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日本書紀って色々間違ってる部分があるらしいですがどこらへんが間違ってるのですか?

A 回答 (8件)

33がゴロが良い? 32もゴロが良い、34もゴロが良い、言ったもの勝ちですね。


続日本紀に神功天皇?何を書いた書物でしたっけ。
ウソも書けば良いというものではないと思います。

まぁ神功天皇自体が架空である説もあるので、そもそも~という話になる可能性もありますが。
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ちなみに神功天皇は、日本書記では天皇として扱われていますが、江戸時代の男尊女卑の風潮の中で難癖つけられ天皇ではないとされ、今でも皇后扱いになっています。



これは逆です。日本書記、そういう書はありません。日本書紀が正しいとすれば、神功皇后は天皇として扱われてはいません。ただ、夫である仲哀天皇が亡くなり、生まれた皇子がまだ幼く、政務を執るのが無理なので、母たる皇后が政務を執り、事実上、天皇みたいな感じになったので、日本書紀がその人物だけで1単元を設けて描いただけです。
歴代天皇という扱いにはなっていません。
そして神武天皇~推古天皇まで、ちょうど33人の天皇の名を与えられた人が出てくることで、ちょうどこの間を33人にすると、ゴロがいいということで、意図的に数を制限したという説さえあるのです。
質問の標題に「間違っている」とありますが、本当は「政治的に意図をもって本当の歴史とは異なる形に変えて造作された」とするのが正しいと思います。

神功皇后は日本書紀では天皇ではありません。天皇扱いし始めたのはすくなくも続日本紀以降で、神功天皇という呼び名は、天皇と呼ぶべきと国史たる日本書紀に反発して附けられた称号と見るべきですね。

天皇は本来、男系相続で、女性天皇はあくまで繋ぎで日本は血の継承を重んじたのでしょう。女性に天皇の称号がついてくるのは推古天皇が始まりで、あくまで繋ぎです。
学者は100歳を超える寿命に不審を抱き、実在を疑う人は多いですね。
でも本当は無理に年齢や在位を作偽して述べたとみられる人物が多く登場するので、そういう不審を投げかける学者が多いのでしょうね。
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おおよそ全部?w



神代は、合ってるも間違えてるもなく、想像の賜物でしょう。
初期の天皇もあやしいです。複数のご先祖様話を1本線に並べたものではないかなどとも言われますが、そもそも話の信ぴょう性自体が低いです。大王(天皇の昔の呼び方)は血縁ではなく、代表持ち回り制だったのではないか、などとも考えられています。相続も親から子へではなく、兄弟間など横方向の継承が多かったはずなのですが、初期には親子継承ばかりになっています。

実在の天皇と考えられる人物以降も、間に想像の人物ではないかという天皇の話が入ったり、複数人の業績を(実在しない)一人の話にしたのではないかなどと考えられています。

日付は干支で書かれているので、60年を周期とするズレが入りやすく、神功天皇(神功皇后)の頃の記述で2周期120年のズレがある(意図的に入れてある)、それ以前の記述では更に広がり、年齢も100歳以上連発で、信頼性もへったくれもないような状況です。

本文以外にも一書(あるふみ) として、様々な異説を記述しており、どれかが正しければ他は間違えているということになります。ただし複数の説を紹介している(書き残している)ことは逆に評価されているところでもあります。またこれは(歴史書として手本とした)中国の歴史書にはない、独自の特長とも言えます。

ちなみに神功天皇は、日本書記では天皇として扱われていますが、江戸時代の男尊女卑の風潮の中で難癖つけられ天皇ではないとされ、今でも皇后扱いになっています。
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矛盾というよりは古事記は、国撰の史書としては認められていないでしょうね。


日本書紀と結構異なるでしょう。太安万侶ははみ出し者でしょうね。
例として崇神天皇でいえば、日本書紀は在位68年、古事記は168歳
ということは、日本書紀のいう在位の68に100を足すと古事記のいう年齢になるという見方ができますね。そういう点が歴史の意図的改竄ということですね。だからわざと2種類存在させたのでしょうね。ほんとはもっと多く史書があり、国史混乱のるつぼを招く。

日本書紀に一にいわくとかということで、多説共存は、諸説乱舞で、編集者が沢山いて意見まとまらずで、敢えて併記する形の編纂を行ったとみれば、いいでしょう。
諸説折衷合成分析といけませんかね。
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ところどころ、自己矛盾しています。



例えば、
継体天皇の崩御の年が、書いてある箇所によって違う。
同一内容の記事を複数の年に書いてあったりする。

古事記と比較したりすると矛盾はもっと増えます。
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間違っているわけではなく、天皇の在位年数や年齢を意図的に拡大して、日本を神の住む歴史の古い悠久の国に見せかけようと故意に国史を改竄したとみるべきでしょう。


神武天皇が実在しないとか、崇神帝から実在を認めるべきと学者が騒ぎますが、
神武帝、さらに欠史8代といういい方も誤り。というのは事績らしい記事が見えぬのは意図的に隠したとみるべきで、紀年改竄すれば、実際にあった出来事の中には年数ずらして載せねばならなくなり、載せ方で迷って意図的に省略というか、敢えて載せずに済ましたという可能性を考えるべきでしょうね。
実際、崇神以降に事績記事が多く出てくるが、これも外国史と比較して年代のずれた位置に掲載されているとみるべきものがいくつもある。
これを正さないで、実在・非実在を決めること自体、愚かと思う。
いうなれば、日本書紀は歴史を正しい順番で載せずに事件の起きた順番も変えている可能性が考えられ、これを正しく並べ替え、外国史とも整合性を持たせることが必要。

その意味でいえば、神代に対してもイザナギの尊以降、国生みという話が出てくるから、これを神々ならぬ日本民族(今の皇族の祖先)が日本列島に海外から渡来しての日本征伏活動と解釈して、実在した人物を神格化して描いたという見方で、神代の神々も少なくともイザナギ以降は実在の人物としての歴史物語として解釈する説を立てる人が出てくると、頼もしいね。たとえば縄文人が原住民で、渡来人が弥生人で弥生人が縄文人を征伏融和融合し、統治化に置き、皇族に発展とかいう説はどうかな。

無理かなあ。ここにいる人は私以外、こんな説は笑い話として頭から否定しますか。
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崇神天皇の存在は信じられますが、それ以前の天皇の実在はあやしいです。


神武天皇は初代なのでそれなりに事績がかかれているのです。
しかしそれ以降、第二代から八代までの天皇については事績がほとんど書かれていません。
この間を欠史八代といいますが、これは後世の創作である可能性が大です。
それ以外でも継体天皇の話とかともかく不自然なことが目に付きます。

それ以外でも蘇我入鹿は悪人の権化のように書かれていますよね。
遺跡発掘調査によると、むしろ皇居を守る形で屋敷がつくられていたこともはっきりしてきました。

基本的に歴史というのは勝者の歴史です。
ですから、勝者にとって都合の悪いことは隠蔽されるのが常です。
現在の日本でさえ、都合の悪いことは隠蔽・改ざんされるのが常なのですから。
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日付の捏造疑惑

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