現在の形式主義/機能主義的な言語論、文法論の誤りについてご意見を伺うべく、「形容動詞という誤り」「接続助詞《ので》という誤り」「付属語、自立語という誤り」を提起しましたが、その根底にある品詞定義自体の誤りについて指摘したいと思います。
まず今回は、名詞から。
早速、辞典を紐解いてみましょう。
名詞(めいし)
noun
品詞の一つ。意味のうえから,事物の名称を表わしたり,状態,性質,存在などの概念を表わしたりする単語と定義される。「虎」のように類概念を表わすものを普通名詞,「加藤清正」のように個体名を表わすものを固有名詞,これらの具象名詞に対して「勇気」のように抽象概念を表わすものを抽象名詞と,意味のうえで分類することが多い。名詞のなかに代名詞や数詞を含めることもある。文の主語になる。性,数,格の範疇で語形替変する言語も多い。伝統的なラテン語の文法では,ここでいう名詞を実体詞とし,それと同様の替変をする形容詞を合せて nomenとして扱った。なお国文法で「事件が起ったことを知らなかった。」の「こと」のように実質的な意味をほとんどもたない名詞を形式名詞と呼ぶ。
【ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説】
https://kotobank.jp/word/%E5%90%8D%E8%A9%9E-141071
より。
ということですが、<事物の~【状態,性質,存在】などの概念を表わし>でいう、「状態,性質」を表わすのは動詞、形容詞であり、「存在」を表わすのは<動詞>「ある/いる」であるのは明白でしょう。
文の主語になるのは文における機能の問題で、名詞自体の問題ではありません。
さらに、「実質的な意味をほとんどもたない名詞を形式名詞と呼ぶ。」などと記していますが「実質的な意味をほとんどもたない」のであれば、語ではあり得ず、そもそも名詞とする根拠もないことになります。
この定義に根本的に欠けているのは、<名詞(めいし)>がどのような概念を表わしているのかが全く理解されていないところにあります。「意味のうえから」ではなく、話者にどのような概念の規範として認識されているかを明らかにしなければなりません。そもそも、別に問題にしようと思っていますが、「意味」とは何かが正しく理解されていません。
語は概念を表わすもので、これは意義であり意味は文が表すものというべきで、名詞がいかなる概念を表わすかが明らかにされなければなりません。
結論から言えば、<名詞>とは実体概念を表わす語です。
「ブリタニカ国際大百科事典」という仰々しい名の事典の、この小項の筆者はここには記されていませんが、言語研究者であることは間違いなく、現在の言語学、文法論の欠陥を露出しています。これは、「伝統的なラテン語」と記しているように、国内だけの問題ではなく西欧言語学、文法論にも共通した欠陥ということです。
そして、残念ながら本欄などの質問の回答者等も、この程度の知識に依拠し、回答、議論しているのではと推察されます。
こうした現状を危惧し、本問を提起するものです。■
No.14
- 回答日時:
#9です。
無茶苦茶なことをおっしゃってますなあ。(笑)
※「走り」「流れ」のような連用形名詞や、<「会いたさ」「見たさ」に「恐さ」を忘れ。>のような接尾語を伴った名詞や、
<顔が赤い【の】が心配だ。>の形式(抽象)名詞「の」など固有名詞、普通名詞から抽象名詞まで、必要に応じ実体化して捉え名詞として表現します。※
ですって?
これを簡潔に言うと、
「(名詞とは)状態,性質,存在などの概念を表わしたりする単語(ブリタニカ)」
と表現するのですよ。(笑)
>ブリタニカの執筆者も理解しておらず
:
とのことですが、あなたは日本語の基礎の基礎がまったくわかっておられないため、無用の批判を繰り返しているにすぎません。
No.13ベストアンサー
- 回答日時:
見えてきました。
有り難うございます。つまり、対象の内容がどんな構成体であれ、観察者=話者が、対象を認識において、実体=形のまとまった者として捉えているのですね。そして、その実体と見なすものを、詞で切り取る形で、名詞にしているのですね。ご理解いただいたとおりです。
「走り」「流れ」のような連用形名詞や、<「会いたさ」「見たさ」に「恐さ」を忘れ。>のような接尾語を伴った名詞や、
<顔が赤い【の】が心配だ。>の形式(抽象)名詞「の」など固有名詞、普通名詞から抽象名詞まで、必要に応じ実体化して捉え名詞として表現します。
この点をブリタニカの執筆者も理解しておらず、指摘したものです。
この点を何度説明しても理解していただけない方もおられ、コマッチャイます。■
No.12
- 回答日時:
実質的な意味を持たない名に、指示代名詞itや、神なるものを指し示す、テトラグラムトン、と言うのがありますが、あるいは、神とは、在り
て在るもの、とほぼその詞では意味を持たない形式名詞がありますよね?つまり名詞でも、インデックスとしてしか機能しない名詞がありますよね?コメント有難うございます。
固有名詞のことを言われているのでしょうか。想像上の概念である、個別の神には固有名を付けます。
これは、対象の固有性の側面に名付けたもので、人の氏名と同じですよね。
名詞とは、対象を実体として捉え表現するもので、「もの」「こと」「わけ」、そして「の」など内容が抽象的な実体認識を表わす語を形式(抽象)名詞と名付けています。
顔が赤い【の】が心配だ。
の「の」などです。■
No.11
- 回答日時:
名前に根拠がないと駄目なんですか?根拠は意見に対して、その真意を保証するものです。
保証がないと、名は存在しないんですか?コメント有難うございまいた。
先の回答で、#9の方と質問者を(イラついていたので)勘違いし、最後に変なコメントを入れたことをお詫びします。
>>名前に根拠がないと駄目なんですか?
主旨を理解しかねます。
な【名】
① 人が認識した事物に、他の事物と区別するために言葉で言い表した呼称。名前。
【大辞林】
なので、例えば物とか、人とか、概念に名を付けますよね。子供に名付けるように。■
No.10
- 回答日時:
名とは何者かについての名称=実体概念と言うことですか?それでは物理学におけるように、物と物との関係性から表現せざるを得ない、実態の
ない効果を、すなわち力は実態概念ではないですよね?どうしますか?あるいは、観察者に関係なく、物として、あるのかどうかもわからないものの固有名詞は、実態概念ではないですよね?どうでしょうか?あるいは、科学において仮説上、名付けている何者かについての名は、実体概念と言いますか?>>名とは何者かについての名称=実体概念と言うことですか?
な【名】
① 人が認識した事物に、他の事物と区別するために言葉で言い表した呼称。名前。
【大辞林】
で、概念は不可視なので、名前を付けたものです。概念には、実体概念、属性概念、その他多くの概念があり、具体的から抽象的、個別的等、種々の段階、階層があります。
No.9はスルーします。あほらしいので。
『日本語は~』を穴のあくほど良く読んで下さい。
もっとも、中学校の口語文法を理解してからでないと無理ですが。
見落としではないので、お間違いなきよう。■
No.9
- 回答日時:
#8です。
1.
>(三浦説で)「名詞」は対象の「実体の認識、ないしは実体的な認識を表現したもの」ということです。
>(【状態,性質,存在などの概念を表わしたりする単語と定義される】という)ブリタニカ記述には「(という実体的認識)」という記述はなく、その認識もないために誤りだということです。
:
三浦が言うところの『実体的な認識』とは、どのようなものだと捉えておられますか?その中に『概念(=物事の概括的な意味内容)』は含まれていないのですか?
2.
>「彼は彼女のことが好きだ。」
という文について、
『「=彼女」という意味で使われるのであれば、使う意味がありませんよね。』
というのは、「こと」=彼女」で、同じものを二つ並べるだけでは、「使う意味がありませんよね。」ということです。二つ並べると何か好い事でもあるといわれるのでしょうか。ならば、「彼女、彼女」と言えば良いのでは。
:
???
やはり、『この2文の意味の違いがおわかりにならない』ということじゃないですか。(笑)
>表現が異なるので、意味が相違しているのは自明なことです。
:
???
『意味が相違しているのは自明なこと』なのであれば、『「彼女、彼女」と言えば良い』ということにはなりませんよね?
どちらなんですか?(笑)
3.
>「こと」や形式(抽象)名詞「の」ですが、語が他の語を名詞化するというのは、如何なるメカニズムを考えられているのでしょうか。
:
準体助詞と形式名詞に関しては、以下をご確認いただければ。
【準体助詞】=種々の語に付いてある意味を添え、それの付いた語句を全体として体言と同じ働きをもつものとする。ほとんどが格助詞からの転用。「私のがない」「きれいなのがほしい」「行くのをやめる」の「の」・・・。(大辞泉)
【形式名詞】
用言について主部等を形成したり、他の文節との対応関係を作る形式的な名詞のこと。助詞を伴わず連用修飾語になれるものもある(「~するため~」など)。
例: 「驚いたこと がある」、「大切なこと はあきらめないこと だ」、「横断するとき は注意しましょう」、「接してみる」など。
「彼に聞くのがいい」、「あちらに着いてからが大事だ」などの「の」・「から」も、機能は形式名詞に似るが、助詞に由来するので準体助詞(準体言助詞)と呼ばれる。(ウィキ)
4.
>実体の認識=実体的認識 を同列に論じるほうが良いでしょう。
⇒同列には論じられません。三浦、第三章の初めに記してあるように、実体には属性が付属し、また、関係他がありそのどの側面をどう捉えるかで、表現が異なります。
:
そんなことはわかってますよ。
今の論点は、【(名詞とは)意味のうえから,事物の名称を表わしたり,状態,性質,存在などの概念を表わしたりする単語と定義される。】
という記述において、ブリタニカ批判は的外れでしょう、と申し上げている。
・事物=実体の認識
・状態,性質,存在などの概念=実体的認識
であることは一目瞭然ですよね?
どちらも名詞であることがわかれば、それで良い場面でしょう。
実体の認識と実体的認識の違いを述べる前提として取り上げる記述ではない、ということです。
的外れの兼題はご主張を正確に伝えることができなくなりますよ。
5.
(1)
a.
>そもそも「の」や「こと」が連体修飾語を受けることがどうしてできるのでしょうか。
:
「の」は、限定用法の格助詞由来の準体助詞で、体言化(名詞化)する機能を持つから。
「こと」は形式名詞だからでしょう。
b.
>であれば、「彼女のを貰った」の「の」の品詞は何で、どうつなげているのでしょうか。語自身が繋げるという機能は持っていませんが。
:
「彼女の(もの)」などの省略を体言化している準体助詞でしょう。限定を意味する格助詞由来と思います。
(2)
c.
>「ようです」などと曖昧なことは言わないで下さい。
:
婉曲語法ですよ。
ショックを多少でも和らげるための気遣いです。(笑)
d.
>では、「リンゴの赤い【の】を下さい。」の場合はどうなりますか。
連体修飾というのは表現された文の結果の中の関係を言うもので、発話時点では連体修飾などという関係はなく、語の意義を基に、話者の個別の概念認識を表現するものです。
:
こちらも「赤い」という概念を体言(名詞)化する準体助詞かと。
形式名詞と呼んでもよいのでしょうが、一応助詞由来なので。
『連体修飾』は「りんご(の)」のほう。
e.
>言語実体観という発想の誤りを克服しない限り理解できないと思います。
:
他人に聞くだけ聞いて、それは無いかと。
「彼は彼女のことが好きだ。」
「彼女のを貰った」
「リンゴの赤い【の】を下さい。」
について、ご自分の解釈をお示しになる必要があるのでは?
できないのなら、その旨おっしゃっていただければ無理強いは致しませんが。
No.8
- 回答日時:
#7です。
1.
>【概括的な意味内容】という意味の「概念」は、実体でしょう。
⇒どこが実体に結びつくのでしょうか。
デジタル大辞泉の解説
がい‐ねん【概念】
1 物事の概括的な意味内容。「概念をつかむ」「文学という概念から外れる」
ですが。
:
『物事の概括的な意味内容(概念)』は実体のひとつでしょう。
三浦は、名詞に関して「実体の認識、ないしは実体的な認識を表現したもの」と定義づけています。
つまり、
>「状態,性質,存在などの概念を表わしたりする単語」というのは単なる同語反復に過ぎません。これらが名詞であるのは、対象を実体として捉え表現する語であると云う所に、その本質があるということです。
:
とおっしゃいましたが、
「これらが名詞であるのは、対象を実体、または実体的認識として捉え表現する語」
と捉えれば、
「状態,性質,存在などの概念(という実体的認識)を表わしたりする単語」
というブリタニカ記述に誤謬はないのではありませんか?
ということを申し上げています。
2.
>違いを論じているのに、「おわかりにならない」?
問題は、その本質の正しい理解です。
:
???
また、おかしなことを言い出しましたね。(笑)
経緯は以下のとおりですから、よくご確認ください。
※
・アス⇒
『「=彼女」という意味で使われるのであれば、使う意味がありませんよね。何のために使用すのかを明らかにすることができません。』
・hako⇒
「彼は彼女のことが好きだ。」
「彼は彼女が好きだ。」
この2文の意味の違いがおわかりにならない、ということですか。
アスナロウさんともあろう方が困ったものですね。
形式名詞は、常に具体的な内容を示す連体修飾語を受けるために使われます。
連体修飾語が体言化されることで、結果的に連体修飾語の内容を強調的に表すことができる。
「彼は彼女が好きだ。」のように、「こと」が無くても意味は通じるわけで、その意味で『実質的な意味をほとんどもたない』と言えるわけです。
・アス⇒
違いを論じているのに、「おわかりにならない」?
問題は、その本質の正しい理解です。
※
「彼は彼女のことが好きだ。」
という文について、
『「=彼女」という意味で使われるのであれば、使う意味がありませんよね。』
とおっしゃるので、いえ使う意味はありますよと根拠を挙げつつ述べています。
『使う意味がありません』とおっしゃるのは、
「彼は彼女のことが好きだ。」
「彼は彼女が好きだ。」
この2文の意味の違いがおわかりにならない、と考えざるを得ませんよね?
3.
>「語が体言化される」のではなく、「の」は、抽象的な実体概念を表わしているということです。
語は概念、意義を表現するもので、体言化などどうやってできるのか説明して下さい。
:
体言化するために使われるのが形式名詞なのでは?
形式名詞「こと」について論じている箇所ですよね。
4.
>顔は実体ですが、「顔が赤い」は顔の属性の判断表現で、実体ではありません。
:
先にも触れましたが、実体の認識=実体的認識 を同列に論じるほうが良いでしょう。
「正義」「清貧」は実体ではありませんが名詞ですよね?
5.
>>形式名詞は、常に具体的な内容を示す連体修飾語を受けるために使われます。
連体修飾語が体言化されることで、結果的に連体修飾語の内容を強調的に表すことができる。
(1)「連体修飾語を受けるために使われます。」→「受ける【ため】」とはどういう意味でしょうか。
:
「彼は彼女のことが好きだ。」と言う場合、
話者が「彼女」ではなく「彼女という存在」のように強調的に表現したいと感じた場合、格助詞「の」を使って形式名詞「こと」につなげ、「彼女のこと」と表現するわけです。
(2)「「連体修飾語」ということは、「の」は名詞だということを前提にしていますよね。
:
違うようです。「連体修飾語」の意味を辞書で確認なさってください。
「こと」が名詞であることが前提です。
「の」は格助詞ですかね。
(3)「連体修飾語が体言化される」→これは具体的にどういうことでしょうか。
もともと「の」が名詞でなければ、「「連体修飾語」などと言えないと思いますが。
:
「彼女の」が「彼女のこと」で体言化されているでしょう。
早速の応答を有難うございます。
1.
>>『物事の概括的な意味内容(概念)』は実体のひとつでしょう。
三浦は、名詞に関して「実体の認識、ないしは実体的な認識を表現したもの」と定義づけています。
「概念」と実体は異なります。「名詞」は対象の「実体の認識、ないしは実体的な認識を表現したもの」ということです。概念は認識であり、実体は客体です。
>>「状態,性質,存在などの概念(という実体的認識)を表わしたりする単語」
というブリタニカ記述に誤謬はないのではありませんか?
ということを申し上げています。
ブリタニカ記述には「(という実体的認識)」という記述はなく、その認識もないために誤りだとうことです。
2.
>>根拠を挙げつつ述べています。
何を根拠といわれているのでしょうか?
>>「彼は彼女のことが好きだ。」
という文について、
『「=彼女」という意味で使われるのであれば、使う意味がありませんよね。』
というのは、「こと」=彼女」で、同じものを二つ並べるだけでは、「使う意味がありませんよね。」ということです。二つ並べると何か好い事でもあるといわれるのでしょうか。ならば、「彼女、彼女」と言えば良いのでは。
>>この2文の意味の違いがおわかりにならない
表現が異なるので、意味が相違しているのは自明なことです。
3.
>>体言化するために使われるのが形式名詞なのでは?
形式名詞「こと」について論じている箇所ですよね。
「こと」や形式(抽象)名詞「の」ですが、語が他の語を名詞化するというのは、如何なるメカニズムを考えられているのでしょうか。語は意義を表わすものですが。
4.
>>実体の認識=実体的認識 を同列に論じるほうが良いでしょう。
同列には論じられません。三浦、第三章の初めに記してあるように、実体には属性が付属し、また、関係他がありそのどの側面をどう捉えるかで、表現が異なります。
>>「正義」「清貧」は実体ではありませんが名詞ですよね?
だから、「実体の認識、ないしは【実体的な認識】を表現したもの」が名詞です。
実体と【実体的な認識】を正しく区別し捉えなければなりません。
5.
(1)
>><「彼女という存在」のよう>と「彼女のこと」とは異なる表現です
そもそも「の」や「こと」が連体修飾語を受けることがどうしてできるのでしょうか。
→補注
No.7
- 回答日時:
#6です。
1.
>【概括的な意味内容=概念】ですよね。
語は全て概念を表わすものであり、名詞が如何なる概念内容であるのかを指摘していない点が本質的な欠陥です。
:
【概括的な意味内容】という意味の「概念」は、実体でしょう。
であるなら、ブリタニカの記述している『状態,性質,存在などの概念』は『状態,性質,存在などの実体』を意味していますよね?
2.
>「=彼女」という意味で使われるのであれば、使う意味がありませんよね。何のために使用すのかを明らかにすることができません。趣味の問題とでも考えているのでしょうかね。
:
「彼は彼女のことが好きだ。」
「彼は彼女が好きだ。」
この2文の意味の違いがおわかりにならない、ということですか。
アスナロウさんともあろう方が困ったものですね。
形式名詞は、常に具体的な内容を示す連体修飾語を受けるために使われます。
連体修飾語が体言化されることで、結果的に連体修飾語の内容を強調的に表すことができる。
「彼は彼女が好きだ。」のように、「こと」が無くても意味は通じるわけで、その意味で『実質的な意味をほとんどもたない』と言えるわけです。
3.
>これは、話者、聞き手は無意識に規範として習得しているもので、それを論理的に解明し科学として理解するということです。
:
まあ、そうなんでしょうけど、言語道具観といい、言語過程説といい対立的に論じる必要があるのかな、と思うわけですよ。
4.
a.その前にある赤いのがほしい。
b.顔が赤いのは熱が出たのじゃないか。
この二つの文を見ると、同じ「赤いの」を使っていてもその性格が違っています。
>「顔が赤い」というのは「状態」ですから、これも『実体』になりませんかね?
⇒これが、正にブリタニカの説明的解釈ですね。「顔が【赤い】」という「属性(形容詞が表す)」を媒介的に抽象的な実体として捉え直し「の」と表現しているということです。「顔」自体を捉えているのではありません。
「リンゴの赤いの」の「の」は実体であるリンゴの捉え直しです。
:
「熱が出たのじゃないか。」という述部は、「顔」ではなく「顔が赤い」ことに関して述べています。
「顔」自体を捉える必要はありません。(むしろ「赤い」を捉えさえすれば良い)
おっしゃるように、『「顔が赤い」という「属性(形容詞が表す)」を媒介的に抽象的な実体として捉え直し』すれば良いだけです。
「顔が赤い」が実体なのであれば、a の「赤い」も実体だと三浦は言っているわけでしょうから、『同じ「赤いの」を使っていてもその性格が違っています。』というのは間違っていませんか?
5.
>赤いのは猫でしょうか。持ち主でしょうか?
:
猫です。
ただ、
a-1.君の前にいる顔の赤いのがほしい。
という例文は、わたしの勘違いでしたのでスルーなさってください。
すみません。
早速の応答ありがとうございます。
1.
>>【概括的な意味内容】という意味の「概念」は、実体でしょう。
どこが実体に結びつくのでしょうか。
デジタル大辞泉の解説
がい‐ねん【概念】
1 物事の概括的な意味内容。「概念をつかむ」「文学という概念から外れる」
ですが。
2.
>>この2文の意味の違いがおわかりにならない
違いを論じているのに、「おわかりにならない」?
問題は、その本質の正しい理解です。
>>連体修飾語を受けるために使われます。
「連体修飾語を受ける」とは現象を言っているに過ぎません。再三再四指摘しているように、言語実体観の誤りを克服しないと、現象、形式、機能と本質を取り違えることになります。
対象→認識→表現の過程的構造を理解して下さい。
単に表現された結果の解釈ではなく、「の」意義を過程的に明らかにしましょう。
>>連体修飾語が体言化される
「語が体言化される」のではなく、「の」は、抽象的な実体概念を表わしているということです。
語は概念、意義を表現するもので、体言化などどうやってできるのか説明して下さい。
3.
>>言語道具観といい、言語過程説といい対立的に論じる必要があるのかな
言語道具観というのは言語という対象の本質を正しく捉えたものではなく、機能を本質と取り違えたものということです。
『日本語は~』の第二章「言語道具説はどこがまちがっているか」をきちんと理解して下さい。
4.
>>「顔が赤い」が実体なのであれば
判らん人ですね。顔は実体ですが、「顔が赤い」は顔の属性の判断表現で、実体ではありません。
5. 了解しました。■
No.6
- 回答日時:
詳しい方々の遣り取りは勉強になりますね。
アスナロウさんが何をおっしゃりたいのか理解したいので少しお伺いします。
1.
>「状態,性質,存在などの概念を表わしたりする単語」というのは単なる同語反復に過ぎません。これらが名詞であるのは、対象を実体として捉え表現する語であると云う所に、その本質があるということです。
:
「概念」=物事の概括的な意味内容。(大辞泉)
ですが、ブリタニカの語釈、
『事物の名称を表わしたり,状態,性質,存在などの【概括的な意味内容】を表わしたりする単語と定義される。』
という記述は、状態,性質,存在などの対象を実体として捉えていないから間違いである、とおっしゃっているのですか?
【概括的な意味内容=実体】ではないかという気もするのですが。
2.
>「実質的な意味をほとんどもたない名詞を形式名詞と呼ぶ。」などと記していますが「実質的な意味をほとんどもたない」のであれば、語ではあり得ず、そもそも名詞とする根拠もないことになります。
:
こうした論理展開にも疑問符が付くのですが、「実質的な意味をまったくもたない」とは言ってませんよね?
形式名詞とは、「彼は彼女のことが好きだ。」という文における「こと」のように、すでに文中に存在している「=彼女」という意味で使われるのであるから、ほとんど意味を持つ必要がない。
という意味に解釈することができるのであって、何の問題も無いのでは?
3.
>「意味のうえから」ではなく、話者にどのような概念の規範として認識されているかを明らかにしなければなりません。
語は概念を表わすもので、これは意義であり意味は文が表すものというべきで、名詞がいかなる概念を表わすかが明らかにされなければなりません。
結論から言えば、<名詞>とは実体概念を表わす語です。
:
a.
最初の一文は、言語道具観を否定しつつ、時枝の言語過程説を述べているものと思われます。
二番目の文は三浦の修正的時枝批判になりますか。
『語は概念を表わすもので、これは意義であり』が言語道具観の肯定であり、『意味は文が表すもの』が言語過程説の肯定である・・・ということでしょうか。
しかし、よくわからないのは、
・語の概念を(無意識的にせよ)知らずして日本語を話す人がいるだろうか?
・また、言語を道具とせずに日本語を話すことができるだろうか?
という点です。つまり、言語過程説、言語道具観と言わずとも、単に我々の日々の気づきの問題にすぎないのではなかろうか、という気もするわけです。
b.
最後の一文は、おっしゃるとおりというか当たり前のことでは、という印象を受けますね。
『<名詞>とは実体概念を表わす語』ではない、と考える人が、どんな使い方をするものなのか興味が湧きます。
4.
「日本語はどういう言語か」
第3章ー1-b<抽象名詞>あるいは<形式名詞>
の項に準体助詞、つまり【いろいろの語に付いてある意味を添え,それの付いた語句を全体として体言と同じはたらきをもつものにするもの。(明鏡)】への批判が記されています。
※
a.その前にある赤いのがほしい。
b.顔が赤いのは熱が出たのじゃないか。
この二つの文を見ると、同じ「赤いの」を使っていてもその性格が違っています。
a では実体を捉えて「の」と表現しているのですが、
b では顔が「赤い」という属性をさらに実体的に捉えなおして「の」と表現しているので、実体を捉えているわけではないのです。
そして「赤い」は a. b. ともに<形容詞>であって、b が「の」を結びつけることで「赤いの」全体が<名詞>と同じ機能を持つわけでも何でもありません。
※
ここの記述がよくわかりません。
「顔が赤い」というのは「状態」ですから、これも『実体』になりませんかね?
(気に入った猫を一匹あげるよ、と言われて)
a-1.君の前にいる顔の赤いのがほしい。
という表現はありでしょう。
こうした矛盾が生じるから準体助詞という概念は間違いである、という批判のようですが、アスナロウさんはどう思われますか?
御質問ありがとうございます。
1.
状態,性質,存在などの対象を実体として捉えていないから間違いである、とおっしゃっているのですか?
【概括的な意味内容=実体】ではないかという気もするのですが。
>>【概括的な意味内容=概念】ですよね。
語は全て概念を表わすものであり、名詞が如何なる概念内容であるのかを指摘していない点が本質的な欠陥です。
以前から、指摘の通り、名詞とは実体概念を表わす表現であると云う点を明確にすることなく、「状態,性質,存在などの概念を表わしたりする単語」というのは、 hakobulu サンを思い出してしまいました。(笑)
2.
>>すでに文中に存在している「=彼女」という意味で使われるのであるから、ほとんど意味を持つ必要がない。
「=彼女」という意味で使われるのであれば、使う意味がありませんよね。何のために使用すのかを明らかにすることができません。趣味の問題とでも考えているのでしょうかね。
「ほとんど意味を持つ必要がない。」の「ほとんど」などというのも曖昧な表現で、まず、意味のない語を何故使用できるのかが問題になり、さらに受け手はそこから何を受けとるのかという問題になります。これは、対象→認識→表現という過程的な構造が理解出来ない実体観によるものです。
3.
>>言語道具観を否定しつつ、時枝の言語過程説を述べているものと思われます。
まあ、そういうところですが、時枝はソシュールのラングを否定し捨て去ってしまい、過程自体を意味とする踏み外しをしており、品詞定義にも機能主義的な混乱があり、形容動詞の否定にも欠陥があることを指摘した通りです。
>>言語道具観の肯定であり
言語道具観には意義と意味の区別がなく、意義=意味と捉えることになります。
>>・語の概念を(無意識的にせよ)知らずして日本語を話す人がいるだろうか?
それはありえません。幼児からの学習により言語規範を習得します。
>>・また、言語を道具とせずに日本語を話すことができるだろうか?
言語は表現であり、受け手が認識、理解することにより道具としての機能を果たすということです。
>>『<名詞>とは実体概念を表わす語』ではない、と考える人が、どんな使い方をするものなのか興味が湧きます。
補足へ
No.5
- 回答日時:
><名詞>とは実体概念を表わす語です。
名詞にはさらに下部分類がありますか?それともありませんか?また従来名詞とされたもので、名詞から外れるもの、および形容動詞以外で新たに名詞に含むものはありますか。
コメント有難うございます。
名詞の分類は大きくは、固有名詞、普通名詞、数詞、形式(抽象)名詞になります。
また、転成名詞がありますが、準体言などという名詞はありません。
問題は準体助詞、準体助詞とされるものですが、これらは、形式(抽象)名詞になります。
特に問題になるのは、「の」で、従来<接続助詞>とされる、「ので」「のに」「のも」等で、これについては、
<接続助詞「ので」という誤り>
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11221613.html
で問題提起していますので参照下さい。■
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なお、補足させていただければ、
西山佑司『日本語名詞句の意味論と語用論―指示的名詞句と非指示的名詞句』(ひつじ書房)
のタイトルにあるように、「指示的名詞句」と句が指示するという機能主義的な発想に根本的な誤りがあるということです。言語は表現であり、意味を表わすもので、「指示」などするものではありません。
ここに、根本的な発想の誤りがあります。■
なお、「接続助詞《ので》という誤り」で辞書の混迷について、権威?を認め信頼を寄せらている、『日本国語大辞典』も俎上にのせ、「形容動詞という誤りNo.2」では、内容を噛み砕いて現在の文法論の誤りを説いていますので、是非藪睨みではなく、ストレートなコメントを戴けることを期待致しております。■
これは、話者、聞き手は無意識に規範として習得しているもので、それを論理的に解明し科学として理解するということです。
4.
>>b では顔が「赤い」という属性をさらに実体的に捉えなおして「の」と表現しているので、実体を捉えているわけではないのです。
>>「顔が赤い」というのは「状態」ですから、これも『実体』になりませんかね?
これが、正にブリタニカの説明的解釈ですね。「顔が【赤い】」という「属性(形容詞が表す)」を媒介的に抽象的な実体として捉え直し「の」と表現しているということです。「顔」自体を捉えているのではありません。
「リンゴの赤いの」の「の」は実体であるリンゴの捉え直しです。
先の、形式名詞の「ほとんど意味を持つ必要がない。」という解釈とどちらが論理的かを考えて下さい。↓
>>a-1.君の前にいる顔の赤いのがほしい。
という表現はありでしょう。
赤いのは猫でしょうか。持ち主でしょうか?
矛盾というのが何を言われているのか判りませんが、助詞は実体を表わすのではないというのは以前から指摘していますが。助詞の項を読んで下さい。
ましてや、準体助詞というのは、貴「形容詞性名詞」と同じ発想のネーミングですね。
まず、言語実体観を超克し、言語は表現であり、話者の個別認識の表現であると云う点を実感として理解できないと、中々頭に入りません。
と云っても、簡単ではないのですが。■
若干、補足させていただきます。
>>形式名詞は、常に具体的な内容を示す連体修飾語を受けるために使われます。
連体修飾語が体言化されることで、結果的に連体修飾語の内容を強調的に表すことができる。
1.「連体修飾語を受けるために使われます。」→「受ける【ため】」とはどういう意味でしょうか。
2.「「連体修飾語」ということは、「の」は名詞だということを前提にしていますよね。
3.「連体修飾語が体言化される」→これは具体的にどういうことでしょうか。
もともと「の」が名詞でなければ、「「連体修飾語」などと言えないと思いますが。
これらを、論理的に説明できますか?■
No.3 へのコメントに補足させていただきます。
>>『日本語文法事典』
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A …
これらはそれぞれ定評ある、あるいは権威ある?事典と言っていいでしょう。
そういう、学問的なものを避けて、あえて執筆者名のない、一般向けの百科事典を選んだ理由はなんでしょうか。/
という御指摘をいただきまし。
この理由は、お礼コメントの通りですが、氏の薦められる『日本語文法事典』を見て気付いたのですが、これは以前他の事項に関し検索し、欠陥事典ではないかと感じたものでした。
手元にはないので現物を確認した所、正にその事典でした。その名詞に関する、2頁以上に亘る内容はお粗末というしかないもので、当方が引用したブリタニカの内容に比すべくもありません。↓
↑
回答者は良く内容を確認したのではなく、その権威と頁数にいかれたに過ぎないのではという感が拭えません。
名詞の内容の批判はさておき、まず何故この事典を欠陥と感じたのかを別項で問いたいと思いますので宜しくお願い致します。■
>>格助詞「の」を使って形式名詞「こと」につなげ、「彼女のこと」と表現するわけです。
確かに、結果としての形(形式)はそうなっていますね。
であれば、「彼女のを貰った」の「の」の品詞は何で、どうつなげているのでしょうか。語自身が繋げるという機能は持っていませんが。
(2)
>>違うようです。
「ようです」などと曖昧なことは言わないで下さい。
>>「こと」が名詞であることが前提です。
「の」は格助詞ですかね。
では、「リンゴの赤い【の】を下さい。」の場合はどうなりますか。
連体修飾というのは表現された文の結果の中の関係を言うもので、発話時点では連体修飾などという関係はなく、語の意義を基に、話者の個別の概念認識を表現するものです。
因果関係を逆転することはできません。↓
(3)
>>「彼女の」が「彼女のこと」で体言化されているでしょう。
それは結果論です。「リンゴの赤い【の】を下さい。」の場合はどうなりますか。
言語実体観という発想の誤りを克服しない限り理解できないと思います。
といってもピンとこないかもしれませんが。
本当に疲れます。秋まで、よく『日本語は~』を読まれ、それからにしましょうか。■
「付属語、自立語という誤り」で、
論理、つまり筋の通った言説を旨としていただくようお願いいたします。
と記されていますが、当方がどのような論理に基づいているかは、
三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』 (講談社現代新書: 1968/9/16)を参照下さい。詭弁を弄しているのではありません。ここでは、認識論が説かれており、言語の表現過程について説明されています。■