以下の文章を読んで、何ゆうとんか分からんわ、と思った方はスルーして下さい。
一(いち)は何処にあるかを考えると、"世界は一つ"、とか、"たった一人の"、とか、極端に離れた二つのものが、一のものとして思い浮かびました。
前者はとても大きく、全体を包むものとしての一で、これは遍在に近いように思われます。「ギスギスするなよ、同じ人間じゃないか。」みたいな台詞を言うときに想起されるものに似てるだろうか?
後者は、唯一無二の、かけがけのないものであり、小さく、知れたものかも知れないが、他との絶対的な差異性を強調したもので、「お前しか居ないんだ。」みたいな台詞を言うときに想起されるものに近いだろうか。
で、人間って往々にして後者であることを望んでいる様に思いますが、前者の方が理想として語られることも少なくありません。
故郷はかけがえのないものだから、他の街では代わりにならない。故郷が傷付くと自分の心もひどく痛む。それ故に、他者の故郷を思う気持ちも推し量られ、共感し、他者の故郷も大事に思えるようになる。こう言う繋がりが真の、一つの世界を生むのであって、単に大きなものとしての世界は一つ、と理想を語るのは実は風船のように膨らんだだけで中身の無い考えなのでは無いか?と私には思われました。確かに私も若い頃は、地球市民と言う言葉に感化されましたが、実は(通り一遍の)普遍性ではなく、固有性こそが一つの世界に近いのでは無いかと今は思います。
一にまつわって、この様な事をつらつらと考えたのですが、皆さんは、
「一は何処にあるか?」
と考えたなら、何処にあると思われますか?
私の場合は、最も身近な他者とか、自分自身と言うものを想起しました。
No.9
- 回答日時:
№3をおぎないます。
その回答だけでは:
★ "世界は一つ"
☆ のほうは どうしたんだ? とつっこまれるようです。
☆☆ (№3)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ 「一は何処にあるか?」
☆ ひとの意志にあります。
いわゆる自由意志というやつです。
そして 自由と言うなら むろんただちに・つねに 答責性をとも
なっています。
これでは 色のないただ中立の〔一という〕存在に過ぎないのでは
ないか?
そうです。
でも それに色をつけるのは・互いにつり合いのとれたそれぞれに
ふさわしいよい色をつけるのは やはりおのおのの自由意志である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて 答えは端的に言って 《多様性の調和》にあります。
人びとの意志行為は 意志自由のもとに千差万別というほどの多様
性に満ちています。
このバラバラであると見られても仕方のない多様性が どのように
して互いの調和を保つか?
自由意志をとうとぶことによってでしょうね。
主観の内においては 思惟および行為の自由に必然的にともなう答
責性をないがしろにせず 励行すること。
(自由が 答責性つまり責任を必然的に帯びているのは その自由
の自由度は 《ふと曲がる》くせがあるからです。道草を喰ってい
ると よからぬことを考えたり果てはそれをやらかしてしまわない
とは限らないからです。なんでそんなことをやったのか? につい
て理由説明をすること これが 自由だからです)。
主観の外 つまり 主観どうしの関係においては 相手の意志を尊
重すること これに尽きます。
相手のであれ・自分のであれ 自由意志をなおざりにし果ては 踏
みにじるなら 自由は成り立ちません。《自由》という概念がそっ
くり消えてなくなります。
お日さんが照っていても 心の世界は闇夜であるという意味です。
意志ないし心を踏みにじるというのは――むつかしく言うと 人権
の侵害ですが―― これを考えるといつも サイコパスとはどうい
う現実なのか? と思います。
なお分からないので 意志の踏みにじりの例は 《ポア》の思想を
挙げます。
ディオニュソス(神話では神)は 端的に言って 《復讐で仇をこ
ろすのは みとめられる》という思想を語ったとか。
ポアは 悪人だとただしく認識したならば 生かしておいてさらに
悪を犯し続けるよりは ころしてやって成仏するようになるほうが
のぞましい〔ゆえに ころす〕ということだと思います。
▲ (日蓮:撰時抄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等
が寺塔をばやきはらいて、彼等が頚(首)をゆひのはま(由比ガ浜
の処刑場)にて切らずば、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ
(はっきりと言いました))
▲ (日蓮:秋元御書) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
不殺生戒と申すは一切の諸戒の中の第一なり・・・是くの如き重戒
なれども 法華経の敵に成れば此れを害する(殺すこと)は第一の
功徳と説き給うなり、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
反日無罪。
そして 天安門事件。と 香港の意志の踏みにじり。ウイグルでの
・・・。チベットでの・・・。
☆ これらの思想が じんるいの敵です。多様性の調和という意味
での《世界はひとつ》をそこらじゅう喰い荒らす虫でしょう。
《一をありがたくしている》へその曲がりでしょう。(自由意志が
こころの中ですでにクネクネ折れ曲がっていましょう)。
多様性と言う言葉が他の回答者さん達からも幾つか聞かれました。
多様性と言うのはむしろ固有性を霞むものではないかと私は思ったのですが、ここに来て調和と言うキーワードが出て参りました。
アマゾンの生態系は実に多様で、一つ一つの生命体も個性的ですが、それは調和しているからだと思われます。
うーむ。難しい。
決定的な自他の差異と、多様性による個性の現出と、汎なるものとしての一と。
中々、理路立てるのが難しい。
回答者さんからは、自由意思と調和と言うキーワードをいただきました。
No.6
- 回答日時:
【 No.2 追加回答です。
】私は、質問者さんの質問にたいして「宇宙」にあると「回答」しました。
質問には、大きく分けて
(1)「ある程度、正解の回答がある」場合。と、
(2)今回のような、一種の哲学的で「回答」が、一人一人バラバラの場合がある。
と思っています。
今回の「質問は、明らかに」、(2)にあります。
質問者さんは言いました。
>「一は何処にあるか?」と考えたなら、何処にあると思われますか?
ある「回答者」さんは「単体の1と 全体の1を あなたが ごっちゃにして質問してるだけ」と仰っていますが、
そうではありません。この方の回答は、明らかに「断定」しています。
この方の「回答」は、あくまで、この「回答者」さんの「個人的回答」なのです。「断定してはいけません」。
「話しが、ごっちゃになっている訳ではありません」。
もしこの方の「回答」が絶対なら「質問者」さんの「質問」の意味が無くなります。
No.5
- 回答日時:
宇宙のありとあらゆるものが「一」ではないでしょうか?
細胞も一、臓器も一、人間も一、家族も一、国家も一、人類も一、宇宙も一。
それで、すべてが繋がっている。
こんなことも思いました。事物を一般化することで名称が生まれるが、ものそれ自体の固有性は霞んでしまう。細部まで理解するには一般化はむしろ邪魔になってしまうが、理解のためには名称や色形を認識する事が不可欠なわけで。
仰るように全てがかけがえのない一であるとも見れますが、そのような認識の拡大が現実に起こるのかどうかと言う疑問もあります。
全てがつながっている言うところがポイントとなるのかも知れません。
No.3
- 回答日時:
★ 「一は何処にあるか?」
☆ ひとの意志にあります。
いわゆる自由意志というやつです。
そして 自由と言うなら むろんただちに・つねに 答責性をとも
なっています。
これでは 色のないただ中立の〔一という〕存在に過ぎないのでは
ないか?
そうです。
でも それに色をつけるのは・互いにつり合いのとれたそれぞれに
ふさわしいよい色をつけるのは やはりおのおのの自由意志である。
No.2
- 回答日時:
こんばんは。
「哲学的な思考ですね」。
私の「一は宇宙にあります」・・・。
現代の科学技術では、宇宙はビッグバンで始まり、すでに約136億年が経過しています。
近現代の宇宙物理学は、
(1)アイザック・ニュートンの「万有引力の法則」・・・これは、万能な理論ではないと証明されます。
(2)アルバート・アインシュタインの「相対性理論」により「万有引力の法則」は、書き換えられました。
(3)20世紀後半~21世紀にかけ、ニールス・ボーアの「量子力学」などで「ヒッグス粒子が発見」され、
「ダークマター」や「ダークエネルギー」の理論が提唱され始めている。まだ、ほとんど、解明されていない。
しかし、一つだけ分かっている事があります。ビックバンでは、水素元素の「1番・水素」や「2番・ヘリウム」などの少数の原子しかありませんでした。
その後、宇宙は、何百億年もかけ、天文学的数で「超新星爆発」を繰り返すうちに「生物にひつような、鉄、リン、銅などの、数々の原子が誕生しました」。
なので、質問者さんのおっしゃっている「最も身近な他者とか、自分自身と言うもの」は、宇宙のビックバンから始まらなければ「人間は誕生しませんでした」。
では、未来はどうなるのでしょうか?今の「宇宙物理学」の理論によれば、「宇宙はビックバン以来、未だに、指数関数的に膨張しています」。
その結果「スーパーコンピューター」の計算と「宇宙物理学」の理論上では、今から、約2兆年後には、宇宙は遙かかなたに飛び去り、
「星や銀河も無くなり、真っ暗な世界が広がるのです」。正に、「ダークマター」と「ダークエネルギー」の世界が広がるのです。
いらっしゃいませ。
二兆年ですか。
様々な説によれば、宇宙は仰るように膨張し続けるとか、あるいは一時に転じて収縮するとか、はたまた繰り返すとか、この宇宙は数ある宇宙の一つであるとか、聞きますね。
時間の無い場合も想定できるでしょうか。ともあれ、宇宙は大きな謎ですね。
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皆様へ。
ご回答ありがとうございます。お返事は水曜日くらいになると思います。ご回答、有意義に読ませていただいております。どうぞよろしくお願いします。
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もし世界に形が無ければ流転する事すらないわけで、その形の生まれるワケ、自発的に生じる何か、そこらへんが、普遍性を持っているのかなとも考えたりします。
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