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ふと思ったのですが、例えば株で売買してる証券トレーダー。TVを見ていると利益が継続的に月100万円、配当だけでもかなりの金額の人もいますよね。銀行などもお金を借りて国債を買うだけなどやっているところもありましたよね。そういった職業を見ると、本質的に価値を生んでいるのか疑問に思いました。
しかし、実際には価値を産まないのに給料は高いという仕事も多い気がします。
他にはどのようなものがありますか?

また、そもそも、創出した価値と給与が比例するというのは仮設として正しいでしょうか?

A 回答 (2件)

しかし、実際には価値を産まないのに給料は高いという仕事も多い気がします。


 ↑
ハイ、その通りで、金融業の方が
製造業よりも収入は高いのが一般です。



他にはどのようなものがありますか?
 ↑
利子や配当で生活しているお金持ち。

アラブのお金持ちもそうですね。

石油を開発したのは先進国で、労働している
のは途上国の出稼ぎ労働者。
で、自国民は何も価値を生み出していないけど
贅沢三昧している。



また、そもそも、創出した価値と給与が比例する
というのは仮設として正しいでしょうか?
 ↑
正しくありません。
経済学者のピケテイ氏が、過去二百年を
調査した結果、次のようなことを指摘しています。

現代では、利子や配当の方が、額に汗する
労働よりも、収入が多い。

これはオカシイ。
なんとかすべきだ。
(ピケテイ 21世紀の資本論)
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価値というものをどのようにみるのかに関わっている問題だと思います。



仮に、金(カネ)で価値が測れるものという仮説を立てたとします。(以下はその仮説の上での話です)
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ガソリン50リットルに6000円を出して購入する人は、ガソリン50リットルにはその価値があると見なしているのです。
同様にガソリン50リットルを6000円をもらって売る人は、ガソリン50リットルにはその価値があると見なしているのです。
すごい状況を想定します。 「現在陥っている窮状を訴えて、この状態を解決するため1000万円欲しいと懇願する」 これがいわゆる特殊詐欺だとします。 電話を受けた高齢の女性が、「自分が用意できるのは850万円が限度」だと言って、850万円を振り込むか受け取りにきた代理人に渡した。 この場合、高齢女性にとっては孫の窮状を自分が助けるという行為には850万円を出すだけの価値があったのです。 850万円を受ける側も、捕まるリスクや諸費用と稼ぎを考えて850万円の価値を認めたのです。850円しか受け取れない場合には受け取りに手間をかけることはしないのです。
ユーチューバで巨額の稼ぎを得ているというニュース?をみたことがありますが、このユーチューブの閲覧にいくらかの費用をかけてもいいという閲覧者やユーチューブ閲覧者に広告を表示できることを期待する業者などの小額の支払いが重なった(支払A+支払B+支払C+支払D+支払E+支払F+支払G+支払H,,,,,=受け取り巨額)ということは、多数の価値が一つの価値に集積しているのです。 特許権や著作権、放送権、劇場での公演などでも同じように考えることが出来るとすると、個々の支払者は享受出来る価値に見合っているからカネを払っているのでしょう。受け取り側は受取総額をあらかじめ決め納得しているのではないのですが、期待値としては総額○○万円くらいになるとイイナと考えて、それだけの価値があるように考えているのです。結果として、半額だったり、3倍だったり、大損だったりということはあるでしょうが、それはそれだけの価値のものだったと考えることになると思います。農家で作物を作って売る場合でも、売れた総額の価値だったなぁと思わなくてはならないでしょう。本来は△△の価値があったハズという思いはあるかもしれませんが、結果を受け入れるしかないです。思いの外高額に売れた場合も、この時期にはこれだけの価値に上がったんだからこれで正当な金額だと儲けを喜ぶのでしょう。

株や債権を売買する、相場ものに手を出すという場合も、その時点での価格がその適正な価値を表していると考えるのでしょう。その後に、価格が変動し、価格が上昇しても、下降しても、あるいは3年後に同価格であったとしても、暴落しても、高騰しても、その時々に適正な価値で売買が行われていると考えるのであれば、大儲け、大損しても期待とは違っただけのことで、価値そのものは取引価格が示す通りなのでしょう。

カネの貸借の場合、1月後に1割利息をつけるから1万円貸してくれと借り入れる人は、今の1万円にそれだけの価値があると認めていることになります。 年2%で1億円借りて商売を拡大しようとする人は、年4%の1億円の価値はないと考えているのだと思います。 宝くじを買う人は、(あたった場合の夢をみる価値+当たり外れの確率×等の金額)が、千円あるいは1万円に相当するのだと考えているのでしょう。 1千万円出して宝くじを買うほどの価値には思ってはいないのだということでしょう。
入学金と授業料などを払って入学し通学と授業を受ける時間を費やす人は、学校に通うことや勉強することや卒業経歴を得ることに見合う価値があると考え、学校側もそうした金額や時間を懸けさせる価値を提供していると考えているのでしょう。
人を集め、雇い、給料を払う企業や市役所や消防・警察なども、その素人や経験者に給料を払い、費用を懸けるだけの価値があると考えているのでしょう。応募しトレーニングを受け勤務規則に従って勤務する人も、受ける地位や給料や厚生福利などの価値が、勤務に関わるあれこれと見合っていると考えるのでしょう。

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本質的に価値を生んでいるのか 実際には価値を産まないのではないか そもそも、創出した価値があるのか

難しいところだと思います。 価値は、生んだり、産んだり、喪失・創出・育てたりできるのか。
価値を認めることは、《金(カネ)で価値が測れるものという仮説》から言えることだと思います。
絵画や美術品、ショービジネス、観光、特許や工業製品、運送サービス、調理や清掃、廃棄物処理、研究、製造や加工、受験塾も、救命救急医療などでも、土木工事、家や土地でも、価値を認めるということは、納得出来ます。

今まではなかった新しい食品やネットサービスを考え作り提供を始めることが可能なのは分かります。ただそれらが価値あるものと認められないと、価値を生んだことにはならない、価値を増やしたことにもならないように思います。
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そもそも、創出した価値と給与が比例するというのは仮説として正しいでしょうか?

仮説というのは、仮の説、仮定条件としておいたもので、それと連続する整合範囲を調べたり、不整合になることをいうものだと思います。 
新人の勤務開始から1ヶ月目、4ヶ月目、8ヶ月目でパフォーマンスは違うのが普通ですが、給料は毎月同額であることも多く、月々のパフォーマンス実績と給料が比例していることは少ないでしょう。 有給休暇や有給の休職期間があるならば、勤務のパフォーマンスと給料は比例してない可能性が高く、中高齢になって壮年期よりもパフォーマンスが下がっても給料が下がらないのであれば、勤務のパフォーマンスと給料は正比例の傾向にはないのは確かです。 給与や給料は、期間に対して支払われますが、長期将来的な期待や過去に対する考慮も含めて支払われるというように、受取側も、支払側も考えているのではないでしょうか。 病気、怪我、事故で就業出来なくなってもその時点で給料がなくならないである期間は給料、給与、報酬がもらえるのは、従業員でも経営者でも、プロ選手結構あります。契約にもいろいろありますが、多くの契約は、いろいろなケースを想定しての期間の観点で価値を想定して給料給与を決めています。そういう点で考えれば、給与は時々のパフォーマンスに見合わせて払われるのではなく、長期的価値の値踏みや期待と不安との関連で総合して決められるということでしょう。 出来高払いの契約にしても、時間賃金を決めるやり方でも、出来高や時間でどれだけのパフォーマンスがあるのかは不明の状況で契約するのですから、期待と不安と確率の推定で価値を決めて、それに対応する将来給与の計算方式を、現時点で決めているとも解釈は出来ます。 そういう見方をするのならば、《創出した価値と給与が比例するという仮説》よりは、《創出するであろう価値と給与が比例するという仮説》の方が適用実例は多いと思います。
売れ行きに比例することが多い印税、クリックされた回数に比例する広告料謝礼のようなのも、実績払いには違いないですが、計算のベースとしての比例定数にどう金額を設定するか、計算式をどう決めるかという行為の中に価値を測定する方式が織り込まれているので、事前の価値期待が具体的な報酬計算式に織り込まれているとも言えると思います。 その計算式で報酬や給与が支払われているのであれば、そのとき報酬や給与を受け取るサイドで実績を “「創出した価値」に基づく給与や報酬だった”とも言ってもおかしくはないです。 そして、“創出した価値と給与が比例していた”と表現するのも可能だと思います。

お金を借りてそれを証拠金にして債権や株式投資や、貸金業などでバンバン稼いでも、(儲けがなく、大損しても)それはそれです。 まじめに勤めこつこつ貯め借金もして建てた家が翌年裏山の崖崩れで倒壊し借金だけがんこっても、それはそれです。 宝くじや遺産相続で大金を得て、その金がカネを産むというような案配に進んでも、それはそれです。 価値はカネで測れても、保有するカネの増減で価値の増減の原因を特定できるのではないのだと思います。 
「“創出した価値と給与が比例していた”と表現するのも可能」でも、「“給与が創出した価値と比例していた”と表現するのも可能」とは限らないのだと思います。 
不当な取引となると思うのですが、A社が競争場からB社を追い出すためにB社のキーとなっている人物Cを全く関係ないD社に高額報酬を餌にスカウトさせたたとします。B社はCを失ったためA社との競争力を失いA社は市場供すに勝ちます。CにD社が払う高額報酬はA社が負担してもA社にはそれ以上の価値がでています。CはB社に勤務しているときよりもD社から高給料を得ています。しかし、CがD社の勤務それ自体で産んでいる価値、創出している価値は、あまりないのかもしれません。窓際勤務のような仕事でも高給を得ているのかもしれません。 Cがサボり、怠惰、仕事をしないという状態になってもらうことを、A社は価値の増大と考え評価して報酬を払っているという意味では、A社には高額の報酬を払う価値があることになります。 C個人では、B社で仕事をしたりしない、価値を生んだりしないことが、報酬や給料の獲得では有利という状況は、ないことはないのでしょう。
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