以下の文章を読んで、何ゆうとんか分からんわ、と思った方はスルーして下さい。
一(いち)は何処にあるかを考えると、"世界は一つ"、とか、"たった一人の"、とか、極端に離れた二つのものが、一のものとして思い浮かびました。
前者はとても大きく、全体を包むものとしての一で、これは遍在に近いように思われます。「ギスギスするなよ、同じ人間じゃないか。」みたいな台詞を言うときに想起されるものに似てるだろうか?
後者は、唯一無二の、かけがけのないものであり、小さく、知れたものかも知れないが、他との絶対的な差異性を強調したもので、「お前しか居ないんだ。」みたいな台詞を言うときに想起されるものに近いだろうか。
で、人間って往々にして後者であることを望んでいる様に思いますが、前者の方が理想として語られることも少なくありません。
故郷はかけがえのないものだから、他の街では代わりにならない。故郷が傷付くと自分の心もひどく痛む。それ故に、他者の故郷を思う気持ちも推し量られ、共感し、他者の故郷も大事に思えるようになる。こう言う繋がりが真の、一つの世界を生むのであって、単に大きなものとしての世界は一つ、と理想を語るのは実は風船のように膨らんだだけで中身の無い考えなのでは無いか?と私には思われました。確かに私も若い頃は、地球市民と言う言葉に感化されましたが、実は(通り一遍の)普遍性ではなく、固有性こそが一つの世界に近いのでは無いかと今は思います。
一にまつわって、この様な事をつらつらと考えたのですが、皆さんは、
「一は何処にあるか?」
と考えたなら、何処にあると思われますか?
私の場合は、最も身近な他者とか、自分自身と言うものを想起しました。
No.30
- 回答日時:
まだ質問から逸れていません。
我を消すとは、複数人でいる時は、他の人のことだけを考えれば良いのだ。
自分のことは何もしなくても無意識で考えるので放置で良い。
意識的に考えたければ自分一人のときやればいい。
時間の有効活用するなら複数人でいる時も実は自分の事を考える方法もある。矛盾するようだけど。
この矛盾への取り組みが知恵を生む。
「ー」これはシングルタスク光束タイムシェアリング。それを上位の次元からみればそもそもがまとめて「一」
>これはシングルタスク光束タイムシェアリング。それを上位の次元からみればそもそもがまとめて「一」
逆に、無意識で自分の事を考えているので、意識的に他人の事を考えてもそれは自分勝手なものにならざるを得ない。
無意識に他人の事を考えるので、意識的に自分を優先させても、結果的には他人の事を慮っての結果を生じる。
つまり一なる海が在るから(それが天に昇って雨となり、)無数の川が生まれるのであって。順であって逆は無い。
一 → ∞ の順だと思うんだよなぁ。
もともと我が無いゆえに、ってことなんだ。
根源的に見て、無。それ故に一。であるから、∞の世界(他)が生じる。他を見るので、自分という位置が現出する。
No.29
- 回答日時:
質問から逸れているで、実は逸れていない。
私が向かっている所に行くと、あらゆることに意識の転換をさせられると読んでいます。
極端にいえば、アルジャーノンに花束を、みたいに。
本能を礎にwant to とその実現へのパスだけをひたすら意識に積み上げる。
その際、我を消す、というのが矛盾するようで要だと。
嗚呼ー。
アルジャーノンに花束をって、若返りの話でしたっけ?昔読んだけど、あやふやな記憶しかない。
内側に向かって行ったら外に出た、ってことはあるでしょう。
>本能を礎にwant to とその実現へのパスだけをひたすら意識に積み上げる。
その際、我を消す、というのが矛盾するようで要だと。
最後に離れられる執着こそ、正しい求めであったと言えるのかな。
嗚呼、アーモンドトーストの美味さよ。
No.28
- 回答日時:
哲学なので広範さを許容下さい。
私がいいたいのは全部は全部。ということなんです。
拙すぎますか。
深く考えたい方が多い、というか考えたつもりになる方が多いカテといいますか。ちょっと失礼ですかね。
私自身もまだたどり着けてないのでうまく書けない。という事です。
ちなみにこの「書ける」というのは私の「何かそのもの」を書く、という意味ではないです。
わたしがひとまず目指す「そこ」に到着すると、一見わたしのこれまでのような何を言ってるか分からないけど何か先に有るものを言おうとしている、という態度が消えると推測しています。そう見えるのです。
あるいはその時は私は皆さんから見て死んでるかもしれませんが。
科学的、論理的、検証可能性を突き詰めると、あらゆる常識が単なる先入観に分解してきます。そう見えてくるのです。
ある方に、私の要強化ポイントは常に対象から学ぶ姿勢だと指摘されました。
いま、この掲示板のみなさんです。
ここ、いま、わたし 精神性。
全部は全部、その通りでしょう。それを一と呼べるでしょう。
>深く考えたい方が多い、というか考えたつもりになる方が多いカテといいますか。
ふふふ そうかもしれませんね。
>私自身もまだたどり着けてないのでうまく書けない。という事です。
ちなみにこの「書ける」というのは私の「何かそのもの」を書く、という意味ではないです。
わたしがひとまず目指す「そこ」に到着すると、一見わたしのこれまでのような何を言ってるか分からないけど何か先に有るものを言おうとしている、という態度が消えると推測しています。そう見えるのです。
たとえば物語を読むのではなく、物語られる生き方をしている状態になる、みたいな感じでしょうか。
>あるいはその時は私は皆さんから見て死んでるかもしれませんが。
代謝している以上、生物なんて常に死んでいるとも言えます。生死は常に絡んでおり連関している流れ、つながりであり、一つの形が終わる時に、生死もまた終わる。
ゴールにたどり着いたならば、それは意味的に終わっています。それを死んでいると同じに見るか、どうか。
・常識について
常識はルール、つまり知識を良く利するための運用方法みたいなもので、状況の変化によっては変えなければ逆に都合が悪い。とはいえ社会においてはルールそのものが状況を作っているとも言えますね。従ってルールを変える状況の変化とは、社会そのものを揺るがすような天変地異の類という事になると思います。
>ある方に、私の要強化ポイントは常に対象から学ぶ姿勢だと指摘されました。
いま、この掲示板のみなさんです。ここ、いま、わたし 精神性。
それは結構なことだと思います。dynさんの流儀がどこまで通用するのか、是非チャレンジしてください。
No.27
- 回答日時:
やりとりの中で次々と新しい気付き。
日本語力を向上させてもらえています。
国語であり作文の練習でもあります。
そして思考。
いま思ったのが、言葉、というか文章は唄なんだなと。
だからブラジュさんの箇条書きより如月さんの自然文のほうが心に響くのかなと。
---
私の意識の中で動く内部表現は文字通り内部表現なので書けません。
運動というか冗談抜きで宇宙、森羅万象で表現・活用しているものです。
何らかの形、それは言葉ではない形で私の行動に染み出して来ています。
それはもちろんそうでしょう。自分の中に空森雲、風が吹いており、深い海もある。外と連動していて常に浮き沈みあり、かと言って水平もちゃんと保たれている。そのような中で他者との関わりがあり、言葉の行き交いがある。
文章もまた同じでしょう。仰るように、言葉は時を超えた唄であります。意味の流れが存在している。
書けないなら書けないで良いのです。白波が立たずとも水は動ける。
No.25
- 回答日時:
読みました。
意味も理解できたと思います。
1の在り処ですね。
わたしは1はものの始まりと捉えるので全てのものに存在すると思います。あらゆるところに1はいるし、ある。
そして、1はあなたが言った2つの意味どちらでも、重要なもの、大切なものという意味があると感じるので、「意味のあるもの」ということもできると思いました。
拙文失礼しました。
始まりですか。なかなか根本的な捉え方ですね。始まり。うーむ。
拙文と仰りますが、意味の広汎さ、深度は十分に感じられました。
ありがとうございます。
No.24
- 回答日時:
no23
>現行の言葉・概念で説明する以外ない
ここは注意です。何のために説明するのか、と。
まぁ、何のために会話し、説明を伴うのかというところですかね。
知りたいからだと思いますね。何を知りたいのか、という事になると、本当のところ=真実を知りたいのだという事になるけれど、”真実は一つであって第二は無い”、と古い経典にも言いますね。真実は何処に生じるのか?という事が目下、気になるところではあります。
汎一的な遍在なのか、唯一無二的な局所なのか。それともそういう概念対立自体、真実の現れにとっては無意味であり、ごく日常的な流れの中でふと現出しうるものなのか。人生は長くはないゆえに、無駄には出来ない。唯一的な人生を放棄して遍在に至れば自分は希釈されて無くなるだろう。一方で唯一的な人生を送れば長くはない人生を確かに送る事になるが、そこに真実を見出せるかどうかの保証もない。
大切なものを大切なものであると知っていないと人生を棒に振る事になる。
最後は言葉の届かぬところが入口(出口)となるだろうが、そこ(門)が言葉の形でもって現れ得る(開き得る)というのが、私の聞いたところであります。
No.23
- 回答日時:
d_y_nさんへ。
なーるほど。
確かに仰る通りですが、私もあなたも、みんなもこの文明の中で生きているので、
現行の言葉・概念で説明する以外ないことがほとんどであると思います。
cyototu先生があなたについて「論理が透き通っている」みたいなことを言ってい
ましたが、私もそう思います。
しかし、まあ、なんというか、本筋の議論をしたいなあ、あなたとは。それができ
る頭の良さは十分持っておられると思います。
へぇ、猪突さんがそんな事を仰ったんですか。猪突さんが短歌なのに対し、dynさんは俳句、と言ってたのを耳にした憶えがありますが。
dynさんはなかなか個性派で、自身探求している筋があり、お話を聞いていて興味深いところありますね。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- 哲学 カルトに憤りを込めて:一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判 4 2022/09/06 14:38
- 哲学 一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判 7 2023/03/13 04:59
- 哲学 一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判 1 2023/04/18 13:41
- 哲学 カルト宗教の批判は 成り立ちませんか? 129 2022/10/26 05:12
- 哲学 神論です:一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教への絶対批判 2 2022/06/09 08:58
- 哲学 文学と哲学と――無限なるものをめぐって―― 5 2022/11/13 04:03
- 哲学 神は 普遍神である――この一文で世界は変わる 18 2023/01/20 07:03
- 哲学 ヨリ・イリ・ヨセなる知性の区分からインタムライズム 1 2023/05/03 01:05
- 哲学 神論のエセンスは これだ 5 2022/07/19 04:39
- 哲学 神論のエセンスは これだ 198 2022/10/25 04:36
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
おすすめ情報
皆様へ。
ご回答ありがとうございます。お返事は水曜日くらいになると思います。ご回答、有意義に読ませていただいております。どうぞよろしくお願いします。
・普遍性と環境問題
もし世界に形が無ければ流転する事すらないわけで、その形の生まれるワケ、自発的に生じる何か、そこらへんが、普遍性を持っているのかなとも考えたりします。
アメリカも中国も、途上国時代だったかつての日本も、大量消費することで経済を拡大したので、そのツケを自然生態環境の破壊という形で表現してしまった。タンザニアは知りませんが、ギリシャは古代ギリシャ時代に森林を伐採しつくしたと聞きますし、ニュージーランドも大規模畜産で、自然環境を破壊しています。とかく、文明人は人間の本来あるべき生きる姿、自然の掟に逆らうことを旨としているようで、その原動力は生存に対する怒りであるように思います。自然は過酷なものですから、人間は原始時代よりずいぶんひどい目に合わされてきている。それについての行き場のない怒りと、冷静な分析が、今の文明の冷たい力の源なのではないでしょうか。
NO.32 補足その2
・輪とアジアとアメリカと
大人に成った日本人は、輪を守るのであって輪に守られているという感覚はあまり持たないのではないかと最近感じています。
アメリカにおいては、アジア人というのはマイノリティに含まれるのでしょうか?私のアメリカのイメージは、白人というよりもむしろ黒人であり、チャイナタウンやメキシコ移民であり、インド人の活躍するシリコンバレーであり、左よりの白人という感じです。このような認識がある故に、右の白人が今憤っているのでしょう。アメリカを作ってきたのは俺たちだ!という尊厳を訴えているのだと。
NO.32 補足その3
私は日本育ち日本生まれですが、大陸的な人間と言われることもよく有ります。振る舞いがガイジンっぽいのだそうです。つまり、公共意識が低いという事です。町中を流れる川に、夏、寝転んだりしていました。夜の川辺でギターを弾いたり。よく言えば自由、悪く言えば自分勝手。日本人にはなかなか成れないです。外国旅行に行けば、言葉はあまり通じなくなりますが、安心します。それでも最近、日本人の良さを理解してきているんですよ。やさしいんですよね。一言で言うと。本物の日本人に成った人は。国とは、どの国もそうですが、そういう人たちが築いてきたものだと思っています。
お礼文章末、
位置・・・これは、位置(場所)という意味です。