これには批判もあると思うが、超越や解放を目指すなら、という話。
生き残りに懸ける命は勿体ないと私は思うのだけれど、皆さんはどう思いますか。
生き残るために策を練り、生き残るために心を押し殺し、生き残るために命を削り、生き残るために我慢する。生き残るために戦う。生き残るために、、、の後にはどうも悲壮感が漂っている場合が多い気がする。命(存在)を懸ける対象としては、生き残りというのは不適なのではないか。
生き残るために楽しみ、とか、生き残るために喜び、とか、生き残るために安心し、とか、生き残るために協和し、というのは無いわけではないが、あまり聞かない。
太古から現代まで、ずっと存在してきたサバイバル原理というか、闘争原理を破壊して、超越や解放を目指すことはできるだろうか、という話。これは、雲の上の御伽噺だろうか。生存原理は存在原理に劣るという主張と捉えてもいい。
たまにはこういう話も振ってみようと思い立ち。それが今夜でしたという話。
追伸:
超越とか解放というのは、例えば、食べなければならないという生存のルールに支配されなければ、あなたは何をしますか?みたいな問いに対する答え。過去から現在までの生命の営みを無視することともとらえられますが、非現実的で意味がないと思うことなかれ。良ければ考えてみてくださいな。
最近マイブームの、岡本太郎的に言えば、 一瞬を生き切れ! と言う事も出来るかな。
存在を透徹しようとする哲学人たらんとするなら、こんな問いにも当たってみてもいいかもしれない。
知らんけど。
No.1
- 回答日時:
人間以外の生物は、自らの命を繋ぐ食料を生産することはほとんどできません。
また、擬態等の自己防衛手段を持つも、全く十分ではありません。
従って、食物連鎖の流れの中から抜け出すことができず、種の保存のために、命
の全てをかけざるを得ないということになると思います。
しかし、人間は食料を生産することができ、自分の命を狙う生物から完全ではな
いにせよ自己防衛することもでき、環境の変化からも命を守ることができる文明
を持っています。
昔は小さな部族・民族・共同体同士での武力の衝突がありましたが、それはほと
んどが覇権の争いであって、生き残るための争いではなかったと思います。
日本でもヨーロッパでも、より大きな共同体で共生できるようになった実績を人
類は持っています。
にもかかわらず、生命の本質は「弱肉強食」であり、競争相手を抹殺することが
正当化されるような議論が意外と多くありますが、全く論理が破たんしていると
しか言いようがないと思います。
日本のような先進国(今のところ)では、十分に生きてゆくことができます。いや
ある程度豊かに暮らすことだって、そんなに困難なことではないはずです。
家族のために命をかける、という哲学が多いように思います。子供は成人するま
ではそれは大変ですが、そのあとは一人で生きてゆくわけです。配偶者もしかり
です。
ですから、若いうちはともかく、40・50になれば、本格的に自分を生きていい
と思います。
人生100年時代が来るからこそ、中高年の人生哲学が社会の中で大きな意味を持
って来ると思います。
岡本太郎の如く、人間の真の生き方を追求できる環境が整った文明がすでに出来
上がっていると言えると思います。
私は、人類が食物を生産しているという見方には懐疑的です。突飛ですが、それならキノコを栽培する蟻はなぜ文明を持てないのか?という話にもなるし、逆には、彼らは文明に似たものを作っているとも見れる。
食料を生産し余剰を得、豊かな暮らしを実現したゆえに文明が成立したのではなく、文明の萌芽が人類にはあったと見る方が妥当だと思います。その萌芽とは、言葉です。最初は素朴であったこれが数万年か知らないが、時を経て怪物のようになってしまった。そして岡本太郎の求めた原始の炎は、この言葉と対決するものであったと言えるでしょう。
言葉があるから全土統一、平らげるなんて覇が生じる。言葉ではなく、原始の炎で生きる人間はもっと純粋で混沌としているはずだと思う。だから爆発なんですよ。レーザー光線じゃない。爆発なんです。
言葉を用いる真っ当な大人たちはまったくもって盤石です。その沈黙は堪え忍ぶ。しかしそれに一石を投じたい。いや一石ではなく、ぶつかりたいと言わなければだめだろうか。
岡本太郎の火を、使ってみたいと思うのはイケナイコトでしょうか。
生命の本質が弱肉強食だから、われわれ人間もそうあって当然なのだというのは、論理でもなんでもなく、宿命の奴隷です。
口下手なことを言えば、最近、親の有難味がふと、分かる。飢えのないことの有難みを思う。天真爛漫に思考できることの不自由が分かる。だからこそ、それに問うてみたいと思うのは傲慢でしょうか。
この問いでは大いに話しましょう。にゃんぽこさんは聡いからまだ俺に遠慮してるでしょう?
もっと教えてください。
>岡本太郎の如く、人間の真の生き方を追求できる環境が整った文明がすでに出来
上がっていると言えると思います。
この文面、大人ですよ?いいんですか?それで。^^
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それが無いから燃え上がる、と言うところのそれとは、歪さや欠けのことではなく、あるべきはずのものがないと言う意味です。
命を粗末にしろと言うのではない。
後生大事に抱えていては、自分の血の一滴も流さないようでは、生きたとは言えないのではないか?
いや、本来的に皆、流しているはずだ。その血潮の温度を無視するから、痛みの分からない痛い奴になってしまう。クールな、空白な奴になってしまう。
その熱さを、痛みを、自分で感じて、生きている昂ぶりをむしろ誇りに思って、吠えなければならないだろう。
透徹した視力を持った哲人であっても、この道の奥底を見据えることはできない。そこには悲しみなんてない。燃え上がった血の湧き出す、炉があるだけだ。
その熱い中身が絶対的に冷たい世界に流れ出すとき、世界が華ひらくのではないだろうか。
理哲な賢人にはわからないことだ。
僕は最近、自分に対する不満をふつふつと感じる。
なんて下らない奴なんだと。胸の内にメラリと燃えるものがある。
自己否定。これこそが、モチベーションなのではないでしょうか?
No.61
>これは、社会のシステムの問題でしょうなあ。
なんでも商品化してしまう。この性分は問題になると思う。月の土地を販売した話など聞くと、本当に恥知らずだと思う。お前が月を作ったのか?お前が月に到達したのか?何もしてないじゃないか?お前は価値を付けただけ。
これは、私の商性に対する懐疑でもあると思います。価値とは、お金とは何か、どうあるべきかの話になるかもしれません。
しかし敢えて言うなら、その目的とは、酷で冷たい世界、酷で冷たい運命に対する、爆発だと言ってよいでしょう。
私の言う、「私は冷たかった」と言うのは、熱意を持てる対象を持ってこなかったというのではない。人間として、冷たかったという意味なのです。他者からは優しい人だと言われてきた。しかし太郎は言う。「好かれる奴ほどダメになる。」おもろいやんけ、と俺は思った。
なかなかいいパンチをしてやがると。
私は太郎の言葉に従っているのではなく、古より太郎が受け継ぎ、また自ら顕現した熱い生き方を、俺もしてみようと思っただけなのです。
俺は若いころこんなに働いたのに、年を取って邪険にされている。不公平だ!こんなことを言う大人は、はっきり言って凡俗以外の何物でもない。
気持ちは分かるが尊敬の対象にはならない。
そうではなくて、俺は若いころこんなに働いた、年を取って邪険にされている。だからなんだ。俺は俺の信念に従って働いたんだ。俺はそれに絶対の自信がある。お前ら若い者に同じような自信があるかね?ないならつけてから出直してきやがれ!
とか、
年取って邪険にされている。まるで役立たずと言わんばかりだ。うれしい限りだね。俺がいなくても、お前らはやっていける。それだけ成長したってことだ。俺も頑張った甲斐があったよ。
とか、
なるなら、威勢のいいおっさんだなwとか、やさしい大人だなぁ、とか、若い者もいろいろ思うところがあるでしょう。
しがらみの多い世の中で、純に生きていく事は、ただ生きて行くことよりも難しい。しかし思える。純に生きるとは、決して打たれない生き方の事ではないし、汚れない生き方でもない。縛られない生き方でもないし、疲れない生き方でもない。打たれ、汚れ、縛られ、疲れ、それでいて純なんだと、思えるようになった。その意味で、私は今までただ生きていただけだったかも知れない。必要以上には打たれたくない、汚れたくない、縛られたくない、疲れたくない、でもそれらは本当は、語弊を恐れず言えば、気持ち良いんだ。正面から取り組めば、障害は生きがいになる。そう思えるのです。
盲点からの打撃は失神を呼び易い。正面から、分かって受けた打撃はあまり失神しない。正面から受けて、気絶してみたい。どうかしてるのだろうか、俺は。
心をゼロにして話を聞いてみる、これは大変良いことを聞いたと思いました。ありがとうございます。
ここに人生をわずかにも告白し、痛みを感じて来たことを身をもって知っている人に、さらに痛みを感じるべきだなどと間抜けたことは言いません。ストイックになるべきとも言いません。自他の痛みを知って、闘志を起こし、自己を励起して、道を切り開くことが、私には必要だったし、時代の要請でもあると思う。
最後に補足しておきますが、これらの話は勿論、自傷や自殺を勧めたり、行使したりする話ではありません。
履き違えのないように、念の為。