プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

自分の起こす一つ一つの行動も言動も全て客観的に見る癖がついてしまい、自分の事がよく分からなくなってしまいました。前までは逆に自分勝手に動きすぎていたので、もっと周りを見る癖をつけないとなと思っていたら
ここ2~3年は常に客観的に見るようになりました。何をやるにも直ぐに、これは周りから見たらこう思われるだろうな…と思ってしまい、躊躇してしまいます。そういう癖がついてくると、積極的にもなる事が出来なくなり、意見を言わないといけない場面でも、これを言ったらきっとこの人達はこう思うんだろうと思ってしまい言えなくなってしまいました。客観的に見ることはいい事だと聞きますが、客観的に見すぎてしまいネガティブ思考になっていきました。これはどう治したらいいんですかね

A 回答 (4件)

「どうして客観的に見なければならないのか」が根本的にわかっていらっしゃらないからではないですか?



今やってらっしゃるのは、客観的に見ているようで見てはいないんですよ。
周囲を観察しすぎているに過ぎないのです。
観察するからこそ「これを言ったら、きっとこの人達はこう思うんだろうな」と思うわけです。
でも、考えてみてください。それもあなたが思った個人の考えですよ。
個人が予測した考えは客観的な考えではない。

客観的に物を見るということは、他人の話を聞くことからはじまります。
そして、他人の話を一旦聞いてから、新しい個人の考えを持つ事にあるのです。
客観的な考えに個人の考えを浸食したり、組み込もうとする人がたまにいらっしゃいますが。

そうしても何も成長はありませんから、当然ネガティブになります。
客観視するのはネガティブになるためじゃありません。
向上心をあげるために、短所と長所を知るためにあるんですよ。
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それは客観的に見ているということでなく相手の目を意識しすぎているだけです。



客観的視点というのは、神の視点です。
はるか空の上にいる神からすれば、個人個人の感情など関知しないところです。
そういう利害を一切離れた第三者的視点で起こっていることを見る、それが客観的視点です。

自分の心が乱されている時点で、すでに「自分」というものに縛られています。
自分の不利益に反応してしまっています。
それは客観でなく主観です。

客観視とはそんな簡単にできることではありません。
凡人は一生かけてどうかというところです。

あなたがしているのは「相対的なものの見方」の練習です。
それはそれで客観視の入り口でありとても大切なことなので、まずこれをしっかり極めることです。
「周りから見た自分」は意識しているので、あとは同じ比率で「自分から見た周り」を考えることです。
両方とも考えることで初めて、感情のキャッチボール(一方的投球ではない)、というものが見えてくるようになります。
自分をないがしろにするとどんどん自分を縛るだけです。

それができると、視点が自分の体を離れ、空の高みから自分も他人も周りも平等に見る能力も付き始めます。
「俯瞰的視点」でものごとを見るということです。
視点が自分から離れるのだから、当然自分の感情は措いておいて、物事を第三者の目線で見ることができるようになっていきます。

客観的視点とはそれらの延長線上にあるものです。
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政治家志向ならその癖はとても有意義に働きますが


そうではない貴方の言動にそこまでの力があるのか、そこまで責任が問われるのかどうかを考えてみてください。
もちろん、思っていても言わないほうが良いというタイミングは常にありますが
それこそ思い切って言うべき時も中にはあるはずで、今はそのどちらなのかという判断力を養えば良いと思います。
例えば道を歩いている時、目の前に道に困っている人がいたとして、
助けるべきかどうか迷った時、それは客観的に考えるよりも、
まず助けて、その結果、感謝されようがされまいが、その結果を受け入れれば良いだけなんです。
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50メートル思いきり全力ダッシュして、頭を空っぽにしてみてはどうですか?



頭を使いすぎなのかも。
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