一連の質問で教えていただいたことや、提示していただいた資料を基に、私なりにまとめてみました。
良いと思えたことの寄せ集めみたいなものです。
新しい視点はさほど含まれていまませんが、表現の仕方に特に工夫をこらしたしたつもりです。
しかし、それが逆に仇になっている可能性もあるかもしれない。
ご意見・ご批判よろしくお願いします。
あくまで叩き台としてお示しするものですので、改善を前提にしての質問です。
遠慮なく、しかしお手柔らかに、また、有意義な改善点をお示しいただければ幸いです。
若干長めである点、お詫びいたしておきます。
部分的でも構いませんので、どんどんご指摘ください。
日本語学習者の方からの率直なご感想なども大歓迎いたします。
【 VOL.1ー使い分けの要点 】
(A)人間というものは、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい生き物である。
もし、あなたが、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい場合、その物事は【〇〇は△△】のように主題提示の意義を持つ助詞【は】を用いて表わすと良い。
「〇〇について言ってみれば△△」という意味を表わすことができる。
(B)人間というものは、また、何らかの現象・属性などを主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい生き物である。
もし、あなたが、何らかの現象・属性などを主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい場合、「何らかの現象・属性などの主格、または可能・希望・好悪・巧拙などの対象」は、【〇〇が△△】のように、指定(または特定)の意義を持つ助詞【が】を用いて表わすと良い。
以降で若干の解説を加える。
【 VOL.2ー「は」を使う 】
1.
目の前の人にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたければ、【〇〇は△△】という構文を使い〇〇を主題提示します。
(ア)この人は社長だ。
のように言う。
「この人について言ってみれば(彼は)社長だ」という意味。
また、鯨にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたければ、
(ア”)鯨は哺乳類だ。
のように言う。
鯨が哺乳類であるのは客観的事実ではないか、と思われるかもしれないが、「哺乳類であることが客観的事実であること」をあなた自身の判断として認めている、という意味で主観的な判断・断定なのである。
「鯨」を主題提示しているのは自らの意志である、という点に留意する。
(ア-1)この人は社長だ。
この【〇〇は△△】は措定文(判断文)と呼ばれる。(措定=ある事物の存在を肯定し、その内容を明白にして示すこと。ー明鏡国語辞典ー)
三上寛によれば【〇〇<△△】という包摂関係が成立している。
△△は叙述名詞句で基本的に属性概念。
「この人<社長」という関係性で社長は属性概念であり、「この人」という指示名詞句よりも広い範囲に適用される。
言い換えれば、「この人」は社長という属性概念に包括されており、
(アーa)この人は社長という属性概念に包摂されている存在だ。
という意味の文になる。
「は」の前後が包摂関係にある、こうしたシチュエーションの場合、
(アー2)社長がこの人だ。
のような指定文が作れないのは当然である。
2.(アー3)社長はこの人だ。
【〇〇は△△】を倒置指定文として表現する場合。
△△が指示名詞句であることが要点。指示名詞句=「世界のなかの対象(個体)ー西山」である。
(アー3a)社長という属性概念に該当する対象(個体)は誰かと言えば、それは「この人」だ。
という意味。
同じ「は」を使いますが、(ア-1)措定文との違いについて再確認してください。
倒置指定文に包摂判断は存在しない。
「社長=この人」である。
だからこそ、
(アー4)この人が社長だ。
という指定文も導かれ得る性質の文である。
(指定文・倒置指定文については後述)
3.
措定文【〇〇は△△】においては、〇〇=△△という同一判断も成立する。
これは指定文【〇〇が△△】の〇〇=△△とはまた趣を別にする。
あくまで結果的に〇〇=△△と措定される、ということ。
《包摂判断 A≦Bー三上寛》(〇〇≦△△)
という等式が成り立つ。
措定文に置いて「包摂される対象」は「は」を使って主題提示(措定)できる。
〇犬は動物だ。
〇シロナガス鯨は海で尤も大きい生物だ。(同一判断)
〇寿司はうまい。
〇寿司は大好物だ。(同一判断)
「包摂する主体」は「は」を使って主題提示(倒置指定)することができない。(同一判断の場合は例外)
×動物は犬だ。
〇海で尤も大きい生物はシロナガス鯨だ。(同一判断)
×うまいのは寿司だ。
〇大好物は寿司だ。(同一判断)
【 VOL.3ー「が」を使う 】
1.
目の前の人の属性を主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたければ、
(アー4)この人が社長だ。
のように言う。
「この人」に関する主観的判断ではなく、「この人」が「社長だ」という属性の主格であることを(事実として)指定する。
あるいは、桜の現象を主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたければ、
(イ)桜が咲いた。
のように言う。
「桜」に関する主観的判断ではなく、あくまで「咲いた」という現象の主格であることを(事実として)指定している。
(イー1)桜は咲いた。
のように言う場合は、桜にフォーカスして主観的な判断を述べていることになる。
2.
「が」を使う場合、次の2通りの意味を表現できる。
(アー4a)(初対面の相手に社長を紹介するとき)この人が社長だ。
●「△△の主格が〇〇であること」を軽く指定する中立叙述の「ガ」。
(アー4b)(部長を社長と間違えた相手に)この人が社長だ。
●「△△の主格は何かと言えば、それは〇〇だ」と強く特定する特記の「ガ」。
使い分けるためには、以上の、VOL.1 ~ VOL.3を理解しておけば十分である。
以降では、すでに表現済みの文を解釈する場合のために少し補足的に述べるが、使い分けの必須要件ではないのであくまで参考程度に。
【 VOL.4ー補足 】
措定文・指定文・倒置指定文の前項と後項の関係は以下のようになっている。(上林 洋二氏による解釈から編集)
a.紫式部は源氏物語の作者だ。ー措定文
ー紫式部(個体 / 指示名詞句)
ー源氏物語の作者(属性 / 叙述名詞句)
b.源氏物語の作者が紫式部だ。ー指定文
ー源氏物語の作者(個体 / 指示名詞句)
ー紫式部(個体 / 指示名詞句)※
c.源氏物語の作者は紫式部だ。ー倒置指定文
ー源氏物語の作者(属性 / 叙述名詞句)※
ー紫式部(個体 / 指示名詞句)
d.紫式部が源氏物語の作者だ。ー指定文
ー紫式部(個体 / 指示名詞句)
ー源氏物語の作者(属性 / 叙述名詞句)※
◎(個体 / 指示名詞句)⇔(属性 / 叙述名詞句)
のように対照しており、※の項目は、他の文例であればもう一方の要素が適用されることもある。
たとえば、
b".源氏物語の作者が美人だ。
という指定文における後項は、
ー美人(属性 / 叙述名詞句)
となる。
むしろ、※のついてないものは、それぞれの文における必須要件である点にご留意いただきたい。
b と d では、「 源氏物語の作者」の要素が異なる点にも留意すると、用語の意味がわかりやすくなるかもしれません。
【 VOL.5ー既説批判 】
1.
新情報(未知)か旧情報(既知)かによって使い分ける方法。
これは、以下の理由により誤りと思います。
「は」の意義は「主題提示」なので、「鈴木さんは校長です」の「鈴木さん」が既知であるのは当然です。
また、「(佐藤さんではなく)鈴木さんが校長です」という指定文の場合は、たしかに「鈴木さん」は新情報(未知)でしょう。これは《●「△△の主格は何かと言えば、それは〇〇だ」と強く特定する特記の「ガ」》です。
しかし、「あの赤いネクタイを締めている方、ご存知ですか?あの方が当校の校長です」のように、《「△△の主格が〇〇であること」を軽く指定する中立叙述の「ガ」》の場合は旧情報(既知)になる。
2.
主格がどこまで係る(=つながる)のか、文末まで係る(「は」)のか、節の中だけにしか係らない(「が」)のかによって使い分ける方法。
というものも目にしますが、これも誤り。
「お父さん、晩酌が楽しみだと、いつも言ってますよ」
「父が晩酌をすると、必ず酔っぱらうちゃうのよね。だから本当は、あまり飲んでほしくないのよ」
などと娘さんが愚痴るシチュエーションがある。
3.
対比の「は」・排他の「が」という分類も散見します。
しかし、対比の「は」は、複数の対象を(時には暗黙的に)主題提示することで結果的に可能になっているにすぎない。
排他の「が」については、
・犬は好きだ。(が)猫は嫌いだ。
という排他を意味することも多いわけですし、
・桜が咲いた。
のような排他以外の用法(中立叙述)もあるわけですから、「使い分けの分類」としては意味が無い。
A 回答 (45件中21~30件)
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No.25
- 回答日時:
#16 について。
>(イ)桜が咲いた。
という指定文は、【〇〇は△△】という型の措定文のように、《ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい》わけではない、という点が極めて重要です。
桜にフォーカスするような余裕を持ち合わせていない文、と言ってもよいでしょう。
フォーカスという意志行為を実行する前に、すでに「咲いた」という事実が現象として認識されているわけです。
一体何を云われているのでしょうか?
<主観的な判断や断定などを述べたい》わけではない>
では、夢や妄想を述べたいのですか?
>フォーカスするような余裕を持ち合わせていない文
典型的な言語実体観で、文が余裕を持つとはどういうことかをまず説明すべきでしょう。
単なる感覚的な戯言です。
>フォーカスという意志行為
それは、カメラを向けることでしょう。
言語表現ではありません。
>「咲いた」という事実が現象として認識されている
主観的な判断や断定なしに事実を現象として認識できますか。
どうすれば出来るのですか?
何か、夢の世界の話しをされているのでは?
■
ご回答ありがとうございます。
><主観的な判断や断定などを述べたい》わけではない>
では、夢や妄想を述べたいのですか?
:
いえ違います。
【〇〇が△△】という構文は、
《何らかの現象・属性などを主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい》のです。
>フォーカスするような余裕を持ち合わせていない文
⇒典型的な言語実体観で、文が余裕を持つとはどういうことかをまず説明すべきでしょう。
:
余裕を持つのは「文」ではなく「心」であるという基本を覚えておかれるとよいかと。
・フォーカスするような余裕を(心が)持ち合わせていない(ような状況を表わしている)文
ということ。
>フォーカスという意志行為
⇒それは、カメラを向けることでしょう。
言語表現ではありません。
:
カメラを向けるという意志行為を言語化(言語表現)すると『フォーカス(する)』という語になるわけです。
そんなに難しいこと?
>「咲いた」という事実が現象として認識されている
⇒主観的な判断や断定なしに事実を現象として認識できますか。
どうすれば出来るのですか?
:
道を歩いていて一万円が落ちていたとします。
「お金は落ちている」とは一般的には言わないでしょう。
「お金が落ちている」と言うはずです。
《お金にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい》という意志はまったく働かないだろう、ということ。
《「落ちている」という現象を主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま(たとえ自分自身に対してにせよ)伝えたい》という気持ちになるはずです。
これと同じです。
>何か、夢の世界の話しをされているのでは?
:
リンダに出べそを引っ張らせますよ。
No.24
- 回答日時:
#14 の応答について
相変わらず、好き勝手な用語を並べていますね。
>話者が比喩(を形成する事実)として理解してもらいたいに決まってますがな。
比喩とは何かわかっていますか。
「比喩(を形成する事実)として」とは何を云っているのですか。
まったくわかってませんね。
>「鷹を生む」という現象を、主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい
>>『(事実として)そのまま伝えたい』
どこに、「鳶が鷹を生む」という事実があるのですか。(笑)
主観的な判断を加えずにどうやって認識し、表現するのですか。(笑)
まったくわかってませんね。
>《【ある物事にフォーカス】し主観的な判断や断定などを述べたい場合》
猫が言葉を喋りますか。(笑)
ええかげんにせんか!■
ご回答ありがとうございます。
1.
>「鷹を生む」という現象を、主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい
⇒どこに、「鳶が鷹を生む」という事実があるのですか。(笑)
主観的な判断を加えずにどうやって認識し、表現するのですか。(笑)
:
「とする」
…と仮定する。(明鏡国語辞典)
「鷹を生む」という現象を、主観的な判断を加えずに(仮定的事実として)そのまま伝えたい
という意味。
2.
アスナロウ⇒「吾輩は猫である」を誰が事実【として】理解してもらいたいのですか。
hakobulu⇒これは【〇〇は△△】だから、《ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい場合》
アスナロウ⇒猫が言葉を喋りますか。(笑)
:
いわゆる擬人化小説であることを覚えておかれるとよろしいでしょう。
>ええかげんにせんか!
:
自棄を起こして八つ当たりするなら、リンダにムチでしばかせますよ。
No.22
- 回答日時:
《桜が咲いた。
》の№18です。いくらかコントラヴァ―シャルになるかも知れませんが 問題を一点にしぼれ
ます。
★ (№12お礼欄) 「が」(を含む助詞・助動詞など)の意義を時枝は主
体的表現と言っている。
☆ すなわち 《桜₋ガ 咲いた。》なら《咲いた。》の《‐た。》という助動
詞が 文をめぐる主観的判断を表わすよすがとなっている。
――ですね?
わたしは そう見るわけなんです。
と同時に 次の見方が 基本でもある――ですね?
★★ (№12お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
桜は咲いた
の場合は、「は」によって主題提示という《主観的判断》をしているわけです
が、主題提示とは、~について述べるという意味ですから、その述部も《主観
的判断》とならざるを得ない、ということになります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ここまでやって来て やはりお互い見解の原子核にまでたどり着いたと思
われるからには あとは このいまの二つの見方をめぐって どう処理するか?
に帰着するかと思われます。
★★ (№12お礼欄) ここを理解してもらえれば、非ネイティブの方々に
は飛び級で理解が進むように思っている次第です。
☆ とわたしも思います。
さて 《桜‐ハ 咲いた。》について その主観的判断のありかをめぐる二つの
見解があります。どう捉えるか? になると思います。:
〇 措定文として主題を提示するハ格。これによる主観的判断は 述部の《咲
いた。》にも及んでいる。
〇 主観的判断は 述部の《咲いた。》の《‐た。》という助動詞が 終止形に
活用していて――たとえば 否定しているわけではないことにおいて―― 話
し手の思わくや価値観をまじえたそれ(主観的判断)を しめしている。
なお 《お金は落ちている。(?)》なる例文をパスしてしまっているのでちょ
っと触れます。
★★ (№12お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
道を歩いていて一万円が落ちていたとします。
「お金は落ちている」とは言わないでしょう。
「お金が落ちている」と言うはずです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 次のようなシチュエーションは どうでしょう?
〇 (《お金は落ちている。》) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
道を歩いていて一万円が落ちていたとします。
〔ふうむ。たしかに可能性として〕《お金‐ハ 〔お金‐ガ 道端に〕落ちている》
とは言えるけれども それは何と いま実際のことだ。〕
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
No.21
- 回答日時:
《桜が咲いた。
》の№18です。ややコントラヴァ―シャルになりますが 一点を取り上げます。
★(№18お礼欄) 「が」(を含む助詞・助動詞など)の意義を時枝は
主体的表現と言っている。
☆ つまり 《桜‐ガ 咲いた。》の《‐た。》が 助動詞であり話し手は
それを終止形に活用させており それゆえ――たとえば単純に 否定判断
ではない形において―― 思わくや価値観をまじえた主観的判断を表わし
得るという《主体的表現》となっている。――ですね?
つまり この例文は 《〈咲いた〉という現象》だけを表現したという
ことであっても 《主観的判断は ある》ですね?
ただし同時に 次の説明が 基本なんですね。
★ (№18お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
咲いたという動作の主格を桜であると指定(特定)することにのみ《主観
的判断》が働いているわけです。
〔それに対して〕
桜は咲いた
の場合は、「は」によって主題提示という《主観的判断》をしているわけ
ですが、主題提示とは、~について述べるという意味ですから、その述部
も《主観的判断》とならざるを得ない、ということになります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ たぶん――ここまでやって来て 互いにその見解の原子核のところま
でたどり着いたと思われるからには―― 次の一点についてさらに説明を
乞うておくなら 一連のやり取りは 結着がつくのではないでしょうか。
★★(№12お礼欄) 非ネイティブの方々には飛び級で理解が進む
☆ ものと わたしも思います。
☆ つまり 《桜は 咲いた。》を前にして ふたつの見解があります。
それをめぐってです。:
(あ) 措定文の主題提示をになうハ格である。その主観的判断が《述
部の〈咲いた〉にも及ぶ》。
(い) 主観的判断は 述部の《咲いた。》の《‐た。》という完了相の
助動詞〔を活用させていること〕によって 生じている。
☆ 《お金が落ちている》問題をパスしてしまっているので ちょっと触
れます。
★ (№12お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
道を歩いていて一万円が落ちていたとします。
「お金は落ちている」とは言わないでしょう。
「お金が落ちている」と言うはずです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ たとえば次のようなシチュエーションは どうでしょう?
〇 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
道を歩いていて一万円が落ちていたとします。
〔ふうむ。可能性として〕《お金‐ハ 〔お金‐ガ 場合によっては道に〕
落ちている》。
――とは言えるようだが なるほど いまそれは実際であるようだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ご回答ありがとうございます。
1.
a.
>つまり 《桜‐ガ 咲いた。》の《‐た。》が 助動詞であり話し手は
それを終止形に活用させており それゆえ――たとえば単純に 否定判断
ではない形において―― 思わくや価値観をまじえた主観的判断を表わし
得るという《主体的表現》となっている。――ですね?
:
時枝説は聞きかじりなので確信は持てませんが、私の解釈としては、あくまで「が」を使用するときに生じているはずの「指定(特定)という意義(意図)」自体が《主体的表現》である、と言っているのだと思います。
《‐た。》(それ自体は主体的表現ではあるものの)、「が」という主体的表現とはおそらく関係ないかと。
b.
>つまり この例文は 《〈咲いた〉という現象》だけを表現したという
ことであっても 《主観的判断は ある》ですね?
:
そう思います。
c.
>(あ) 措定文の主題提示をになうハ格である。その主観的判断が《述
部の〈咲いた〉にも及ぶ》。
:
「措定文」は不要ですが、下記の記述を図式化するとそうなるとは言えるでしょうね。
《もし、あなたが、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい場合、その物事は【〇〇は△△】のように主題提示の意義を持つ助詞【は】を用いて表わすと良い。
「〇〇について言ってみれば△△」という意味を表わすことができる。》
(い) は前述の理由により違うかと。
2.
>〔ふうむ。可能性として〕《お金‐ハ 〔お金‐ガ 場合によっては道に〕
落ちている》。
:
このシチュエーションの場合はおっしゃるとおりです。
【 VOL.4ー補足 】でお示ししたように、あらゆるシチュエーションが想定されます。
・「お金は落ちている」とは(一般的には)言わないでしょう。
と表現すべきでしたね。
いずれにせよ、
『主観的な判断や断定などを述べたい場合』
と
『何らかの現象・属性などを主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい場合』
の違いを感覚的にわかりやすく感じていただくための例文として挙げた次第ですので、そちらのほうにご留意を。
No.20
- 回答日時:
そうですね。
№17の《動物は 犬だ。》なる文例をめぐってですがよく言えば その分析でお互い原子核にまでたどり着いた――でしょ
うか。
勝手ながら 当方の原子核のイメージを申し述べて あとは料理して
いただくなり あらためて措定文と指定文の異同について確認してい
ただくなりをお願いするかたちが いいでしょうか。
〇 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〔わたしは 犬に目がない。犬の話題となると 話したくてしょうが
なくなる。まづ犬が動物であると言ったときには こうなる〕。
動物‐ハ 犬だ。
〔つまり 《犬についてそれは 動物である》という話題なら この
ように表現するのだし それは 同時に 《動物には 猫も鯨もいる
が 中でもわたしの好きなの‐ハ 犬だ。》という意味合いをふくんで
いる。あるいはつまり
動物‐ハ 犬〔の話題‐ガ 先〕だ。
と〕。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ すなわち 取りも直さず こうだと思います。両面が 同時に成
り立っているようだと。
〇 犬が動物であるという話題 ≦ 犬を話題にすること
(哺乳類としての分類や 犬種や
習性や 飼育の仕方や 何を食
べるかや 歴史じょう有名な犬
は などなど)
〇 動物と言えば ≧ 犬
ご回答ありがとうございます。
>犬が動物である
:
ということ(自体)が話題になるシチュエーションがどうしても思い浮かびませんね。
No.18
- 回答日時:
№16です。
ちょっとがえんずるわけには行かなくなったように思います。
★ (№16お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・桜が咲いた。
・・・
「が」で表現しようとしているのは、『何らかの《主観的判断》』で
はなく、《(咲いたという現象》だけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり:
★ 《〈咲いた〉という現象》だけ
☆ を表現したということは その表現者は 何らかの《主観的判断》
をおこなっていない――のですか?
★★ (№12お礼欄) フォーカスという意志行為を実行する前に、
すでに「咲いた」という事実が現象として認識されているわけです。
☆ この《認識》には 何らかの主観的判断は ふくまれていない?
のですか?
ご回答ありがとうございます。
>☆ つまり:
★ 《〈咲いた〉という現象》だけ
☆ を表現したということは その表現者は 何らかの《主観的判断》
をおこなっていない――のですか?
:
《「が」という語によって特定(指定)する》という意図が話者の《主観的判断》です。
この「が」(を含む助詞・助動詞など)の意義を時枝は主体的表現と言っている。
ということで、
(桜が)咲いた
という現象自体を主観的判断として述べているわけではありません。
咲いたという動作の主格を桜であると指定(特定)することにのみ《主観的判断》が働いているわけです。
桜は咲いた
の場合は、「は」によって主題提示という《主観的判断》をしているわけですが、主題提示とは、~について述べるという意味ですから、その述部も《主観的判断》とならざるを得ない、ということになります。
No.17
- 回答日時:
№15です。
☆☆ 動物〔は 話題のひとつである〕 ≦ 犬〔の話題〕
☆ というふうに――なぜなら 生物の種の分類ではなく 話題性の問題
なので――なり得ますよね?
:
★ ここはおっしゃる意味がよくわかりません。
『動物〔は 話題のひとつである〕』ということであれば、猫の話題にな
ったかもしれないし、鯨の話題になったかもしれないのではないかと。
☆ いえ。《犬》という主題があるわけです。そして 具体的には 《犬
にまつわるわたしのいろんなエピソード》という意味での主題として特定
します。
そうすると 《動物であること》という主題は 《犬をめぐるわたしのエ
ピソード》という主題の一部であるとなります。
☆☆ (回答№15) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
たとえば 次の場合はどうですか?
〇 〔犬‐ハ そうだなぁ 犬と言えば わたしにはいろんなエピソード‐
ガ あるんだ。《犬》という一語だけを取り上げても 話は尽きない。
このとき たとえば 犬は動物であるという一つの話題にしぼってみた場
合〕
動物〔という話題にかんして〕‐ハ 〔わたしのいちばん好きな動物‐ハ〕
犬〔‐ガ それ〕だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ という事情をもとにした《動物は 犬だ。》なる文例です。
動物 ≦ 犬
となりませんか?
ご回答ありがとうございます。
>〇 〔犬‐ハ そうだなぁ 犬と言えば わたしにはいろんなエピソード‐
ガ あるんだ。《犬》という一語だけを取り上げても 話は尽きない。
このとき たとえば 犬は動物であるという一つの話題にしぼってみた場
合〕
動物〔という話題にかんして〕‐ハ 〔わたしのいちばん好きな動物‐ハ〕
犬〔‐ガ それ〕だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ という事情をもとにした《動物は 犬だ。》なる文例です。
動物 ≦ 犬
となりませんか?
:
ならないでしょうね。
端折り文にせよ何にせよ、「動物は」と言った時点で(どんな意味合いにせよ)動物を主題提示していることになります。
動物に関して話すのですから、犬以外が当然想定されなければなりません。
『犬は動物であるという一つの話題にしぼってみた場合』であっても犬以外の動物を想定できるからこそ、「動物は」という主題提示が可能になる。
〔わたしのいちばん好きな動物‐ハ〕
犬〔‐ガ それ〕だ
という構文が成立するためには、他の動物の想定が必須でしょう。
No.16
- 回答日時:
№12です。
すでにこちらの趣旨は 伝わっているかに思われるのですが――ご説明をありがとうございます―― みなさんの持たれているかも知
れない疑問を なおお尋ねしてみます。
★ (№12お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(イ)桜が咲いた。
という指定文は、【〇〇は△△】という型の措定文のように、《ある物事
にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい》わけではない、とい
う点が極めて重要です。
桜にフォーカスするような余裕を持ち合わせていない文、と言ってもよい
でしょう。
フォーカスという意志行為を実行する前に、すでに「咲いた」という事実
が現象として認識されているわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ すなわち ハ格によるかガ格によるかにかかわらず――ということは
この場合 桜にフォーカスするか・あるいは しないかにかかわらず――:
★ すでに「咲いた」という事実が現象として認識されているわけです。
☆ から 次の見解の内容は――措定文にだけではなく――ガ格による指
定文にも やはり 当てはまるのではないですか?:
★★ (№4 お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・
因みに桜が咲いたのは客観的事実ではないか、と思われる向きもあるかも
しれないが、「咲いたという客観的事実」をあなた自身の判断として認め
ている、という意味で主観的な判断・断定なのである。
「桜」を主題提示しているのは自らの意志である、という点に留意する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり 《さくら》に焦点があるかどうかは関係なく そうではなく
《咲いた》という述語部分に 何らかの《主観的判断》がある――と見な
さざるを得ないのでは?
ご回答ありがとうございます。
>☆ つまり 《さくら》に焦点があるかどうかは関係なく そうではなく
《咲いた》という述語部分に 何らかの《主観的判断》がある――と見な
さざるを得ないのでは?
:
表現が微妙なのですが、『《さくら》に焦点がある』のではなく、「《さくら》に焦点を当てる」という意図(意志)が【〇〇は△△】という文にはある、ということです。
・桜が咲いた。
の【〇〇が△△】という文の場合には、そうした意図(意志)が無い。
あくまで目に入った「咲いた」という現象自体を、素直にそのまま(主観的判断をせずに)表現しているだけです。
「が」で表現しようとしているのは、『何らかの《主観的判断》』ではなく、《(咲いたという現象》だけです。
お金の例がわかりやすいかと思ったのですけどね。
そうでもなかったですか。
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>☆ この《認識》には 何らかの主観的判断は ふくまれていない?
のですか?
:
判断しなくとも認識はできますよね。
紛れ防止のため一部修正します。
・桜が咲いた。
が「が」によって主体的に指定(特定)された桜であり、
・桜は咲いた。
は「は」によって客体的に(主題として)取り上げられた桜、
であることの構図を示すことによって、ハガの差異に対する理解が深まるのではないか、という期待があるわけです。