて、そのために西洋の文明を迅速に吸収できたということでしょうか。

その通りです。近代化する下地が日本にあったからです。そして日本以外の「半文明国」にはその下地はありませんでした。


大きな理由は二つあります。

①国民国家としての下地が、もともと日本人に備わっていた。
②近代国家を成し遂げてくれる、偉人に恵まれた。




①の説明

トルコやイランは国民意識の統合に躓きましたが、実は、欧米でも国民国家としての意識統一はかなり時間が掛かっています。イギリスですら300年ほどかけて、イングランド人もスコットランド人もウェールズ人もアイルランド人も「先祖の時代からイギリスで生まれ育ったのだから、我々は同じイギリス人だ」という国としての国民意識の統合に時間をかけて行いました。
この、「私は○○人だ」という今では当たり前の国意識は、近代国家になる上では重要です。

これにはどこの国でも時間が掛かりました。自分のペースで国民国家になれたヨーロッパとは違い、「半文明国」は、列強の外圧によって短時間で国民国家にしなければならないため、当然のごとく多くの国が失敗します。



日本が何故、世界で唯一このように短時間で国民国家を成し遂げたかというと、そもそも「とっくの昔から日本人としての国民意識は統合されていた」からです。

日本人の国民意識の統合が完成されたのはかなり昔で、聖徳太子の時代からです。白村江の戦いに破れ、防衛線を張ったのですが、聖徳太子がもしも、九州の人員だけしか、防衛戦力に動員できなかったら、日本は他の国と同じような状態だったでしょう。しかし、聖徳太子は関東などの日本全国から人員を動員しました。これは現在で言う国民国家の動因と同じです。聖徳太子の優れた才覚によって、「九州の海岸防衛の問題は日本の問題。だから関東人も皆日本人として防衛すべき」という、日本人としての共通の意識を完成させたからこそ、全国から動員することが出来ました。この時に、日本人の国民意識の統合は完成されました。


その後は、天皇と言う存在が日本人の統合の象徴となりました。地方によって言葉が通じなくとも、天皇と言う存在が統合の象徴となり、日本人の国民意識の統合は継続されていきます。

そして、嵯峨天皇以降は、天皇が日本を直接統治するのではなく、適切な者にその統治権を委任すると言う形をとりました。幕府がそれに該当します。鎌倉幕府や室町幕府や江戸幕府など、いろいろな幕府がありますが、これは委任統治です。戦国時代は委任統治権の争いであって、「王」になるための争いではありません。

近代化に絶対必要な要素である国民国家ですが、その下地がそもそも日本では聖徳太子の時代からはぐくまれていたので、明治維新で鮮やかな国民国家による近代国家を誕生させる事ができました。




②の説明。

どんなに近代国家になれる下地があっても、実際に近代国家を成し遂げる者が誕生しなければ達成されません。
日本の場合、その幕末の偉人が誕生した事が幸運でした。


実は、幕末の江戸幕府も、近代国家にしなければ滅びるのは分っていましたし、当時の江戸幕府は「無能」と言うイメージが世間にはありますが、実はかなり優秀でした。他の「半文明国」とは違い、江戸幕府は徳川吉宗の時代から、白人の危険性を理解した上で欧米研究をしていたため、欧米の国際状況、植民地の現状などもかなり正確に現状を理解していました。そして、幕府の官僚たちは、何をすべきか分っていました。

しかし、これまでのシガラミのせいで出来ませんでした。そのシガラミを跳ね除けて近代化を達成した者が、大久保利通です。

はっきり言って、大久保利通がいなかったら明治維新はありえません。勿論、高杉晋作や伊藤博文やそれ以外の多くの偉人の功績も大きいですが、大久保利通がいなければ彼らがあのような行動を起こす事もありません。


しかも、大久保利通は、当時では誰も相手にされない小物でした。


幕府の官僚も、徳川慶喜も、近代化しないといけないことは知っていました。しかし長年のシガラミのせいで出来ませんでした。やらなければならない事はわかっているが、それが出来る人が誰もいませんでした。大久保利通以外は。

日本には、彼のような偉人に恵まれたので、明治維新が誕生し、もともと、国民国家としての日本人と言う民族意識が日本中の人に養われていたので、近代化に成功しました。





①も②も、どちらかが抜けていたら、日本の近代化は失敗していたでしょう。




勿論、「日本人は勤勉だった」「原理主義的な宗教価値観がなく、外国の知識であっても優れていれば素直に取り入れた」「寺子屋なので、学問の素養が広く行き届いていた。そのため識字率は欧米よりも高かったと言う説もある」「昔の日本は農業国と思っている人がいるがそれは誤り。多くは兼用農家。工房が盛んで日本は昔からアジア有数の工業国であった。だからこそ戦国時代では鉄砲を自国生産してその保有量が世界一になったり、明治維新の近代化を成し遂げる事ができた。」なども、近代化の成功の要因かと思います。






>西洋から比較的近い場所にあるトルコやイランで最初に近代化が始まってもおかしくないと思うのですが。

近代化が始まったのは日本よりトルコが先です。そして、近代国家に必要な憲法の運用をトルコがしたら2年で停止する羽目になり、見事に近代国家に失敗しました。

伊藤博文が日本にも憲法(大日本帝国憲法を悪法だと思っている人がいますが、当時では世界各国から絶賛されました)を導入すると欧米人に言ったら、「トルコでも失敗しているのに無理でしょ(彼は日本を馬鹿にしたつもりはない。心配してあげただけです)」と言われたそうです。

そして、憲法を運用したら、見事政権交代。伊藤博文は野党になります。しかしそれでもトルコのように憲法停止はしませんでした。そして正当な選挙によって与党に帰り咲きました。

近代化が始まったのは日本が最初ではありませんが、近代化に成功したのは欧米以外では日本が最初です。

>それとも、日本では江戸時代までに近代化に入れる下地が出来ていて、そのために西洋の文明を迅速に吸収できたということでしょうか。

その通りです。近代化する下地が日本にあったからです。そして日本以外の「半文明国」にはその下地はありませんでした。


大きな理由は二つあります。

①国民国家としての下地が、もともと日本人に備わっていた。
②近代国家を成し遂げてくれる、偉人に恵まれた。




①の説明

トルコやイランは国民意識の統合に躓きましたが、実は、欧米でも国民国家としての意識統一はかな...続きを読む

Q今年の大河ドラマ「西郷どん」と2008年放送の「篤姫」とを見比べて思ったのですが、「篤姫」では篤姫が

今年の大河ドラマ「西郷どん」と2008年放送の「篤姫」とを見比べて思ったのですが、「篤姫」では篤姫が幾島に文を託すも西郷に断られ、勝海舟に父成彬からの文を託し、それが西郷の心を動かし、江戸無血開城が決まり
、篤姫自身は西郷には会ってないようですが、「西郷どん」では勝海舟に会う前に幾島とも篤姫とも会う設定になっていますが、史実からするとどちらの方がより正しいのですか?

ナレーションでは「実に12年ぶりの再会となりました。」とあるので、「西郷どん」の方が正しいのでしょうか?

Aベストアンサー

史実には諸説あります。
だから小説も多数の作家のものがあります。
小説の脚本は、必ずしも「小説=脚本」とは限りません。

篤姫の場合、記録が少なく、NHKドラマは「脚本」があたかも
本当のように面白く(悲しく)描けていました。

西郷と勝の江戸城無血開城交渉は緊迫したなか行われましたので
これ以前に江戸城に入るのは無理だと思われ、これはドラマを
面白くするための脚本の所作と思われます。
つまり「西郷どん」はフィクションです。

そもそも、この時代のトップには「内戦回避、外国からの介入
回避」の認識があり、第一次長州征伐では激戦が起こりませんでした。
では薩長と徳川のNO2・3とNO1の激突である倒幕に何故
西郷は舵を切ったのでしょうか。
長州はともかく、西郷薩摩には「舵を切って」も「激突は回避され
る」と踏んでいたのでは、ないでしょうか。
こういう推理がスリルなのです。
歴史探訪の醍醐味です。


西郷さんには思い入れが強い人が多く、よく描かれることが
多いようです。
「人を愛し、弱きを助け、国を憂え、強くをくじき、ブレル
 ことなく突進し、信念は生涯変わることはなかった」など
と描かれ、作られる。
実際には、迷い、悩み、試行錯誤し失敗もし進んだのでは
ないでしょうか。
完全な人間などはいないのです。

史実には諸説あります。
だから小説も多数の作家のものがあります。
小説の脚本は、必ずしも「小説=脚本」とは限りません。

篤姫の場合、記録が少なく、NHKドラマは「脚本」があたかも
本当のように面白く(悲しく)描けていました。

西郷と勝の江戸城無血開城交渉は緊迫したなか行われましたので
これ以前に江戸城に入るのは無理だと思われ、これはドラマを
面白くするための脚本の所作と思われます。
つまり「西郷どん」はフィクションです。

そもそも、この時代のトップには「内戦回避、外国からの介入
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Q昔のヨーロッパでは残虐な方法で殺戮をする魔女狩りというものが流行りましたよね。そこで質問なのですが、

昔のヨーロッパでは残虐な方法で殺戮をする魔女狩りというものが流行りましたよね。そこで質問なのですが、アメリカが日本に原爆を落としたことを正しいと言う人がいるように、魔女狩りを正当化するヨーロッパ人はいますか?もしいるのならその数はどれぐらいなのでしょうか?

また、魔女狩りが与えた大航海時代への影響はどんなものがありましたか?海賊や政府とかと関連したものがあれば教えていただきたいです。

Aベストアンサー

>魔女狩りを正当化するヨーロッパ人はいますか?

変わり者はどこの世界にもいるでしょうが、一般的にその様な人は皆無かと憶測します。
理由は現在のヨーロッパ人の価値観は、その様な魔女狩りをするような野蛮な宗教価値観から脱却して勝利した人たちによって作られたからです。これは、人権思想の誕生にも関わっていきます。原爆投下は、アメリカは戦争に勝った側ですので「勝てば官軍」のごとく自己正当化が可能ですが、魔女狩りを正当化する側は負けているので状況が全く異なります。



具体的には、30年戦争で勝負が決しました。30年戦争は、野蛮な宗教価値観から脱しようとする者と、伝統的な宗教価値観を守ろうとする者との総決算です。最終的に野蛮な宗教価値観から抜け出そうとする勢力が勝利し、現在のヨーロッパ社会が作られました。

このような前近代の野蛮な宗教価値観から脱する事を、近代化と呼びます。
現在のヨーロッパ人は、プロテスタントもカトリックも近代化されているので、魔女狩りを肯定するような価値観を持っている人は皆無と思われます。


勿論、魔女狩りを正当化するような変わり者はどこの世界でもいるでしょう。
当時の価値観では魔女を処刑する事は正義でした。

その宗教価値観から抜け出せないものが、現代のヨーロッパにどれだけいるかは不明です。
地下にあるカルト宗教など、影で信仰している人たちでしょうか。どちらにしろ、かなり少ないかと思います。

>魔女狩りを正当化するヨーロッパ人はいますか?

変わり者はどこの世界にもいるでしょうが、一般的にその様な人は皆無かと憶測します。
理由は現在のヨーロッパ人の価値観は、その様な魔女狩りをするような野蛮な宗教価値観から脱却して勝利した人たちによって作られたからです。これは、人権思想の誕生にも関わっていきます。原爆投下は、アメリカは戦争に勝った側ですので「勝てば官軍」のごとく自己正当化が可能ですが、魔女狩りを正当化する側は負けているので状況が全く異なります。



具体的には、30年戦...続きを読む