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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10988196.html

この質問に私も回答したのですが、出された結論に誤りがあるかとも思われます。中学生が質問主だったのですが、私自身間違った回答をしたのかもしれません。その謝罪も兼ねて再度質問いたします。ご自由にご回答下さい。

質問者からの補足コメント

  • 質問した後、いろいろ調べて見ました。
    一つは、庭氏の「日本語文法概論」です。そこでは、「分かる、できる、見える、聞こえる」などは、対象を「が」を使って表す、と言うことがあるようです。
    「答えが分かる」「鉄棒ができる」「星が見える」「音が聞こえる」など可能の意味を含んでいる動詞(自動詞)では「が」を使うわけです。私はこれに「可能動詞」を加えてもいいと思っています。既に知っていたのですが、今回なぜかド忘れしていました。
     もう一つ、動作主は「に(は)」で表すと言うことです。「可能を表す文・受け身文・使役文の中で動作をする主体(=動作主)を表す。」(「日本語教師のページ」より)
     参考に、古い過去の質問を印します。「浅田真央にトリプル・アクセルが跳べるか」
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10988196.html

      補足日時:2019/02/22 20:09
  • (私には)教会の時計台が見えた。と書かれた angkor_hさん。熱心に回答を続けられた hakobuluさん。その他の方か、舞いましたが、ご苦労様という意味を込めて、B・Aを差し上げます。ご了承ください。

      補足日時:2019/02/22 20:28

A 回答 (12件中1~10件)

#9です。



>元の質問の中心である「主語」のことです。

可能用法と考えた場合は、『私は教会の時計台が見える。』だと思います。
もっとも、

『私は目が良いので、夜でも 教会の時計台が見える。』

という文を「見ることができる」という能力可能の意味に解釈できると考えた場合ですけどね。
大辞泉の語釈、
2 見ることができる。「猫は暗やみでも―・える」
を素直にと言いますか単純に信じるとそうなるかと。
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>「見える」の動作主体は何でしょう。


動作主対などを持ち込めない動詞があるということではないでしょうか。「見える」は単にそうである/そう感得するという意味の動詞です。主体をむしろ排除する動詞で、この意味では、すでに動詞ではなく as if のようなもっと下位の品詞とも見られます。これに対し「見る」は主語に拘る、つまり主語を明確にすること無しには成り立たない動詞です。
区別が必要です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座いました。

お礼日時:2019/02/22 20:32

見える、可能ととらえても、二通りあるのでは?。


何の工夫も、何等かのしぐさの必用もなく目が開いてさえいれば見える(見ることが可能)。
隙間から除けば・・・等、何らかの工夫、しぐさをすれば見ることができる(見ることが可能)。
質問が「教会の時計台が見える」と限定なのに
私は教会の時計台が見える、ならば、ここからなら教会の時計台が見える、で考えることも否定できないはず。
個人的に感じるのは「は」主題の提示・・ということですが、限定の意味でも使われます、限定が強調に使われることも多いのでは。
主語だから、強調されて当然、これを逆に考えて、強調されているのが当然主語、と錯覚(私に言わせれば)しただけ?。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座いました。

お礼日時:2019/02/22 20:32

#5です。



>だとすればこの「時計台が見える」はどういう構造になっているのでしょうか。

「時計台を見ることができる」だと思います。
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この回答へのお礼

元の質問の中心である「主語」のことです。

お礼日時:2019/02/22 14:33

#5です。



>だとすればこの「時計台が見える」はどういう構造になっているのでしょうか。

「時計台を見ることができる」だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座いました。

お礼日時:2019/02/22 20:32

>教会の時計台が見える


この文、につでしょう、表現されている内容で、主語になりえる可能性があるものは「教会」「時計台」「見える」だけですよ。
私が「教会の時計台が見える」というと・・・・、なんて余分な内容くっつければ、主語は変わりますよ。
相手は中学生、あなたの主張たぶん半分も理解できないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座いました。

お礼日時:2019/02/22 20:32

英語でも、you look healthy あなたは健康そうに見える。

という表現があります。look の主語は you, I のどちらでしょか。当然 you です。
英語では同じ look で両意を表せますが、日本語の場合、見る、見える、は全く異なる動詞であることを意識する必要があります。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおり、「見る」と「見える」がちがいますね。「時計台を見る」は問題ないが、「時計台が見える」が分かりにくいのですね。「見る」の主格(動作主体とでも考えましょうか)は何を持ってきても(普通は目を持つもの)通用しますが、「見える」の動作主体は何でしょう。

お礼日時:2019/02/22 14:09

#3です。



>、2の用法では主格が「私」になる、とすれば「時計台が」の「が」は何でしょうか。

「見える」という能力の対象でしょうね。
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この回答へのお礼

だとすればこの「時計台が見える」はどういう構造になっているのでしょうか。

お礼日時:2019/02/22 12:22

>>ご回答ありがとう御座いました。

どうして主語が書かれていないのでしょう。

英語と違って、日本語の場合、話の前後で主語が解る場合には、主語を書きません。
昔からの日本文化で有って、そういう物では有りませんか?。
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わたしも若干曖昧性を残したまま回答しました。


少し切り口を変えて考えてみたいと思いますが、『教会の時計台が見える。』には2通りの解釈があるという考えに変わりはありません。

大辞泉を確認すると以下のようになっている。
「見える」
1 目に映る。目で確認できる。「今夜は星も―・えない」
2 見ることができる。「猫は暗やみでも―・える」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/210883/meaning/m

1は【自発的用法】ではないかと思います。
『屋上に上がれば、(自動的に)教会の時計台が見える。』
「自動的に見える(目に映る)」主体は「教会の時計台」でしょう。
「山頂で夜空を見上げれば満点の星が見える」も同様。

※【自発的用法】とは、自動的な動作を表わす語に適用する用法。たとえば、
「流れる」

㋐液体がある方向へ道筋をなすように移動する。「川が―・れる」
㋑水滴などが筋となって伝わり落ちる。「汗が―・れる」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/163538/meaning/m …
といった言葉と同じような用法とお考えください。
「自然に~する」「自動的に~する」といったニュアンス。
「自発用法」と言ってしまうと、問題がややこしくなるので、「的」を付けてこのように表現しておきます。

2は【可能用法】と思います。(可能動詞ではなく)
『私は目が良いので、夜でも 教会の時計台が見える。』
「見ることができる」という能力可能の意味。
むろん、主語は「私」です。
「猫は暗やみでも魚が見える」の主語が、「魚」ではなく「猫」であるのと同様。
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この回答へのお礼

なるほど、「見ゆ」という後が成立したときの「ゆ」は「ゆ・らゆ」の「ゆ」(後の「る・らる」であり、「れる・られると同じく、自発・可能・受身・尊敬の意味は持っていたと考えられます。(古い時代に「尊敬」としてつかったか どうかは不明)ただ、1の用法をでは、主格は「川」や「汗」となりますが、2の用法では主格が「私」になる、とすれば「時計台が」の「が」は何でしょうか。この辺に答えがありそうな気がします。

お礼日時:2019/02/21 20:47

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