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日本列島の地形は、何を境にして東西2つに分けられていますか?

A 回答 (8件)

フォッサマグナ

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糸魚川静岡構造線かフォッサマグナかいろいろな説ができてて混乱してきました。



どちらなのかというのの決めてにかけています。そこで、この2つは何なのかを説明することにします。判断の材料にしてください。

 明治時代になって、ナウマン(ナウマン象の名前の元になった人です)という人が、日本の地質(岩石)を調べていて、東側と西側で違っていることに気がつきました。東側はちょっと古い時代の火山岩がたくさんあるのに、西側は古い時代の堆積岩や変成岩花こう岩ばっかりです。
 地質の境界線がどこにあるかを調べたところ新潟県糸魚川から松本、塩尻、甲府盆地西部を通って静岡にぬける線上にあることがわかりました。そこで、ナウマンさんはこの線を糸魚川静岡構造線と名前をつけました。構造線というのは、大きく地質が変わるところの境界線を言います。
 だから地質でみると東北日本と西南日本の境は、糸魚川静岡構造線以外はありません。そう決めたのですから。
 構造線では非常に大きな断層が見つかります。糸魚川静岡構造線も調べてみたら、断層が見つかりました。この断層も、糸魚川静岡構造線と呼んでいます(場所によっては○○断層と名前で言うところもあります)。

 この時にナウマンさんは、この構造線の東側が大きく落ち込んで大きな溝みたいになっているといいました。その後この場所をフォッサマグナと名前をつけました。ここは構造線の東側ですから東北日本に含まれます。
 普通このような大きな溝(地溝と呼んでいます)ができるのは、平行に連なる断層に挟まれた間の地域が陥没してできたのだと考えます。これも調べたところ、西側には糸魚川静岡構造線(断層ですね)があります。さらにその西側は日本アルプスという高い山脈になっています。
 西の縁は糸魚川静岡構造線というのは間違いないでしょう。東側は確定していません。いろいろな人が書かれている通りです。諸説あります。

 地理(地形)のことはあまり詳しくありません。専門外ですから。想像で話をします。日本列島をわけようとします(あまり意味がありませんが)。いろいろなところで東日本西日本とわけようとした影響(分け方もたくさんあって調べてみるとおもしろいですよ)があったのかな。
 特にこれといったところがありませんが、日本アルプスとその東側にあるフォッサマグナがちょっと目立っています。どうしてもわけるとしたらここしかありません。どちらを採用されたかというと、フォッサマグナだった、という憶測です。
 推測は続きます。ところが、フォッサマグナを調べてみると中部地方東部から関東地方まで広がっています。これはあまりにも広すぎるということで、フォッサマグナを含めて東側を東日本とする考えもできます。これなら境界線は西の端の糸魚川静岡構造線になります。
 どちらか確定していない(してるのかな)うえに、糸魚川静岡構造線とフォッサマグナとを混同している意見とかが混ざってごちゃごちゃになっています。

 あなたならどうしますか。日本アルプスにしてもOKだと思います。みんな好き勝手なことを言っていますから。でも相手にはしてくれないでしょう。どちらかというと地形で東西にわけること自体意味がないと思っています。

 同じわけるでも太平洋側日本海側というわけかただと意味があります。気候が大きく違っています。これは地形でわけています。でも、何かの地形を境にして東と西で大きく違っているものはなさそうです。何処でというものならたくさんあります。

 フォッサマグナと糸魚川静岡構造線は日本列島のでき方と大きく関係しています。本論からずれるし、ここまででだいぶ字数を使ってしまいました。また、機会があったらということにしておきます。
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日本列島は大陸の一部が分離し、その後、プレートに押されて隆起したり火山活動で陸地ができたり、などなどだ。


最初の頃の陸地は西日本が主で、東日本は浅瀬中心だったようだ。東日本がプレートに押されて山脈化したころも西日本とは浅瀬で分離していたようだが、さらに東日本が押されて西日本とぶつかり、浅瀬だった地帯が日本アルプスという日本最大級の山脈となった。
この部分がフォッサマグナ。日本語では中央地溝帯と呼ぶ。

日本列島を東西に分けるとすれば、列島の誕生経緯・歴史からいって、境界線はフォッサマグナであると言ってよいだろう。

ところで、不思議なことに、食文化もフォッサマグナ辺りの関ケ原が境界線と云われている。
西の薄味に対し、東の濃い目の味。味噌も西はムギ味噌で、東はコメ味噌だ(真ん中の名古屋方面だけは何故かマメ味噌)。などなどだ。
この辺は、弥生人の浸透がフォッサマグナ辺りでいったん停止し、西の大和朝廷と東の蝦夷という時代が長かった影響もあるのかもしれないが、地形史的にも民俗史的にも、大枠としては東西の境をフォッサマグナとみて間違いはないと思う。
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すでにいくつかの回答がされていますが補足します。



私達が小さい頃は、日本を東西に分ける巨大断層フォッサマグナ、別名糸魚川―静岡構造線といわれていました。
ところが、今はフォッサマグナは「線」ではなく「帯」とされており、その西縁が糸魚川―静岡構造線、東縁が新発田―小出構造線と柏崎―千葉構造線とされています。

現在はその西側の糸魚川―静岡構造線が東日本と西日本が地質的に分けられるとされていますね。

フォッサマグナ(朝日新聞「キーワードの解説)
https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%8 …

フォッサマグナ(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9 …
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昔は糸魚川静岡構造線と言われて居ましたが、その説は最近崩れましたね。


糸魚川付近にはプレート境界が存在しない事が明らかになりましたし。
ですので正確なところは今後の調査で明らかになるでしょう。
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新潟県糸魚川市と静岡県静岡市にかかる「糸魚川静岡構造線」。

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日本の地形では何処かを境にして大きく変わるところはありません。


岩石(地質)でいえば、糸魚川-静岡構造線で大きく変わります。ここを境にして東北日本地質区と西南日本地質区にわけられています。この線の東側は岩石が大きく落ち込んでいるところがあってそこをフォッサマグナと呼んでいます。
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フォッサマグナですね。

中央地溝帯とも言います
糸魚川-静岡構造線と答えて正解の場合も有るのですが、糸魚川-静岡構造線では本当は不正解です。
糸魚川-静岡構造線はフォッサマグナの西の境界のことで、ここで東西が分かれているわけではないです。
東側のフォッサマグナの境界は新発田小出構造線や柏崎千葉構造線と言われていますが、いろいろ複数の説があり、今でも特定されていないです。
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