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①「大奥・華の乱」にて、5代将軍綱吉と、安子の間に、長丸君が誕生。桂昌院と綱吉は喜び、お伝が憎悪を募らせる中、長丸君は哀れ急死(公家・出身の、飾り物の御台所・信子により、毒殺される)。
将軍生母・桂昌院は、「不吉じゃ!長丸は、徳川にいらぬ子だった!記録から削除するのじゃ!」と命じ、長丸君は、いなかったことに、されてしまいました。
②「大奥・最凶の女」11代将軍家斉の愛妾・お美代の方は、実は、10代将軍家治(家斉の義父)の御落胤で、家治死後、中野清茂が保護し、後に自分の養女として、大奥に送り込んだのでした。
古今東西の名家(天皇家・皇帝家・王家・将軍家・豪族・貴族・族長など)で、実際は生まれていたのに、権力側に都合の悪いため、存在が抹消された子供たちは、いたのでしょうか?

A 回答 (2件)

山ほどいたと思いますね。


中国や韓国の王朝ではよくあることであったと思いますよ。司馬遷の史記などを読むとその手の例はたくさん出てきます。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。中国・韓国など、確かに多そうですね。

お礼日時:2020/02/18 11:30

死産扱いされた子供、多かったでしょう。


徳川二代将軍の子、保科正之なんか、家光のとりなしがなければそのまま記録から抹消されたままだったかも。正之の前に、妊娠中、拷問死された母子がいたとか。大河ドラマの主役にもなった正妻・お江の手で、、
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