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曽祖父は明治21年生まれですが、戦前の古き良き日本を生きた世代ですか?

A 回答 (5件)

「古き」はその通りでしょうが、「良き」と言って良いかどうかは、どこで何をしていたかによります。



明治・大正時代は、国全体で見れば「貧しい農村社会」でした。
江戸時代の人口の9割近くが農業をしていましたから、そんなに急には変わりません。

昭和5年の調査でも、就業人口2,900万人中、農業が1,370万人で、その半分近くの600万人が女性でした。
(元々日本は共働きが普通だったわけですね。)
野良仕事の最中に、木の陰で子供を産んだなんて話もよく聞きます。
明治・大正時代の日本人は半数以上が、田舎で農業をしていました。

上下水道もガスも電気も無く、水汲み、薪集めなどはとても大事な仕事でした。
また、経済基盤も弱く、生まれた赤ちゃんを間引いたり、年頃になった娘を売ったりすることも決して珍しい話ではありません。

明治・大正の乳児死亡率(出生1000対1才未満死亡数)は、150~180で推移しています。
すなわち、生まれた赤ちゃんの15~18%が1才になる前に亡くなっています。
ちなみに、2017年の日本は1.9なので1/90程度低下しています。

明治・大正時代、兵隊に志願する最大の動機は、お米のご飯を食べさせてもらえるということだったようです。

明治・大正時代が、その時代に生きていたわけでも無いのに、単純に古き良き日本と言って良いかは極めて疑問です。
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日本人が活気と勢いが有る時代でしたが、ご苦労様も沢山あったと思います。

戦争が多かった。
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No.2の方の回答に追加。



<古き良き日本>は明治時代末から大正時代の中頃までの短い期間です。

第一次世界大戦に参戦し、その間手薄になった中国へ「対華21ヶ条要求」を
出しました。日本の中国利権を認めさせましたが、これが原因で後の国際的
孤立化と日華事変に繋がる抗日運動の種を捲きました。1915年(大正4年)です。

しかし、国内への直接的な影響は感じられず、一等国の誇りや大正デモクラシーの
波に浮かれています。モガやモボのモダンさが話題に成ったのもこの頃です。

しかし、全ては1929年(昭和4年)の大恐慌で終わりを告げます。
あなたの曽祖父様はその時41歳、働き盛りで家族を支える立場でした。
それから1945年(昭和20年)敗戦で全ては終わりました。
41歳から16年間、辛い生活だったと思います。身内が戦争に狩り出され、亡く
なられた方も居られるかと思います。41~57歳、老いを迎え始めるまでです。

20代として<戦前の古き良き日本を生きた>かも知れませんが、そんな良い
思いが無くなるような人生だったと推察します。

少年と青年の頃の高揚感、安定した30代、一転暗い大変な時代、老いてからの再起
そんな波乱に富んだ人生を送られた世代でしょう。
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亡父が1905年生まれで明治38年でした。

丁度、日露戦争の最中でしょう。その頃のロシアは、帝政の末期でしたが海陸共に軍備は一流国で、日本は駆けだしの振興国でした。
旗艦の戦艦三笠もイギリスから、買ったばかりで、練度も乏しく、勝ったのが不思議なほどでした。
後の講和條約で、カラフト(今のサハリン)を領有し、今の北方4島はもちろん、千島列島も遥か、北の方迄領有し、正に日の出の勢いの日本でしたよ。
万歳万歳の提灯行列に、日本中が沸き立つ、良い時代ですね。
あなたのひいおじいさんは、16.7歳で、もう少し早く生まれて居たら、戦争に駆り出されて居たかも知れません。
その前には、清国相手に、戦いを仕掛け、大勝しています。
その結果、台湾を領有することに、なりました。
その後、朝鮮半島も、併合し、世界一次大戦にも参加し、ドイツ領であった、中国の青島(ちんたお)を99年租借ささ、更にソロモン群島など、領有した輝かしい歴史を持っています。
ひいおじいさんは、良き時代に生きていたと、思いますよ。
ほんのざっとですが、日本の近代史です。
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もの心ついた時代が日清戦争、日露戦争~ 戦争三昧で嫌な時代を過ごしてきた世代だと思います

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