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こんにちわ。
パールハーバーへの日本海軍の来襲をルーズベルト大統領は事前察知していたのではないかという説はすでに語られて久しいですが、ではアメリカは大戦を通じてどのような諜報網を日本に対して敷いていたのでしょうか。
また敗戦直前にほとんどの資料は遺棄されてしまったようですが、日本とてアメリカに対してまったく何も情報工作をしていなかったとは考えにくいです。
海軍の暗号電文が米軍側にだだ漏れだったのは有名な話ですが、(「パープル暗号」の話です)それ以外に何か暗躍するスパイ、張り巡らされる情報網、といった逸話は残っていないのでしょうか。

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A 回答 (3件)

諜報戦の最たるものは暗号電文の解読でしょう。


どのような情報でも本国に知らせるには無電電報によるか連絡員の直接通報しかありません。  通常交通は途絶していますから無電電報しかありません。

この為暗号の強度を競い、解読にしのぎを削るわけです。
暗号の解読技術は英国が最高でした。 これが米国に提供されましたから日本の電文は全て米国に筒抜けになったのです。

日本の対米諜報機関も存在しましたが殆ど壊滅したか日本での情報軽視の為機能しなかったのが実態です。
一方米軍は情報の重要性を重視し多くの人員、能力をこの分野に投入していました。 暗号の強度を高める為、アメリカ先住民の方言まで使用したことは有名です。 
これに対し日本ではアイヌや沖縄方言の活用の意識もなく、それを行ったとしても、米軍の日本語研究家によって解読されたでしょう。

スパイはスパイと見破られたらおしまいです。 本来影の存在です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

英国は貧弱な本国が多くの海外領土を抱えているという体制が長かったために情報機関が発達したと聞いたことがありますが、さもありなんですよね( ^ ^ ;)
日本も遅ればせながら帝国主義体制となり1941~42年頃に主に南洋諸国で最大版図を広げますが、せいぜい三年程度でろうそくが吹き消されるように本国へ押し戻されてしまいます。
何が違ったのかと考えるに、やはり諜報機関の質の差のような気がしてなりません。というより、諜報というものに対する姿勢の違いでしょうか。
何故だか「007は二度死ぬ」で故丹波哲郎氏が演じたタイガー田中の面影が目をよぎってなりません(笑)

お礼日時:2007/01/15 09:14

日本の対米諜報活動で有名なのは須磨機関(東機関)のベラスコでしょう。


当時中立国であったスペイン公使の須磨弥吉郎は対米諜報機関「東機関」をスペイン人ベラスコと共に設立し、さまざまな対米諜報活動を行ないました。アメリカの原爆開発の情報までつかみましたが、東機関が本国へ報告する送信は全て米側に傍受され、1944年半ば頃には東機関の諜報員達は米側防諜機関により全て暗殺又は逮捕され、首領のベラスコも地下に潜伏逃亡するなどし東機関は壊滅に追い込まれています。敗戦後、須磨氏は大物スパイとしてA級戦犯指名(不起訴)されています。
東機関の他にもF機関や光機関などいろいろありましたが、これら各機関から本国へもたらされる情報は混交玉石で大本営内でうまく活用されたことは無かったようです。

余談ですが、だいぶ昔(数十年前)、NHK特集でこの須磨機関が特集され、長い逃亡生活から開放されたベラスコや須磨弥吉郎などが出演しこれら関係者のインタビューを元に制作された番組がありましたが、番組の最後で、年老い病床に伏す須磨氏がベラスコに宛てた友情あふれるビデオレターを見終わった老人ベラスコが、人目をはばからず号泣するシーンがとても印象的でした。

また、開戦前に日本の外交暗号が解読され、日本側の対米交渉の内情が米側に筒抜けだったことは有名ですが、
実は日本も何らかの諜報活動により米政府内の対日交渉の内情を把握していたことが最近の研究(神戸大学 簑原俊洋助教授)で明らかになっています。この研究によれば日本側が提示した妥協案(乙案)受諾で米政府内がまとまりつつあったことまで正確に把握してましたが、直前でハルノートに差し替えられたまでは把握できなかったようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

べラスコ氏の本を読んで見ましたが、ちょっとコレはユダヤ陰謀説が強すぎたりしてどうも「トンデモ本」の気配がします( ^ ^ ;)。著者がベラスコ氏にまんまとケムに巻かれているのかもしれませんが。

そういえばハルノートについては作成に強く関わった財務次官補が戦後ソ連の息のかかった人物だと看做されて追放されるなど、なかなかコレひとつとっても単純でない事情が隠されているようですね。

世界の動きそのものが諜報戦によって決定されるとは私は思いませんが、後になってみると色々と隠されていた事情が明らかになるのは面白いものです。

お礼日時:2007/01/15 09:05

ゾルゲ事件は有名ですね。

彼はバルバロッサ作戦の開始日までモスクワに報告していたというから驚きです。ドイツの特派員として来日した彼は近衛文麿側近グループにまで食い込んでいたわけですが、実はソヴィエトのスパイだっただけでなく、なんとドイツ・アメリカにも日本の情報を与えていた三重スパイだったことが最近の研究で明らかになっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ゾルゲ氏は風貌もそれっぽくて多くの作品で取り上げられていますが、まだまだ未解明の部分もあるのですね。スターリンがゾルゲ情報の信憑性にあまり信用を置いていなかったことも有名ですが、3重スパイの件が真実とすると、単なる独裁者の猜疑心ではなくそれなりに根拠があったのかもしれません。
今後の研究が待たれます。

お礼日時:2007/01/15 08:43

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Q太平洋戦争中のスパイ活動

 太平洋戦争中に米国が日本国内でスパイ活動をしていた事例、またはその逆の事例はあったのでしょうか。

Aベストアンサー

ドイツ大使館を利用していたのはソ連スパイが多かったようで。
アメリカのスパイは、旧国鉄の横須賀線に一日中乗り込み、これからの作戦について声高に議論する海軍軍人の声に聞き耳を立てていたとか。

吉川猛夫↓
http://navy75.web.infoseek.co.jp/kaisouroku/kaiso-05.html
ハナコサンガコドモヲウンダ
この電文が、真珠湾の大勝利をもたらしました。

Q旧日本軍はどうして潜水艦を強化しなかったのでしょうか?

第二次世界大戦もののDVDを観て思ったのですが、
潜水艦の役割は重要です。
攻撃にしろ、防御にしろ威力絶大と感じました。
とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。
日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

一方、米軍の潜水艦は日本軍のそれよりはるかに劣ります。
酸素魚雷の開発もまだでした。

米軍は、
潜水艦を3隻一組とする狼狽戦法で弱い輸送船団を襲う事に専念します。
彼らは、日本軍の海防艦が、殆ど使い物にならない木造船である事を知っていました。

日本軍は
駆逐艦を重雷装する事により重巡洋艦と匹敵する戦力としようとします。
重巡洋艦は、重雷装させ、戦艦と互角で戦える事を目標としました。

その結果、被弾に対しては極めて脆く火災、誘爆が多かったのです。

米軍は、無理な雷装や、無理な作戦より、
より効果的な運用方法を目指しました。

追い詰められ、
潜水艦に戦艦が沈められるようになると、
日本海軍も、もう終わりだな。
こう言う空気が流れます。

潜水艦に対する防御、発見方法、攻撃方法などが確定していないと言う、根本的な問題でした。

>とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。

潜水艦は、常に最前線に投入され、後方は無視されました。

>日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。後方、補給よりも、最前線でした。
援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

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Q日本が太平洋戦争で犯した最大の失策

みなさん、日本が太平洋戦争で犯した最大の失策はなんだったと思いますか?

また、アメリカとの国力差をみると負けるのは当然としても、もう少し善戦できなかったのかと考えてしまいます。



どうすれば、より善戦できたか。
また、善戦できなかった最大の理由はどこか、を教えてください。

Aベストアンサー

負けは当然ではありません。
ただ単に大本営の作戦指導にミスがあっただけの事です。
勝ち目はありました。

最大の失策はアメリカ1番の弱点を攻めきれなかった事です。
今も昔もこれからもアメリカの1番の弱点は人種問題です。
当時は現在よりもさらに人種問題は深刻でした。
その人種問題を謀略を用いて攻めきれなかった事。これが日本軍最大の失敗です。

当時の米国では黒人等の有色人種の権利は法的にも低いもので平然と差別が行われていました。
黒人等の有色人種はそれに不満をつのらせていました。
太平洋戦争が始まった時も黒人達は、対外戦争での勝利と、国内での人権向上の権利を得る戦いに勝つ、二つの勝利を目指す「2つのV」というスローガンを掲げていたぐらいです。
政府としては国内を平穏にしておくためと、不足する労働力を得る必要性から黒人への権利拡大に動きます。
その結果、それまで白人しか働けなかった職場に黒人が配置されたり、黒人がそれまで就けなかった地位に就くようになりました。
しかし、これに反発したのが白人労働者で「黒人と一緒に働くくらいならヒットラーやヒロヒトが勝ったほうがましだ!」とストライキや暴動を起こしています。軍需工場によっては白人労働者の9割が職場を放棄したり、2万人の労働者が職場放棄した造船所もありました。
1942年8月のライフには緊迫する軍需産業都市デトロイト(軍需物資の3割以上を生産していた都市)について「デトロイトでは人種対立が激化し、ヒットラーと戦う前に互いに憎しみをつのらせている。モラルの低下は国内でも最悪の状況で、デトロイトはヒットラーを粉砕する前にアメリカを吹き飛ばしてしまう危険がある」という記事を載せています。
実際、翌年にはデトロイトでは大規模な黒人対白人の人種暴動が発生し34人が死亡し1000人が負傷し、軍が動員され暴動が鎮圧されています。
こうした暴動はデトロイトだけでなく全米各地で発生しており47都市で100を超える人種暴動が発生しており、軍需生産にもかなりの影響を与えています。メキシコ系住民と白人との間にも暴動は発生しています。
人種対立は軍需産業における労働者だけではありません。
アメリカ軍内部でも発生しています。白人兵による黒人兵への差別、暴力は多く、それが暴動にまで発生した事件もありました。ルイジアナで起きた黒人兵の暴動では28人の黒人兵が射殺され3000人が逮捕されています。3000人といえば丸々1個連隊に相当する人数です。それが戦争に行く前に内部対立で失われているのです。
だから当時の黒人兵が回想で「我々が戦うべき相手はドイツ兵なのかアメリカの白人兵なのか」というような事を証言しています。
日本は白人と黒人、メキシコ系などの有色人種の対立を加熱させ利用するべきでした。
アメリカの国力は日本の10倍です。しかし、その巨大な工業力も人がいなければ動きません。
工作員を多数確保し白人側には黒人の社会進出の不満を煽り、黒人などの有色人種には白人支配の不満を爆発させるようにして、白人側、有色人種の側、双方から煽り対立を激化させアメリカ国内を紛争状態にし、その工業力を発揮させないようにするのです。有色人種が武器を持ち立ち上がり内乱状態にもっていければ最高です。
日本はスペイン人を利用して戦時中にアメリカ国内にスパイ組織を確保していますが、このように第三国を利用して工作員を多数確保するのもありでしょう。できれば戦前から工作員を確保しておくべきです。
日露戦争の時に明石元二郎大佐がロシア国内の反政府勢力を援助してロシア軍の大部隊を国内に釘付けにさせる事に成功していますが、そのような成果を狙えれば、なお良いでしょう。もしアメリカ最大の石油生産地帯である南部で大きな反乱が起こり、石油の流通に滞りがでればさらに良いでしょう。
日本も戦前からアメリカの弱点の一つとして黒人社会と接触していますが、その工作は規模が小さすぎ大きな力とはなっていないように見えます。これは完全な日本軍の手落ちでしょう。
なお、前述したデトロイトの暴動は日本人工作員によって発生したらしいという話しもありますが、確実な証拠に乏しく詳しい事は判明していません。

アメリカの国力は大きいですが、それが軍需産業としてフル活動するには時間がかかります。だから1942年10月には太平洋で無傷の大型空母は0隻になるという状況も発生しています。エセックス空母の1番艦が実戦に出て来たのは1943年からですし、アメリカ軍の戦力が大きく増強されるのは1943年以降です。
それまでの間にアメリカ国内で人種対立を激化させ内乱状態にまで持っていければ、アメリカは国内問題を先に解決しなければならず、日本に有利な態勢で講和という事もありえるかもしれません。
要は敵の内部を撹乱するのは兵法の常道でもあるにも関わらず、それを怠った大本営の作戦ミスです。

後はミッドウェー作戦での空母戦力の分散でしょう。
アリューシャン作戦を行い空母を分散させました。連合艦隊内部にもアリューシャン作戦は中止し、その空母を南雲機動部隊に合流させるべきだの意見がありましたが、採用されませんでした。
戦後、ニミッツ元帥もこの兵力分散を批判し、兵力を集中していれば日本が勝利していた可能性がある事を指摘しています。
ミッドウェー海戦では日本の暗号が解読されていた事を敗因に挙げる人もいますが、暗号を解読していたにもかかわらず空母ホーネットの爆撃隊は日本の空母を発見できず、20隻近いアメリカ潜水艦も空母を第1目標にするよう命令されていながら1隻も戦果を上げれなかった事からわかるように、必ずしも絶対的な要因ではありません。
もし、日本がミッドウェー作戦で空母を集中投入していれば勝利していた可能性はかなりあるかと思います。
そして、ミッドウェー海戦で勝利していれば、その後の展望も大きく違ってくるかと思います。

さらに日本潜水艦隊による通商破壊戦を全力で行う事でしょう。
アメリカは開戦時、Uボートの活躍で石油不足に陥っていますし、イギリスもUボートの活躍で海上交通路を攻撃され危機的状況にありました。これに日本の潜水艦による通商破壊戦の戦果が加われば、両国は一層苦しめられた筈です。
しかし、日本は潜水艦を全力で通商破壊戦に投入する事はしませんでした。潜水艦部隊から通商破壊戦実施の要望が出されてはいましたが採用されませんでした。

つまり・・・
(1)アメリカ本土での人種対立を激化させ国力を発揮させなくする。
(2)ミッドウェー作戦では空母を集中投入する。
(3)潜水艦による通商破壊作戦を全力で行う。
この三点だけでも成功すれば戦局は大きく動くでしょうし、日本の勝利の可能性もあるかと思います。

細かい事を言えば、まだまだありますが、多くの皆さんが言うように、日本の勝利が不可能だとは、少なくとも私は思っていません。善戦どころか勝利する可能性もあったのに、日本の軍部の作戦ミスで敗北したと私は判断しています。

負けは当然ではありません。
ただ単に大本営の作戦指導にミスがあっただけの事です。
勝ち目はありました。

最大の失策はアメリカ1番の弱点を攻めきれなかった事です。
今も昔もこれからもアメリカの1番の弱点は人種問題です。
当時は現在よりもさらに人種問題は深刻でした。
その人種問題を謀略を用いて攻めきれなかった事。これが日本軍最大の失敗です。

当時の米国では黒人等の有色人種の権利は法的にも低いもので平然と差別が行われていました。
黒人等の有色人種はそれに不満をつのらせていました。
太平洋...続きを読む

Q日本軍、最後の大勝利

ドイツ軍ならドデカネス諸島の戦いが最後みたいですが、
日本軍は何でしょうか?
小さい海戦での勝利はいくつかありますが
「コロンバンガラ島沖海戦」「礼号作戦」など。
ドイツ軍のような大きな日本軍の勝利は、どれになりますか?

また、ミッドウェー海戦後にアメリカ軍を撃退して島・地区などを、
取り返した事とかありますか?

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

ネットの時代になってミリタリーの分野も色々と変わったなと思います。ネットが普及する前はシモ・ヘイヘって知られていませんでしたからね。ドデカネス諸島の戦いも、最近のミリタリーオタクの間での扱いは知りませんが、書籍でそういう資料をあさっていた世代にはほとんど知られていない戦いだと思います。Wikiには「ドイツ軍最後の大きな勝利」とあるけど、個人的にはそりゃいいすぎだと思いますね。元々地中海方面の戦いはまともな日本語の資料もとても少ないですからね。

ドデカネス諸島の戦いの勝利の定義づけを「枢軸側が積極的に攻勢をして戦術的な勝利を得た」とするならば、日本軍のそれは大陸打通作戦でいいと思います。質問者さんは戦局への影響が小さいと指摘していますが、ドデカネス諸島の戦いのほうがよっぽど戦局になんの影響も与えていないですよ。だからマイナーなのだと思います。英軍もモロに手抜きですしね。ここでドイツ軍が勝利をしたからベルリン陥落が遅れたという影響は皆無だと思います。
大陸打通作戦は、それによって中国大陸から日本本土への爆撃作戦というのが不可能になったわけですから、戦局に対する影響はそれなりにあったと思います。

おそらく、質問者さんの考えとしては「大戦後半に日本軍がアメリカ軍を相手にして攻勢作戦に出て戦術的勝利を得た」というものだと思いますが、うーん、ルンガ沖夜戦かなあ。
南太平洋海戦に対しても「苦い戦術的勝利に過ぎない」と分析されていますから、その基準で考えると「そういう戦いは、ない」ということになろうかと思いますよ。アメリカ軍というのはそんな間抜けな軍隊ではないですし、地上戦力でいえば日本軍の1個師団とアメリカ陸軍の1個師団では火力(砲兵力)がもう圧倒的に違いますから、なんともならんですね。しかもアメリカ陸軍師団は単独で行動することは少なく、多くが軍団規模で、しかも軍団には軍団直轄の砲兵戦力があってこいつがすさまじいほどの火力を有していますからね。この砲兵火力に関していえば、あのドイツ軍も圧倒されるほどです。

ネットの時代になってミリタリーの分野も色々と変わったなと思います。ネットが普及する前はシモ・ヘイヘって知られていませんでしたからね。ドデカネス諸島の戦いも、最近のミリタリーオタクの間での扱いは知りませんが、書籍でそういう資料をあさっていた世代にはほとんど知られていない戦いだと思います。Wikiには「ドイツ軍最後の大きな勝利」とあるけど、個人的にはそりゃいいすぎだと思いますね。元々地中海方面の戦いはまともな日本語の資料もとても少ないですからね。

ドデカネス諸島の戦いの勝利の定義...続きを読む

Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む


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