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(神が存在するかどうかは、ここでは俎上に載せません)
神を信じる人々は確かに存在します。
多くの文明は、このような何らかの超自然的な力を崇拝しています。
つまり、人類には、この世のものではない何かを信じる性質をもともと備わっていたようだ、と私は考えます。
ところで、物的証拠のない何かを信じることは、進化論的にみて、人類の生存に役だっていた(いる)のでしょうか?

A 回答 (27件中1~10件)

park123様


 非常に知的好奇心を擽られる質問です。
「人間だけが神を持つ」と誰かが言っておりましたが、恐らく「神」を信仰する事によって、通常なら逃げて誰も行わないような困難な任務でも、「神」に「勇気付けられて」これを達成出来る、といった効果が有るのではないでしょうか。
 もっと言えば、「神」だけでなく、「魂の存在」を信じるという事もセットになっていて、「魂」が有るのであれば、例え死んでも本当は「死なない」という事になり、自らを犠牲にしてでも仲間を、種族を存続させるために戦おうとする気力が起きるのではないでしょうか?
 それから副次的な効果として、社会学的な効果、つまり「同じ神」を信じる事によってその社会集団の団結力が強まり、他の生物や民族を圧倒できる、という効果も有りそうです。また、お墓や神殿がそれを強化するための装置にもなります。既に旧人類(ネアンデルタール人)の遺跡から、花を供えて埋葬してある墳墓が発見されているぐらいです。

 更には神話を語り継いだり説明したりする事による言語や絵画、彫刻、音楽等の発達や、更には絵文字や数字の発明など、副次的な効果は多いように思われます。
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この回答へのお礼

お回答ありがとうございました。
1.個人的なレベルでは、<「神」に「勇気付けられて」これを達成出来る、といった効果が有る>にですね。
2.社会集団のレベルでは、<自らを犠牲にしてでも仲間を、種族を存続させる>ことになるのですね。
3.そして、社会集団そのものの拡大・統合に寄与するのですね。
飛躍しますが、神を信じない無神論者にとっては、社会集団は発展しにくい、のかもしれませんね。

お礼日時:2020/02/14 18:34

学問を越えて、人の歴史の弁証法的エンジンになっているのが、信仰です。

信仰が、人びとの間の統合分裂破壊修復破損維持の機能を果たしています。信仰だけに、証拠証明はいらないのでしょうね。信仰の、結果として、返事として、答えとして、神との繋がりを、人は感じられるのでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<信仰の、結果として、返事として、答えとして、神との繋がりを、人は感じ>ながら、
<信仰が、人びとの間の統合分裂破壊修復破損維持の機能を果たしてい>るのですね。

お礼日時:2020/02/10 18:47

聞いた話ですが、何か一つのことをみんなが信じれば大きな力が発生します。


例えば、大きな獲物を捕まえるには協力が不可欠でしょう。誰もが捕まえたあとに宴をしている風景を想像できれば、想像できた人たちはみんなで協力して行動できると思います。しかし、捕まえたあとの景色というのはフィクションです。同じ目標を多くの人が同じように信じる必要があります。また、想像力を必要とします。
フィクションを信じる力はなにかを信じるやはり生存(特に協力して活動する)には有利に働いたのではないでしょうか?

今だと東京オリンピックでしょうか。誰もがお金を信じており、一部の人が夢見た成功を信じそこにお金を投じる。お金がばらまかれれば、そこから派生する幸福(ただの紙ですが誰もが交換価値を信じている)を夢見た非常に多くの個人がそれに協力する。更に、オリンピック成功イメージをTVや広告で流しフィクションを語る。結果的にみんなが一丸となり協力できる。

これら、一人ではできないことをみんなで協力して活動することで、大きな事を成し遂げられる。生存に有利だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<何か一つのことをみんなが信じれば大きな力が発生します。>のですね。
皆が信じる神を通して、たとえば狩りの収穫を想像し、協力をしようとするのですね。<一人ではできないことをみんなで協力して活動することで、大きな事を成し遂げられる。生存に有利>なのですね。<オリンピック>もしかり。

お礼日時:2020/02/09 19:02

1. 《感じる(感性)と考える(理性)》のほかに《信じる(霊性)》と


いうことをすでに始めている段階の社会では この信じるの対象――《超自
然のチカラ》――を 互いのあいだの信頼関係をつよめ保つために 引き合
いに出すようです。

2. 《神に誓って;天地神明にかけて》というような文句を持つようにな
りこの〔あえて言って〕呪文をとなえることによって 信義則にのっとりま
すよと言って わが振る舞いの無実を証明したい気持を表わします。

3. 超自然なるチカラとわれとの関係を引き合いに出し わが発言に信憑
性がありますよとうったえます。


4. このことは たとえ無実のための証拠がなく証明が出来っこない場合
にも 心の中の避けどころでありあたかも最後の頼りとして超自然のチカラ
が持たれている場合があります。



5. こういった現実〔の一環〕にかんがみて 質問者さんは:
★ (趣旨説明欄) つまり、人類には、この世のものではない何かを信じ
る性質をもともと備わっていたようだ、と私は考えます。
☆ と述べておられるのではないでしょうか。


6. もしそうでしたら このことは 個人にとってその主観内面において
は 心のやすらかさを保つために役立っている場合が少なからずあります。
そして――そのことと共に―― 社会なる人間関係においては 互いの信頼
や信用を保つためにはたらく要素があり まわりまわって公の秩序をなにが
しか支えている。
・・・のではないでしょうか。


7. もしそういった――むしろ無根拠の――避けどころがまったくないと 
人間と社会は どうなるか?

8. 永遠に――おれんところの神こそが正義の神であるんだ いや わし
らの抱く神こそが唯一の神なんぢゃわいと言い合って――人びとのあいだの
水掛け論はつづくか。
あるいは あいつとはもう話ができん。口をきかん。という関係が次々と現
われ 人びとはまったくの個々バラバラになってしまうか。
または 気に食わぬ者がひとりもいなくなるまで 殺し合いをすすめるか。
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。
<《信じる(霊性)》ということをすでに始めている段階の社会では この信じるの対象――《超自然のチカラ》――を 互いのあいだの信頼関係をつよめ保つために 引き合いに出す>のですね。
<《神に誓って;天地神明にかけて》というような文句>が働くわけですね。
<このことは 個人にとってその主観内面において
は 心のやすらかさを保つために役立っている》。これが、小さい神の芽生えになるのでしょう。
人類には、この世のものではない何かを信じる性質をもともと備わっていた、と共に、信じ”たい”性質をもともと備わっていた、ことに成るでしょう。
<人間と社会は どうなるか?>は悩まし問題ですね。多神教の世界では、何となくなし崩しに妥協ができるのでしょうが。

お礼日時:2020/02/09 17:16

死にかけるようなひどい経験を何度もしないと学習できないんじゃ、そのうち本当に死んじゃって淘汰されるでしょう。

だから、わずかな回数の経験から「経験則」を引き出す。たとえばジンクスですね。その程度のことは犬猫でもやります。この傾向は、少数の経験から素早く学習するために必須の条件ですが、得られる「経験則」はしばしば間違っている。ご質問の「この世のものではない何かを信じる性質をもともと備わっていた」という話なら、これだけでも十分説明になるかと思います。

 さて、汎神論は、あらゆることを「何かの意志によって生じる」と考える。(これは犬猫には難しいだろう。)風が吹けば風の精霊の意志、雨が降れば雨の神の意志、人が死ねば死神の意志。具体的な現象の背後に(明示されない)「意志」を読み取るのは、他者に共感しコミュニケーションするための基本スキルであり、ヒトが社会を作る上での基本になる生来的傾向でしょう。

 さらに、ジンクスや汎神論的なものを通底するもっと大きな原理があるんじゃないかと考えるようになると、これは形而上学の芽生えです。ひとたび誰かがもっともらしい原理を考えつくと、言語によってそのアイデアが素早く拡散し、拡散したことによって支持者が増え、支持者が多いことによって信じられ、そして信仰が神を産む。これは言語を使えるからこそですね。

 ところで、信仰の効用は、ひとつは迷わないこと。ひとつは「人生って何だ」みたいな答のない疑問を延々考えて過ごす無駄を、「僧侶」という専門家に丸投げして回避できること。かな。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<具体的な現象の背後に(明示されない)「意志」を読み取るのは、他者に共感しコミュニケーションするための基本スキルであり、ヒトが社会を作る上での基本になる生来的傾向>で、役に立っているのですね。ヒトの社会面ですね。
<答のない疑問を延々考えて過ごす無駄を、「僧侶」という専門家に丸投げして回避できること。>も役立っているのですね。

お礼日時:2020/02/07 19:01

進化論的に言えばヒトとコンピュータとが共生したかのような時代に突入しました


そのような社会においてヒトは新たな進化を迎えようとしています
それは「ヒトの脳とコンピュータとの結合です」
ヒトの脳とコンピュータとを結合させ結合されたコンピュータを脳の拡張機能即ち脳の一部としてヒトの脳とコンピュータとが一体なって働かせます
それはある意味に「新たなヒトの誕生」即ち新種の誕生と言えるでしょう
そのようなヒトが実際に出現したら社会に与えるインパクトは絶大なものになりますね
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この回答へのお礼

度々のぼ回答ありがとうございます。
<脳の一部としてヒトの脳とコンピュータとが一体なって>なのですね。
義脳と命名しましょう。たとえば囲碁の世界では、義脳囲碁選手権のようなものが開かれるのでしょうね。

お礼日時:2020/02/07 17:37

物的証拠=エビデンスは、学問領域にのみ採用される方法で、信仰にエビデンスはいらないでしょう。

信仰が神への愛ならなおさらです。ちょうど身内への愛と憎しみに、エビデンスが要らないようにです。ですから他者との連帯分離融合分裂という、絶え間ない弁証法のエンジンとして機能してるんでしょうね。有益無益に関わらず。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
確かに<信仰にエビデンスはいらない>ですね。
しかしこの質問は、<学問領域>の方ではどうなっているか?について訊ねているつもりです。

お礼日時:2020/02/07 17:27

量子コンピュータとは


「量子力学的重ね合わせ」を用いて並列処理するコンピュータです
「量子力学的重ね合わせ」とは
取りうる(選択)しうる状態すべてが取れる状態です
例えば真っ直ぐな道を歩いているときこの先にYの字になって「右の道」に行くか「左の道」に行くかの選択が迫られてるときそれを「量子力学的重ね合わせ」的に表現すると、
「「右の道」と「左の道」が重なり合う」となります
従来のノイマン式コンピュータでは
「右の道」を選んだ場合と「左の道」を選んだ場合とで別々に処理していますが、量子コンピュータの場合「右の道」を選んだ場合と「左の道」を選んだ場合共同時に処理します
「選択数」が多い=複雑であればあるほど量子コンピュータの能力は発揮されます
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございました。
<「量子力学的重ね合わせ」とは
取りうる(選択)しうる状態すべてが取れる状態です>
<「選択数」が多い=複雑であればあるほど量子コンピュータの能力は発揮されます>ですね。
現実の状況を、0と1とに割り切って処理する現状の方式ではなく、複数の「選択数」をそのままを使う量子コンピュータは期待が大きいですね。

お礼日時:2020/02/06 19:10

ただシンプルに、アナタが『なにかを信じる性質…』と考えたように、知能が高くなると、生きていくのに最低限以上の余計な事を考えるようになるだけなんだと思います。



ただそれは、生物の進化成長にとって、非常に有益な物だと思います。

(アナタの求める答えと違っていて申し訳ないです)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
<最低限以上の余計な事を考える>のですね。
<非常に有益な物>ですね。哲学はこの例ですね。結果的に哲学も<有益な物>
と評価されればよいですね。

お礼日時:2020/02/06 16:14

続きです


「物事をシンプルに端的に理解」しようとする大きな理由として「迷わない」を挙げました。
加えてもう一つ大きな理由があります。それは「間違わない」ようにする為です。
「迷う」事同様のデメリットが「間違う」にもあるからです。
その為に編み出したのが「概念」を持つことです。
「概念」を持つことで正確かつ迅速に判断出来るようになったのです。
「概念」を持つ為の作業は「合否チェック即ち○☓」です。
これは視覚情報を用いるのなら誰でも容易に行えますが、非視覚情報即ち「目に見えない情報」を用いて行うのは容易ではありません。
故に非視覚情報である「超自然的存在=神」の概念を持つこと非常に困難だったでしょう。
しかしながらヒトはそれを成し遂げました。
更に「超自然的存在=神」に対して「概念」を持つだけでは無く「神」と言う名前をつける事もなし得たのです。
これはヒトの「知的能力」が一定程度以上向上したからに他なりません。
それと前後してヒトは「目に見えない情報=非視覚情報」に対して「概念」を持っただけでなく
「名前を付ける」
「数値化する」
「目に見える形にする」
以上の3項目を常に行えるようになったのです。
その代表例が「時間」と「貨幣価値」です
「名前を付ける」事で情報の共有化や共通認識が容易に行えるようになりましたし、数値化する事で理解を深めかつ実用化させられるようになり、「見える形」に出来るようになった事で「考えている事=イメージ」を具現化させられようになりました(これを故養老孟司氏は「脳科社会」と呼びました)
これが科学技術を発展させ今至るようになった要因です
以上を踏まえるなら「神の概念」を持ち「神」と言うを名前を付け「神の意思」を是としそれに従った事が「ヒトの知的進化」に重要な役割を果たしたと言えるでしょう
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この回答へのお礼

<度々之ご回答ありがとうございました。

<「神の概念」を持ち「神」と言うを名前を付け「神の意思」を是としそれに従った事が「ヒトの知的進化」に重要な役割を果たした>のですね。
<「名前を付ける」事で情報の共有化や共通認識が容易に行えるようになりましたし、数値化する事で理解を深めかつ実用化させられるようになり、「見える形」に出来るようになった>
<見えない神>(概念上であるが)が<見えるようになった>といえるのですね。

お礼日時:2020/02/06 11:21

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