一連の質問で教えていただいたことや、提示していただいた資料を基に、私なりにまとめてみました。
良いと思えたことの寄せ集めみたいなものです。
新しい視点はさほど含まれていまませんが、表現の仕方に特に工夫をこらしたしたつもりです。
しかし、それが逆に仇になっている可能性もあるかもしれない。
ご意見・ご批判よろしくお願いします。
あくまで叩き台としてお示しするものですので、改善を前提にしての質問です。
遠慮なく、しかしお手柔らかに、また、有意義な改善点をお示しいただければ幸いです。
若干長めである点、お詫びいたしておきます。
部分的でも構いませんので、どんどんご指摘ください。
日本語学習者の方からの率直なご感想なども大歓迎いたします。
【 VOL.1ー使い分けの要点 】
(A)人間というものは、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい生き物である。
もし、あなたが、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい場合、その物事は【〇〇は△△】のように主題提示の意義を持つ助詞【は】を用いて表わすと良い。
「〇〇について言ってみれば△△」という意味を表わすことができる。
(B)人間というものは、また、何らかの現象・属性などを主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい生き物である。
もし、あなたが、何らかの現象・属性などを主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい場合、「何らかの現象・属性などの主格、または可能・希望・好悪・巧拙などの対象」は、【〇〇が△△】のように、指定(または特定)の意義を持つ助詞【が】を用いて表わすと良い。
以降で若干の解説を加える。
【 VOL.2ー「は」を使う 】
1.
目の前の人にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたければ、【〇〇は△△】という構文を使い〇〇を主題提示します。
(ア)この人は社長だ。
のように言う。
「この人について言ってみれば(彼は)社長だ」という意味。
また、鯨にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたければ、
(ア”)鯨は哺乳類だ。
のように言う。
鯨が哺乳類であるのは客観的事実ではないか、と思われるかもしれないが、「哺乳類であることが客観的事実であること」をあなた自身の判断として認めている、という意味で主観的な判断・断定なのである。
「鯨」を主題提示しているのは自らの意志である、という点に留意する。
(ア-1)この人は社長だ。
この【〇〇は△△】は措定文(判断文)と呼ばれる。(措定=ある事物の存在を肯定し、その内容を明白にして示すこと。ー明鏡国語辞典ー)
三上寛によれば【〇〇<△△】という包摂関係が成立している。
△△は叙述名詞句で基本的に属性概念。
「この人<社長」という関係性で社長は属性概念であり、「この人」という指示名詞句よりも広い範囲に適用される。
言い換えれば、「この人」は社長という属性概念に包括されており、
(アーa)この人は社長という属性概念に包摂されている存在だ。
という意味の文になる。
「は」の前後が包摂関係にある、こうしたシチュエーションの場合、
(アー2)社長がこの人だ。
のような指定文が作れないのは当然である。
2.(アー3)社長はこの人だ。
【〇〇は△△】を倒置指定文として表現する場合。
△△が指示名詞句であることが要点。指示名詞句=「世界のなかの対象(個体)ー西山」である。
(アー3a)社長という属性概念に該当する対象(個体)は誰かと言えば、それは「この人」だ。
という意味。
同じ「は」を使いますが、(ア-1)措定文との違いについて再確認してください。
倒置指定文に包摂判断は存在しない。
「社長=この人」である。
だからこそ、
(アー4)この人が社長だ。
という指定文も導かれ得る性質の文である。
(指定文・倒置指定文については後述)
3.
措定文【〇〇は△△】においては、〇〇=△△という同一判断も成立する。
これは指定文【〇〇が△△】の〇〇=△△とはまた趣を別にする。
あくまで結果的に〇〇=△△と措定される、ということ。
《包摂判断 A≦Bー三上寛》(〇〇≦△△)
という等式が成り立つ。
措定文に置いて「包摂される対象」は「は」を使って主題提示(措定)できる。
〇犬は動物だ。
〇シロナガス鯨は海で尤も大きい生物だ。(同一判断)
〇寿司はうまい。
〇寿司は大好物だ。(同一判断)
「包摂する主体」は「は」を使って主題提示(倒置指定)することができない。(同一判断の場合は例外)
×動物は犬だ。
〇海で尤も大きい生物はシロナガス鯨だ。(同一判断)
×うまいのは寿司だ。
〇大好物は寿司だ。(同一判断)
【 VOL.3ー「が」を使う 】
1.
目の前の人の属性を主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたければ、
(アー4)この人が社長だ。
のように言う。
「この人」に関する主観的判断ではなく、「この人」が「社長だ」という属性の主格であることを(事実として)指定する。
あるいは、桜の現象を主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたければ、
(イ)桜が咲いた。
のように言う。
「桜」に関する主観的判断ではなく、あくまで「咲いた」という現象の主格であることを(事実として)指定している。
(イー1)桜は咲いた。
のように言う場合は、桜にフォーカスして主観的な判断を述べていることになる。
2.
「が」を使う場合、次の2通りの意味を表現できる。
(アー4a)(初対面の相手に社長を紹介するとき)この人が社長だ。
●「△△の主格が〇〇であること」を軽く指定する中立叙述の「ガ」。
(アー4b)(部長を社長と間違えた相手に)この人が社長だ。
●「△△の主格は何かと言えば、それは〇〇だ」と強く特定する特記の「ガ」。
使い分けるためには、以上の、VOL.1 ~ VOL.3を理解しておけば十分である。
以降では、すでに表現済みの文を解釈する場合のために少し補足的に述べるが、使い分けの必須要件ではないのであくまで参考程度に。
【 VOL.4ー補足 】
措定文・指定文・倒置指定文の前項と後項の関係は以下のようになっている。(上林 洋二氏による解釈から編集)
a.紫式部は源氏物語の作者だ。ー措定文
ー紫式部(個体 / 指示名詞句)
ー源氏物語の作者(属性 / 叙述名詞句)
b.源氏物語の作者が紫式部だ。ー指定文
ー源氏物語の作者(個体 / 指示名詞句)
ー紫式部(個体 / 指示名詞句)※
c.源氏物語の作者は紫式部だ。ー倒置指定文
ー源氏物語の作者(属性 / 叙述名詞句)※
ー紫式部(個体 / 指示名詞句)
d.紫式部が源氏物語の作者だ。ー指定文
ー紫式部(個体 / 指示名詞句)
ー源氏物語の作者(属性 / 叙述名詞句)※
◎(個体 / 指示名詞句)⇔(属性 / 叙述名詞句)
のように対照しており、※の項目は、他の文例であればもう一方の要素が適用されることもある。
たとえば、
b".源氏物語の作者が美人だ。
という指定文における後項は、
ー美人(属性 / 叙述名詞句)
となる。
むしろ、※のついてないものは、それぞれの文における必須要件である点にご留意いただきたい。
b と d では、「 源氏物語の作者」の要素が異なる点にも留意すると、用語の意味がわかりやすくなるかもしれません。
【 VOL.5ー既説批判 】
1.
新情報(未知)か旧情報(既知)かによって使い分ける方法。
これは、以下の理由により誤りと思います。
「は」の意義は「主題提示」なので、「鈴木さんは校長です」の「鈴木さん」が既知であるのは当然です。
また、「(佐藤さんではなく)鈴木さんが校長です」という指定文の場合は、たしかに「鈴木さん」は新情報(未知)でしょう。これは《●「△△の主格は何かと言えば、それは〇〇だ」と強く特定する特記の「ガ」》です。
しかし、「あの赤いネクタイを締めている方、ご存知ですか?あの方が当校の校長です」のように、《「△△の主格が〇〇であること」を軽く指定する中立叙述の「ガ」》の場合は旧情報(既知)になる。
2.
主格がどこまで係る(=つながる)のか、文末まで係る(「は」)のか、節の中だけにしか係らない(「が」)のかによって使い分ける方法。
というものも目にしますが、これも誤り。
「お父さん、晩酌が楽しみだと、いつも言ってますよ」
「父が晩酌をすると、必ず酔っぱらうちゃうのよね。だから本当は、あまり飲んでほしくないのよ」
などと娘さんが愚痴るシチュエーションがある。
3.
対比の「は」・排他の「が」という分類も散見します。
しかし、対比の「は」は、複数の対象を(時には暗黙的に)主題提示することで結果的に可能になっているにすぎない。
排他の「が」については、
・犬は好きだ。(が)猫は嫌いだ。
という排他を意味することも多いわけですし、
・桜が咲いた。
のような排他以外の用法(中立叙述)もあるわけですから、「使い分けの分類」としては意味が無い。
A 回答 (45件中41~45件)
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No.5
- 回答日時:
基本的な誤りを指摘しておきます。
>(A)人間というものは、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい生き物である。
もし、あなたが、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい場合、その物事は【〇〇は△△】のように主題提示の意義を持つ助詞【は】を用いて表わすと良い。
なぜ、人間というものは、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べるかといえば、社会生活を営むためです。
人間は精神的に相互につくりあっている。別のいいかたをすれば、他の人間の認識を自己の頭に受けとめることによって認識がさらに広く深くなるのであるから、自己の認識は他人的になることによって自己として成長していくのである。これが社会的という意味である。他人の認識は精神的な交通によって自己に統一され、正しく調和し融合していくのであるから、ここに矛盾が正しく調和したものとして形成され発展していくとも見なければならない。
ということです。そして、
雨。
むざんやな甲の下のきりぎりす
鳶が鷹を生む
等、全て、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べています。
>(B)人間というものは、また、何らかの現象・属性などを主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい生き物である。
これも、全くの誤りです。
嘘や、ブラフや、主観的な判断である予測や、フィクションを多くの場合に伝えています。
この程度の浅はかな言語に対する認識では、まともな言語論は展開できません。
以下に展開されているのは、戯言程度ということになります。■
ご回答ありがとうございます。
>なぜ、人間というものは、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べるかといえば、社会生活を営むためです。
:
ま、それはそれで面白い問題ですが、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べるために「は」を使うということだけが、今は重要ですので。
何のためかは、当面、どうでもよいわけです。
こうした関係ないことを「は」の意義に持ち込もうとするから、ややこしくなるのでは?
>雨。
むざんやな甲の下のきりぎりす
鳶が鷹を生む
等、全て、ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べています。
:
『雨』に(意図的に)フォーカスしたわけではありません。
つまり、雨について主観的な判断をしているわけではない。
雨に気づいたことを言ってるだけ。
『むざんやな甲の下のきりぎりす(は)』という倒置法です。
『鳶が鷹を生む』
鳶の「鷹を生む」という《属性(動作)を主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい》という意図の文です。
フォーカスしているのは、鳶ではなく「鷹を生む」という属性(動作)のほう。
鳶は《指定(または特定)の意義を持つ助詞【が】を用いて》主格として表わされている。
鳶についてフォーカスし、主観的な判断や断定などを述べているわけでないことを、理解なさってください。
>(B)人間というものは、また、何らかの現象・属性などを主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたい生き物である。
⇒
これも、全くの誤りです。
嘘や、ブラフや、主観的な判断である予測や、フィクションを多くの場合に伝えています。
:
・妹がケーキを全部食べちゃった。(ウソ)
・私が神だ。(ブラフ)
・日本が優勝すると思う。(予測)
・桃太郎が鬼を退治した。(フィクション)
実際に事実である必要はないのです。
《事実【として】そのまま伝えたい》という意図がある場合に、格助詞「が」を使う、ということ。
わかりづらかったですかね。
注釈しておくべきか検討します。
No.4
- 回答日時:
★ 【 VOL.3ー「が」を使う 】 1 ~~~~~~~~~~~~~~~~
桜の現象を主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えたければ、
(イ)桜が咲いた。
のように言う。
「桜」に関する主観的判断ではなく、あくまで「咲いた」という現象の主格
であることを(事実として)指定している。
(イー1)桜は咲いた。
のように言う場合は、桜にフォーカスして主観的な判断を述べていることに
なる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 次のように捉えると 文の分析は微妙に違って来ませんか?
〇 (イ) 〔桜‐ハ つまりいま桜のことを考えているのだ‐ガ その話を
するなら まづ言えること‐ハ〕 桜‐ガ 咲いた。
☆ つまり この一文じたいは 《まだ主観的判断が――その事実を認定し
たという判断以外には――加えられていない》。けれども じつはすでに
《桜について考えている》のだから やはりそのあとの主観の判断へとみち
びこうとしている。
《(イー1)桜は咲いた。》については ちょうど(イ)の文を承けて語っ
ているという場合が 考えられましょう。
〇 (イ) 〔桜‐ハ つまりいま桜のことを考えているのだ‐ガ その話を
するなら まづ言えること‐ハ〕 桜‐ガ 咲いた。
〔たしかに〕 (イー1) 桜‐ハ 〔花‐ガ〕 咲いた。〔のだ‐ガ それ
にしても うんぬんかんぬん。・・・〕
☆ (イ)も(イー1)も 《まだなお 話し手が言いたいことではない。
それをみちびこうとする前置きをまづ語った》に過ぎない。
つまり どちらも まだ最終の《主観的判断》は おあづけになっていま
す。その主観としての言いたいことをみちびくために むしろ《現象のみ
をまづ語った》のである。
――このような分析になりますまいか?
ご回答ありがとうございます。
>☆ (イ)も(イー1)も 《まだなお 話し手が言いたいことではない。
それをみちびこうとする前置きをまづ語った》に過ぎない。
:
(イ)(病床の母に向かって)あ、桜が咲いたよ。
桜の現象を主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま伝えている。
(イー1)桜は咲いた。
桜にフォーカスして主観的な判断を述べている。
しかし、わが世の春はまだ来ぬ。
しかし、受験の結果はどうなっただろうか。
など、『まだなお 話し手が言いたいこと』があるのかもしれないが、
>まだ最終の《主観的判断》
:
が続くかどうかまでの面倒まで「は」が見る必要はないかと。
『桜は咲いた。』自体がすでに《主観的判断》として成立しているわけですから。
因みに桜が咲いたのは客観的事実ではないか、と思われる向きもあるかもしれないが、「咲いたという客観的事実」をあなた自身の判断として認めている、という意味で主観的な判断・断定なのである。
「桜」を主題提示しているのは自らの意志である、という点に留意する。
気象庁職員の開花宣言などを思い起こせば分かりやすいかも。
>その主観としての言いたいことをみちびくために むしろ《現象のみ
をまづ語った》のである。
:
ここはおそらく違うでしょう。
(無意識的にせよ)開花を心待ちにしている人が散歩の途中で目に飛び込んできた桜を見た場合、『桜が咲いた』と《属性(状態)を主観的な判断を加えずに(事実として)そのまま(自分自身にだとしても)伝えたい》気持ちになる確率が高い、ということにすぎない。
No.3
- 回答日時:
★ 【 VOL.2ー「は」を使う 】 3 ~~~~~~~~~~~~~~~
「包摂する主体」は「は」を使って主題提示(倒置指定)することができ
ない。(同一判断の場合は例外)
×動物は犬だ。
〇海で尤も大きい生物はシロナガス鯨だ。(同一判断)
×うまいのは寿司だ。
〇大好物は寿司だ。(同一判断)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 次のような用例は ハ格の別種の用法になるのですか? 例の枕草子
の用例ですが:
〇 動物‐ハ〔と言えば 中でわたしの好きなの‐ハ〕 犬〔‐ガ それ〕だ。
〇 うまいの‐ハ〔と言えば わたしの感覚では日本人なら〕 寿司〔‐ガ
それ〕だ。
ご回答ありがとうございます。
>☆ 次のような用例は ハ格の別種の用法になるのですか?
〇 動物‐ハ〔と言えば 中でわたしの好きなの‐ハ〕 犬〔‐ガ それ〕だ。
〇 うまいの‐ハ〔と言えば わたしの感覚では日本人なら〕 寿司〔‐ガ
それ〕だ。
:
ウナギ文、または端折り文ですかね。
ややこしくなるので敢えて取り上げませんでしたが、補足としてでも明記しておいたほうが良いのかもしれません。
いずれにせよ、
「包摂する主体」は「は」を使って主題提示(倒置指定)することができ
ない。(同一判断の場合は例外)
という基準から外れることはないかと。
〇動物は犬だ。
動物‐ハ〔と言えば 中でわたしの好きなの‐ハ〕
といったシチュエーションにおいては、「動物=動物という分類に限定して挙げる好きなモノ」という意図が存在しているでしょう。
・それに関して言うなら、それは犬だ。
という構図。
つまり、(包摂関係ではなく)同一判断と考えて良いかと思います。
〇うまいのは寿司だ。
うまいの=「うまいの」に分類されるもの。
No.2
- 回答日時:
▲ 2
指示名詞句=「世界のなかの対象(個体)ー西山」である。
☆ 《「世界のなかの対象(個体)」》と表現すれば すべてがそれに
当てはまることになります。定義として 要を得ません。
動詞が 主題として焦点を当てられたとします。その場合でも 名詞相
当として扱われているわけです。それで 主題に当てられます。
ご回答ありがとうございます。
>指示名詞句=「世界のなかの対象(個体)ー西山」である。
☆ 《「世界のなかの対象(個体)」》と表現すれば すべてがそれに
当てはまることになります。定義として 要を得ません。
:
たとえば、
(ア-1)この人は社長だ。
という措定文の場合、左辺≦右辺という包摂関係にあり、社長ー叙述名詞句ー属性。
>動詞が 主題として焦点を当てられたとします。その場合でも 名詞相
当として扱われているわけです。それで 主題に当てられます。
:
・海で一番速いのはシャチだ。
といった文の場合ですかね。
「海で一番速いの」は「世界のなかの対象(個体)」として扱われる指示名詞句。
・シャチは海で一番速い。
「海で一番速い」は属性として扱われる叙述名詞句。
ということになるかと思います。
No.1
- 回答日時:
次の引用の中で 末尾の段落に焦点を当てます。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ア-1)この人は社長だ。
この【〇〇は△△】は措定文(判断文)と呼ばれる。
・・・
言い換えれば、「この人」は社長という属性概念に包括されており、
(アーa)この人は社長という属性概念に包摂されている存在だ。
という意味の文になる。
「は」の前後が包摂関係にある、こうしたシチュエーションの場合、
(アー2)社長がこの人だ。
のような指定文が作れないのは当然である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ところが 次のようなシチュエーションでは 作れるのではないでしょう
か?
〇 〔あぁ この会社の役員の組織ですか? それ‐ハ〕 社長‐ガ この人だ。
なお 話し手の思想を表わす文は つねにすべて《判断文》ですよ。
《ええっ?》とおどろいた場合の文であっても すでに話し手の判断にみちび
かれて行く過程にありますから。
ご回答ありがとうございます。
>☆ ところが 次のようなシチュエーションでは 作れるのではないでしょう
か?
〇 〔あぁ この会社の役員の組織ですか? それ‐ハ〕 社長‐ガ この人だ。
:
作れないのは『前後が包摂関係にある、こうしたシチュエーションの場合』と記しています。
つまり、措定文で示したように、社長が「会社の役職としての社長」といった属性として扱われている場合。
この場合、
・〔あぁ この会社の役員の組織ですか? それ‐ハ〕「会社の役職としての社長」がこの人だ。
という不合理な意味になってしまうため、
(アー2)社長がこの人だ。
という表現はできない、ということ。
このように言えるのは、「当社の社長」という意味の指示名詞句であり、(属性ではなく)「世界のなかの対象(個体)」としての社長を指す場合に限られる。
お示しになった例がまさにこれですが、前後が包摂関係ではなく「(措定のひとつとしての)同一判断」であるという点にご留意ください。
>なお 話し手の思想を表わす文は つねにすべて《判断文》ですよ。
《ええっ?》とおどろいた場合の文であっても すでに話し手の判断にみちび
かれて行く過程にありますから。
:
『ある物事にフォーカスし主観的な判断や断定などを述べたい場合』と記しています。
「ある物事」を明示しないなら「は」を使う必要がないのは当然でしょう。
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>☆ この《認識》には 何らかの主観的判断は ふくまれていない?
のですか?
:
判断しなくとも認識はできますよね。
紛れ防止のため一部修正します。
・桜が咲いた。
が「が」によって主体的に指定(特定)された桜であり、
・桜は咲いた。
は「は」によって客体的に(主題として)取り上げられた桜、
であることの構図を示すことによって、ハガの差異に対する理解が深まるのではないか、という期待があるわけです。