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介錯というのは切腹した人の首を切り落とす行為であり、現代だとモロに殺人罪にあたります。

しかしながら、歴史上、介錯人が悪人とされたことはほとんどなく、苦しまずに自殺するための温情ある行為とされてきたことが多いです。

介錯は明治維新後にも行われており、西南戦争に敗北した西郷隆盛も介錯されているところですが、それでは、日本で最後に行われた介錯はいつ、どこであったものでしょうか?

日露戦争あたりまではあったのでしょうか。
それとも、第二次世界大戦の頃にも介錯があったりしたのでしょうか。
自殺者は今も多いですが、さすがに戦後日本で介錯は行われていないように思いますが、どうでしょう。

質問者からの補足コメント

  • 戦後にもあったことは驚きです。
    だとすると、大戦中も敗残兵による介錯が何回も行われていたことが想像できますね。

      補足日時:2019/04/21 16:55
  • 刑法202条の同意殺人でしょうか。
    これも殺人罪といえばそうですが。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/04/22 07:31

A 回答 (8件)

大戦中はむしろかなりの数が行われています。


例えば沖縄戦では牛島満と長勇が6月23日に
剣道5段の次級副官に介錯してもらっています。
逆に、特攻の生みの親と言われた大西瀧治郎や
終戦時の陸軍大臣である阿南惟幾は
自刃するときに介錯を断っています。
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一応突っ込んでおくと, 介錯を「モロに殺人罪にあたります」とするのは早計に過ぎるんじゃないかな.



少なくとも刑法199条の適用はしにくい.
この回答への補足あり
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No.5です。



戦地では、負傷して苦しむ「同期の桜」を、

見過ごすことが出来なくて、介錯して楽にしてあげたのでは

ないかと思います。

その時に、「日本に帰れたら、家族に渡して欲しい」と

遺品を託されたのではないでしょうか?

生き残った兵が、託された遺品を渡すために、

残った家族を探し求める、、という映画を観たことがあります。
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昭和45年、市ヶ谷駐屯地のバルコニーにて、



「憲法改正」の決起をうながし、自分の命をかけて憲法改正を訴え

切腹した三島由紀夫ですね。



憲法は改正になっていません。
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三島事件の時に、三島由紀夫と三島を介錯した森田必勝が


各々割腹自殺した後に介錯されています。
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記録に残るものではおそらく自衛隊市ヶ谷駐屯地の三島由紀夫ではないかと思います


1970年11月だったと記憶しています
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ブー!戦後から25年経った1970年に起こった三島事件かな?


詳しくは「三島由紀夫」「三島事件」でネットを検索してちょ。
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1970年11月25日、東京都市ヶ谷。

古賀浩靖
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