No.1
- 回答日時:
その理由は、哲学は理念を語り、科学は事実を語る学問だからです。
旧来の、理念の世界による世界の認識法の非生産性に開眼したマキャベリが、政治の理念の論述に決別して、政治の事実を語り始め、政治学が人文科学に昇華しました。そして、ガリレオが自然に関するアリストテレスの理念的把握に決別して、物のあり方の事実を語り始め、自然哲学が自然科学に昇華しました。共にその学問の父と呼ばれています。
我々の脳が論じることができる合理的な理念の形態には無限の可能性があります。しかし、我々の埋め込まれているこの宇宙はたった一つしかない。だから理念的哲学的な思索で考えつく全ての合理的な事象がこの世界で実現してるわけでも、またそれが可能なわけでもありません。この世界は、その可能な全てのものの中のたった一つだけが実現しているのです。そのことに気づいた上記の二人が、我々が思いつく言葉を弄する前に、まず事実を認識しようではないかと言い出した。
科学では、事実がの認識が先、その後にその説明としての後付けとして理屈や理念を付与するという認識法が採用されます。その結果、旧来の哲学的認識法、すなわち、まず、世界はどうあるべきかの理念が先、その後の後付けとして世界の事象を理解するという方法を180度逆転させて見せたのです。
その結果、人類が、数万年に渡って理念的哲学的な方法では解決できなかった貧困がここ二百年ほどで、急速に改良され始めました。現在のほとんんどの地域では、どんな僻地にいても、さらにどんなに貧しく取るに足りない家柄に生まれて来ても、それに無関係に教育が受けられる機会が飛躍的に増大した。科学の最大の寄与は、便利に生活できるようにしてくれたことでも、快適に生活できるようにことでもなく、この生まれに寄らない教育の機会均等を実現してくれたことです。
その180度逆転の方法で、以前の哲学的理念的な世界の認識法だけが幅を利かせていた時代では実現できなかったこと、すなわち、教育の普及で、自分たちの生き様をお上の人に決めてもらうのではなくて、自分たちで決められるようにしてくれたことが、科学の最大の寄与です。
だいたいお察しだと思いますが、改めて自己紹介させていただくと、私の学問的知識は
ゼロに近いです。
私は小学校から大学までの間勉強したのは、大学受験の直前の二週間だけです。学問に
は興味が全くなかったのです。
三年半前にここにきて、その後少し勉強しましたが、商売をしているもので、また年齢も
若くないので、なかなか進みません。ゼロが1になったくらいです。
先生はこのところかなり頻繁に投稿されています。全部読んでませんが、流石だなあと思
っています。
なかなかタダで(笑)聞ける話ではないですから、有り難く思っています。
で、そんな私が何故学問を知りたいと思うようになったかと言いますと、私が信仰を持っ
ているからです。
若いうちはそうは思わなかったのですが、人生経験を積むほどに信仰の必要性を感じ、仏
教哲学に魅せられてゆきました。
信仰を持たない人には理解できないかもしれませんが、人間は(タイプにも依るでしょうが)
そうそう神仏を信じられるものではありません。理を求めるものです。
特に私は、疑い深い人間の一人ですし、意外と論理的だと思います。
仏教哲学を私は信じています。ということは、これを事実であると思っているということです。
事実であるならば、科学的に一致するか、あるいは矛盾しないかであるはずだと思うのです。
あらゆる宗教は、この心意気で自らの教えを検証してゆくべきであると思います。私も少なく
とも自分の中での「検証」を行い、信仰心を磨いてゆきたいと思っているということです。
また、哲学というものも私は、科学同様、事実の追及に他ならないと思っています。その方法
を哲学的洞察(思索の果ての直観)に依っているということでは、やはり同じではないかと思い
ます。
そして、その検証・論証ということに関しては、良く知りませんが、人文科学的にドンドン進
めてゆけばいいのであって、それがどうも進んでいないのは、単に哲学者が少ないせいなのでは
ないかと思っています。
科学の人類に対する貢献は勿論大ですが、マイナス面も事実あったわけで、それは哲学的理念を
無視したケースであると言えると思います。
つまり、宗教と科学のコラボが重要ということです。
No.3
- 回答日時:
私は合いエンスクラス宝煽れまた死から
死ですか。私は化学ではないようです。はちまじゃねえからとういこと奈央出そうか。
emキンだのなんだの全然科学扱いされてないので、
私の言動以外が化学なのでしょう。
とりあえず論運を読まないことには
化学ではないのでしょうか。重くなった。
No.5
- 回答日時:
No.2です。
> 確たる証拠の元は…
数式表現、です。自然科学における証明の手段です。
>「公理」、ということでいいのでしょうか?
「公理」の定義を示さないと。
定義の根拠は、その安定性を突き詰めれは行きつく先が、
自然科学であれば一つであり、
哲学や人文科学であれば、単独ではその時次第、集団であれば統計になる。
> 哲学以外の人文科学も同じ扱いなんでしょうか?
人文学は、過去の実績の統計学でしかありません。
数式表現、ということですね。
自然科学のみがサイエンスであると。
確かにその厳密性は勝るでしょう。しかし、自然科学の限界もあるであろうと思います。
人文科学や哲学は、その研究の対象ゆえに、過去の実績の統計のようにならざるを得ない
ということなのでしょう。
学問の詳しい内容は勉強しきれませんが、その概要を考えてみたいと思っています。
No.6
- 回答日時:
「科学」とは、「再現性を担保する。
」学問だと思います。小保方さんの事例でも分かる通り、再現性が担保されなければ、認められません。
「哲学」とは、「頭の中の妄想」に過ぎないのではないか、と思います。
哲学には、「言葉」だけが介在します。
しかし、その言葉には、意味だけがあって、具体的な「物」は無関係です。
Aと言う人の正義とBという人の正義が、「どこからどこまで同じ」なのか、
誰も証明できません。
しかも、Aと言う人の正義が、10年後のAと言う人の正義と「同じもの」なのかも、
証明できません。
そこに有るのは「雰囲気」だけです。
詰まり、人や時間で、常に「再現性を担保出来ない。」ので、「哲学は科学ではない。」と
思っています。
哲学とか人文科学というものは、例えば、職人の世界でその技術の粋を極力
客観的に捉えようとしたものではないかと思っています。
これを、完全に客観的にしようと思ったら、マニュアルなどという退屈でペ
ラペラなモノになってしまうでしょう。
マニュアルに従っているよりも、腕のいい職人の技を盗んだほうがよっぽど
いいと思う。
哲学については、誤魔化しがきくという意味では宗教と同等であると思います。
一般大衆はよくわからないからです。
世には、「自分が偉大な真理を発見したんだ!」というトリップ感に依存して
生きている人がいるようです。
頭ごなしに断定はできないにしても、多くの目にさらされれば次第に明らかに
なってくるでしょう。
そうしたものは、「頭の中の妄想」に過ぎない、どころか、人々を混乱させる
悪であると、言っていいと思います。
ただ、歴史に名が残るような哲学者は、もっとずっと真摯に真理を追究している
と思います。
私も解説本を少し読んだくらいな知識しかないのですが、例えば日本の哲学者で
ある三木清の著作を読んだことがありますが、日本人が日本語で書いていますの
で分かりやすいです。
そして、洞察の深さを感じ、大変に啓発されます。人生においてです。これは自
然科学ではありえません。
自然科学に比べて厳密性に欠けるので人文科学とか哲学を無視するということな
らば、これは人生において大変に損であると思っています。
No.7
- 回答日時:
「サイエンスする」とはどういうことでしょうか?
↑
確かさを積み重ね、更なる高みに登る
ということだと思います。
科学の特徴は次の三点です。
・客観性
・論理性
・再現性
誰が何時どこでやっても同じ結果が出る。
これが客観性、再現性です。
論理性があるから予測が担保出来るのです。
ヤカンに水を入れて加熱すれば、お湯になる。
千億回やっても同じ結果になるが、
千億と一回目はどうなるか解らない。
それを解決するのが論理性です。
哲学は科学の範疇には入らない、という考え方が多いようですが、
そうだとするとそれは、何故ですか?
↑
1,哲学は人によって違う結果が出ます。
時代によっても異なります。
だから議論百出です。
科学にもそうした面はありますが、
科学のそれとは質が違います。
2,哲学には論理性がありません。
論理性らしきものがあるだけです。
観念だけを積み重ねたもので
実証されていないモノばかりです。
つまり、確かさがありません。
仏教哲学を私は信じています。ということは、これを事実であると思っているということです。
事実であるならば、科学的に一致するか、あるいは矛盾しないかであるはずだと思うのです。
↑
事実には二つあります。
1,それが真実か否か。
2,真実であるとして、それをどう評価するか。
宗教は「2」の問題だと思います。
哲学というものも私は、科学同様、事実の追及に他ならないと思っています。その方法
を哲学的洞察(思索の果ての直観)に依っているということでは、
やはり同じではないかと思います。
↑
哲学には、西洋哲学と東洋哲学があります。
大雑把にいえば、西洋哲学は真理の発見を、
東洋哲学は人生の指針を示すものだと理解して
います。
そして真理の発見を目指すが故に、西洋哲学は
科学に追いやられ、存在価値が薄くなっているのだと
思います。
私は商売人ですから、商売の世界を考えてみると、確かにコンピュータを使った
データ分析等は当然有効であると思います。AIを活用すれば、思いもよらない戦
略を打ち出してくるといいます。
それはその通りでしょう。計算は正確で速いのでしょう。活用すべきですが、そも
そもAIなどはプログラミング次第だと思います。詳しくは知りませんが、どうして
もそのプログラミングの「枠」プラスαという限界があると思います。
これが、私は自然科学の限界だと思っています。
人間が蓄えた経験則とか直観知を理性で練り上げたものには及ばないケースがおそ
らく多々あると思います。
これが、人文科学というものではないでしょうか?
例えば大塚家具の例では、後者に軍配が上がったケースと言えるでしょう。
>哲学には論理性がありません
そうでしょうか?
カントは論理性は高いと思いますし、仏教哲学も論理体系はキチンとあります。
仏教哲学といっても、実に多様であります。小乗経と大乗経、爾前教と法華経、
釈迦仏教と日蓮仏教、それぞれ全く違います。
ですから、これらのものを一緒に「仏教」として、その矛盾を指摘することは
いとも簡単なことで、しかも無意味なことです。
教団ごとに、また派ごとに、まとまった教えがあるわけですから、それぞれを
批判してゆくべきです。
私が支持をする仏教哲学は、二つの柱があり、一つは生命論です。もう一つは
人生訓のようなものです。
それが事実、あるいは真実であるということの証拠として、人文科学的に論証
されなければならないと思います。
また、信仰の結果、どう変化したということが検証されるべきだと思います。
これは、実現はとても難しいですが、例えば法律で宗教法人の教義を明確に掲示
する義務と、それによって信者がどの程度変化したかということを国へ報告する
義務を課し、宗教監査院なるものを設置して監視にあたるということができたな
ら、私は素晴らしいことだと考えています。
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
基本的には、科学が形而上学でないと言う事が違いなんだと思います。
(これに関しては、量子力学の「解釈」は、その実体を観察できない以上「形而上学」に過ぎないと言う批判はあるでしょう)あらゆる形而上的な概念を排除しようとした、マッハなどは、その立場としては、科学的でしょうが、それを思想的な衝動とした時点では、哲学的と言えるでしょう。
20世紀初頭は、現代の科学的な方法論は、ほぼ確立していましたが、現象の解釈と言う点では、まだ自然哲学から抜け出ていなかったと言えるでしょう。
実際問題としては、「科学」、狭義には「自然科学」の厳密性を担保するのは、「現象」そのものです。(現象以外は、基本的に検証の対象にならないと言えるでしょう)
「哲学」は、その性質上、形而上の存在も対象としなければいけません。 したがって、その厳密性の担保は、哲学が方法そのものから、生み出す必要があります。(これが、「哲学」が一筋縄では行かない所以です)
厳密性が一定の範囲で、確実に担保できるのは、形式科学としての「数学」ですね。(むしろ、厳密性が担保できる「形式」を見つけるのが、「数学」なのかもしれません)
宗教もある意味、「数学」に似ています。 それは、宗教の信仰者からは、そのようなものでは無いと言われるかもしれませんが、何らかの信仰対象に対して、信仰者がある形式で、その信仰を行う活動と言えなくも無いわけです。(その形式の分析は、宗教では無く、「宗教学」と呼ばれるでしょう)
古代ギリシャにおいては、これらは、全て「哲学」の領域にあったと言えるでしょう。(「数学」、「自然学」、「形而上学」は、「哲学」の中で混然一体として議論されていたわけです)
ヨーロッパにおいては、ローマ帝国によるキリスト教の国教化に伴い、しばらくは、(キリスト教)「神学」は、自然哲学や「形而上学」としての、プラトニズムと混然一体として、「哲学」としても、蜜月を迎えましたが、16世紀以降は、暗黒時代を経て、「哲学」からは、それぞれ「神学」、「自然科学」として、分科していきました。
分科した理由はさまざまでしょうが、基本的に「哲学的」な厳密性では、上手くゆかなくなったのが、一番の理由でしょう。
(キリスト教)「神学」は、その宗教的理由から、教義にかかわるような議論を嫌ったわけでしょうし、「自然科学」は、原因を追究するより、現象の法則の科学的解明の方が重要だったと言う事です。
「数学」も、論理実証主義により、その厳密性を確立する事を目指しましたが、ヘーゲルなどにより、その基盤が確実で無い事が証明されてしまいました。(したがって、一定の形式における論理的整合性の検証に特化したわけです)
これらは、「Why(何故)」から、「How(どのように?)」への転換と言えます。
「哲学」が追求するのは、「Why」でしょう。
「科学」は、「How」であり、一部の解釈は、「Why」となります。(ただし、解釈は、あくまで解釈であり、実証は成されていないでしょう)
これが、「哲学」と「科学」を分ける境界なんでしょう。
>あらゆる形而上的な概念を排除しようとした、マッハなどは…
私の経験上では、女性でこういう考えの人を見たことがありません。男性で
7:3くらいの割合でしょうか?形而上的な概念が嫌いな人は。文系・理系と
いうことでもないと思うのです。私の兄は文系ですが、形而上嫌いの方に完
全に入っています。
3の方に入っている私には「何でそう考えるんだろう」思ってしまうのです。
>「哲学」は、その性質上、形而上の存在も対象としなければいけません。
したがって、その厳密性の担保は、哲学が方法そのものから、生み出す必要が
あります
これは、よく覚えておきます。
>宗教もある意味、「数学」に似ています
そうですね、私たちの信仰において、祈りの対境である「本尊」の文字は決まっ
ていますし、経、題目の文字、発音も決まっています。その部分では、そう言え
るでしょう。
>「数学」も、論理実証主義により、その厳密性を確立する事を目指しましたが、
ヘーゲルなどにより、その基盤が確実で無い事が証明されてしまいました
そうだったんですか。これもよく覚えておきます。
結局、対象とするものが「現象」であるか否か、ということですね?
私は、「究極の本質」以外は、精神というものも(精神現象でなくて)現象であり、
理念的なものもすべて現象ではないかと、漠然と考えています。
そうだとすると面白いですよね(^^♪
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