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亡くなったらどうなるのでしょうか?

最近ふと死んだらどうなるのか考える時があります。
どれだけ考えても答えの出ないことですが、寝ている時のように無になるのか幽体離脱のように上から見ているようになるのか、。
皆さまの意見をお聞かせください。

A 回答 (22件中11~20件)

死んだら、幽霊になります。



この世に未練がなければ、
成仏して、違う生命に生まれ変わります。

人間の場合、また人間になることが多いです。

良い行いをしないと地獄に行くとありますが、苦しい想念を抱え、500年くらい、この世の悪夢をみます。

良い行いをして死にましょう。
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それ以上、どうにもならない状態のことを、死というだけです。



つまり考えて答えがあるとすること自体、無駄。
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死とは何でしょうか。

死んだ後私は何かを感じるのでしょうか。
その為には、私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

 では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

 この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

 例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
 部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html
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実に簡単な話で、


人は気絶している間、時間が飛ぶ。
編集されたテープのように、2時50分30秒の次が3次20分21秒になる。
言うなれば
「あれ、私座っていたのに何で床から天井を見上げてるの???」
という状態である。
貧血を起こした人が意識を取り戻した後茫然としているのはそのためである。

人は、脳の機能が低下している間、
時間も空間も、五感も思考力も失うのである。

死と気絶が違うのは、
死には回復の時がないということである。
それがどういうものか、そこから帰ってきた人は一人もいないので誰も知らない。
(帰ってきたらそれは気絶であり死ではない)
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死んだ人の話は聞けないので何が本当かはわかりませんが…



私はスピリチュアル的な能力のある友人の話を聞いたり、色々な本を読んだりして、人は死ぬと意識体というか思念のような形(それを魂とか霊という人もいるようですが)になり,現世とは別の次元の世界で存在するのではないかと思うようになりました。
宗教的にはあの世とか天国とか呼ばれるようですが。

ただ、一部には怨み・執着などから、この世にもあの世にも属せず、間を浮遊するような存在もあるようですが…

輪廻転生も全てが転生する訳ではないがあるような気がしています

他人に言うと非科学的な変な奴と思われるので普段は黙ってますが。
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まあ、その時になれば分かるでしょう。



この事は、科学的に考えるのは難しいので哲学的思考が必要となります。
人間の肉体は新陳代謝しています。ですから、20年も生きていれば生まれた当時肉体を構成していた細胞は全て入れ替わり1つも残っていないはずです。でも、細胞が入れ替わっても自分は生まれた時からずっと自分のままで、細胞の入れ替わりと共に人が変わってしまったという事は起こりません。
また、幼少のときと大人になってからの精神状態を比べてみますと、比較にならないほど発達して変化しています。
けれども、自分は自分のままです。
このように、肉体も精神も時間経過と共に変わるのに自分が自分として変わらないのは、自分に本体があるためだと考えられます。(すなわち、肉体や精神は自己本体ではないということになります)
この自己本体を、俗な言い方で言えば「魂」です。
人間は、この世に生まれる前に既に「魂」が存在していて、魂が父親の脳内にある松果体から神経を伝って生殖器に移動し、成功によって母親のおなかの中に移り、1年弱を経てこの世に誕生すると考えられます。
そして、死ぬと精神と肉体から引き離されて、再び生まれる前の境涯に戻ると考えられます。

死期が来て、この魂が肉体から離れる瞬間は、人によって感じ方が違うのかもしれません。
いわゆる幽体離脱のような体験をする人もいれば、三途の川を渡るというような経験をする人もいるなど、いろいろな感覚が存在するようです。しかし、その後は生まれる以前の状態に戻るのです。
自分がこの世に存在するという事は、自分が生まれる以前に既に自分の元になるものが存在していた結果です。
もし、生まれる以前、自分は「無」であったなら「無」から自分が生じてくるはずがありません。
従って、この自分になる元:魂、が存在するという考え方は自然な考え方です(これが哲学的思想)
そのような「元」=「魂」がある以上死んだら無になるという考え方は、矛盾という事になるのです。

で、ここからは更に深い思考が必要となります。ではその魂はどこから生じたのか?
哲学的には、この大宇宙を作った「元」自体が非常に大きな生命(魂)であるとしています。
(俗にいう「神」とはこれを指していると思われる節が多々あります)
この、大きな魂から分離した小さな魂が我々人間の魂です。
この大宇宙は(よく観察すれば分かると思いますが)進歩的で向上的です。古いものは破壊され、より良いものがつくられるという事がこの大宇宙の至るところで常に進行していますが、この事実をみれば直感的に「宇宙が創造的」であるということに納得されることでしょう。従って、哲学はこの大宇宙が「創造」の意志を持っているとしています。
この目的を促進するために、大きな魂は自らを分離して小さな魂=人間、をこの世に送り込んでいる、と考えられているのです。

従って、人間がこの世での役目を終えて死んだ後は、魂だけの存在となり、
魂はやがて、この大生命に再び同化すると考えられています。
それはちょうど、大海から分離した一滴の水が再び大海に戻っていく様子と同じです。
だから、死んでしまえば自分は無くなりませんが、かといって今まで通りの自分と言うわけでもないことになります。
俗な言葉で言えば、死後の魂は「神と一体化して」この世の進歩向上を行う事になると想像できるのです。
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>亡くなったらどうなるのでしょうか?



肉体は滅びますが、生命は身体から抜けて宇宙空間に冥伏します。

再び人間として生を受ける確率は、極稀です。

ですから、今を大切に人間として生を受けている事に感謝して
生きていくべきです。
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人の極論的で非常に気になりますよね。



一度死の淵を味わうと、
夢の中で三途の川を渡って来たと口する方がいますが、

亡くなった方には聞けないし、そうした方が1番近いのではないのでしょうか?

出番ですよ!
そうしたところを味わった方お話し聞かせてください。
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ほんと、私も知りたいです。


今の記憶とか、心とかどうなってしまうのでしょうね。
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わからないので本読んでください

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