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恋愛カテによくある「とか言ってくる」「睨んでくる」の「くる」は補助動詞だと思いますが、買い物に行ってくる、遊んでくる、とは違う用法のような気がします。
当方は、気がするだけですが、やはり違いますか。もし違うのであればどう違いますか。御意見をお聞かせください。

補足:補助動詞でなく、攻めて(敵が)来る、のように動詞なのかなという気もしますが、分かりません。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    >「買い物に行ってくる」「遊んでくる」⇒その動作をし終えて現在地点に戻ってくる。
    戻ってくる、なら動詞かな? この表現は普通は「もどる」ことを前提にしていないのではないかと思いますがどうでしょう。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/06/26 08:39
  • どう思う?

    少し角度を変えて考えてみました。

    行ってくる、は「行って戻ってくる」ということ、認めます。認めた上で、「行く前の状態に戻る」のだから「行く」ことは大した意味はないことで、原状に復することの方に重点を置く表現かも知れないと思い始めました。
    「とか言ってくる」「睨んでくる」はその行動やそうする人を軽蔑する感情が含まれていると思いませんか。

      補足日時:2019/06/27 23:59
  • どう思う?

    試しに、”てくる” ”でくる”で、本サイト内を検索してみました。

    一般的(辞書的)用法もありますが、明らかに相手の行動に否定的な気持を添えている用例も多数あります。この句の前にある動詞自体にはその意味は本来無かったはずです。これを新用法と考えるか、文脈から感じ取るだけの主観に過ぎない、とするか、そこがモヤモヤするわけです。

    https://oshiete.goo.ne.jp/search_goo/result/?MT= …

      補足日時:2019/06/29 14:37

A 回答 (35件中11~20件)

補足拝見。



[ 行ってくる ]
>「行く前の状態に戻る」のだから「行く」ことは大した意味はないことで、原状に復することの方に重点を置く表現かも知れないと思い始めました。

『(行く前の状態に)戻る』という意味を表わす部分が「くる」なわけですが、これは、あくまで補助的な意味であるからこそ補助動詞と呼ぶのでしょう。

>「とか言ってくる」「睨んでくる」はその行動やそうする人を軽蔑する感情が含まれていると思いませんか。

先に申し上げたように、心理的圧迫感として(心理的圧迫感が)自分に迫って(近づいて)くる様子を表していると思います。
ただ、「圧迫感」とは一種の恐怖感ですから、被害感情を伴った表現と言うことはできるかもしれません。
被害感情を持った人は、自我防衛機制として相手に対する軽蔑という感情が付随的に生じることが、よくあります。
自分に被害を与えるなんてロクな人間じゃないから軽蔑に値する、という論理。
蛇足ですが、実際に被害を与えられたかどうかは関係ありませんで、逆に、いわゆる盗人にも三分の理というパターンのほうが多いようです。
逮捕された犯罪者が警察に対して被害感情と同時に軽蔑の感情を持つのはよくある話。
ただ、それはあくまで二次的に生じる感情であり、補助動詞自体がそうした意味を直接的に持っているわけではないと思います。
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この回答へのお礼

ここの質問者の「とか言ってくる」「睨んでくる」の使い方、恐らく同類の若者の使い方は、意外で呆れた感情を込めてあり、読む側にもそのように読むことを当然のこととして期待するわけです。従来には無かった用法で、これを「そうも読める」的に「二次的」と呼んで良いか、スッキリしません。

お礼日時:2019/06/28 17:19

#19です。



ウィキである記述を見つけたおかげで、やっと解決できたかもしれません。
要するに、アスナロウさんは、言語学の立場で助動詞とおっしゃっているのだと思います。
わたしは(あくまで結果的にですが)国文法の立場で述べ続けていたようです。
しかし、ウィキにも下記のように【この助動詞を補助動詞と呼び】という記述があるように、また、#19でも示唆させていただいたように、どちらでも良い、と言えるのでしょう。
言語学か国文法かは(あるいは混交かは)趣味の問題であり、最初から、それをおっしゃっていただければ有難かったのだが、という感想が残る。
せめて、質問者さんにとって、なにかのお役に立てる部分が多少なりともあるようでしたら幸いです。
お騒がせしました。

(ウィキ引用)
言語学でいう助動詞(じょどうし)とは、動詞と同じような形態を持つが、他の動詞と結びついて相、法などの文法機能を表す語である。日本語の「-ている」や「-ておく」など、英語の can や will などがある。

国文法では、この助動詞を補助動詞と呼び[1]、「-た」や「-れる・-られる」などを「助動詞」と呼ぶ。言語学ではこれらは英語の -ing や -ed と同様に語尾や接尾辞と見なされる[2][3][4]。
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この回答へのお礼

前述の通り、大変興味深く読んでおります。率直に言えば党首討論と同じでなかなか噛み合わない感じはしました。学校文法(形式文法)は外見がスッキリ見える反面、実質を重んじる側からは、色々と批判がある。ということでしょう。今後とも宜しくお願いします。

お礼日時:2019/06/28 18:46

なお、「行く」を入れた場合は次のようになります。



隣の教室に行って、椅子を持ってこよう。
医院に行き、医者を呼んでくる。
(胡椒がなくなったので)
ちょっとコンビニに行き、買ってくる。
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この回答へのお礼

「とか言ってくる」「睨んでくる」の「くる」の特殊性(違和感)についての質問です。
関心の焦点は一般論ではありません。この「くる」に「おバカなことをしてくる」語感を感じませんか。

お礼日時:2019/06/28 11:09

>>行ってくる、は「行って戻ってくる」ということ、認めます。



「行って」と「行く」ことを「て」で確認し、さらに「来る」と表現しているので、認めるも何もないと思うのですが?

>>「行く前の状態に戻る」のだから「行く」ことは大した意味はないことで、原状に復することの方に重点を置く表現かも知れないと思い始めました。

先に回答したように、

隣の教室から椅子を持ってこよう。
医者を呼んでくる。
(胡椒がなくなったので)
ちょっと買ってくる。

の場合、実際には行って、来るのですが片方の「行く」は表現されていません。この場合こそ、「行く」には大した意味はなく、「来る」ことの方に重点を置く表現と言えます。

質問者は、対象→認識→構造という表現の過程的構造を捉えることなく、途中の認識を省略し、文と対象を直結し恣意的な論理を展開しています。

現在の、形式主義/機能主義的な文法論である橋本文法の発想に呪縛された典型的な思考に思えるのですがいかがでしょうか。■
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この回答へのお礼

「とか言ってくる」「睨んでくる」の「くる」の特殊性(違和感)についての質問です。
関心の焦点は一般論ではありません。この「くる」に「おバカなことをしてくる」語感を感じませんか。

お礼日時:2019/06/28 11:11

もう少し補足させていただきます。



非存在を表す形容詞「ない」に対し、否定の助動詞「赤くない」の「ない」を補助形容詞とするのも同じ誤りで、「ある」「ない」という形式に引きずられた、形式主義による橋本文法の品詞論の誤謬ということです。

そもそも、名詞や形容詞、助詞、助動詞の品詞の定義自体が、自立語や付属語、活用の有無という形式や機能に基づき定義されているため、品詞の転成ということも正しく捉えられず誤った、混乱した論理が展開されているということです。■
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>>【言えなくはないのに、なぜ誤りなのか?】という点についての言及は必須でしょう。



先に説明の通り、「本である。」という個別の特定の文についての助動詞「ある」の使用法を補助と言えば言えないことはないのですが、この助動詞「ある」を補助動詞という品詞で呼ぶのは特定の文での機能ではなく、判断辞である助動詞「ある」の辞書での意義、つまり規範としての文での意味や機能とは異なる次元の名称として呼ぶということです。

しかし、これは動詞「ある」ではなく助動詞に転成した語で、これを動詞という品詞だとするもので、誤った名称であるということです。

>>ネット辞書では、「ある」はすべて補助動詞となっています。
これは、誤った橋本文法の見解をコピーしているだけです。

>>「補助【動詞】」と「動詞」に分類するのは誤り』というご見解であることはわかりましたが、その根拠はなんですか?

どう‐し【動詞】
国語の品詞の一。事物の動作・作用・状態・存在などを表す語で、形容詞・形容動詞とともに用言に属する。〔大辞林〕

ですが、

本である。
花が青かった。 【(青く+あった)の熟合】
とても嬉しかった。  【(嬉しく+あった)の熟合】

の「ある」がこれに当てはまらないのは明らかで誤りであり、用言ではありません。この、「ある」は話者の肯定判断の認識を客体化することなく直接概念化した語で、「だ」と同じ意義を表しています。そのため、補助動詞という品詞にしているわけですが、動詞でないものを動詞と呼ぶのは誤りで、正しくは助動詞です。■
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#18さんのご回答を拝見して。


たびたびの横レスですみません。

>この、「本である。」は「だ」+「ある」で肯定判断の強調です。
>これは動詞ではなく肯定判断の助動詞で「補助【動詞】」と「動詞」に分類するのは誤りです。したがって、補助用言ということもできません。

ネット辞書では、「ある」はすべて補助動詞となっています。
アスナロウさんの場合は、『肯定判断の助動詞で「補助【動詞】」と「動詞」に分類するのは誤り』というご見解であることはわかりましたが、その根拠はなんですか?

『<補助の目的で使用されている>と言えなくはありません』とおっしゃっておられるわけですから、【言えなくはないのに、なぜ誤りなのか?】という点についての言及は必須でしょう。
それが無いため、『これに対する説明』にはまったくなっていないようです。
文意に違いが生じるわけではないので、個人的にはどちらでも良いと思っています。
補助動詞という概念のほうがわかりやすい、というだけのことです。
いや違いは生じる、とおっしゃるのであれば、

<補助の目的で使用されている>と言えなくはないのに、なぜ誤りなのか?

という点についての明確な根拠をお示しいただきたいと思います。
助動詞という概念のほうが(特に根拠は無いが)わかりやすい、という方がおられても不思議ではありませんので、そのようにおっしゃっていただければ、「見解の相違」という大団円を迎えることも可能になるかと。
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この回答へのお礼

横スレ大歓迎。。ご遠慮なくどうぞ。

お礼日時:2019/06/27 23:45

>>「ある」の辞書的な意義に補助などという意義も機能も』無いのに、


『この文について言えば補助の機能を果たして』いるのですか?

●本動詞とは違う補助動詞的なものはやはりある気がします。「補助」というのが適当でないなら、なんと言えばよいでしょうか。

●強調の役割という点は同意できますが、強調するために(あるいは発言を権威づけるために)補助的に付加されているわけですから、補助動詞と言って何の不都合があるのかな、という気はしますね。
これは本だ。
という当初文に対して、「だ」による断定の要素を強調するために、「(本)という存在だ」という意図の「ある」を補助的に加えている。
ただ、「(本)という存在だ」という本来の意図を前面に出すことが目的ではないので、その意味で『独立に用いられる時に比べて意味が形式化している』とは言えるでしょう。/

という応答があったので、これに対する説明です。

本である。
花が青かった。 【(青く+あった)の熟合】
とても嬉しかった。  【(嬉しく+あった)の熟合】

この、「本である。」は「だ」+「ある」で肯定判断の強調です。「本であるのであります。」になると更に重加による強調がされています。これを上のように<補助的に付加されているわけですから、補助動詞と言って何の不都合があるのかな、という気はしますね>と言うのであれば、この文に関する限り<補助の目的で使用されている>と言えなくはありませんが、これは動詞ではなく肯定判断の助動詞で「補助【動詞】」と「動詞」に分類するのは誤りです。したがって、補助用言ということもできません。

そして、

花が青かった。 【(青く+あった)の熟合】
とても嬉しかった。  【(嬉しく+あった)の熟合】

の場合、何を補助しているのでもなく単なる肯定判断辞(助動詞)が述語として使用されています。つまり、「ある」という形式には動詞と助動詞の二種類があり、文によって強調に使用されたり、述語に使用されたりするわけですが、この文での機能は話者の個別の認識に対応した文での語の使用法(機能)であり動詞、判断辞の「ある」の規範としての意義ではないということです。■
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>この表現は普通は「もどる」ことを前提にしていないのではないかと


物理的な場所に限定しなければそういう意味だと私自身も思います。
そういう意味で、「くる」(戻る)がつくのは。その前の行動が延々と継続するのではなく終わることを意味します。
わかりやすく言い換えてしまえば、一時的な行動。
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この回答へのお礼

「一時的な行動」、これ納得出来ます。睨んでくる、も半分冗談というか表現が軽い気がします。そのために使う「くる」かも。

お礼日時:2019/06/27 19:14

#6です。


#13さんから応答をいただきましたので、お礼方々返信させてください。

>この文について言えば補助の機能を果たしていますが、「ある」の辞書的な意義に補助などという意義も機能もありません。

『「ある」の辞書的な意義に補助などという意義も機能も』無いのに、
『この文について言えば補助の機能を果たして』いるのですか?
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