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▲ (純粋悟性概念 あるいは 物自体または先験的客観) ~~~~~~~
1. 内観により時間において表象された『私』と 空間において私のそとに
あるところの対象とは それぞれの特性から言えばまったく異なった現象であ
るが しかしそれだからといってこの両者は異なった物と見なさるべきでない。

  ☆ 単純に言って: 

   唯心論は 内観なるワタシの一元論であり 
   唯物論は 外なるモノの一元論であり
   懐疑論は ワタシとモノとの二元論である

   と言う。だが ワタシ〔のこころ〕とモノとは 互いに別々のものなの
   ではないのだ と言っている。

2. 外的現象の根底にも また同様に内的現象の根底にも存するところの《先
験的客観》は 物質でもなければまた思惟する存在者自体でもなくて 

3. これら両種の経験的概念を与える現象の《根拠》をなすものであるが 

4. しかしこの根拠がなんであるかは 我々には知られていないのである。

(I.カント:『純粋理性批判』篠田英雄訳 下巻 p.203 )
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5. 一元論的懐疑論は――批判哲学は―― 《お化け》を《根拠》に想定した
のだろうか?

6. さもなければ なんでしょう?

質問者からの補足コメント

  • 〇 《かみ と ひとたるわれ とのカカハリ》についての図解  

    超自然なるカミ:【非知なるナゾ】非経験の場:真理・生命・道
      ↓       ↑             ↓   ↓
    ____________________________________
    自然本性たるヒト: ↑             ↓   ↓
              ↑             ↓   ↓
    【 +α(霊我)】:信じる:非思考の庭:クレド:ヒラメキ・良心
    -------------------------------------
     [経験世界]                  ↓   ↓
    【心(精神)】:考える:思考の緑野:コギト: 直観   ↓
    【身(身体)】:感じる:感性の原野:センスス・コムニス:ヤマシサ反応(恥)


    ☆ 【 +α(霊我)】は あくまで 神の側からのハタラキカケによるものです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/07/30 22:52

A 回答 (2件)

「物自体」はお化けであるのか。


そういう超越論的概念を用いないと、カントの純粋理性批判などの批判哲学は成り立たなかったのでしょうか。

私は、ブラジュさんが<非思考の庭>として、定義された場所での超越的存在との関わりにおいてなされるのが、先験的客観と関係があるのではないかと思いました。

また、アリストテレスも、作用する理性について語っています。人がものごとを思惟するのを可能としているのは普遍的に働いているものがあるに違いない。それは、個々の人間の体からの影響を逃れており、あらゆる物質的な要素にも染まっていない。ちょうど光があって色が見えるように、この働きかけがあってはじめて、人間はものごとを思惟することができるのだといいます。

カントの「物自体」とは、またニュアンスが違いますが、共通したものがありませんか?
お化け、ではないような気がしますが。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 「物自体」はお化けであるのか。
☆ わたしは 《非知》という概念で ナゾのお化けを――想定として
――規定する手を知っているつもりですが 趣旨説明欄の議論を見る限
り きわめてあいまいなところに宙ぶらりんとなった概念として 打ち
出してしまったと思われます。


★ そういう超越論的概念を用いないと、
☆ その《超越論的》というものも けっきょくはっきりしません。

神(つまり 非知なるナゾ)と経験世界〔可知(既知・未知)および不
可知〕との間に なおナゾの何ものかとして 物自体を持ち出したゆえ
だと見ます。つまり 宙ぶらりんのお化けになったと。

▲ 先験的客観
☆ という用語を あとで知りました。《客観》は 人間の究極的な認
識として――無理でも想定し――経験事象を知ることです。

《先験的》とは 《経験に先立っている》ことで 《経験を超えている》
なら 《非知》です。けれども カント説ではそうではなく 必ずしも
よい定義ではないのですが 《純粋経験》として 経験事象の内にとど
まるものらしい。

経験に先立つ《可想的――つまり大きく経験的――世界》だとも言いま
す。


★ そういう超越論的概念を用いないと、カントの・・・批判哲学は成
り立たなかったのでしょうか。
☆ ですから その基礎を成す概念がはっきりしない限りで言って そ
の哲学は 成り立っていない・・・とわたしは思います。

★ 私は、ブラジュさんが<非思考の庭>として、定義された場所での
超越的存在との関わりにおいてなされるのが、先験的客観と関係がある
のではないかと思いました。
☆ あっ なあんだ。そうならそうと先に言ってくれていたら 話は早
いです。


★ また、アリストテレスも、作用する理性について語っています。・
・・
★ ・・・お化け、ではないような気がしますが。
☆ アリストテレスは 経験科学として語ろうとしていると思います。

《第一原因――不動の動者――》は 経験事象のほうから非知なる神に
迫って行った行き着き先ですね。

一つに 《超経験》が 経験世界と――思弁的な営為をつうじて――つ
ながっている。
一つに だから《原因とか不動だ作動の根拠だとか》 やはり思考の緑
野という経験の範囲内で――タトへとしてながら――規定している。

お礼日時:2019/07/30 22:34

https://www.asahi.com/articles/ASM7P7RXDM7PUCVL0 …

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売上で勝たれよとという雛尾でしょうか。ゲハ的な
勝つのですか。

金属が毒性が有るのが気になるのと。金属汚染。
宝石とか。

しべが謎なのと、平鹿跡か。
ロボットはへ地マールを考えるのでhそうか。

今日は八魔に妨害sれてるかんじな尾でしょうか。
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この回答へのお礼

残念ながら よく読み取れませんでした。よ。

お礼日時:2019/07/29 23:27

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