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下記のヲとガの使い方のうち、不自然に感じるのはどれでしょう。できれば理由を添えていただけると助かります。
1)(図書館ではゆっくりと)読書ヲできる
2)(図書館ではゆっくりと)読書ガできる
3)(図書館ではゆっくりと)勉強ヲできる
4)(図書館ではゆっくりと)勉強ガできる
5)(彼はクラスで一番)勉強ヲできる
6)(彼はクラスで一番)勉強ガできる
7)彼は数学ヲできる
8)彼は数学ガできる

 この質問は下記の質問(「前問」と呼びます)の続きにあたるものです。
【「自分の力をアピールできる」と「自分の力がアピールできる」は どちらがいいですか。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11007690.html

 個人的には、ヲとガの両方が使える場合のニュアンスの違いにはあまり関心がありません。
 前問からの引用。
===========引用開始
〈「自分の力をアピールできる」と「自分の力がアピールできる」をどう考えるか〉……個人的には「自分の力がアピールできる」を原則にしていますが、論理的な理由はありません。ニュアンスの違いを考える気もありません。それもウンザリするほど繰り返されていますでの、そういうのがお好きなかたに任せます。
===========引用終了

 ニュアンスの違いに関する明快な回答があるなら大歓迎ですが……。

質問者からの補足コメント

  • 「お礼」欄にNo.1のかたへの「お礼」を入れてしまいました。申し訳ない。

     コメントありがとうございます。
     大筋としては同感です。
     こういうコメントなら返信する気になります。
     でも肝心のところは違うのでは。

    ===========引用開始
    ここでの動詞「出来る」には、動作性名詞に続き「可能である」と言う意義と、「課せられた作業・課題や
    準備が完成・完了する。仕上がる。」の二つの意義をもっています。
    ===========引用終了

     おそらく、そういうことではないと思います。「動作性名詞に続き」は、助動詞的な用法(「自分の力{ヲ/ガ}アピールできる」「〜{ヲ/ガ}満喫できる」など)のことでは。いま問題にしているのは、「読書{ヲ/ガ}できる」などのことです。{ヲ/ガ}は「できる」の直前につきます。
     さらに「課せられた作業・課題や準備が完成・完了する。仕上がる」も違うのでは。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/11 17:51
  • 申し訳ない。
     コメントの投稿先を間違えたうえに、2カ所もマヌケなことを書いてますね。
     修正します。

    ●「できる」が補助動詞的に使われている場合
     の下記の部分は「満喫」ではなく「満足」です。
    「〜{ヲ/ガ}満喫できる」だとニが自然に感じるのは別の話でしょう。

    ●本動詞?の「できる」は2つに分けられるのでは
     の最後の1行を、下記のように修正します。

     × ちなみに、質問の1)〜8)は、いずれも×でしょうか。
       ↓↓↓
     ⚪︎ ちなみに、質問の1)3)5)7)は、いずれも×でしょうか。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/12 18:11
  • まだ中途半端な気がしますが、とりあえず「できる」に関して。
     感想をお聞かせいただければ幸いです。
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12462244372.html

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/18 22:09
  • つらい・・・

    どうやら、広辞苑も「できる」を自動詞にしているようです。
     こうなるとますます逆らいにくくなる(泣)。

    【{ヲ/ガ}できる {ヲ/ガ}(熟語動詞)できる 可能動詞】〈3〉【資料編】
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12465591027.html

      補足日時:2019/06/01 23:17
  • 【{ヲ/ガ}できる {ヲ/ガ}(熟語動詞)できる 可能動詞】〈1〉~〈4〉
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12465694082.html

      補足日時:2019/06/04 21:07

A 回答 (20件中11~20件)

#8、#9です。



>すでに書いたように、どちらの考え方もできると思います。
 そこにはあまりこだわりません。同じようなものなので。

わかりました。
他動詞と自動詞という決定的な違いがあると思ったのですが、見解の相違のようですね。

>別に横レスは構いませんが、ほかの人のコメントにコメントをつけて、いったい誰に向かって書いているのでしょうか。

ほかの人のコメントは質問者への回答ですよね。
横レスというのは、その回答に対してのコメントですから、ほかの人へのコメントであると同時に、結果的に質問者へのコメントにもなるかと思ったのですが。
私の回答内容に触れている個所もあるわけですから、その点の誤解を解く意味でも必要性を感じた次第。
質問者にとってもまったく関係のない話ではないように思うのですが、「横レス気味になりますが」と注釈すべきだったかもしれませんね。
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この回答へのお礼

>他動詞と自動詞という決定的な違いがある
 一般には、どちらも自動詞のはずですが……。
https://kotobank.jp/word/%E5%87%BA%E6%9D%A5-5289 …

>結果的に質問者へのコメントにもなるかと思ったのです
 でしたら、そうわかるように書いてください。

お礼日時:2019/05/18 21:24

#8です。


少し横レスよろしいですか。

(#5さんのご見解について)
>「ロシア語が分かる」「ロシア語ができる」は「ロシア語」が主格なのでしょうかね。

対象格かと。大辞林の
9 それをする能力や可能性がある。「ロシア語が―・きる」「―・きるだけ努力します」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/151118/meaning/m
に該当する他動詞と考えて良いのではないですかね。
対象格なので、「ロシア語を分かる」「ロシア語をできる」といった表現も可能でしょう。

(#6さんのご見解について)
> しかし、「数学できる」は無理ですから、「を」か「が」を使わざるを得ません。

可能用法の場合、「読書できる」と同様、あまり使わないとは言え、『無理』ではないように思います。
・1)(図書館ではゆっくりと)読書(ヲ)できる。
・あの学校ではパソコン使って数学(ヲ)できる。
のように言えるかと。
いくつかそぐわないものもあるかもしれませんが、サ変動詞は基本的に「ヲ/ガ」抜きにできるような気がします。

>しかし、「を」か「が」かは辞書などが結論を出していますから、(No.4の方の引用された大辞林など、すべて例文が「が」になっています)「が」でしょう。

これは早計でしょう。
「今日のプレゼンでは思い切り我が社のアピールをできる」
といった表現は自然なはず。
「を」が無理なのは、
【(能力が)優れている】
といった自動詞用法の場合だろうと思います。
・彼は数学する能力が優れている。
という意味で、
7)彼は数学(ヲ)できる。
とは(文法的に)言えない。

・4)(図書館ではゆっくりと)勉強ガできる。
・彼は(エベレストの頂上から)スキーができる。
のように、可能・「能力がある」などの用法の場合は、他動詞と考えて構造的にヲ格を使えると考えるのが妥当ではないかという気がします。(常に自然になるわけではないが、という意味での「構造的」という注釈です)
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この回答へのお礼

別に横レスは構いませんが、ほかの人のコメントにコメントをつけて、いったい誰に向かって書いているのでしょうか。

お礼日時:2019/05/17 20:38

#7です。



>すでに書いたように、どちらの考え方もできると思います。
 そこにはあまりこだわりません。同じようなものなので。
ただ、⑨㋑と考えれば、〈ガの用法について問題が残る〉ことがないので、そのほうが簡明かと。

そうですか。
わかりました。
たしかに『同じようなもの』かもしれません。
ただ、わたしの場合、

3)(図書館ではゆっくりと)勉強ヲできる。=⑨㋒「可能」
とは言えても、
5)(彼はクラスで一番)勉強ヲできる。=⑦「能力がすぐれている」
とは言えない、
という自らの感覚を説明できる根拠を考えている過程で、「できる」には、後者のような自動詞としての用法もあることに気づかせていただいた。それで、

・彼は(エベレストの頂上から)スキーができる。=⑨㋑「能力がある」
・彼は(村一番)スキーができる。=⑦「能力がすぐれている」

のように別の用法として捉えたいと考えているところ。
余談ですが、辞書語釈の表現次第でもかなり受ける印象は異なってきますね。
今回、便宜上⑨㋑と表記しましたが、大辞泉の語釈から引用してみました。
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この回答へのお礼

すでに書いたように、どちらの考え方もできると思います。
 そこにはあまりこだわりません。同じようなものなので。

お礼日時:2019/05/17 20:37

#4です。



>1)〜4)は、㋒ 動作性の名詞を受けて、…をすることが可能であるという意を表す。 「泳ぎが-・きない」 「車の運転が-・きる」

たしかに。
1)〜4)に限れば、能力は関係ないですね。
一応、「能力がある」の場合も含むということで、㋐以外はすべて引用した次第。

> 当方は5)〜8)は⑦「能力・人柄がすぐれている。」か⑨㋑「それをうまく行える。」か決めかねています。どちらかと言えば⑨㋑かと。
 どちらで考えても大差はないでしょう。
 ただ、6)8)のガの使い方に疑問を感じるなら、⑨㋑と考えるほうがよいのでは。
「勉強ガできる」「数学ガできる」は「彼はスキーが-・きる」と同様では。

ここは、わたしも悩んだ点です。
たしかに微妙ですね。
ただ、
「彼はスキーができる」は、
「彼はスキー(をすること)が(うまく)できる」
という意味ですが、
6)(彼はクラスで一番)勉強ガできる。
8)彼は数学ガできる。
は、
6')(彼はクラスで一番)勉強(をすること)ガ(うまく)できる。
8')彼は数学(をすること)ガ(うまく)できる。
という意味ではないと思う次第。
(うまく)の部分を除いたとしても、やはり、そういう意味にはならないでしょう。

〇「私はスキーができる」⇒「じゃ、やってみて」
という会話はあり得ますが、
×「私は勉強ガできる」⇒「じゃ、やってみて」
×「私は数学ガできる」⇒「じゃ、やってみて」
という会話は成立しません。
「勉強」「数学」は、【可能・能力を表わす用法の「できる」という動詞】の対象とはなりづらい、ということではないかと思います。
おそらくですが、可能・能力の対象とするには、概念が広すぎる、あるいは抽象的すぎるのではないでしょうか。
一方、
〇「私は九九ガできる」⇒「じゃ、やってみて」
は(概念も広すぎず具体的なので)可能・能力の対象となりやすそう。

6")(彼はクラスで一番)勉強(をする能力)ガ優れている。
8")彼は数学(をする能力)ガ優れている。
のように、自動詞用法と捉えたいところ。
むろん、ヲ格は使えません。
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この回答へのお礼

すでに書いたように、どちらの考え方もできると思います。
 そこにはあまりこだわりません。同じようなものなので。
 ただ、⑨㋑と考えれば、〈ガの用法について問題が残る〉ことがないので、そのほうが簡明かと。

お礼日時:2019/05/15 22:00

「読書できる」のような言葉は余り使いませんが、「勉強できる」「満足できる」などは、サ変複合動詞としてよく使われると思います。

実はこれらは、そうなる前に「勉強する」「満足する」の形がサ変動詞として、その「する」が「できる」になった、一種の可能動詞と考えられます。悪名高い「ら抜き言葉」も可能動詞として出てきたものです。
 上一段 起きれる 下一段 寝れる カ変動詞 来れる サ変動詞 できる
(本来の可能形)
     起きられる    寝られる     来られる     される
                            (古くは「せられる」)
この新しい、可能動詞の中で自然に受け入れられてしまったのが「できる」です。
だから、「を」や「が」抜きで成立させればいいのではないでしょうか。

 しかし、「数学できる」は無理ですから、「を」か「が」を使わざるを得ません。しかし、「を」か「が」かは辞書などが結論を出していますから、(No.4の方の引用された大辞林など、すべて例文が「が」になっています)「が」でしょう。ただ、この前の私の回答にあったように、この「が」は「主格」なのか、「対格」なのかの問題は残されます。
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この回答へのお礼

>この新しい、可能動詞の中で自然に受け入れられてしまったのが「できる」です。
「自然に受け入れられてしまった」か否かはわかりませんが、可能動詞のなかでは異質だと思います(だから質問したんですが)。

>だから、「を」や「が」抜きで成立させればいいのではないでしょうか。
 ここがよくわかりません。
「読書ができる」はOKでも「読書できる」はヘンですよね。「ガ」(もしくは「ヲ」)を省略できるか否かは、「{ヲ/ガ}できる」のあとに控えているテーマのひとつで。
 1)3)は×ですかね。当方は原則ガにすることにしていますが、ヲでもOKだと思います。
 とくに、近くに別のガがある場合は、ヲのほうがいい気がします。
 このあたりは下記に書いたとおりです。

【自動詞と他動詞〈6〉 ヲガ交替(←オイ!)〈1〉〈2〉】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12359746188.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
===========引用開始
デ例文1)放課後の図書館では落ち着いて本が読める
デ例文2)放課後の図書館では落ち着いて本を読める
デ例文3)放課後の音楽室では落ち着いてピアノの練習ができる
デ例文4)放課後の音楽室では落ち着いてピアノの練習をできる
デ例文5)放課後の音楽室では誰もがピアノの練習ができる
デ例文6)放課後の音楽室では誰もがピアノの練習をできる

 こうして6つの例文を見比べてみる。【2】から考えると、デ例文1)と2)はどちらもアリだろう。世間は、デ例文1)は自動詞でデ例文2)は他動詞、と考えるのだろう。当方は、両方とも他動詞なのでは、と疑っている。
 世間ではデ例文4)と6)が×とするんだろうな。当方はこれが×とはとうてい思えない。とくに5)と6)を比べると、近くに「誰もが」がある場合はデ例文5)のほうが不自然とさえ思う。
 デ例文3)~6)の自他に関しては、〈自動詞だけどヲもガも使えるパターン〉じゃないか、ってことにしておく。
===========引用終了

お礼日時:2019/05/15 21:55

「できる」について。

古い話ですが、「できる」は古語「出(いで)来(く)」から出ました。意味は「出てくる」だったと、思われます。それが、中古から中世にかけての頃、「出来」を漢語読みした言葉が使われました。「シュッタイ」(「しゅつらい」の音変化)このサイトに質問があって知りましたが、宮中で働いたと思われる貴族の書いた日記に、「〇〇寺出来」という記事がありました。おそらく「〇〇寺完成」の意味だったのでしょう。
 『 俚言集覧(増補)〔1899〕「出来た 南部にて、出たといふこと、月が出たを月が出来たといふ」([日本国語大辞典]より)』
   それが一方で、
『することが可能である。することが許される。動作を表わす語を受けて、その動作をすることが可能である意を表わす。
*浄瑠璃・五十年忌歌念仏〔1707〕中「わか衆の前がみ女の脇詰男がしらいでたつ物か、できぬ仕方と言ひければなふ、そこらを忘れるおなつでなし」』
   のように、十八世紀初頭に可能の意味をもつようになったわけです。

 以上は語誌に過ぎませんが、日本語文法の中で目立つ人として知られる、金谷武洋氏
は、『日本語に主語は入らない』の中で、次のようなような文をあげて、関係ある話をしていますので、ちょっとご紹介します。

  「田中先生は、ロシア語が分かる」

 このなかで、主語は「田中先生」だという人は、この文を一旦英語に訳したと思われる。時枝誠記は、「ロシア語が」をわざわざ「対象語」などと名付けたが、これは「ロシア語が」が述語「分かる」の主体ではなくてむしろ対象であるという意味である。

 この話の中で、結論として「ロシア語が」は主格で、「分かる」は述語であると、言っていることになります。私は金谷氏が否定している、「田中先生」が主題化された人(動作主)で、「ロシア語が」は対象であると考えます。その点では時枝氏と同じですが、「ロシア語が」が主格とはとても思えません。(「分かる」と「できる」とは違うことは承知で引用しました)主格は人間であるとは言いませんし、「ロシア語が話される」だったら、主格です。「ロシア語が分かる」「ロシア語ができる」は「ロシア語」が主格なのでしょうかね。(「ロシア語を」は念頭に置かず、「ロシア語が」だけを取り上げました)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

詳しい語誌をありがとうございます。
「ロシア語が分かる」は、「ロシア語ガできる」と同様の気がします。
 ただ、とりあえず「できる」限定で考えませんか。

お礼日時:2019/05/13 21:43

不自然に感じるのは


5)(彼はクラスで一番)勉強ヲできる。
7)彼は数学ヲできる。
ですね。
なぜこう感じるのかという根拠については以下のように推測します。

A.
まず確認できていることから入りますが、「自分の力をアピールできる」という表現が可能なことから、少なくとも「できる」を他動詞と考えることが可能だろうと思います。
ニュアンスの違いについてはさておきますが、「自分の力がアピールできる」の場合も「希望・好悪・能力などの対象を示す」という用法からすれば他動詞でしょう。
以上の事から「アピールできる」は、

「を」が使える他動詞であり、可能・能力を表わしている。

と言えると思います。

1)(図書館ではゆっくりと)読書ヲできる
2)(図書館ではゆっくりと)読書ガできる
3)(図書館ではゆっくりと)勉強ヲできる
4)(図書館ではゆっくりと)勉強ガできる
などはこの系列。
これらの「できる」の語釈は基本的に下記に該当するでしょう。
端的には、

【可能・能力を表わしている】

(大辞林)
⑨ 能力・可能性がある。近世以降の用法。
㋑ それをうまく行える。 「彼はスキーが-・きる」
㋒ 動作性の名詞を受けて、…をすることが可能であるという意を表す。 「泳ぎが-・きない」 「車の運転が-・きる」
㋓ サ変動詞の語幹に付いて、…することが可能であるの意を表す。 「よく理解-・きた」 「八時にはスタート-・きる」
https://kotobank.jp/word/%E5%87%BA%E6%9D%A5%E3%8 …
(大辞泉)
9 それをする能力や可能性がある。「ロシア語が―・きる」「―・きるだけ努力します」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/151118/meaning/m …

B.
6)(彼はクラスで一番)勉強ガできる。
8)彼は数学ガできる。

こちらの「できる」は、「可能・能力」とは言えないでしょう。
(大辞林)
⑦ 能力・人柄がすぐれている。 「クラスで一番-・きる子」 「彼は人物が-・きている」
(大辞泉)
7 人格・能力・成績などがすぐれている。「彼は仕事が―・きる」「若いに似合わず人間が―・きている」
といった語釈に該当するのではないか、と思う次第。

【(能力が)優れている】

といった意味かと。
自動詞用法なので、

5)(彼はクラスで一番)勉強ヲできる。
7)彼は数学ヲできる。

のように「を」を使うと不自然になる。

C.
B.の場合、
6)(彼はクラスで一番)勉強ガできる。
8)彼は数学ガできる。
のガの用法について問題が残るかもしれません。

個人的には、「山がある」「水がきれいだ」「風が吹く」などと同様、「動作・存在・状況の主体を表す。」という用法と考えて良さそうに思います。
少なくとも、そのように考えることが不可能ではないでしょう。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/34931/meaning/m1 …
いずれにせよ、「できる」の用法について近視眼的に捉えていたことに気づかせていただいたと思います。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

『大辞泉』も同じようなものなので、とりあえず『大辞林』で考えましょうか。
https://kotobank.jp/word/%E5%87%BA%E6%9D%A5%E3%8 …


1)〜4)は、㋒ 動作性の名詞を受けて、…をすることが可能であるという意を表す。 「泳ぎが-・きない」 「車の運転が-・きる」

 当方は5)〜8)は⑦「能力・人柄がすぐれている。」か⑨㋑「それをうまく行える。」か決めかねています。どちらかと言えば⑨㋑かと。
 どちらで考えても大差はないでしょう。

 ただ、6)8)のガの使い方に疑問を感じるなら、⑨㋑と考えるほうがよいのでは。
「勉強ガできる」数学ガできる」は「彼はスキーが-・きる」と同様では。

お礼日時:2019/05/13 21:38

>>「動作性名詞に続き」は、助動詞的な用法(「自分の力{ヲ/ガ}アピールできる」「〜{ヲ/ガ}満喫できる」など)のことでは。



サ変動詞「する」と複合可能な、「読書する」「勉強する」「数学する」の「読書」「勉強」「数学」では。

1)(図書館ではゆっくりと)読書することをできる。
にはなりますが、

(彼はクラスで一番)勉強することをできる

にはならないのでは。

ここは、もう少し考えますが。■
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この回答へのお礼

>サ変動詞「する」と複合可能な、「読書する」「勉強する」「数学する」の「読書」「勉強」「数学」では。

 いまここで問題にしているのは、

読書{ヲ/ガ}できる
勉強{ヲ/ガ}できる
彼は数学{ヲ/ガ}できる

 です。「読書する」「勉強する」「数学する」は考えていません。

お礼日時:2019/05/13 21:20

5)(彼はクラスで一番)勉強ヲできる


7)彼は数学ヲできる

の二文が不自然です。

ここでの動詞「出来る」には、動作性名詞に続き「可能である」と言う意義と、「課せられた作業・課題や
準備が完成・完了する。仕上がる。」の二つの意義をもっています。

格助詞「が」は個別性の認識を表わし、用言の実体を表わす場合には主語になります。

「出来る」を可能の意味で使用する場合には、格助詞「が」の主語の用法に限られ、動的な目的を表わす「を」を受けることはできません。

「出来る」が「課せられた作業・課題や準備が完成・完了する。仕上がる。」の場合は主格の「が」も目的の「を」も使用できます。

5)(彼はクラスで一番)勉強ヲできる
7)彼は数学ヲできる

この二文の「できる」は可能ではなく、「課せられた作業・課題や準備が完成」という意味で、「を」は不適切です。

これは、
5)(彼はクラスで一番)勉強ヲ「可能である」
7)彼は数学ヲ「可能である」

には出来ませんが、他は、

1)(図書館ではゆっくりと)読書ヲ「可能」
のようにすることができることからも分かります。

「なお、水ヲ飲みたい。」「水ガ飲みたい。」の「が」は対象目的格というより、格助詞「が」の短絡的使用というべきもので、「水」が対象目的であることは、「が」「を」に関わりません。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 ずいぶん前から、{ヲ/ガ}の話は「希望」「好悪」「可能」をひっくるめて考えていました。
 少し前から、3つを分けて考えるべきなのかも、と考えています。
 で、「可能」限定で考えるために質問してみました。
 さらに限定して、まず「できる」に限って。
 ほかの自動詞タイプの動詞や、可能動詞は、その次の段階かと。

 現代段階で感じてること。
「〜ガできる」「〜ヲできる」の違い。

●「できる」が補助動詞的に使われている場合
 これは前問の話です。「自分の力をアピールできる」と「自分の力がアピールできる」はほぼ同じように使えます。「〜{ヲ/ガ}満喫できる」なども同様でしょう。「〜{ヲ/ガ}満喫できる」だとニが自然に感じるのは別の話でしょう。

●本動詞?の「できる」は2つに分けられるのでは
 ここが今回の目的のポイントになる気がします。

 ちなみに、質問の1)〜8)は、いずれも×でしょうか。

お礼日時:2019/05/11 17:36

「できる」「分かる」「見える」「聞こえる」など、自動詞タイプの動詞の対象(対格目的格)は「が」で表す、と言えます。

「できる」の対象を「を」で表す人であっても、「山を見える」「物音を聞こえる」という人はいないでしょう。私はこの中に「可能動詞」も加えるべきだと思いますが、また厄介な論争にまきこまれないように、そこまでは言わないでおきます。(もう、言っちゃったか)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

Macintoshの古いSafariが妙な感じになり、まともに返信ができません。
 コメントがNo.2の「お礼」に入ってしまいました。ご確認ください。

お礼日時:2019/05/11 17:42

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