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死にたくない、はどちらでしょうか?

死にたくないのは生存本能、つまりれっきとした科学(=客観)のはずですが、世間では甘え、自分本位のように取られます。

A 回答 (8件)

問題は自分の訃報を聴いて


悲しむ人がいるかどうかです。
困るとかも含む。

死ぬとやりたいことあってももうできないでしょう。

切りがないと言っても遅いのです。
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一般論としての「死にたくない」は「誰だって死にたくない」の意味であるとすれば客観的発言。



自分自身についての「死にたくない」は主観ですから、個人的意思の表明になるでしょう。
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死にたくないと思う、その心は生存本能と云ってもいいでしょう。



そうした思いの事を、人間とはそうした生物であると科学(認識)したのは客観的見方と云えます。

また死にたくない、を理由にした行為・行動を〈甘え・自分本位〉と解釈するのは客観と云えます。

死にたくないのは本能的主観です。潜在意識にあるのかも知れません。
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「ない」は意志ですからねぇ…。

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生存本能の否定ですッ!

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人間には、主観はあるけど客観はないんです。


みんなが言う客観は、「客観的な主観」にすぎません

主観を排除した客観があるなら、みんなの客観は
一致するはずです
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ある九州の航空特攻部隊は、長官である宇垣中将が8月15日の玉音放送ののちに、志願者とともに自ら特攻機に乗り込み、アメリカ軍の目の前まで行きそこで海上に突っ込み自殺しました。

つまり、この例は極端ですが、ご質問の件と矛盾しません。戦時中の「死にたくない」は社会的に「甘え自分本位」であり、軽蔑嫌悪されました。つまり、生存本能を振り払う勇気を持つことが軍人としての最低条件であるとされていました。
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主観です

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