第一次大戦で日本とアメリカは戦争に参加しましたか?また敵対関係にありましたか?基本的な質問ですいません。

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A 回答 (3件)

両国とも戦争に参加しました。


しかし戦勝国同士とはいえ、仲が良かったわけではありません。
すでに第一次大戦前から日米間の緊張は高まっていたのです。

・軍事面
アメリカは1907年にオレンジ計画(対日本作戦計画)を立て、日本も同年にアメリカ艦隊を日本近海で迎え撃つ防衛計画を立てていました。
また1908年には白船事件が起きています。

・国際政治面
1915年に日本が中国に21箇条の要求を受け入れさせます。それに対しアメリカは抗議しています。アメリカは満州における日本の強大化を恐れていました。

・アメリカ国内
日露戦争終了時くらいから日本人移民への排斥運動もはじまります。

第一次大戦後、発言力を強め強国に躍り出るのが日本と
アメリカです。この二国が対立を深める素地はすでに戦前から出来上がっていたのです。
それは黒船来航から第二次大戦に至るまでの宿命のレールが敷かれていたことを意味します。
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当時日本は英国と日英同盟の関係でしたので、


当然日本もドイツに参戦。
日本はアジア方面において青島要塞、ならびにドイツ領南洋諸島を
占領しました。これは戦後委任統治領として日本が管理します。
なお、日本海軍の軽巡明石、駆逐隊2隊からなる第二特務艦隊は
地中海に派遣、連合国の船団護衛にあたりました。
日本が国際的にギクシャクしてくるのは満州がらみの
問題が出てくるころでまだこのころは米国とも関係は良好だったはずです。
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初めまして。



一応、英吉利から要請で。
英吉利と米は兄弟見たいな物ですので
米と敵対関係には無く、同盟してたと思います
確か戦後に、そのお零れとして中国のチンタオ、南洋諸島の一部
ラタクかラリクを貰ったはずです(だったと思います)


詳しくは下記アドレスへどうぞ。

第1次大戦
http://ww1.m78.com/

の中の「第1次大戦とは」下記参考URL↓

参考URL:http://ww1.m78.com/honbun-2/world%20war%201.html
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Q日本は第一次大戦を主要国として戦う力があったのか?

もし、日本がイギリスのように大々的に第一次大戦に参加するはめになったとしたら、日露戦争でひいひい言っていた日本が、その100倍?規模くらいの第一次大戦の交戦主要国が行ったような、動因、兵器製造、作戦遂行能力があったのでしょうか?

実際には、そういうことがあっても、対独墺ですから、陸軍の西部戦線派遣と海軍の地中海艦隊派遣いうことなのでしょうが、仮に、対露に対して全面戦争しなければならなくなったとして、当時のドイツのような作戦遂行能力生産力があるのでしょうか?

Aベストアンサー

第一次大戦後に日本陸海軍共に幾度か試算をしていますが、いずれも結論は「日本には主要国が行ったような国家総力戦を戦う力はない」というものでした。
その後、日本の工業化は第一次大戦後の恐慌の波に洗われつつも急速に進展するのですが(例えば日本の自動車生産数は1930年代の10年間でほぼ100倍近く増えます)、欧米列強にはやはり大きく見劣りする状況のまま第二次大戦に突入することになります。

Q第一次第二次大戦におけるアメリカ軍戦死者数

タイトルの数字がわかる資料はありますでしょうか?
あるいは、ご存知の方おられるでしょうか?

Aベストアンサー

以下のURLにあるデータでは問題がありますか?

参考URL:http://en.wikipedia.org/wiki/United_States_casualties_of_war

Q日本の産業力が第一次大戦で全く勝負にならない理由

日露戦争まではなんとか列強と互角に渡り合うことができたが、第一次大戦の経過を見て、その列強(独仏英米露)の産業力にとても太刀打ちできる国ではないということが判明してしまったと聞きます。たとえば、師団数でいっても、当時の独仏が200師団くらい捻出できたのに、日本は20くらい(もちろん平時体制ではあるが、戦時といってもどれ位なものか?)工業力にいたっては圧倒的に勝負になりません。なぜ、日本には、第一次大戦からの巨大な列強の産業力を遂行する力をつけることができなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

要因はいくつかあります

   1・構造不況
 日本は明治20年代から構造不況に陥っており、富める者は富んでいましたが国民の大半がその日暮らしでした。庶民の楽しみはエッチだけという救い難い状態だったのです。
   2・日露戦争
 ただでさえ不況なのに日露戦争で莫大なお金(国庫10年分)のお金を使ってしまい、不況対策はおろかインフラ整備も出来ない状態でした。
   3・WW1バブルと崩壊
第一次世界大戦の好景気で借金は消えたのですが、終戦と同時にバブルが弾けてしまい、またまた不況になります。これに関東大震災が重なります。

 簡単に言えばお金がなかったのです。

Q第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由 

 第一次世界大戦と第二次世界大戦がおきた理由って何だったんでしょうか?。
 学生時代に習ったはずなのにまったく覚えていません。 
 直接的なきっかけを知りたいんですが。

Aベストアンサー

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

WW1では確かにオーストリア皇太子暗殺によって勃発しましたが連合国も枢軸国も同様の問題を抱えておりたまたまトランプでジョーカーを引いたのが枢軸国側だと思って貰って結構でしょう。ある意味熾るべくして熾った戦争とも言えます。

それに対してWW2はと言うとこれはWW1の戦後処理の拙さと世界恐慌が連続した事による側面もあったのです。
WW1後のドイツは確かに最悪のインフレに悩まされました。しかしながらドイツ人自身の資質とアメリカからの資金援助(借款)によりなんとか再生への道が見えていた時代が確かにあったのです。しかしご存知の通りアメリカ発の世界恐慌でそれは御破算。かてて加えてフランスがルール地方を強制的に借金(賠償金)の担保として押さえたりと外圧が加わりました。一方でドイツ国内では数十年前までは群雄割拠しておりその後はドイツ帝国として成立した経緯であり、WW1敗戦後のワイマール憲法による民主主義が成熟していたとは言えない状況です。
ちなみにナチスのSA隊とは当時の民主主義時代の選挙活動等で敵対する共産党などの他政党からの妨害を排除するために結成された経緯があります。まぁ平たく言えば政党お抱えの暴力団とも言いますね。勿論これは当時のナチスだけでなく他の党も多かれ少なかれやっていたことです。当時のドイツの民主主義は暴力団を使った抗争とセットになったものとさえ言えるでしょう。
そんな絶望的な状況下でナチスと共産党以外の党が政権を担ったのですがどれもこれも失敗。でドイツ人はダメ元でナチスを選んだのですが・・・悪魔が実在する証明だったのでしょう。彼らは相当に悪どい事をやってでも一定の成果をだしました。ナチスが政権を確立できた要因がここにあります。

一方でフランスやイギリスの思惑もありました。イギリスのチェンバレン首相は融和派でありWW1の再現だけはなんとしても回避したいがためにドイツに譲歩を重ね、それがヒトラーの増長へとつながりポーランド侵攻へと繋がったとする説は当を得ていると言えるでしょう。
しかしこれがソ連を視野に入れると状況は変わってきます。ソ連による共産主義の拡散は他国にとっては脅威以外の何者でもありませんでした。共産化すれば確実にその国のトップは粛清されることが確実だからです。そうした視野から見ればソ連vs英・仏・独・米といった状況の出現もあり得るのです。実際スターリンはその事を一番恐れていました。
地図を眺めれば分かると思いますがソ連がヨーロッパへ侵攻するとなれば一番バッターになるのは確実にドイツ。二番手がフランス・・・となります。そこでチェンバレンはそこも視野に入れての抱込みの意味での譲歩を重ねたと言えるでしょう。実際にWW2以後のドイツは東西に分裂し西ドイツ軍は強力な陸軍国となっていますしね。

少し話が逸れましたがヒトラーがああも政権を維持できた理由として最大の原因がWW1の戦後処理です。同時代の人はこう言っています。
「過酷にしては生温く、生温いにしては過酷だった。」とね。これはもう二度と立ち上がれない位に潰すのか逆に過剰な程に優遇して恩に着せるかして陣営に抱込むかしておけばWW2は回避できたか規模の縮小はできたのではないのか?という考察です。
実際WW2以後はこれを踏まえて日本と西ドイツを西側陣営に引き込む事に成功してますし両国ともPKO等の派兵位で済ませています。WW1での教訓は敗戦国を潰そうとしてもその国民は恨みをバネにして即座に復興して矛先を真っ先に戦勝国に向けてくる事を踏まえた教訓によるものなんですよ。

どちらも植民地と言う名の甘いケーキの奪い合いです。

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Q第一次大戦で日本は

第一次大戦では日本は連合国側でしたが、ヨーロッパに軍隊を派遣して戦ったのでしょうか?

Aベストアンサー

海軍が地中海に駆逐艦隊を派遣し、英海軍とともに戦った事実があります。

Q第一次大戦のときと第二次大戦の比較

ドイツ軍がより勝算があったのはどちらのときでしょうか?

Aベストアンサー

勝機というか、敗北しないですんだのは一次大戦の方でしょう。

まず、最大の懸念である東部戦線が革命で消滅します。
地中海方面はトルコがガリポリで勝利し安定し、ここもロシア正面が消滅するので安心です。

当時は洋上でUボートの攻撃を防ぐ手段が極めてお粗末なので(特に、航空機支援がありえないので)、早い段階で無制限潜水艦攻撃をし、Uボートの増産をすれば二次大戦より深刻な事態に英国は陥ります。
実際、ドイツが無制限潜水艦攻撃をはじめたときは、英国海軍省と植民省は本気でダメだと思っていたと、チャーチルが回顧しています。護送船団方式をとるまえに、徹底的にUボートを使うと、本当になにがおきたかわかりません。

で、ナチス・ドイツと講和する気になる国はそうそういないと思いますが、ドイツ王室の帝政ドイツとなら王室が縁戚関係の英国は講和にのれるとおもいます。
ドイツは「ウチが共産主義国になったらタイヘンだろ? 講和しよう」という、切り札がきれるからです。フランス単独ではドイツを押さえられないので、英国さえテーブルによびこめればいいのです。

これなら、ドイツの軍部はベルサイユ体制に組み込まれないですむから実質勝利だと思います。

でもこのあと、フランスにはおそらくドイツを恨み恨んだ政権ができるでしょうし、その政権が共産主義政権でない保証はありません。オーストリア・ハンガリー帝国もどうなるのかなあ。

勝機というか、敗北しないですんだのは一次大戦の方でしょう。

まず、最大の懸念である東部戦線が革命で消滅します。
地中海方面はトルコがガリポリで勝利し安定し、ここもロシア正面が消滅するので安心です。

当時は洋上でUボートの攻撃を防ぐ手段が極めてお粗末なので(特に、航空機支援がありえないので)、早い段階で無制限潜水艦攻撃をし、Uボートの増産をすれば二次大戦より深刻な事態に英国は陥ります。
実際、ドイツが無制限潜水艦攻撃をはじめたときは、英国海軍省と植民省は本気でダメだと思ってい...続きを読む

Q小学生のころから歴史が好きで、今まで 戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦

小学生のころから歴史が好きで、今まで
戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦と
勉強をしてきました、ほかに何か良さそうなものありますか?

高2です。

Aベストアンサー

必ずしも歴史書が歴史の真実を記しているとは限らない。それに、歴史書は必ずしも面白くない。面白く無ければ人間は読むのをやめてしまう。

そこで私が推薦するのは、パール・バックの「大地」だ。中古で千円以下で手に入るようだ。第一巻だけでも読むと良い。あなたの人生が変わる。とてつもない価値の有る本だ。ピューリッツァ賞と、ノーベル賞を取っただけの事はある。

Q第一次世界大戦と第二次世界大戦らへんのこと様ですが。。

↓↓↓の問題が分かりません・・・。

「1923年にフランスは、ドイツの賠償金支払い遅延を理由にどういう手段をとったのでしょう。また、フランスがこの手段を行ったことにより、ドイツ経済にどんな現象が起こったのでしょう。」

「ドイツが国際連盟に加入したのは何年ですか。」


急いでいるのでお願いします!!!

Aベストアンサー

>1923年にフランスは、ドイツの賠償金支払い遅延を理由にどういう手段
1月11日にベルギー軍とともにルール地方を占領
>ドイツが国際連盟に加入したのは何年
1926年9月8日

Q第一次大戦時の日本とヨーロッパ諸国の陸軍師団数

第一次大戦当初、ヨーロッパ諸国に比べて陸軍師団数がかなり少なかったのではないでしょうか。またそうだとしたらなぜなんでしょうか。師団というよりも、兵員数といったほうがいいかもしれません。それが第2次大戦時には、日本は100を超える師団を作れたのはなぜなんでしょうか?

Aベストアンサー

まず日本陸軍の師団数の変遷からお答えします。

明治以後近代的な陸軍が誕生してから最初の近代戦といえる日清戦争当時は7個師団を維持していました。その後日露戦争開戦当時から終戦当時まで師団数は11個から21個に膨れ上がりました。

第1次大戦当時は英国と同盟を結んでいた日本は、戦場がヨーロッパということもあって、若干の海軍が地中海へ派遣されたくらいで、陸軍はかえって17個師団に縮小されています。

あなたの最初の疑問である、ヨーロッパ諸国に比べて日本陸軍の師団数が少なかったという理由がこれに当てはまると思います。
つまり日本はこの戦争を対岸の火事程度にしか見ていなく、逆にヨーロッパへの輸出で国力を蓄えたというおまけまでついていました。

次に第2次世界大戦ですが、日本陸軍の師団数は日中戦争から第2次世界大戦開始当時までに51個師団を編成しています。

結果的に終戦時には日本の陸軍師団数は近衛師団から数えて第355師団まで編成されていました。

といっても実際に350個以上の師団があったわけではないんです。
実際には師団の実数は172個だったはずです。

実はこれにはちょっとしたからくりがあるんです。
日本陸軍の師団はその番号でその編成目的や装備、兵力などが分かるようになっていました。

つまり1から99までの番号を持つ師団は、主に正規の戦闘集団であり、これを常設師団といいます。
100から199までの番号の師団はその常設師団が独自に編成した特設師団といいました。

これはあまり知られていないことなんですが、例えば第1師団が編成した特設師団が第101師団、第5師団が編成した特設師団が105師団というふうに番号を振り分けていたのです。

言い方を変えると、当時の戦略上の最小単位である師団というのはある程度の自己判断的裁量を持っていたということですね。

そこで、またまたちょっとしたからくりがあるんですが、じつはこれら100番台200番台300番台の師団が全部揃っていたかというと、そうじゃないんですね。

100から199までの師団は実質59個で、41個の欠番がありました。
200から299までは実に84個の欠番があり、実質は16個、300から355までは実質11個師団しかありませんでした。

つまり、単に数字合わせというか、員数を合わせていただけなんですね。

100番台の師団が常設師団が特設した師団ということは書きましたが、ちなみに200番台の師団は本土決戦用師団と位置づけられた機動師団で、野砲や山砲、速射砲などの充実が図られましたが、それも全てにというわけではなくかなりのむらがあったようです。

これが300番台の師団になると、沿岸配備師団と名づけられた水際作戦用師団で、兵士一人一人に与える銃もない状態でした。では何のための師団かといえば、装備の充実した師団が応援に来るまで体を張ってでも上陸してくる敵を食い止めろという、もう聞いただけでも泣きたくなるような使われ方をされるところでした。

ちょっと余談が長くなりました。

日本の師団編成上、兵士の数は平時で12000人、戦時で25000人というのが標準でしたので、単純に172×25000とすると、430万の兵を動員したことになり、ご質問のヨーロッパが桁違いに動員をしたというのは当てはまらないことになります。

もっとも戦時編成師団は連隊数を一個減らしたりした、中身をあんこ抜きしているような師団が多く見られ、実数的にこれが絶対に正確だとは言えないところもあります。

ちなみに、その戦時の動員ですが、当時はどの国も徴兵制度があったので、いったん訓練を終えて除隊したものを予備役に入れ、戦時に召集して兵力を増やすという手法が一般的でした。
この予備役というのが、日本では在郷軍人と呼ばれているものです。

現在でも徴兵制をとっている国々では理論上、戦時になれば予備役を動員して通常兵力の最大10倍程度にまで兵力を増やすことが可能です。
もっとも全員に与える武器や装備が揃うはずもないので、ほとんどが消耗した兵員を補充する程度の役割だと考えてもいいと思います。

またまた余談が長くなりました。もうついでだからもうちょっと書かせてくださいね。

通常平時では徴兵検査をパスして訓練を受けさせられるものは全体の15%程度でした。これは厳しい訓練を続けられることの出来るかどうかを判断した結果なので、意外と当時は日本も常識的というか、きちんとしていたんだなぁって思ったりします。

ところが第2次世界大戦に入ると、これが51%の合格率になり、昭和17,8年には60パーセント、そして終戦の年になるとなんと90パーセントの合格率になったんですね。

当然年齢や体力に問題のある人間も無理やり徴兵されていました。
これを見ると、いくら師団数が何百個あろうとも、無駄に血を流すだけの戦いになっていたことは明らかでしょうね。

ほんと長くなりました。申し訳ないです(~_~;)

まず日本陸軍の師団数の変遷からお答えします。

明治以後近代的な陸軍が誕生してから最初の近代戦といえる日清戦争当時は7個師団を維持していました。その後日露戦争開戦当時から終戦当時まで師団数は11個から21個に膨れ上がりました。

第1次大戦当時は英国と同盟を結んでいた日本は、戦場がヨーロッパということもあって、若干の海軍が地中海へ派遣されたくらいで、陸軍はかえって17個師団に縮小されています。

あなたの最初の疑問である、ヨーロッパ諸国に比べて日本陸軍の師団数が少なかった...続きを読む

Q第一次世界大戦の日英同盟から、第二次世界大戦に至るまでについて質問させ

第一次世界大戦の日英同盟から、第二次世界大戦に至るまでについて質問させて下さい。
第一次世界大戦で共に連合国側で勝利を収めた日と英が、第二次世界では敵になったところまでの流れが知りたいです。日英同盟の中で、日本はイギリスからの兵力要請に応え、その活躍に感謝されたと何かで読んだのですが、関係が逆転した原因や背景を教えて下さい。

Aベストアンサー

補足説明として、

1)英国の国力の減退。
2)アングロサクソンの基準からはみ出した国家主義との対立。
3)両国の中国での利権が対立。
4)中国人の対外不満を日本に集中させるために日本を悪者化。


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